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ビストロ レアール

石川県小松市にある「ビストロ レアール」のシェフがつづるあんなことこんなこと

マダム スカビネール

2005年08月02日 | フランスこぼれ話
ノルマンディー マノワーダスティンの
マダム スカビネール

とても 上品で
いろいろな所に気が付く方でした

マダムの足元には
必ずアキダがいて
お客様をお迎えする
レセプションにいました

夏の暑い時でも
襟が高く袖の長い服を着て
肌の露出している部分をおさえて
昔ながらの着こなしをされていました

サーヴィスの時に
厨房でシェフが
どなっているとすぐに駆けつけ
”クローーード ナントカー カントカー スィル ト プレ クロード!”

収まるのです

パトロン(経営者)の食事は
基本的に皆と同じ物を食べますが
必ず一言キュイジニエに声をかます

マダム:クリストフ ナントカー カントカー
    トレ ビアン

クリストフ:メルスィ マダム

マダム:マサ ナントカー カントカー
    トレ トレ トレ ビアン

私:メルシー マダム

と言ったところです

気を遣うという事で
とても 感激したのは
滞仏二年目の冬に
ノルマンディーを訪れた時

お客様の予約もない暇な時期に
まだ マダムと一緒の写真がないので
お願いしたところ

マダム:マサ ダンロノ マエ ガー ヨイデショー と

マダム:フランク!ナンデー ダンロノ ヒガ ツイテ イナイノー!

フランク(ギャルソン):デモ マダム キョウハー 

マダム:スグニー ツケナサイ!

フランク:ヨヤクノ オキャクサマガー ナイトキハー>>>>ツケナイデイイト、、、、

マダム:フラーンク スグニー

フランク:ウ ウ ウィ  マダム と

お客様の為にではなく
私との写真の為にだけ
暖炉に火をつけた
心遣いに

心 暖まる思いで一杯でした。

ムッシュー スカビネール

2005年08月02日 | フランスこぼれ話
ノルマンディー カン市
べヌビル
人口1800人の小さな村にある
オーベルジュレストラン

マノワーダスティン

ミシュランガイドで一つ星
そこのオーナーシェフ
ムッシュー クロード スカビネール氏

私の身長が186.5cmなのに
見劣りしていないでしょ

とても優しく寛大なシェフでした


シェフのエピソードはいろいろありますが
そのひとつに

ある日
昼のサーヴィスが終わってから
シェフとマダムの食事を
シェフみずから作っていたのですが
オマール海老を

オードヴルの調理台の
引き出しから
私の包丁を取り出し
包丁の刃に布を巻きつけて
柄の部分で
あの硬いオマールの殻を
叩き割っていました

(あっ そ そ そ それぼくの ぼくの>>>>>)と
言おうとして
やめました

シェフが
調理する姿があまりにも
一生懸命で美味しいものを
作るぞ!と感じていたからです

夜のサーヴィスの為
調理場に入り
引き出しを開けると
オマール海老と戦った
傷だらけになった
包丁が勲章のように光って見えました

またある日の昼
シェフにたのまれ

シェフ:ムニエル焼けるか?
    焦がしバターは?

私:ええ 焦がしバターはレモン汁で仕上げるソースですね!

シェフ:「マサ じゃあこの舌平目をムニエルにして
 仕上げに焦がしバターを>>>と言っているシェフの横を

書類を小脇に抱えながら
マダムが通りすぎざまに

「アヴェック スィトロン ヴェール(ライム汁で仕上げて)」と一言

シェフ:「あ マサ 焦がしバターにライム汁でなっ!」

とても寛大なシェフも
マダムの一言で
変わってしまうのは
万国共通でしょうか

(グラン)プチ ブルー?

2005年07月31日 | フランスこぼれ話
サントロペのレストランの
ギャルソン

若干15歳

ジェローム

社会に出て
働きながら専門学校に通う
青年というより
少年でした

皆でいる時にも
ちょっと浮いていたかなぁ
何か話題で盛り上がっているときに
ドキッとするような
汚い言葉を言って
皆を驚かせていました

こんな彼も
サーヴィスに入ると
一生懸命きびきびと
良く働いていました
体力的に
まだ 子供
サーヴィスが終わると

へなへなでしたが
相変わらず
口だけは元気でした

この顔立ちから
みんなから
”グラン ブルー”と呼ばれていましたが
口の悪さだけは
”プチ ブルー”でした。

いつまで経っても○月○日

2005年07月28日 | フランスこぼれ話
(雰囲気を演出する為にフランスの新聞に変えてあります)






