前に、河村市長の得票数の増減に注目していたところ、名古屋市長選挙史上最高得票の前回よりもさらに10万票以上を上積みしたのでビックリしたと書いた。でもよく考えてみれば、前回市長選では公明党が自民党と一緒に細川候補を支援していたのが、今回は事実上の河村支持に変わったのだから、10万票の増加も不思議ではないのだ。でもそうしたからくりがあったとしても、河村市長が多量に票を伸ばして圧勝というイメージは確固としてできてしまったので、市政の力関係は河村市長に大きく傾いた。
市長選の前は、市長選を行うために辞職するのは大義がないなどと反対勢力はぼやいていた。韓流歴史ドラマをよく見る僕は、「大義とか名分とか、お前らは老論(ノロン)派か?」と思ったものだ。老論派に限らず李氏朝鮮は朱子学の政治が国是の国家だ。だから大義名分が政治闘争の焦点になる。日本の江戸幕府も朱子学が公認哲学だが実質は他の儒教の学派や国学なども盛んだった。幕閣から諮問を受けた儒学者にも荻生徂徠など朱子学者でない者も多い。だから徳川幕府は朱子学国家ではなかった。むしろ明治になってから日本が実質的な朱子学国家となったと言われる。
大義がないといえば、参議院で郵政民営化法案が否決されたから衆議院(参議院に解散はない)を解散した小泉首相(当時)もその時点では大義名分がないと言われた。自ら大政奉還した徳川慶喜をさらに武力討伐しようとした西郷吉之助(隆盛)も名分がないと言える。しかし結果を知っている現在の人々はこれらを名分がないからといって間違った行動とは言わないだろう。それは勝てば官軍と言うことではない。政治における変革を大きく一歩進めるには、戦いによって力関係の大変動を知らしめるしかないからだ。「鉄砲から政権が生まれる」とは毛沢東の言葉だが、それはそうした意味を示している。結果からみれば、大義名分などというのはなんと空虚な言葉だろう。李氏朝鮮では大義名分は果てしない派閥抗争や流血を生み出してきたが、なんら有意義な進歩や変革をもたらさず国家社会を衰退させていた。大義名分は自らの利益のための口実に過ぎない。
ところで昨日の『学べるニュースSP』の「物価」について池上彰氏の解説でおやっと思った。というのはリフレ派的な解説が入っていたからだ。池上氏は以前の「日本銀行」の解説のときにははっきりとは言わないにしても金融緩和的手法に冷ややか感じがした。ところが昨日は1%ぐらいのマイルドなインフレが一番いいようなリフレ派寄りの解説があった。もっともリフレ派は3%ぐらいがいいと言っているが。これは先の「日本銀行」の解説を見たリフレ派の有力者や学者から何らかの圧力があったからなのかなと思う。圧力といっても政治的な圧力ではなくて、狂信的なリフレ派からのレクチャー攻撃があったのだと思う。というのは今国際的な商品相場の高騰により日本にも物価が上がる気配があるので「物価」というテーマはいいのだが、内容が今回の物価高騰の原因にはあまり触れないで、デフレとインフレのどちらがよいかという話に重点が言っているのだ。そこでデフレスパイラル的な解説とか、インフレで景気がよくなることという解説があった。デフレスパイラルは続かないし、インフレ下での景気後退というのも理論上あり得るだけでなく、歴史的に存在している。池上氏はリフレ派と同じ奇妙な論理を話した。「物価が上がると思うと上がる前に買おうとするから消費が増える」「物価が下がると思うと買うのを控えるから消費が減る」これらはリフレ派の誤った子どもだましの論理だ。現実には人々はそんな買いだめを行うかな?たとえそうして買いだめしてもそれは消費支出の先出しだから、後の反動で消費支出が減少する。企業は一旦増産しても急にブレーキがかかるのでかえって経済に害悪を与える。あっ、70年代の石油危機のときにスーパーからトイレットペーパが消えたのは、値上がりの予感ではなくて、石油がなくなると製紙工場が止まってトイレットペーパの出荷が止まるという噂のためで値上がりの予感のためではないよ。
