今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。






「風雲児たち幕末編」で吉田松陰が順調に“狂い死に”しようとしています。

井伊直弼の権勢確かな内から、倒幕を謳って幕閣老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。主君である毛利敬親を京都へ拉致して強引に天皇の勅を受けさせ徳川幕府と対峙させようとする。…幕末において長州藩というのは相当“狂っていた”集団だと思うのですが、高杉や、久坂といった名だたる行動派が“どん引き”する程の“狂い”方w
諫める弟子たちへ松陰は言い放つ。「危険が去って後、立ち上がるというのか。功名手柄を立てられる時が来るまで動かんというのか。君たちの腹はわかった。僕は忠義をする積り!だが、諸君は功業をなす積り!なのだな!」と。“やらねばならない事”ってのは、できる、できないんじゃないんだと。成功しなければ意味がないというのなら、100%の保証が無い限り立たないという事で、100%の保証なんて永遠にこないから、それはつまり永遠に立たないという事だと。…まあ、非常に極端なものの考え方ですよね(汗)しかし、順番を前後させて語りましたが、松陰のこの“狂い”方が長州藩の全部に伝播し藩を動かし、倒幕・維新の原動力となった事は多くの人々が認める所でしょう。
誰かが“狂わない”と日本を近代国家に変えて西洋列強に対抗できる体制を作る時間を短縮できなかった。(「風雲児たち」を読んでいる人なら知っているでしょうが、松陰の先生である佐久間象山もまた“狂った計画”を幕府に上奏して、時代を短縮させようとしましたよね)

何でもそうですが“取り返しの利かない決断”というやつは、人の心を躊躇させ理と称して人を楽へ流しますよね。…まあ、これが功名や利益のための決断なら、慎重に慎重を重ねて“時が”来るのを待っているのもいいんじゃないかと思うんですよ。準備を怠らずに。…そうして結局、その“時”が来なかったとしても、まあ、それはそれで悪くない人生というかね。そこを敢えて打って出るのも決断ですが、まあリスクはあるよねと。しかし、それは「できるできない」のタイミングを測る話であって、今、松陰がしている「できるできない」の問題じゃない話とは違う気がします。
むしろ、こういう松陰の生き方を功名・利益の事に当て嵌めて参考にしようとすると、大失敗する気がします。松陰がここで命をかけてやろうとしている“やらねばならない事”ってのはそういうものじゃないんですよね。武士とは言っても身分制度でガチガチに固められた幕末に一人の人間に出来る事なんてたかが知れていて……「だって○○だから、できないんだもん!」と言いたくなったら、現代とは比べものにならないくらいその要素で満ち溢れている世界です。出来ないなんて言い出したら何でも全部できない事にできる!じゃあ、やらないのか!?という事を松陰は問うていて、自らは信じる所を実践しようとしているんですよね。

しかし、そうやって松陰の熱に浮かされて行く長州藩で、一人浮いているというか……「んなこたぁねえんだよ!!皆、死んでもいいで死んじまって!何が何でも絶対に生き延びてやるってヤツがいなかったら!誰がそれを成すんだよ!!」って、まるっきり正反対の思考で生きて行く桂小五郎と、松陰がつるんでいるんですから歴史は「面白い」!!w

さて、タイトルの話に入りますがw「武士道とは死ぬことと見つけたり」って一文が有名な「葉隠」の思想というのがあります。吉田松陰という人は「葉隠」思想を最も体現した歴史上の人物の一人だと思っています。(と言いつつ松陰が「葉隠」を読んだかどうかは知らないんですけど……読んでてもおかしくない気もしますが…)「葉隠」というのは戦中の滅びの思想のベースとなったように扱われたりして、かなり毀誉褒貶のある書物だと思うんですが、僕はあれは現代の価値観で観れば危険な書物であり危険な思想だと思います。それは同時に吉田松陰という人も危険人物って話でもあります。…もっとも、平和な時代であれば彼は単なる“恐ろしく熱心な教育者”としてその生涯を終えたのではないかと思いますけどね。吉田松陰を単に危険人物という評で片付けられないように、「葉隠」もまた「死」を謳うからと言って危険思想で片付けられないとは思います。でも、まあ現代で考えればその一面を持っていないとは僕は言えないですねw
その一方で「葉隠」は「鍋島論語」と言われるくらい(?)世間知と分別を弁える言葉も同時に綴られてもいるんですね。…ちょっと僕の解釈で大雑把に述べると「葉隠」には大体次の二つの事が書いてある。

