今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。




【4月第4週:月光条例 第12条[赤ずきん]⑨赤ずきん、炎の中へ 】
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【漫研】
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「魔人探偵脳噛ネウロ」が最終回でした。“謎”を栄養源として生きる最強の魔人ネウロは、彼の住処であった魔界の謎を食い尽くし、新たな“謎”を求めて人間界へとやって来る。そこで偶然出会った少女・桂木弥子を助手にして探偵業をはじめる…とういう物語ですね。作者曰く「推理物の皮を被った単純娯楽漫画」とあります。

■週刊連載としての「ネウロ」
いいいい「終わり方」をした連載だと思います。僕としてはかなり週刊連載の「ライブ感覚」を楽しませてもらった作品ですね。…僕はよく連載の「速度」という話を持ち出すんですけど、それはどういう話かというと、連載一回分の中でどのくらい話が進むか?という事と、物語の全体の中でどういう位置にいるか?という事を体感させる事で「ネウロ」はネームの切り方は元より、その「構成演出」が非常に上手かった。それは、うちのサイト「漫研」が、ず~っと、今ある作品を「ライブ」で楽しむ事を看板にしているサイトならではの評価って面もありますね。

…たとえば、連載で「最終決戦(クライマックス)だ!」と思われた作品が、1年とか1年半とかなが~~い事、そのクライマックスが続いていると“ダレます”よね?(場合によっては、そのクライマックスで休載されたりして…)人間ってそんなに長い事(クライマックス)の緊張感は持続させられないと思っていて…。たとえば自動車の運転なんかで、人間はず~っと真っ直ぐな道路を走っていると、注意力が散漫になったり、ともすると眠たくなってしまいますよね?これは単にまっすぐな道路ではなくっても、ゆ~~~~ったりとしたカーブとかだと、やっぱり同じような状況になってしまうと思います。逆にこれがゆったりしたカーブではなくって“適度に急なカーブ”だったりすると、人間の集中力は高まって、スリルを感じはじめるようになる。中にはそのスリルが忘れられ無くって、わざわざ意味もなく(?)複雑に曲りくねった山道を走りに行くような人たちも出てくるワケです。
僕は週刊連載のマンガも、こういった“人間の性質”に敏感であるべきだと思っていて、それを「連載速度論」(連載における速度論)としてそれを論じているんですけどね。いくら「作り手」が「全編クライマックスです!ず~~~っと盛り上がっています!」とか言っても、それが、ゆ~~~~~~~~~~~~~~~~ったりしたカーブになってしまっては、返って読者の興味を失うと思うんですけどね。まあ、この話って自分で読む速度(アクセル)を調節できる“単行本派”の人にはちょっと分かりずらい話かとも思います。……それについても僕は連載で“緩ければ”、ネーム、物語としての“弛緩”があるだろうとは思っているんですが(それも「速度論」と呼んでいます)まあ、そっちの話までするのは長いので別の機会とします。
ただ、マンガ雑誌というものが、読者のお気に入りの作品で“釣って”、他の作品にも目を止まらせる、そういう宣伝媒体としての価値を考えているなら「そこらへんは単行本で読者に調節してもらえればいいよね」ってワケにも行かない事だろうとは思っています。…というか連載1回ごとに充分な「速度」を出す事、意識する事は、結局、マンガにとって健全な循環になると思うんですけどね。

え~っと、すっかり余談が長くなってしまいましたが(汗)「脳噛ネウロ」は、僕にとって適度な「速度」を出してくれている連載で、非常にスリリングに連載を「楽しむ」事ができました。厳密に言うと、1回1回の「速度」と言うより、シリーズ構成の“現在位置感”がよかったというべきなんですけどね。小さな“山場”を積み重ねて行くことで、次第に大きな波に到達して行く構成感が素晴らしくって特に「HAL」編の盛り上げ方などは、僕などが少年ジャンプで“奇跡の構成”と目している「キン肉マン」7人の悪魔超人編や、「ジョジョの奇妙な冒険」第2部に迫るものがありました。(←滅茶苦茶誉めています)