ところで僕の書棚には、オーストリア学派の人が書いた一般向けの本が2冊ある。専門書はまだ何冊も出版されて僕も数冊も持ってはいるが、日本での一般向けはこの2冊だけだろう。一つはヘンリー・ハズリットの『世界一シンプルな経済学』で、もう一つはヴァーツラフ・クラウス(チェコ大統領)の『「環境主義」は本当に正しいか?』でどちらも日経BP社の発行だ。ところが驚きかつ不審に思ったのは、この2冊に解説文を書いているのは、リフレ派の旗頭の若田部昌澄教授(早稲田大学)だ。オーストリア学派とリフレ派は対極にあると言ってもよい。若田部氏も解説で自分のリフレ派的な主張を述べ「ハズリットの議論をそのまま受け取ることには注意が必要」と批判している。解説文を書いたのは若田部氏がアメリカ行ったときに回りにハズリットやリバタリアンに影響を受けった人が多くいたかららしいのだが何か釈然としなかった。日経BP社があまり懇意でないオーストリア学派の学者に頼むよりいろいろ付き合いのある若田部氏に解説を頼んだのだろうけど。でもなぜ真逆の若田部氏なのだろう。
その謎は若田部氏の本に書いてあった。若田部氏の『改革の経済学』(ダイヤモンド社)と言う本を古本屋で見つけて買った。その本の最後に「-エピローグ-なぜ私はリフレを唱えるようになったのか?」という章がある。それを見ると、若田部氏は大学院生時代に現代オーストリア学派に親近感と興味を持っていたという。「ゲ!では俺もやがてリフレ派になる可能性があるのか?」と恐怖におののいた。もうすぐ発狂すると宣告された感じ。
でも読んでいて安心した。若田部氏は現代オーストリア学派に親近感と興味を持ちつつも、3つの点で違和感を持っていたそうである。それが若田部氏がオーストリア学派にならなかった理由だが、まさにその3つの点こそ僕がオーストリア学派に魅かれるところなのだから。第1点は、オーストリア学派が形式性に強い忌避感持つこと第2点はオーストリア学派が不況と好況を一帯の流れとして政府の介入を不要とすること。第3点はオーストリア学派の設計主義批判である。
第3点の「設計主義」とは、社会などを予め設計図を立てて行おうという立場。一般的にその代表は社会主義・共産主義となる。でも設計主義というのは多くの役人の特徴だね。何か行うのにあらかじめ日程等を決めておかないと不安になる。そしていろいろ不利な要点を列挙して結局できないと結論付けるのだ。僕の考えは、必要な事態があるのならとにかく自分が引き受けて常に気にかけることだ。そうすると向こうから新しい事態がおこり霧の中にふと解決策が見えてくるのだ。形式性で言えば、公務員は研修で職場改善というと圧倒的多くはマニュアル作りを上げるけど、マニュアル作成が改善ではなく、そこに書かれる仕事の内容が改善されなきゃいけないのだよ。
若田部氏が違和感を持った3つの点は実は、オーストリア学派だけでなく、陽明学と親鸞にも共通するものだ。
市長選の前は、市長選を行うために辞職するのは大義がないなどと反対勢力はぼやいていた。韓流歴史ドラマをよく見る僕は、「大義とか名分とか、お前らは老論(ノロン)派か?」と思ったものだ。老論派に限らず李氏朝鮮は朱子学の政治が国是の国家だ。だから大義名分が政治闘争の焦点になる。日本の江戸幕府も朱子学が公認哲学だが実質は他の儒教の学派や国学なども盛んだった。幕閣から諮問を受けた儒学者にも荻生徂徠など朱子学者でない者も多い。だから徳川幕府は朱子学国家ではなかった。むしろ明治になってから日本が実質的な朱子学国家となったと言われる。
大義がないといえば、参議院で郵政民営化法案が否決されたから衆議院(参議院に解散はない)を解散した小泉首相(当時)もその時点では大義名分がないと言われた。自ら大政奉還した徳川慶喜をさらに武力討伐しようとした西郷吉之助(隆盛)も名分がないと言える。しかし結果を知っている現在の人々はこれらを名分がないからといって間違った行動とは言わないだろう。それは勝てば官軍と言うことではない。政治における変革を大きく一歩進めるには、戦いによって力関係の大変動を知らしめるしかないからだ。「鉄砲から政権が生まれる」とは毛沢東の言葉だが、それはそうした意味を示している。結果からみれば、大義名分などというのはなんと空虚な言葉だろう。李氏朝鮮では大義名分は果てしない派閥抗争や流血を生み出してきたが、なんら有意義な進歩や変革をもたらさず国家社会を衰退させていた。大義名分は自らの利益のための口実に過ぎない。
