先に、オーストリア学派経済学の一般向けの本は、日本では『世界一シンプルな経済学』(ヘンリー・ハズリット、日経BP)と『環境主義は本当に正しいか?』(ヴァーツラフ・クラウス、日経BP)の2冊だけと書いたが、もう一冊『メルトダウン 金融溶解』(トーマス・ウッズ、成甲書房)があるのを忘れていた。これは解説がリバタリアンとみられる副島隆彦氏なので、学問ジャンルはともかく思想的立場からみれば若田部氏よりふさわしいと言える。
ところで16日の『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』を見ていたら「経済効果」というものの解説をしていた。僕は見ていて、「一次効果とか二次効果なんていっても、ある事に出費すれば、他の事への出費が減るものね。経済効果なんてあまり意味ないじゃん」と考えている自分に気がついて、自分のオーストリア学派的感覚に喜びを覚えた。書物でオーストリア学派が「経済効果」について言及していたのを読んだわけではないが、オーストリア学派ならそう考えるはずと思う。
でも池上氏もなかなかなものである。「経済効果」を無批判的に解説するだけではなく、たとえば新しい遊園地が開園するとそこに「経済効果」が生まれるが、近くの古い遊園地に客が来なくなりそこには「経済損失」が発生するとか、サッカーのワールドカップで放送業界とかマスコミに一定の「経済効果」が出る半面に、放映時間中に繁華街に人通りが少なくなり飲食店の売り上げが落ちるなど、別の面があることに注意を促している。でもオーストリア学派的には(素人が勝手に代表しちゃって御免なさい)、「経済効果」のあらわす支出自体が他の物への支出の減少と直接的に考えるけど。
オーストリア学派の主張にはいくつも重要な特長がるけど、『世界一シンプルな経済学』で主として述べられているテーマは「すなわち経済学とは、政策の短期的影響だけでなく長期的影響を考え、また一つの集団だけでなくすべての集団への影響を考える学問である。」と言うことである。もちろんこの場合の経済学とはオーストリア学派の事である。これ重要だよ。後で試験じゃないけどまた出てくるからよく覚えておいてね。
さて先日このブログ(2月10日)で、オーストリア学派と陽明学に共通するものがある主旨のことを書いたその後で、注文していた『ケインズに先駆けた日本人―山田方谷外伝―』(矢吹邦彦、明徳出版社)が届いた。著者の矢吹邦彦氏は『炎の陽明学―山田方谷伝―』(明徳出版社)の作者でそちらの方はすでに持っているが、『ケインズに・・』と言う本もあることを知りアマゾン(中古)で取り寄せたのだがそれを忘れていて、タイトルをみてビックリ。俺って勘違いしていたのか?
山田方谷は幕末期に活躍した陽明学者にして備中松山藩の理財家である。備中松山藩は表高5万石の譜代大名(板倉氏)ではあるが、実高は2万石を下回っており、上方商人などに10万両の借金がありその利息も毎年9000両に達していた。農民出身の儒学者であった山田方谷は藩主の養子勝静の学問の師であったので、勝静が藩主になった後に強く乞われて藩の再建に取り組むことになった。彼は7年間で10万両の借金を返済した上に10万両の軍資金をつくりなお1000名以上の農民も含む西洋式軍隊をもつにいたった。これは長州の奇兵隊に先駆けている。