フランスでの生活では
田舎に行くほど
日本語から離れ
普段 本や新聞などあまり見ない
私でも日本語の
活字が恋しくてしかたなくなりました

そのため
手紙を日本の友人知人に書きまくって
返事を首を長くして
待っていたものです

半年に一度ぐらい
パリに上がるのですが
そのとき

先輩のアパートにたまっている
日本の新聞をもらって働いている田舎の
レストランに持ち帰るのですが
隅から隅まで
何度も読み返すのです

読みつくしても
きっと何かに使えると
そのクシャクシャになった
新聞も捨てれられずにいました

新しい日付けの新聞の記事を見ると
目まぐるしく世の中が
変わって行くのに驚きました


今こうして生活していて
目まぐるしく変わっていく中で
フランスの片田舎での
思い出は

私がクシャクシャになっても

いつまで経っても○月○日のままです。

イワン レンドル?!

2005年07月28日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーのレストラン
マノワー ダスティンの魚料理担当の
我が親友の一人

フランク

いつもジョークで人を
笑わせてくれて
賄いの時にはクリストフと(後に紹介します)
よくしゃべりまくっていました

フランクは
アラファト議長が頭に被っていた
白と黒のスカーフの様な
布をマフラーにしていて

ポケットにはいつも
サムソンという

紙巻たばこ

この紙巻たばこも彼に教わりました

当時 月給が2000フラン
フランス人の最低賃金が
その時4500フラン

15.16才の見習いでも
4500フラン貰っていたのに

半分以下

仕事は倍以上

2000フランと言うと約4万円ですが
物価が日本とは違うので
大体 月2万円位の感覚で
1ヶ月残るお金といえば200フラン位で
シャツが一枚買える程度でした

それでも楽しく遊んで苦しい生活!

そんな訳で
ある日

フランク:マサおまえ給料安いんだから俺みたいに
     紙巻タバコに変えろよ
     フィルター付きのタバコの四倍は
     もつぞ
 
と言われ
さっそく購入

西部劇でよくカウボーイが
クルクル パク シュボ フウゥーとは
なかなかいかずにいました
が 
慣れてくると
おつなもので

キャフェかなんかで
ポケットから出して

クルクル パク シュボ フゥーとすると
周りのフランス人も
(おっと このジャポネ粋だね)
と言った感じでした            ホント ホント


彼は調理場では三枚目を仕事が終わると
二の線で気取るのですが
途中ですぐに地がでてしまい
2.5枚目になります

フランクにはいろいろな
所に連れて行ってもらいました
モンサン ミッシェル
オンフール
ウィストリヤム
ポンレベック その他いろいろ

フランクの家族と
彼女のキャトリーヌとその家族
友人や幼馴染の家など
ホームパーティーがあると
必ずさそってくれました

パーティーでいつも話が盛り上がって
くると必ず私を引き合いに出して
「恐怖の電話事件」のことを話すのでした   (この話も後に書き込みます)


写真はフランクとキャティの
結婚式でのスナップです
プロテニスプレイヤーのレンドルに
似ていません?
後ろの美人はキャトリーヌです
似たもの夫婦とはよく言ったもので
キャティもしゃべる散弾銃でした。(そのうえ早口)

と言っている私は
類は友を呼ぶってやつでしょうか。

ペガサスのマダム

2005年07月27日 | フランスこぼれ話
休憩時間になると
着替えて
ペガサスブリッジの橋のたもとにある
キャフェに通ったものです

いつも二人のマダムが笑顔で
ボンジュール マサ サヴァ?(こんにちわ まさ ごきげんいかが?)


フランス語もままない私に
英語とフランス語で
コミニケーションをとってくれました

観光名所の一つでよく
イギリス人をのせてバスが来て
小休止していました

イギリス人にもいろいろな人がいて
いきなり英語で

ワン カーフィー プリーズ!

なんて言ったら
マダム達の感にふれてしまい

クワ?ジュ ヌ コンプラン パ

何?私わかんなぁい!(女子高生ではありません)

とイギリス人を一撃!
フランスに勝利!

ところが
同じイギリス人でも

マダーム ジュ ジュ ジュ ジュ ジュブズワン

アー アー アー アン カカカァ 

キャキャキャフェ

プリ プリ プリーズ

ノー シルシル 

スウィル ヴー プレェ

などとフランス語がへたでも
わかってもらいたい と 一生懸命な
イギリス人には

達者な英語で
オーケー アンダースタンドと言ってから
私を見てウィンクしながら
エスプレッソマシンにカップをセットしていまいした


やっぱり人間性だよなーとつくずく思いました。

シェフには内緒だぞ!