1.死ね。(´・ω・`)

2.分別をつけろ。(´・ω・`)

……ちょっとわざと乱暴な言い方していますけどね(汗)「死ぬことと見つけたり」なんて修飾した言葉だと何か別の意味にとられそうな気がしてw要するに武士は何かあった時は迷わず「死ね」と。それが武士の武士たる基盤なんだという話だと受け取っています。ここらへんを指して「葉隠」は当時の武士道としても過激な方、なんて言われたりもしているみたいですが。まあ、非常に直截的に述べただけで大意においては多くの(?)武士道に共通する部分だと思います。しかし、同時にこの頃既に天下は泰平であり、何かあった時のその“何か”が極少になっている。勿論、たとえ平和でも武士は「死ね」を忘れてはいけない。…でも、平時には平時の分別があって、自ら殊更に“何か”を起こす必要はない。…という事で2の「分別をつける」話が出てくる。実際、「葉隠」の内容の大半は世間話と分別をつける話で構成されていて、多くの人の印象に残る「死ぬ」話はそうは出てきません。

で、この1と2の思考は、まるっきり矛盾した考え方に見えるものだから、解釈する人の中には1の「死ね」をかなり薄めて「死ぬ気になにかをしろ」とか、そういう話に収斂してしまって(実際、そう取れる章もある)「死ね」というのは2の「分別をつける」範囲内の話…つまり「死ぬ気でやれ」といった程度の事で、「葉隠」は決して危険な思想書じゃないんだよ…といった論旨を組む人もいます。まあ、それはそれで解釈として通るのですが、僕はそれは現代価値に流用できるようにリライトした面が強い解釈であって、あの時代の武士と武士道を仰ぎ見る人たちの観ていたものを読み取れる観方ではないように思います。あるいは、この「死ぬ」思想が現代の価値観にそぐわない、必要ないものであるなら「葉隠」も特に読まなくていい危険な書物なんでしょう。それぐらい当時の武士に特化した書物って事でもありますね。



ただ、本当は1と2が矛盾した思考であるからこそ、その思想には価値があるというか。単なる理屈では通らない矛盾した思考を両立させなくてはならない、その上で様々な“取り返しの利かない判断”をしていかなくてはならない、見逃してはならない。そこに“武士道”というものの緊張感が見える気がします。
吉田松陰の書いた文章を読むと、非常に明晰な頭脳の持ち主であった事が分ります。また、非常に冷静に“狂っている”自分の行動の在り方を見つめている事が分ったりもします。つまり、松陰は大いに“分別”を持っていた事は間違いないんです。じゃあ、狂いながら松陰は一体、何を観ていたのでしょう?
幕末ってのは非常に血なまぐさくって、相当狂っている時代でもあったと思います。その原点の一つは松陰の“狂い”にあると思う。しかし、今、僕は「狂ってる、狂ってる」変に繰り返し述べていますが、単に狂っていた…だけでは、幕末・維新の「物語」は生まれてこないと思っている。そこは一筋光明を通す「繋がって行く物語」があったからこそ、この物語があるんだと、そう思って松陰の生き様を眺めています。


風雲児たち 幕末編 16 (SPコミックス)
みなもと 太郎
リイド社

このアイテムの詳細を見る

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 今週の一番付... DB更新履歴201... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。