昨日6日月曜日に土曜日に封切られたばかりの映画『容疑者Xの献身』を映画館で見てきた。そこで気付いたことをノートする。ストーリーの筋に触れるので、これから見る予定のある人はこのノートを読むのは待ったほうがよい。
月曜日に見に行ったのは、平日のほうが空いていると思われるので、無職の自分としては土日に行く理由がないからだ。いつもならこれに株主優待券を使って無料で入るので込んでいる時を避ける遠慮という理由もあるのだが、昨日はもう優待券がなくなっていた。この映画を見に行くことにしたのは、おなじ探偵のテレビシリーズ『ガリレオ』を平日昼の再放送で連日見ていたからだ。無職になっていいことの一つは、本放送時に見ていなかった評判ドラマを集中的に見ることができることだ。今は『ハケンの品格』を見ている。
原作の推理小説は直木賞を受賞した東野圭吾氏の推理小説だ。推理小説の手法としていくらか論争があったようだが、僕は原作を読んでいない。ここでは作品としてではなく映画の中身を実在の人物の行動と同じように考え批評する。
ドラマは、母子(娘)が母の別れた元夫をアパートの自室で殺害してしまい、それを隣室の住人で母に心を寄せる高校の数学教師の石神が、優れた思考力から母子に指示を与え完璧なアリバイ工作を行うというものだ。探偵役は大学の物理学の准教授でガリレオと呼ばれる湯川学だ。実は石神も学科は違うが同じ大学で湯川と同期であり湯川の友人であった。天才と呼ばれる湯川だが、湯川自身が本当の天才と認めるのは石神だ。
ドラマの最初のほうで湯川が、「石神が、(母子と元夫のことに)最初から関わっていたら、殺人などという愚かな手段を使わずに、問題を解決していたはずだ」というようなことを言っていた。僕は、殺人を初めとする犯罪などということは頭のいい人間はしないはずなので、頭のいい犯人が出てくる推理小説は無理があると思っていたので、思わずうなずいた。ところがナント、石神はその殺人を犯したのだ。それもより愚かな形で。
母子のアリバイをつくるために、ホームレスを殺し顔と指紋を焼きつぶすなどとして、元夫の死体に仕立て上げ、その死亡推定時間に母子に映画館に行かせるなどアリバイ作りをさせたのだ。
僕がなぜ石神が愚かなことをしたと思うのは、母子の殺人直後に立ち会った時、母が警察に自首すると言ったのを止めたことだ。母が電器布コードで元夫の首を絞めている間、娘が元夫の手を押さえつけていた痕があるため、娘にも罪が及ぶと考えて母も石神に同意した。しかしこの事件は過失事故にはならないけど、凶暴な夫が娘に危害を加えようとしていたこともあり、中途半端なことでは逆に母子共に非常な危険な状態になることは当然想定される。だから弁護の仕方によっては情状酌量により執行猶予なり緊急避難での不起訴なども考えられるのではないのかな。頭のいいはずの石神が愚かな選択を奨めたのは、母子に対して自分が何かをしてやりたいとう意欲が論理的な判断を鈍らせたと思う。
娘を傷つけたくなという点にこだわるなら、死体を完全に隠してしまうだけでよい。石神の身代わり死体のトリックは、本物の元夫の死体が出てきたら崩れてしまう。しかし元夫の死体が出てこないことを前提とするなら、それだけで犯罪の捜査が開始されない完全犯罪となる。だから石神の行ったことは、無関係の人を謀殺するというより凶悪な犯罪だけでなく、余分で危険なことを行ったのだ。母子はそのことをわかっているのかいないのか。
頭のよい人間は犯罪を起こさない。比較的頭のよい人間は犯罪を起こす場合でも1回きりで繰り返さない。犯罪者つまり頭の悪い人間と破滅型のギャンブラーと軍国主義者は破滅するまで(破滅を求めて)行為を繰り返す。特に犯罪の場合は、どんな犯罪にも痕跡は残る。「ガリレオ」の口癖の「どんな現象にも原因がある」ということは、犯罪事態が想定される動機という痕跡を残すわけだ。単独で解決につながらない痕跡も、次の痕跡と結びつけば意味が出てくる。つまり犯罪の累積は捕まる可能性が乗数的に増大するのだ。
動機の点から、母子は警察の容疑者となり、犯行推定時刻に何をしていたのか警察に聞かれた。しかしその時間は本当に映画館にいたのでよどみなく答えられた。たぶん石神の想定で刑事は犯行推定時間について何をしていたかと聞くと思っていただろう。事実そうなった。しかし刑事が直截に「あなたが殺したのではないのか?」と聞いたら、きっと母子はひどく動揺してそのまま白状してしまう可能性もある。そういう刑事がいないとは限らない。まして母子は遺族でもなく悲しんでもいないのだから。
僕の結論としては、石神はもともと頭がよく論理的な人間かもしれないが、心を寄せる女性に何かをして頼られたいという気が論理的思考をゆがめて愚かな行為を行ったのだ。ぼくからみれば石神は天才ではない。本当の天才は柳沢教授だけだ。知らない人は「天才柳沢教授」で検索してみるとよい。
