【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

冬の木漏れ日

2011-01-05 15:45:15 | 四季のスケッチ


   




   新年5日目の朝は、何もない晴れ渡った空で明けました。
  そして早くも普段の日常が戻って来ました。

   こちらは元日こそ荒れた天気になりましたが、
  その後は冬日和が続いています。
  ただ今日は、お昼辺りから真珠色の、いかにも冬らしい空に様変わり。

   起床時の気温も、さすが年末の頃のように、14、5度まで
  上がる事はありませんが、それでも10度を下回る事はありません。

   その冬日和をもたらせてくれている、貴重な太陽。
  いつの間にか・・それも見事に葉っぱを落とした、
  木々の間からひょっこり顔を出し、照らし出され・・。

   “こんな所にこんな植物が・・” と新たな発見をする事もしばしばです。
  余分な物を落とし、妙にスッキリしたわが庭。

   こうなれば、“アース色の冬の庭も満更ではないな・・”
  ~なんて、柄にもなく感慨に耽(ふけ)ってみたり。
  ちょっとした、わび・さびの世界? と言えるかも知れません。

   同時に自然の営みの偉大さに驚いてもいます。
  常緑樹も必要だけれど、落葉樹も必要だという事でしょうね。

   植物の中には強烈な日射しを嫌うものも多々あって、
  そんな中でこうした木の役割は欠かせません。勿論、人間も。

   夏には木々の葉っぱで守られ、冬にはその落ち葉のお陰で、
  冬の穏やかで優しい太陽に当たる・・。日が当たったり当たらなかったり。
  こんな穏やかで優しい太陽の恩恵を植物は好むのだとか。

   ようするに葉っぱは、冬の日射しを大地に与えるために散って行き、
  その落葉自身も腐葉土となって後の命を育てるために使われる、
  捨て身の運命を担う・・。何だか人の命にも重なって。







 

   




   さて、今年初めての詩は、今日も大好きなヘッセの詩集から。
  これも感慨深い詩を見つけました。






【しおれた葉】
花はみな実になろうとし、
朝はみな夕べになろうとする。
永遠なものはこの地上にはない。
変化とあわただしい移ろいの他には。

美しい限りの夏もいつかは
秋と衰えを感じようとする。
葉よ、根気よくじっとしていよ。
風がお前を誘惑しようとしたら。

お前の戯れを戯れよ、逆らうな、
静かになすにまかせよ。
お前を折る風のままに 家路へ吹き運ばれよ。
             高橋健二訳 「ヘッセ詩集」より