2005年07月24日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーのお魚は
フランスとイギリスの間に
ドーバー海峡があり
潮の流れが速く
摂れた魚は身がしまってプリプリ

驚いたのは
平目(trbot:テュルボ  車のターボではありません)
の大きいこと日本の平目の3倍はあります

それに
オマール海老

オマールと言うとほとんどが
カナダかアメリカ産
フランスブルターニュ産は
日本の牛肉より高いのですが

その身の旨味と歯ごたえは
すごい!

ときどき
大物が混じっていますが
片手では持ちきれない大きさで
80センチ位大きくて
爪のおおきさが
私の手の平ほどで
2、3キロはありました

とにかく
魚はみなプリプリ ピンピン(キトキト)

ある日朝の
仕込みの時 新鮮なホタテが入荷
アプランティー(見習い)のセドリックと
ホタテの下ごしらえをしている時

そのホタテの身の大きさとプリプリ感に
日本人の私にホタテさんが言いました

ホタテ:ボンジュール キュイジニエさん

私:あ ボ ボ ボンジュール

ホタテ:私の身 プリプリで美味しそうでしょ?

私:あ あ ウ ウ ウイ

ホタテ:セドリックの目を盗んで 食べてもいいよ

私:ほ ほ ほんと!

手に取ったホタテさんは
透き通るように白く
ふっくらとして白玉のように
もちもち プリプリ

セドリックの目を盗んで
官能的美味しさに
ニンマリ と セドリックは
私がホタテさんを食べちゃった事に気が付いたらしく

セドリック:マサ何を食べてんだ?

私:ホガァヶ

セドリック:エッー ホタテ!!!!

私:シェフには内緒にしてくれよ

セドリック:わかっただから もう一度食べてみてくれ

私:いいの?

セドリック:ああ シェフには内緒にしておくから


「パクッ」

セドリック:おーい 皆ー マサがホタテ生で食ったぞー!

私:シッー セド おい 

と言っている間にキュイジニエ達が集まって

マサホントかー?

私:ごめん

キュイジニエ:もう一回俺達の前で食べてくれ

私:えーいいの?

「パクッ」

一同:うわー げっー やめろー うそー ほほー 
  マサおまえ死ぬぞー

騒ぎにシェフが来て
キュイジニエ:シェフ!マサがホタテを生で食べたんです!

シェフ:(ニヤッとして)日本人は刺身と言って
    新鮮な生魚をたべる料理があるんだ



シェフ:マサあまり食べ過ぎるなよ
    お客様に出すホタテが無くならない様にな と

私:ほっと胸をなでおろしました


みんな 俺は生きてるぞー!

ジャルディニエのアラン

2005年07月23日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーで働いていた時
私の部屋の隣りに
アランの仕事古屋がありました
仕事小屋と言うほどのものではないのですが
庭仕事の道具が置いてあり
よく ジャンルーやキュイジニエの溜まり場になっていました

それも そのはず
彼の穏やかな人柄でだれにでも
好かれていました
彼が怒ったのを見たのは一度だけ

ハーブ園のセルフィーュを
誰かが
いいかげんに刈り取って
セルフィーュの所だけ
ぐちゃぐちゃになっていた時だけです

アランには二人の娘がいて
確か5歳と七歳で超かわいかったのを覚えています
アランの家に夕食に呼ばれた時
夕食前にガレージでアランと卓球をしていると
ドアのかげから二人で
はずかしそうなものめずらしいそうな
かんじで目が合うと
ニコッとしてうつむいて
フランス人形のような
愛らしい子達でした

夕食の時間になり
アランと奥さんと二人の娘達二人と
5人でテーブルに

私が持っていったワインを開け
前菜にサラダとジャンボン ド パリ(豚のもも肉を整形してあるハム)
メインディッシュはピザ ワンカット!
地元特産ご存知
カマンベールチーズ
(フランスの発音ではCから始まる単語はキャと発音するので
ここでは正しくはキャマンベールです)
残りのワインを開けて
じつに一時間

「シンプルでしょもちろん
寮に帰った時には
サンドウィッチを頬張りました!」

食事中はつたないフランス語で
あれやこれや話しました
娘さん達に折り紙の鶴を折って
プレゼントすると
みんな驚いて
作り方を教えてほしいと言われ
子供達とアランと奥さんも一生懸命になって
出来上がったときには
みんな大感激!でした

