【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

運命の摂理

2011-01-27 16:17:27 | 心の宝石箱

【散った薔薇と三浦綾子の本】

   起床時の気温は、今季最低気温に並ぶ8度。
  いかにも寒そうな空と、その空からはチラチラと風花も舞っていたものです。

   しかしながら初めはおずおずだった太陽も、その後はいつもの貌に。
  又、引っ込み・・。そんな事を繰り返しています。今日の太陽は気分屋です。

   “(略)・・・ その日の夜明けは真珠のように白く、
  ダイヤモンドのように透明だった。
  駅の裏にある高い香りの若樅の林は霜に覆われていた。
  冷たい有明の月は西の雪の原の上にかかっていたが、
  黄金色の綿毛のような朝日は炉辺荘の楓林の上に
  輝いていた。・・・ (略)”
               【「アンの娘リラ」 第18章】



   さて、三浦綾子に没頭している、ここ何日かの私。今度は、『塩狩峠』 を読了。
  実はこの本、どうやら読んでいたつもりで読んでいなかったようです。

   その一方でブログ友達によって、こぞって紹介されていた、
  『あのポプラの上が空』 に至っては、完全に読んでいないと思っていたものです。
  しかもご丁寧にも “何とロマンティックな題名!” ~なんて思っていたのですから。

   それなのに文庫本ですが、最新刊を買っているではありませんか・・。
  そう言えば、あの頃は斜め読みの最たる時期。
  
   次から次へと買い求め、サ~ッと読んでは、すぐ忘れていたに違いありません。
  尤も 『海嶺(上中下)』 は、読まないまま本箱の肥やしになっていたようです。
  彼女には珍しい時代物。ただ肝心の『細川ガラシャ夫人』、まだ出て来ません。

   そうそう、『塩狩峠』 の事。実話だったのですね。
  明治時代、まだキリスト教が 「ヤソ」 と呼ばれ、人々から迫害されていた時代。

   とは言っても主人公の信夫は両親とは違い、最初から信者だった訳ではなく寧ろ否定的。
  それには複雑な事情があるのですが、ここでは省きます。

   小説の最初の舞台は東京の本郷。
  生涯の友となる吉川との出会いと、その妹のふじ子・・。
  (その吉川は高等科4年の時に夜逃げ同然に北海道に引越すのですが・・)

   読み進めて行くうちにち父親である貞行の言葉を初めとした登場人物の言葉に、
  どれだけハッとさせられた事でしょう。思わず自分を顧み、自己嫌悪・・。

   ひたむきな愛と信じる心。
  特に、吉川のいる北海道に行ってからの信夫の生き方には心を打たれました。
  魂を揺さぶられる・・というのは、こういう事を言うのでしょうね。

   最後があまりにも悲し過ぎて言葉がありませんが、
  その悲しみに耐えられたのも信仰のせいでしょう。
  壮絶な生涯・・こんな生き方もあるのですね。

(略)・・・(きれいだなあ)ふっとそう思った時、
信夫は思わずハッとした。
(こんな美しい花が、この汚ない土の中から咲くなんて・・)
それはいかにも不思議だった。(中略)
(花ばかりじゃない。
朝が来て一日があり、そして夜が来る。
この事だって決して当たり前ではないのだ。
宇宙のどこかには、一年中夜の所もあれば、
一日中昼の所もあるに違いない。
いや、この地上にだって、
薄暮のような場所があるではないか)



(略)・・・人の好意を受け取る事にかけては、
ふじ子は天才的ですらあった。
ほんのちょっとした好意でも、それをふじ子が受け止める時、
限りなく豊かな想像を加えて、
一つの楽しい童話や詩となった。
                        三浦綾子作 『塩狩峠』 より