矢吹邦彦氏が山田方谷を「ケインズの先駆け」と思ったのは以下の理由によると思う。1つは備中松山藩がV字回復したことである。江戸時代を通じていろいろな藩が財政再建に取り組んだ。有名なのは上杉鷹山(うえすぎようざん)の米沢藩が有名だが、米沢藩が借金を返し終わって蓄えができるのは改革を初めて100年後であり当然に鷹山はとっくに死んでいる。鷹山のとったのは倹約と殖産興業というオーソドックスなものだ。だからV字回復の備中松山藩は何か特殊な経済政策があったと思い、そこにケインズ的手法を連想したわけである。ケインズ的手法とは政府が財政政策や金融政策で経済を刺激するというもの。財政政策は政府支出による公共事業で、金融政策は通貨を多く流通させることだという。じっさい方谷は農民に賃金を払って動員して道路整備等の公共事業を行っている。たしかにケインズ政策に見えるね。また藩札などの藩内通貨もいじっている。だから矢吹氏は「備中松山藩藩政改革の真価を、・・・ケインズ経済学のレンズを通してしか、その真価を見ることはできない、・・」(p22、L8~10)という。
ではオーストリア学派経済学のレンズではどう見えるのかな。でもその前に矢吹氏の示した例が本当にケインズ的手法かな?まず道路などの整備は、土建業者に発注したわけでなく藩が直接に行なった。だから藩が権力で強制動員したのではなく賃金を払ったという以外は民間に仕事をあたえるという意味はない。道路工事などのインフラ整備は藩直営の鉄製品の製造や輸送のために必要なものだ。矢吹氏も現代の公共工事のような必要性のない工事ではなく必要なものだったと書いている。でもケインズ政策の真骨頂は穴を掘ってまた埋めるような無駄なことに財政支出するところなのだ。だから必要な工事を藩が自ら行ったものはケインズ的手法とはいえない。
方谷が藩札に手を付けたことはケインズ的手法にもリフレ派的お金ジャブジャブにも関係ないどころかその反対のことをやったのだ。方谷はむやみに発行されて信用を失った藩札を3年の期間を区切って回収した。そして布告して公衆の見守る中それを燃やしたのだ。そのご幕府の正貨と結びついた新たな藩札を発行した。幕府の正貨は金貨(小判)や銀貨を中心に体系が組み立てられている。金貨を用いるのが金本位制だが金貨に裏付けられた貨幣も金本位制だ。リフレ派が毛嫌いし、オーストリア学派が好きな金本位制を方谷は選択したんだ。
では方谷の改革とは何なのか。方谷は大阪の金主(貸して)に藩の実状と再建案をていじして借金の返済を棚上げしてもらうと同時に。担保の米を返還してもらった。そして今まで大阪商人に任せていた藩米の販売を藩独自で行うことにして、米の保管場所を藩内にいくつも作った。これは飢餓のときのお助け米にもなる。また藩内の商人から商権を取り上げ自ら鉄器の製造と販売に乗り出した。え?これはケインズ政策ではないけれど、それ以上にオーストリア学派が大反対の社会主義ではないかって?
ちがうよ、社会主義の国有化は市場の廃止が目的だけども、方谷のやろうとしたことは藩を1つの企業にして天下という市場に乗り出したのだ。江戸時代の中期までは藩と言う観念はなかった。「赤穂浅野家家中」とか「浅野匠頭が家来」とかいうように殿さまとその家来が1つの会社で領民は単なる販売地域の顧客みたいなもの。でも幕末には大名家臣団と領地領民を一体でみる藩という観念が一般化した。藩庁という行政府の中心をあらわす言葉も使われるようになった。方谷は家臣団だけでなく領民も社員とした大企業を作ったのだ。生産販売物流を統括する撫育局というものをつくり身分にかかわらす人材を配置した。
オーストリア学派は政府の役割には否定的で、社会発展の原動力を創造的起業家に置いた。人間の本質を行動することにみるオーストリア学派の人間観にも基づいてもいる。ここでも陽明学っぽいな。山田方谷は製鉄所や鉄器工場を作るとともに、いままで藩内商人を通じて大阪で販売していたルートを直営で江戸の市場まで運んだ。これにより大きな利益が得られるようになった。新しい生産要素の結合を発見して大きな利益をえるというオーストリア学派出身のシュンペーターのいうイノベイターの役割を山田方谷は行ったのだ。
さいごに山田方谷が書いた『理財論』という経済財政論の本のよく知られた一節を紹介しよう。
「総じて善く天下の事を制する者は、事の外に立って事の内に屈しないものだ。しかるに当今の理財の当事者は悉く財の内に屈している。」