次の日に
アランが
「マサこれうちの娘達から」と
渡された封筒のなかには
娘さんたちがクレヨンで
一生懸命に書いた絵が入っていました

下の娘さんが家の絵を(後にグランメゾン ミッシェルトラマ)
上の娘さんの絵にはフランス国旗はためく白い船に
ボーダーのシャツを着た船員さんが描かれていて
(後に船で行くクラブメッド グルメツアー
フランス ニューヨーク十四日間船の旅にと勝手にこじつけています)
二枚とも
大きかったり小さかったりのアルファベットで
pour massaマサへと書かれていて
最高にうれしかったのを覚えています

そんな温かい家族で
ノルマンディのレストランを
上がる時には
「マサ フランスで何かあったら 電話しろよ」と
言ってくれたアランも私の良き友達でした。



アラン!
今だから言うけど
セルフィーュ刈り取ったの
セドリックだぞー



Jan-luc ジャンルー

2005年07月07日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーのレストランの
古株の一人
プロンジュ 洗い場係りの

ジャンルー

いつも賄いの時
隣りに座るメートルドテルの
ムッシューコルディエと
なにかにつけて物事を

ミッテラン派とシラク派に別れて

ジャンルー:あんなことしているからシラクはだめなんだ!

コルディエ:ミッテランだってあれは あーだこーだ!

ジャンルー:オララー セ パ ヴレー(ウソダロー)

コルディエ:スィースィー(イイヤ ソウダ)

などと言い合い
まわりにのキュイジニエ達は

目をあわせながら
また始まったとほほえみ
頭を左右に振りながら
皿に残ったソースを
ちぎったバゲットでぬぐい
口に運ぶ者

「ジャンルーもっと付け合せいらないか?」

「ムッシューコルディエイチゴのタルトは?」

などと勧めることで仲介する者

どっちが正しいか真剣に聞き入る者

毎日こんなやり取りでした
彼はワインの倉庫:カーヴの係りも兼務していて
よく仕事の終わる頃に
シードルをくれました

冗談が好きで

ジャンルー:ヘーイ マザー(彼だけは私の名をフランス語読みで)
      おまえ また 休憩時間に
      ペガサスブリッジにカルバドス飲みにいくんだろー
      飲みすぎて酔っ払うなよー
      ピュータンジャポネ(チクショー日本人)

とか言って
からかわれました
その時決まって

左手で右のひじの内側を押さえながら
右手のこぶしを
天に向かって挙げました

そして 決まって私は
(はしたないですが)

ピュータンフランセー(チクショーフランス人)と
中指を立てて応戦!

ひざを曲げず 腕もひじを振りながら歩く姿は
イギリスあたりのメイドさんが歩いているのによく似て
気のいい よくしゃべる
いいやつでした

ノルマンディーの店を上がる時も
「マザーが居なくなると
賄いの時飲むワインの量が少なくなっちまう」と
冗談を言ってくれました。

夏のお楽しみ

2005年06月28日 | フランスこぼれ話
パリの真ん中を流れる
セーヌ河
いくつもの橋が架かり
バトームーシュが行き交い
橋の上から手を振る人
船上から手を振る人

セーヌのほとりで恋を語る人

絵描きさんのいる
芸術橋

シネマにもなった
ポンヌフ

意外と知られていないもう一つの観光名所?

夏にもなると
セーヌの畔には 
太陽を求めて人が集まるのです

それも 男性にはうれしいトップレスの
フランセーズ!(ドイツ人かもしれませんが)

セーヌといえば東京だと隅田川
金沢で言ったら犀川?

うそだと思う人は夏に行ってみてください
そのかわりパリの人達はヴァカンスで南フランスの方に
民族大移動しております
なんたって テレビニュースで
どこのルートが混み合っているか放送されるのですから

またトップレスの女性に混じって
ブーメランパンツでTバックすがたの
フレディマーキュリー(クィーンのボーカル)のような
二人組みの男性もいらっしゃいます

フレディーマーキュリー似の男性と
目が合ってニヤぁっとされたら
そしらぬ顔で
バトームーシュの人達に手を振ることを
おすすめします。

指定席

2005年06月27日 | フランスこぼれ話
1989年7月頃

この頃から 調理師学校や他の国の見習いや
季節だけ働きに来たキュイジニエや
サーヴィスの人間が増え
地方のオーベルジュは賑わいを見せます。

レストランとホテルに働く人達とも慣れ
仕事も信用されるようになって楽しい日々


ある日新しい キュイジニエが入ってきました
たしかジルと言う名前でした
いつものように
午前中に一日の仕込みをして
dejouner
デジュネ (ランチタイム)が始まる前に
賄いを食べるのですが

