らんらんしましょ~心が楽になるために。

スピリチュアルセラピスト。チャネリング、タロット占い教室をしています。人の心に触れるたびに生きている意味を感じます。

のど(○○って怖い・・)

2011-01-14 23:53:30 | ちょっと驚き!
ここのところ、ずっと寒さが続いていて、着るものを着こみ・・すっかり着膨れ(本当は脱いでも太ってるけど・・)してるんだけど・・・

電車の中もみんなまるまるしているし。
そして咳やくしゃみをしているんですよね

そのたびに思い出すのよ・・・
あのお客様の話を・・・・


彼女は病院に勤めているんだけど、いろんな患者さんがやってくる。
普通の病名の患者さんからとっても~~~な病名の患者さんまで。

「その病名がわかったら、患者さんが帰った後・・触ったものすべてを消毒です」と

うん、わかるわ~元看護師のふるらんもぜったいそれはやる。
頼まれなくても・・やる。

で、彼女が先生に聞いてみた。
「その感染方法」を。
すると先生は
「のどにいるんだよ」
「いる?」
「うん。もってる本人は発○しないし、なんの症状もないけどね、だから他の人に感染させるし。でものどにいるんだよ」と。
「え~~~~~~~~~~~」←ふるらんの声

「ふるらんさんなら聞いたことありますよね?~~~~~っていう薬」
「うん、~~だよね?」
「はい。それじゃないと効かないそうです」
「へぇ・・・・・・・・・・・・・・」(複雑な心境の反応・・・
ふるらんが
「まぁねぇ・・うがいだけで○滅なるような菌なんていないだろうし」
「はい」
「一匹や二匹や・・三匹や・・・」
「いっぱいのどにいるんでしょうねぇ・・・」
二人で・・・「・・・・・・・」。

すごいな・・・いろんな菌と戦いながら私たち人間は生きている。
もちろん今パソコンをいじっているこの手にもいろんな菌は付いている。
でもいい菌もいるし、悪い菌もいて、両方もって生きていかなきゃならないのよね・・・

ちなみに消毒のしすぎで菌にかかりやすくなっている人もいる
そして消毒をしすぎるあまり、神経質になり、家族に影響をあたえ、精○科に受診するはめになったお子さんもいる。
母親が消毒を強要するために、30代の男性が、トイレのドアノブを触れなくなったり、自分の排泄がきたないといいい、トイレができなくなった人も看護してきた。

20代の女性がお付き合いをしていた男性に裏切られ、そして二股をかけられていたのを知った時、
「私はけがれてしまった」と言いながらパニックを起こし運ばれてきたのも見てきた。

私たちは菌に対しての耐性を作らなければならない。
同時に消毒もしていけなかればならない。
手術などは徹底的に消毒はかかせないが、人生は完全消毒するわけにはいかない。
だって毎年、毎日、いろんな菌と戦い、仲良く暮らしていかなければならないのだから。


昨日、産婦人科に行った時、ふるらんの前に70歳は超えているだろうおばあさんが椅子に座っていました。
足元には補助車があります。
そしてその隣には3カ月ぐらいの赤ちゃんを抱っこした若いお母さんがいたり、他にもたくさんの患者さんがいました。
おばあちゃんはその赤ちゃんを覗き込みながらニコニコしています。

ふとおばあさんをみたら、上に羽織っているカーディガンが裏返しだったので、ふるらんは静かにそのおばあさんのそばに行って、しょがみこんで耳元で小さな声で
「すみませんが・・上に羽織ってらっしゃる服が裏返しですよ」とニッコリ笑ってお話すると
「あら・・私って・・何をしているのかしら。私は何をする人かわからない人だから」と言われるので
あ・・・いつも家族に
「おばあちゃんは何をする人かわからないな」とかなんとか悲しいことを言われている日々を送ってるんだろうな・・と思ったので(老人病棟経験のため)
「何も悪いことはしてらっしゃらないですよこうやってちゃんと病院にきて、ご自分の健康のために努力されてるじゃないですか。みなさん、なかなか来られないですけど、来られるのは立派ですよ」と言っておばあさんの服を元にもどして着させてあげました。

「ありがとうございます」とふかぶかと頭を下げてくれたので
「いえいえ。これからも身体に気をつけてくださいね」と言いました。

そのおばあさんはふるらんより先に診察を受けて、そして帰られるときに、またふるらんに頭を下げてくれました。
補助車を押しながら歩いているおばあさんをみて
「ふるらんもいずれあの年になるんだなぁ・・」と思いました。

老人になるとますます産婦人科には来るのはしんどいですし、若くても本当にいやなものです
でも・・いろんな病気になるのは仕方ないのですものね・・・

健康で居られることは最高の宝物です。
ですから、体は守ってください。

でも・・消毒のやりすぎや身体の鍛え過ぎには気をつけてくださいね。

何事も「中(偏らないこと)道(修行のこと。生きていく道のこと)を行け」だと思っています