Sonny Rollins / East Broadway Run Down ( 米 Impulse! A-9121 )
1966年1月にコルトレーン・グループから脱退したエルヴィン・ジョーンズ、まだ在籍中だったジミー・ギャリソンらを使って同年5月に
ピアノレスで制作されたアルバム。プロデューサーの意向だったのか、ロリンズの意志だったのかはわからないが、コルトレーン・バンドに
似たサウンドになることは予め承知の上で録音されただろうから、コルトレーンに逆影響されて、という批判は当てはまらない。
元々ロリンズは共演者には無頓着で誰でも受け入れたし、自己のレギュラーバンドにも興味を示さなかった。バンドとしての総合音楽で
勝負したマイルスやコルトレーンとは違い、いつも自分の身体1つで音楽を体現していて、タイプがまったく違う。ここでもエルヴィンや
ギャリソンがやるとどうしてもそうなってしまうコルトーン・バンド・サウンドなどには一向に意に介せず、好きにやらせている。
背景がどうであれ、ロリンズは自分の歌を歌い続けるから、音楽トータルで見た時にバックとロリンズの一体感がなく、そのせいで
この時期のロリンズは分が悪いのである。ミュージシャンではない一般のリスナーは音楽をバンド・サウンドとして聴くことしか
できないから、ロリンズのレコードを聴いた時に完成度の低い音楽という当然の感想しか持てない。また、ロリンズは最初からフリーを
やろうとしていたわけではないから、そもそもフリー・ジャズにもなっていないし、そちらから見ても中途半端な音楽にしか見えない。
アルバム・リリースの後、インパルス経営陣にボロかすに酷評されて気落ちしたロリンズはスタジオから離れてしまう。
役員たちが怒ったのは売れそうにないレコードを作ったからだが、ロリンズは自分のプレイや理念を否定されたと思ったのだろう。
最初からボタンの掛け違いがあったのだ。
音楽リスナーの立場から見ると、A面のタイトル曲はハバードが入り、かつての新主流派+コルトレーンサウンドのミックスという
プロデューサー的お仕着せの建付けがどうにも凡庸でつまらないのであって、ロリンズの爆音号砲はそれまでのスタイルを究極にまで
推し進めた形に完成していて、とにかく圧巻でしかない。どう考えてもこんなに切れるようなサックスを吹いた人はパーカーを除けば
後にも先にもいないのであって、彼が誰にも追従できないプレーヤーになっているのは明らかなのだ。
そういう意味では、このレコードはB面の方がよりロリンズの本音に近かったのではないかと思う。”偽装の息遣い”という何とも意味深な
タイトルの、モードとブルースのハイブリットのような1曲目と愛らしい2曲目のスタンダードは境目なく繋がっていて、長い長い前書きの
末にそっと本題に入るかのような、如何にも繊細な照れ屋さんらしい演奏ではないか。ロリンズのサックスの音色は究極の美しさで、
ヴァン・ゲルダーがそれを上手く録っている。"We Kiss In A Shadow" のメロディーが始まった時にバックの2人が戸惑ったように演奏を
スロー・ダウンさせていくぎこちない様子がしっかりと記録されているところから、おそらく、これは演奏前の打ち合わせにはなかった
展開だったのではないだろうか。ロリンズは単純なリフを繰り返す前半の演奏の中で、突然歌い出したくなったんじゃないかと思える。
聴けば聴くほど、ロリンズの本質が剥き出しになったようなレコードであることがわかる。当時の状況への違和感のようなものを
誰よりも早く最初に演奏の中に持ち込んだブルーノートのヴァンガードライヴ、RCAのチェリーとのセッション、そしてこの作品は
中々その根っこの部分への理解が進まないアルバム群のように思えてならない。