廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

マリア・シュナイダー at Blue Note 東京

2017年06月10日 | ライヴ鑑賞



金曜日の夜、ブルーノート東京へマリア・シュナイダー・オーケストラを聴きに行った。 事前予約していたのではなく、前日の夜に来日中であることを偶然知って、
当日の昼頃に電話でまだ空席があることを確認して飛び込んだ。 当然自由席しか空きがなかったのだが、ステージ横の一番前が空いていて、そこに座ると
メンバーに向かって指揮するマリアの顔が終始よく見えた。 礼儀正しいフロア係りの人が「ここはマリアの顔がよく見えるんですよ」とこっそり教えてくれたのだ。





開演時間になるとバンドメンバーが順番にステージに上がり、やがて黒のタイト・ワンピースに身を包んだマリアが大柄な黒人のフロア担当にエスコートされて
観客席の間を縫うように歩いてきてステージに上がる。 変わらずとても美しい。

妖艶なモードの曲でスタートする。 中ほどでテナーがソロをとるが、まるでウェイン・ショーターのような吹きっぷりだった。 2曲目はアコーディオン、
フリューゲルホーン、3曲目はギター、トロンボーン、アルト、5曲目はバリトンとテナーの怪物、ダニー・マッキャスリンの後期コルトレーンが憑依したかのような
爆発的ソロ(これが壮絶だった)、ラストはバリトンがリードを取る幻想的なバラード、という内容で、それはもう素晴らしい演奏だった。

こうして目の前で演奏をじっくり聴くと、この人の創る曲にはすべてにおいて他の誰のものでもない、独特の芳香があるのがよくわかる。 そして、それは
CDで聴く時よりもはるかに強く香っている。 ヒンデミットやラヴェル、様々な現代音楽から強く影響を受けていると本人が言うように、その語法は明らかに
ジャズのものではないけど、そういう要素とは別に楽曲から立ち昇る強い香りにやられてしまう。 

ビッグ・バンドという既成概念からは早くに決別し、過去の誰とも似ていないオリジナルな音楽を1つずつ積み上げてきた彼女の仕事は、いくらグラミーを
何度も取っているとはいえ、もっともっと広く一般的に評価されていいと思う。 ここまで、ビッグ・バンド・ジャズという言葉が似合わない音楽は他には
ないだろう。

ニコニコと愛らしい笑顔で終始楽しそうに指揮をしているけれど、真横から見ているととても忙しく団員に両手で演奏に関する指示を出しているのがよくわかる。
特に、ドラマーへ「もっと激しく」「もっと大らかに」というような演奏を大きく盛り上げろという類いの指示をかなり執拗に出していた。 そして、ドラマーが
それに反応してより大きな音で叩き始めると、満足そうに可愛らしく頷く。 まるで、演奏中に手話で団員たちと話をしているように見えた。
そういう彼女の姿に、最初から最後まで見とれてしまった。

このオーケストラは、生で観て、生で聴くべきである。 今週の5日間、毎日2セットで、セットリストも毎回変えての一大公演だ。 迂闊にも来日することを
事前に把握できていなかったのが悔やまれる。 許されるなら全セットを観たい、本当に素晴らしいライヴだった。




コメント
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