月曜日に見に行ったのは、平日のほうが空いていると思われるので、無職の自分としては土日に行く理由がないからだ。いつもならこれに株主優待券を使って無料で入るので込んでいる時を避ける遠慮という理由もあるのだが、昨日はもう優待券がなくなっていた。この映画を見に行くことにしたのは、おなじ探偵のテレビシリーズ『ガリレオ』を平日昼の再放送で連日見ていたからだ。無職になっていいことの一つは、本放送時に見ていなかった評判ドラマを集中的に見ることができることだ。今は『ハケンの品格』を見ている。
原作の推理小説は直木賞を受賞した東野圭吾氏の推理小説だ。推理小説の手法としていくらか論争があったようだが、僕は原作を読んでいない。ここでは作品としてではなく映画の中身を実在の人物の行動と同じように考え批評する。
ドラマは、母子(娘)が母の別れた元夫をアパートの自室で殺害してしまい、それを隣室の住人で母に心を寄せる高校の数学教師の石神が、優れた思考力から母子に指示を与え完璧なアリバイ工作を行うというものだ。探偵役は大学の物理学の准教授でガリレオと呼ばれる湯川学だ。実は石神も学科は違うが同じ大学で湯川と同期であり湯川の友人であった。天才と呼ばれる湯川だが、湯川自身が本当の天才と認めるのは石神だ。
ドラマの最初のほうで湯川が、「石神が、(母子と元夫のことに)最初から関わっていたら、殺人などという愚かな手段を使わずに、問題を解決していたはずだ」というようなことを言っていた。僕は、殺人を初めとする犯罪などということは頭のいい人間はしないはずなので、頭のいい犯人が出てくる推理小説は無理があると思っていたので、思わずうなずいた。ところがナント、石神はその殺人を犯したのだ。それもより愚かな形で。
母子のアリバイをつくるために、ホームレスを殺し顔と指紋を焼きつぶすなどとして、元夫の死体に仕立て上げ、その死亡推定時間に母子に映画館に行かせるなどアリバイ作りをさせたのだ。
僕がなぜ石神が愚かなことをしたと思うのは、母子の殺人直後に立ち会った時、母が警察に自首すると言ったのを止めたことだ。母が電器布コードで元夫の首を絞めている間、娘が元夫の手を押さえつけていた痕があるため、娘にも罪が及ぶと考えて母も石神に同意した。しかしこの事件は過失事故にはならないけど、凶暴な夫が娘に危害を加えようとしていたこともあり、中途半端なことでは逆に母子共に非常な危険な状態になることは当然想定される。だから弁護の仕方によっては情状酌量により執行猶予なり緊急避難での不起訴なども考えられるのではないのかな。頭のいいはずの石神が愚かな選択を奨めたのは、母子に対して自分が何かをしてやりたいとう意欲が論理的な判断を鈍らせたと思う。
娘を傷つけたくなという点にこだわるなら、死体を完全に隠してしまうだけでよい。石神の身代わり死体のトリックは、本物の元夫の死体が出てきたら崩れてしまう。しかし元夫の死体が出てこないことを前提とするなら、それだけで犯罪の捜査が開始されない完全犯罪となる。だから石神の行ったことは、無関係の人を謀殺するというより凶悪な犯罪だけでなく、余分で危険なことを行ったのだ。母子はそのことをわかっているのかいないのか。
頭のよい人間は犯罪を起こさない。比較的頭のよい人間は犯罪を起こす場合でも1回きりで繰り返さない。犯罪者つまり頭の悪い人間と破滅型のギャンブラーと軍国主義者は破滅するまで(破滅を求めて)行為を繰り返す。特に犯罪の場合は、どんな犯罪にも痕跡は残る。「ガリレオ」の口癖の「どんな現象にも原因がある」ということは、犯罪事態が想定される動機という痕跡を残すわけだ。単独で解決につながらない痕跡も、次の痕跡と結びつけば意味が出てくる。つまり犯罪の累積は捕まる可能性が乗数的に増大するのだ。
動機の点から、母子は警察の容疑者となり、犯行推定時刻に何をしていたのか警察に聞かれた。しかしその時間は本当に映画館にいたのでよどみなく答えられた。たぶん石神の想定で刑事は犯行推定時間について何をしていたかと聞くと思っていただろう。事実そうなった。しかし刑事が直截に「あなたが殺したのではないのか?」と聞いたら、きっと母子はひどく動揺してそのまま白状してしまう可能性もある。そういう刑事がいないとは限らない。まして母子は遺族でもなく悲しんでもいないのだから。
僕の結論としては、石神はもともと頭がよく論理的な人間かもしれないが、心を寄せる女性に何かをして頼られたいという気が論理的思考をゆがめて愚かな行為を行ったのだ。ぼくからみれば石神は天才ではない。本当の天才は柳沢教授だけだ。知らない人は「天才柳沢教授」で検索してみるとよい。
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