廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

時々思い出す音たち

2016年02月13日 | ECM

Alfred Harth / Just Music  ( 西独 ECM 1002 ST )


このレコードがとても気に入っている。 採譜することはきっと不可能な内容にも関わらず、ここから流れてくる断片のような音たちや氷点下の空気の
ような冷たさは自分の中にそのまましっかりと残っていて、街の中にいる時などにもなぜか時々フッと蘇ってくることがある。

例えば人はある風景を前にした時、何かしらの音楽を無意識のうちにそこに重ねてはいないだろうか。 もしくは、いつの間にか自分の中である音楽が
鳴り始めたりするようなことが。 また、音楽を聴いていると何かの光景が目に浮かぶことが。

音楽がもし通常の定義とは別に、ある風景と対になって世界を構成する機能だったり、ある情景を何か意味のあるものとして呼び出す装置として機能する
ものと定義することができるのだとしたら、私の中でこのレコードから流れてくる音たちがそのどちらをも果たす以上、その原則に沿っているのだから
私がこれを音楽として語ることはおそらく可能だと思う。 

音が鳴っている面積と音が鳴っていない面積を比較すると後者のほうがはるかに大きいにも関わらず、またそうであるが故に、断片化された音はその1つ
1つは意味を増し、重みを持っていく。 キーやハーモニーで縛られることのない、紐が解かれた花束のように、音がバラバラと落ちて散っていく様が
素晴らしい録音技術で美しく録られている。 無意味に点在するように置かれた音をその意味を図るように眺めるのは自分の中では悪くない感覚だ。

アイヒャーはプロデュースしていないとは言え、ECMがこれを出したのには音楽に関するとても高い見識を感じる。 それまでの欧州で録られていた
フリージャズが顧みて来なかったなかった美観というか、音楽のみが持つことを許されているある種の美しさがきちんと録られているところに他の
レーベルにはない自覚的な知性を見ることができる。

アルフレッド・ハルトは元々ジャズミュージシャンという括りには収まらないマチルタレントで、それが却ってよかったのかもしれない。 売れない音楽を
生業としている人らしく、作品はたくさん出しているようだ。 彼を擁護する変わり者がこうして1人くらいいても、まあ構わないだろう。



コメント
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