セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

読書ノート:新井喜美夫「転進 瀬島龍三の『遺言』」(講談社)

2008-09-15 16:32:15 | 歴史
昨年亡くなったが瀬島龍三氏は特異な経歴を待って日本現代史に立ち会った人だ。戦中は大本営陸軍部の参謀として太平洋戦争の陸軍のすべての作戦に関係してきた。終戦直前に満州にある関東軍参謀に赴任して、そのままソ連軍によりシベリアに11年間抑留された。帰国後は伊藤忠商事に入社し会長までになる一方、中曽根政権時代の臨時行政調査会の委員としても活躍した。山崎豊子の「不毛地帯」は瀬島氏をモデルにしたものといわれる。

東急電鉄の社員であった新井喜美夫氏が社長の五島昇氏の命令で臨調にかかわることとなり同じホテルで隣り合わせの部屋に事務所を構えることとなった。歴史に興味をもっている新井氏は、瀬島氏から太平洋戦争のことについて聞き出そうとしたが、口が堅くてなかなか話してくれない。そこで新井氏は自分から推測したことを話してそれに瀬島氏のコメントを引き出す方法を考えた。とは言うものの、やはり瀬島氏は多くを語らなかったようで、本書の多くは新井氏の感想や薀蓄が占めている。

瀬島氏については戦中の大本営参謀時代から戦後の抑留生活まで多くの謎が取りざたされている。ソ連スパイ説もあるが、あの中川八洋氏による元々ソ連スパイで対米戦争を進めたというのは中川氏独特のびっくり説で、普通のスパイ説はシベリヤ抑留以後のこと。話は戻り、一般に戦史に興味がある人々が知りたがっているのは、瀬島参謀による2つの電文握りつぶし疑惑のうち、とりわけ台湾沖航空戦の戦果についての件であろう。しかしこの本では、もう一つのルーズベルト大統領から昭和天皇への電文には触れているが、台湾沖航空戦の戦果への疑義の電文握りつぶしについてはまったく触れていない。台湾沖航空戦とは1944年10月に台湾付近に来襲したアメリカ機動部隊を日本の基地航空勢力が攻撃したもの。海軍はアメリカ軍空母を10隻以上撃沈したと発表して、日本国内では祝賀行事をひらいて大喜びとなった。しかし実際はアメリカ軍空母で撃沈したものはなく、逆に日本の航空勢力が大きく消耗した日本側の大敗北であった。たまたま九州に出張していた大本営の情報将校が疑問に思い、航空基地で生還した航空兵から聞き取り調査を行った結果は、どうみても空母は多くても1隻撃沈したかどうかというところ。そこで、その旨を大本営に打電したのであるが、それが陸軍に伝わっていなかったのだ。そのため、フィリッピンのルソン島でアメリカ軍の侵攻にたいして長期持久戦で備えていた山下大将の軍は、アメリカ機動部隊の壊滅を信じた陸軍中央の命でレイテ島に異動することとなり、その結果大変な数の戦死者を出して敗北した。このことについて瀬島氏は戦後シベリヤから帰国後、その情報将校と面談したときに自分が電文を握りつぶしたと告白している。しかしこの本においては、台湾沖航空戦についてはまったく触れられていない。

新井氏の本から見る瀬島氏の性格は、出世に強い意欲を持っている、昭和天皇への強い敬愛の念を持っている、そして軍隊組織の序列職分を非常に大切にする、というもの、最後の軍隊というのを役所と言い換えても同じである。つまり現行の官僚制と同じ病理を共有しているのだ。

海軍はミッドウエー海戦から敗北を続けているが、そのことは国民だけでなく政府や陸軍にも伏せられてきた。しかし大本営で海軍との連絡もしていた瀬島参謀には、海軍の参謀から非公式に伝えられていた。しかし瀬島氏はそのことを陸軍には伝えていない。海軍自体が発表しないものを口外することはできないとの考えらしい。新井氏が、東条英機首相の側近だった人から聞いた、東条首相がミッドウエー海戦での機動部隊の壊滅をずっと知らなかった、という話を、瀬島氏に確認した。すると瀬島氏はこともなげに「ええ知らなかったでしょうね」という。東條首相は一時、首相の他に陸軍大臣と陸軍参謀総長を兼務した時期がある。瀬島参謀は自分の組織のトップにも戦争遂行上の重要な情報を伝えなかったことになる。本来の役所(海軍)が言わないものを、権限外の他の部局(陸軍)に属する者が越権してもらすわけにはいかないとのことらしい。なおミッドウエー海戦の敗北は、海軍は生き残ったパイロット等を内地に帰還させずに最前線に分散させて口をふさいだとい非情にして破廉恥な所業を行っているが、にもかかわらず一部の国民には敗戦を知っているものがかなりいた。知らぬは戦争指導者ばかりなり。東條首相は毎日新聞をくまなく読むそうだが、報道統制しているもの本当のことは新聞ではわからないよ。

この本の第1章の中に「なぜインパール作戦を止められなかったか」という見出しの着いた項目がある。しかしこの項目の後半にインパール作戦についての悲惨な結末は書いてあるが、瀬島氏の関与及びそのことについての発言は一切書いていない。だが項目の前半にガダルカナルの作戦いついての新井氏と瀬島氏の質疑のやりとりが書いてある。そこからインパールについても読者が類推せよとのことだと思われる。
「・・・しかし、当時の状況では、やるなといえなかったのです。一木大佐や川口少将が、ぜひやらせてくれと強硬に主張する。・・・補給の艦隊も、守ってくれる機動部隊も、海軍にはもうないとはいえませんしね。そこまでおっしゃるならと認めました」
え!なぜいえないのだろう。海軍が隠しているからとおおっぴらにいえなくても、「実は」と話すことは可能なのではと思う。内々に話してくれた海軍の参謀もそれを期待していたのではないのかと思うが。一木大佐や川口少将もまったく状況を知らされていないのだ。戦闘で死ぬよりも餓死するほうが多いとは想像もできなかっただろう。


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