皆で調理台を移動して周りに椅子を並べ
上座にメートルドテルのムッシュコルディエ(シラク大好き)
そのとなりにプロンジェ(洗い場兼ワイン管理人)のジャンル(ミッテラン大好き)
ジャンルの隣に
ジャルディニエのアラン
ムッシュコルディエの隣りには
シェフパティシェのチリーそして私
以下クリストフ、セドリック、エトセトラ!が並び

ボナペティ ア トゥース(皆さん 召し上がれ!)と
誰かが言って
皆が
メルシー トア オーシー(ありがと 君も共に!)
てな 具合になるのですが

その日私が向かいの仕込み場から戻るのが
ちょっと遅れて 厨房に入った時
新しく入ったジルがティリーの隣りの空いた席に
座ろうとした時 

ティリー:「ここはマサの座るところだ」と

ジル:「いいじゃん」

アラン:「いつもそこにはマサが」

ジャンル:「チャン マザ おまえが近くにいないと赤ワイン注げないじゃないか!
     早くすわれよ」

と周りのみんなが、、、 (なんかドラマみたいだなあ感激!しました)

レストランの一員として認められてうれしかった一日でした。

初めてのビズー

2005年06月26日 | フランスこぼれ話
bisou
ビズー

両頬を合わせながら耳元で
chu chu と 音を出しながらするあいさつ

普通おとこ同士がビズーをする時は
親兄弟親戚いがいの他は
女性同士か男性と女性で
それも普通の知り合い程度なら
握手か言葉だけで済ましてしまいます。

私がはじめて
このビズーを経験したのはノルマンディーのレストランの
メートルド テル宅に呼ばれた時で
フランス人の家によばれたのもこの時が初めてでした

彼の名はマルセル23歳
えっ 若いのに支給長?と思う方もおられるでしょう
フランスでは年功序列ではなく
仕事が出来れば年齢は関係ないのです。
奥さんの名前はジスレンヌ
ホテルのフロントとベッドメイクなどをしていました
そして生まれたばかりの男の赤ちゃん
ルドビック

フランス語の辞書を片手にいざマルセル宅に
彼らも日本人が初めてで
話題を探すのに苦労しましたがそのうちに
だんだん盛り上がり 
ジスレンヌの妹のカリンヌが彼の
フィリップと(同じレストランで働いていたキュイジニエ)
やってきて
カルバドス酒を飲みながら
楽しいじかんを過ごしました

夜もふけて
みんなが マルセル宅から引き上げる前に
それぞれがビズーをして 帰るのですが

chu chu chu chu
と両頬に交互にする時

〔楽しんだ? よかった! じゃあまたね! ボンソワおやすみー!〕ってなことを
いいながらするので
これにもテクニックが必要になるのですが
これが なかなかむずかしくって

さて 私の順番が回ってきて
心臓がドキドキ なんせフランス人の女性ですよー
緊張とカルバドスの酔いのせいか はたまた
異国の女性と頬を合わせることの喜びのためか
私の頬と耳はちょっと熱をおびていたかも?

chu!チャン マサ chu!たのしかった?chu!またきてねchu!おやすみ
てな 具合で初体験いたしました。

ちなみに
フランスでもパリから上の方では4回
ディジョン サヴォアなど真ん中へんでは3回
したの方 コートダジュールなど南仏では2回でした
まあ その人の出身地方にもよりますが

あと 右からはじめるか 左からはじめるかにも
みきわめが必要で これにも テクニックが必要になります!