え、この意味?それは「政策の短期的影響だけでなく長期的影響を考え、また一つの集団だけでなくすべての集団への影響を考える」ことが大切ってこと。そう山田方谷は陽明学者であり先駆けたオーストリア学派経済学者なのだ。
ところで16日の『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』を見ていたら「経済効果」というものの解説をしていた。僕は見ていて、「一次効果とか二次効果なんていっても、ある事に出費すれば、他の事への出費が減るものね。経済効果なんてあまり意味ないじゃん」と考えている自分に気がついて、自分のオーストリア学派的感覚に喜びを覚えた。書物でオーストリア学派が「経済効果」について言及していたのを読んだわけではないが、オーストリア学派ならそう考えるはずと思う。
でも池上氏もなかなかなものである。「経済効果」を無批判的に解説するだけではなく、たとえば新しい遊園地が開園するとそこに「経済効果」が生まれるが、近くの古い遊園地に客が来なくなりそこには「経済損失」が発生するとか、サッカーのワールドカップで放送業界とかマスコミに一定の「経済効果」が出る半面に、放映時間中に繁華街に人通りが少なくなり飲食店の売り上げが落ちるなど、別の面があることに注意を促している。でもオーストリア学派的には(素人が勝手に代表しちゃって御免なさい)、「経済効果」のあらわす支出自体が他の物への支出の減少と直接的に考えるけど。
オーストリア学派の主張にはいくつも重要な特長がるけど、『世界一シンプルな経済学』で主として述べられているテーマは「すなわち経済学とは、政策の短期的影響だけでなく長期的影響を考え、また一つの集団だけでなくすべての集団への影響を考える学問である。」と言うことである。もちろんこの場合の経済学とはオーストリア学派の事である。これ重要だよ。後で試験じゃないけどまた出てくるからよく覚えておいてね。
さて先日このブログ(2月10日)で、オーストリア学派と陽明学に共通するものがある主旨のことを書いたその後で、注文していた『ケインズに先駆けた日本人―山田方谷外伝―』(矢吹邦彦、明徳出版社)が届いた。著者の矢吹邦彦氏は『炎の陽明学―山田方谷伝―』(明徳出版社)の作者でそちらの方はすでに持っているが、『ケインズに・・』と言う本もあることを知りアマゾン(中古)で取り寄せたのだがそれを忘れていて、タイトルをみてビックリ。俺って勘違いしていたのか?
山田方谷は幕末期に活躍した陽明学者にして備中松山藩の理財家である。備中松山藩は表高5万石の譜代大名(板倉氏)ではあるが、実高は2万石を下回っており、上方商人などに10万両の借金がありその利息も毎年9000両に達していた。農民出身の儒学者であった山田方谷は藩主の養子勝静の学問の師であったので、勝静が藩主になった後に強く乞われて藩の再建に取り組むことになった。彼は7年間で10万両の借金を返済した上に10万両の軍資金をつくりなお1000名以上の農民も含む西洋式軍隊をもつにいたった。これは長州の奇兵隊に先駆けている。
矢吹邦彦氏が山田方谷を「ケインズの先駆け」と思ったのは以下の理由によると思う。1つは備中松山藩がV字回復したことである。江戸時代を通じていろいろな藩が財政再建に取り組んだ。有名なのは上杉鷹山(うえすぎようざん)の米沢藩が有名だが、米沢藩が借金を返し終わって蓄えができるのは改革を初めて100年後であり当然に鷹山はとっくに死んでいる。鷹山のとったのは倹約と殖産興業というオーソドックスなものだ。だからV字回復の備中松山藩は何か特殊な経済政策があったと思い、そこにケインズ的手法を連想したわけである。ケインズ的手法とは政府が財政政策や金融政策で経済を刺激するというもの。財政政策は政府支出による公共事業で、金融政策は通貨を多く流通させることだという。じっさい方谷は農民に賃金を払って動員して道路整備等の公共事業を行っている。たしかにケインズ政策に見えるね。また藩札などの藩内通貨もいじっている。だから矢吹氏は「備中松山藩藩政改革の真価を、・・・ケインズ経済学のレンズを通してしか、その真価を見ることはできない、・・」(p22、L8~10)という。
