今、静養中(?)なので
なかなか外に行けず、
連休中にゆっくり歩いた散歩道の写真、まだつづきます。
体調悪いと、自由にさっさと歩けることの
ありがたさが身に沁みます。
▼枯れ草の道を歩いていたら、
ぴょんぴょん跳ぶバッタが。
跳び方もやはり弱々しくて、すぐに追いついて写真。
あぶないよ。鳥に見つかるよ。
調べてみたら、ツチバッタかな。
この種類は、成虫で越冬するらしい。
▼身軽になった葦の穂。
▼冬でも緑緑。これなんやったっけ。
▼こちらは冬でも伸びる。
野蒜(ノビル)
▼ガガイモの袋果は、からっぽに。
●今日の朝日新聞「天声人語」です。
明るいニュースが少ないから、いっぱい取りあげられていますね。
茨木のり子さんの詩「みずうみ」から引く。
〈だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ〉
名台詞(めいせりふ)を聴くものかな!
ふりかえると
お下げとお河童(かっぱ)と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道……
「ランドセル」の一語が利いている。子どもの成長の道連れである。
ランドセルが歩いているような後ろ姿で入学し、
やがて負けずに背負えるほどに育つ。
詩人を驚かす「名台詞」も口にするようになる。
背中の親友は、小さな喜怒哀楽を6年間、黙って見守ってくれる優しい存在だ。
そんな「親友」が10個、前橋市の児童相談所に置かれたのは暮れのクリスマスだった。
それを誘い水に、情けの泉がわき出すように、「タイガーマスク」の主人公を名乗る善意が広まっている。
最初の善意への共感が相次ぐのも、「ランドセル」が利いていよう。
ぴかぴかのランドセル姿は、子どもが貧と富、幸と不幸で分け隔てされてはならないことの象徴だ。
初代タイガーマスク氏の、ささやかだが、志ある一灯だったろう。
市井の善意とは異なるが、山形県庄内町を思い浮かべる。
ランドセルを新入生全員に贈り続けていて、今年も187人が新品をもらう。
「子どもたちが地域の宝だという思いを、町民みんなで分かち合うのです」は原田真樹町長の弁だ。
一つ一つは小さな善意が、「社会で子を育てる」という脆(もろ)い理念を、確かな意識に高める力になればいい。
人みな人の世の子。めぐる春、善意のランドセルをゆらす小さな背に幸いあれと願う。
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うちにも、捨てられない赤いランドセルがひとつ、
ホコリをかぶっています。
特別の、格別の、思い出。
うちは九州の義母が送ってくれました。
日本中のおじいちゃん、おばあちゃん、による、
ランドセル選びがはじまっているかな。
特別の人から贈られるランドセル。
タイガーマスクからもらったなんて
ずっと心に残るね。
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