フィリップなどサーヴィス中にたまたま彼女が
厨房を横切る時に鍋を持ったまましていました

結構
やみつきになるのですが 日本に帰ってきてからは
ビズー出来ないのが
ちょっと 寂しいかもしれません。

ヨネちゃんとリオネル

2005年06月26日 | フランスこぼれ話
ロット エ ガロンヌ県
アジャン市 ピュミロール村
人口645人の小さな村にある
レストラン ローベルガード
この小さなレストランに世界各国から
グルメ達がやってくるのです。

ここでは
このレストランの紹介ではなく

一人の日本人キュイジニエと
一人のフランス人キュイジニエの
小さなやりとりが
なぜか 私の記憶に 残っているのでお話しようと思います。

当時 飛ぶ鳥落とす勢いの シェフ(私の師)ミシェル トラマ

このレストランは日本人のキュイジニエ達から
トラの穴(トラマ、トラあむぁ、トラのあマ、トラのアナ?)
と 呼ばれていました
こんな所に米山くんフランスに来ていきなり二つ星きたものですから
さあ大変

一時はノイローゼになり被害妄想でにもなったりして

「ヨネちゃん早くやめたほうがいいよー」

〔ほかの地方の一つ星のレストランのほうが楽しいよ」

とか アドバイスしたものでした。

普通 日本から来てレストランを探したり
紹介されて働く場合
パリだと星なし 地方だと一つ星のレストランからはじめて

フランスでのシステムやフランス語
サーヴィスのタイミングその他 いろいろと
体験しながらフランスに慣れてから
二つ星や三つ星のレストランをねらうのですが

それはともかく
そのレストランにフランス人の
天然キュイジニエのリオネルが入って来ました

フランス人はあまり器用な人がいないのですが
彼はそれに 2重の輪を掛けたぐらい
不器用な子で サーヴィス中
料理の盛り付けでも

「メールド メェールド」
(クソ クッソー)と叫びっぱなし

これにはシェフも困っていました
そんな彼とヨネちゃんが話す時が来た時のこと

リオネル:やあぁ 君なんていう名前?

ヨネちゃん:ジュ マ ペール ”ヨネ”

リオネル:えっ じゃあ 俺と同じ名前じゃん!

ヨネちゃん:ノン ノン ノン セ パ サ ”よね”

リオネル:だからリオネルだろ?

ヨネちゃん:「違うって言ってるだろー米山だー!ヨーネーヤーマー!」

リオネル:ふーん(じつはわかっていなかった)

その後もリオネルがヨネちゃんを呼ぶ時には ”リ よね ル”と呼んでいました。

そのヨネちゃんは新横浜のホテルのレストランでシェフをしています。


友人が出演!グランブルー

2005年06月25日 | フランスこぼれ話
言わずと知れたシネマ 「グランブルー」
酸素ボンベを使わずに
素もぐりで 潜水深度を競う競技での
男達の熱い戦いを描いた作品!

3時間という長い映画ですが
フランス人も大好きでサントロペにいた時には
キュイジニエ達の寮に行くと誰か彼かがビデオを見ていました。

その映画の中のワンシーンで日本人のダイバーが
挑戦するところで
ダイバーの周りで応援する日本人達がいるのですが
画面の左側 めがねを掛けている 彼

彼はこのエキストラに出演して
ギャラの他に1週間のギリシャ旅行が付いていたそうです。

彼は現在 パリ オペラ座近くにある
”おぐら”という日本料理のお店を経営しています、
もし パリに行かれる事のある方は
よろしくお伝えください。

実は私もパリのテレビドラマのエキストラをしたことがあるんです
セーヌ河に浮かぶ”将軍”という船上レストランで

ギャラは500フラン昼食と11月第3木曜日以降だったので
ボジョレーヌーヴォー付き!
フランスの田舎で1ヶ月働いて2千フランだったので
チョーラッキーでした!

ラパン ラパン ラパン

2005年06月14日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーのレストランのエピソードの
ひとつで

ある晴れた昼のデジュネの時
ある程度サ-ヴィスも終わりに近く
あと何人かの料理を出せば終わる と その時!

魚担当のフランクが

 ”みろ!ウサギだ!ウサギ!”

 みんなが ”どこだ どこだ”

 フランク:”中庭だ”

そして まだサーヴィス中だというのに
キュイジニエ達 全員中庭のラパンをつかまえに!

ギャルソンが”何番テーブルの肉料理お願い!”

厨房には私ひとり
どうしていいか立ちすくむだけで
  
けきょくうさぎはつかまりませんでした。

日本でフランス語を教えている所で面白い事があったそうで

ある人から絵葉書が送られて
そこの教室の日本人の生徒さんと
フランス人の先生が

その絵葉書に写っているうさぎの写真を見て
一声に

生徒:かわいいー!
先生:おいしそー!

フランスではウサギは家畜 ペットにはなれないのです

そしてパリに行かれた事のある方お気付きになられましたか?
シャルルドゴール空港の周りと
パリ市内に入るまでの周りに
ウサギが沢山いることを
そして 穴だらけだったことを