ではオーストリア学派経済学のレンズではどう見えるのかな。でもその前に矢吹氏の示した例が本当にケインズ的手法かな?まず道路などの整備は、土建業者に発注したわけでなく藩が直接に行なった。だから藩が権力で強制動員したのではなく賃金を払ったという以外は民間に仕事をあたえるという意味はない。道路工事などのインフラ整備は藩直営の鉄製品の製造や輸送のために必要なものだ。矢吹氏も現代の公共工事のような必要性のない工事ではなく必要なものだったと書いている。でもケインズ政策の真骨頂は穴を掘ってまた埋めるような無駄なことに財政支出するところなのだ。だから必要な工事を藩が自ら行ったものはケインズ的手法とはいえない。
方谷が藩札に手を付けたことはケインズ的手法にもリフレ派的お金ジャブジャブにも関係ないどころかその反対のことをやったのだ。方谷はむやみに発行されて信用を失った藩札を3年の期間を区切って回収した。そして布告して公衆の見守る中それを燃やしたのだ。そのご幕府の正貨と結びついた新たな藩札を発行した。幕府の正貨は金貨(小判)や銀貨を中心に体系が組み立てられている。金貨を用いるのが金本位制だが金貨に裏付けられた貨幣も金本位制だ。リフレ派が毛嫌いし、オーストリア学派が好きな金本位制を方谷は選択したんだ。
では方谷の改革とは何なのか。方谷は大阪の金主(貸して)に藩の実状と再建案をていじして借金の返済を棚上げしてもらうと同時に。担保の米を返還してもらった。そして今まで大阪商人に任せていた藩米の販売を藩独自で行うことにして、米の保管場所を藩内にいくつも作った。これは飢餓のときのお助け米にもなる。また藩内の商人から商権を取り上げ自ら鉄器の製造と販売に乗り出した。え?これはケインズ政策ではないけれど、それ以上にオーストリア学派が大反対の社会主義ではないかって?
ちがうよ、社会主義の国有化は市場の廃止が目的だけども、方谷のやろうとしたことは藩を1つの企業にして天下という市場に乗り出したのだ。江戸時代の中期までは藩と言う観念はなかった。「赤穂浅野家家中」とか「浅野匠頭が家来」とかいうように殿さまとその家来が1つの会社で領民は単なる販売地域の顧客みたいなもの。でも幕末には大名家臣団と領地領民を一体でみる藩という観念が一般化した。藩庁という行政府の中心をあらわす言葉も使われるようになった。方谷は家臣団だけでなく領民も社員とした大企業を作ったのだ。生産販売物流を統括する撫育局というものをつくり身分にかかわらす人材を配置した。
オーストリア学派は政府の役割には否定的で、社会発展の原動力を創造的起業家に置いた。人間の本質を行動することにみるオーストリア学派の人間観にも基づいてもいる。ここでも陽明学っぽいな。山田方谷は製鉄所や鉄器工場を作るとともに、いままで藩内商人を通じて大阪で販売していたルートを直営で江戸の市場まで運んだ。これにより大きな利益が得られるようになった。新しい生産要素の結合を発見して大きな利益をえるというオーストリア学派出身のシュンペーターのいうイノベイターの役割を山田方谷は行ったのだ。
さいごに山田方谷が書いた『理財論』という経済財政論の本のよく知られた一節を紹介しよう。
「総じて善く天下の事を制する者は、事の外に立って事の内に屈しないものだ。しかるに当今の理財の当事者は悉く財の内に屈している。」
え、この意味?それは「政策の短期的影響だけでなく長期的影響を考え、また一つの集団だけでなくすべての集団への影響を考える」ことが大切ってこと。そう山田方谷は陽明学者であり先駆けたオーストリア学派経済学者なのだ。