■バトルマンガとしての「ネウロ」
「脳噛ネウロ」のもう一つの良かった点としてバトルマンガの角度から「ネウロ」を語っておきたいと思います。…本当は、この作品はテーマ的にも、ひねくれ者の僕でも共感するような、素晴らしい“人間賛歌の物語”となって完結しているんですが、まあ、そこらへんは読んで貰えればという面もあるんで、僕が個人的にシビれた所の話なんかを書き留めておこうかと思います。
僕が「脳噛ネウロ」で評価したいのは「智恵あるバトル」をやってくれた事なんですよね。僕はバトルマンガが凄く好きで、特に昔の「忍者バトル」には惚れきっているんですよね。…ああいうのを最近のマンガで描いたのは小山ゆう先生の「あずみ」とかになってくるんじゃないかと思うんですけど……あそこまで行くと実は智恵じゃなくって「覚悟あるバトル」になっちゃうんで「智恵あるバトル」ってのはその一歩手前の話なんですが…。とは言っても別にこの分類に明確なボーダーがある話ではないので、智恵を尽すものに、覚悟が無いとは思わないんですけど…(っていきなり話が横道に逸れているな?)

最近だと富樫先生の「ハンター×ハンター」でナックルたちが、圧倒的戦力差を持つユピーに対して智恵を尽して闘うバトルなんかがありましたが、あれは“智恵”の上に、“覚悟”が乗りきるシビれにシビれたバトルですよね……って、しまったあああああ!!例えで「ネウロ」が霞むような例えを出してしまった~!(滝汗)いや……とにかく「ネウロ」もこれらに迫るような「智恵を見せる」バトルを展開してくれたのが非常に嬉しかったんです(汗)

たとえば「HAL編」でネウロが、電人HALをネットワーク上から護る守護獣スフィンクスに、ネットワーク上では勝てないとなったら「勝てないというルール」が守られ続けるんですよね。じゃあ、どうするか?というとスフィンクスが格納されているスーパーコンピュータを物理的に潰すという身も蓋もない解答なんですけどw…いや!そこが好きなんですよ!w少なくともね…HALが「ば、ばかな……ネウロは確かにスフィンクスが倒したはず!なのに何故動ける!?」とか「スフィンクスは絶対無敵の守護獣のはずだ!?私の計算ではネウロの魔力で倒せるはずがない…!ど、どこにそんな力が?」とか、言い出さないってゆ~かねwあるいはネウロの残りの魔力が少なくなっていて、HAL自身が格納されている原子力空母オズワルドとまともに戦う戦力はない……ではどうするか?とかね。
勿論、身も蓋もなく「目的はオズワルドの破壊ではないのでやり過ごす」のですけどねw…ここでネウロが血迷って「分っている…分っているんだヤコ!オレ(?)たちの本当の目的はHALを倒す事だってのは……だけどな、だけどよ!オレの我儘かもしれないけど、ここで原子力空母オズワルドとの闘いを素通りしちゃいけない!そんな気がするんだ!うぉおおおおおお!!」…とか汗臭い事は言わないわけですよ?w……いや、しっかり演出されているものなら、そういうのも好きなんですけどねwちょっと、そういうの沢山観ちゃってるしなあ~という感覚もありますw
こういうのネウロとHALの最終決戦の時のトビラの画でHALが持っているカードと、ネウロが持っているカード(切り札は伏せられている)が描かれているんですけど、勝つための“努力”なんて者はお互いにやり切っている世界で、その努力(この場合才能、生まれ等も含みますが)の結果手に入れたのが、この手持ちの札なんですよね。だとしたら、その先は如何にその手札を有効に使い、相手に使わせないか?という「智恵のあるバトル」に自然となるよね?って思いますね。

こういった僕の欲求に「脳噛ネウロ」は満足に足る描写を次々打ち出してくれました。また「HAL編」が終わって「シックス編」に入った時、今度は「戦闘能力的にはネウロは無敵」というルールが盤上に存在するようになって、今度は悪者であるシックスの方が魔人ネウロを倒すために「智恵を出す」事になっているんですよね。具体的にはシックスはネウロに居場所を知られないように指令を出し、自分の部下達を使って、元々尽きかけている魔力を消費させる消耗戦に打って出ている。昔の「無敵ヒーロー」でよく観た展開なんですが、この逆転的な状況はかなり「楽し」かったし、スリリングでした。

松井先生の単行本折り返しに「本作は基本的にB級マンガ」(最高のB級には、下手なA級をはるかに上回る工夫が詰め込まれているとした上でのB級ですね)としていますが、それは本当にそんな感じです。カットや線引きが独特でも、必ずしも画力が足りているワケではない。「推理物の皮を被った単純娯楽漫画」と言っても推理物の形式を踏み、読者にもそう見える以上、不利もあったはずで、かなり幸運に恵まれた作品だとも思います。でも、終わるべき時に終わる、清々しい読後感を与えてくれる良作に仕上がっていると思います。


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