ところで昨日の『学べるニュースSP』の「物価」について池上彰氏の解説でおやっと思った。というのはリフレ派的な解説が入っていたからだ。池上氏は以前の「日本銀行」の解説のときにははっきりとは言わないにしても金融緩和的手法に冷ややか感じがした。ところが昨日は1%ぐらいのマイルドなインフレが一番いいようなリフレ派寄りの解説があった。もっともリフレ派は3%ぐらいがいいと言っているが。これは先の「日本銀行」の解説を見たリフレ派の有力者や学者から何らかの圧力があったからなのかなと思う。圧力といっても政治的な圧力ではなくて、狂信的なリフレ派からのレクチャー攻撃があったのだと思う。というのは今国際的な商品相場の高騰により日本にも物価が上がる気配があるので「物価」というテーマはいいのだが、内容が今回の物価高騰の原因にはあまり触れないで、デフレとインフレのどちらがよいかという話に重点が言っているのだ。そこでデフレスパイラル的な解説とか、インフレで景気がよくなることという解説があった。デフレスパイラルは続かないし、インフレ下での景気後退というのも理論上あり得るだけでなく、歴史的に存在している。池上氏はリフレ派と同じ奇妙な論理を話した。「物価が上がると思うと上がる前に買おうとするから消費が増える」「物価が下がると思うと買うのを控えるから消費が減る」これらはリフレ派の誤った子どもだましの論理だ。現実には人々はそんな買いだめを行うかな?たとえそうして買いだめしてもそれは消費支出の先出しだから、後の反動で消費支出が減少する。企業は一旦増産しても急にブレーキがかかるのでかえって経済に害悪を与える。あっ、70年代の石油危機のときにスーパーからトイレットペーパが消えたのは、値上がりの予感ではなくて、石油がなくなると製紙工場が止まってトイレットペーパの出荷が止まるという噂のためで値上がりの予感のためではないよ。
ところで僕の書棚には、オーストリア学派の人が書いた一般向けの本が2冊ある。専門書はまだ何冊も出版されて僕も数冊も持ってはいるが、日本での一般向けはこの2冊だけだろう。一つはヘンリー・ハズリットの『世界一シンプルな経済学』で、もう一つはヴァーツラフ・クラウス(チェコ大統領)の『「環境主義」は本当に正しいか?』でどちらも日経BP社の発行だ。ところが驚きかつ不審に思ったのは、この2冊に解説文を書いているのは、リフレ派の旗頭の若田部昌澄教授(早稲田大学)だ。オーストリア学派とリフレ派は対極にあると言ってもよい。若田部氏も解説で自分のリフレ派的な主張を述べ「ハズリットの議論をそのまま受け取ることには注意が必要」と批判している。解説文を書いたのは若田部氏がアメリカ行ったときに回りにハズリットやリバタリアンに影響を受けった人が多くいたかららしいのだが何か釈然としなかった。日経BP社があまり懇意でないオーストリア学派の学者に頼むよりいろいろ付き合いのある若田部氏に解説を頼んだのだろうけど。でもなぜ真逆の若田部氏なのだろう。
その謎は若田部氏の本に書いてあった。若田部氏の『改革の経済学』(ダイヤモンド社)と言う本を古本屋で見つけて買った。その本の最後に「-エピローグ-なぜ私はリフレを唱えるようになったのか?」という章がある。それを見ると、若田部氏は大学院生時代に現代オーストリア学派に親近感と興味を持っていたという。「ゲ!では俺もやがてリフレ派になる可能性があるのか?」と恐怖におののいた。もうすぐ発狂すると宣告された感じ。
でも読んでいて安心した。若田部氏は現代オーストリア学派に親近感と興味を持ちつつも、3つの点で違和感を持っていたそうである。それが若田部氏がオーストリア学派にならなかった理由だが、まさにその3つの点こそ僕がオーストリア学派に魅かれるところなのだから。第1点は、オーストリア学派が形式性に強い忌避感持つこと第2点はオーストリア学派が不況と好況を一帯の流れとして政府の介入を不要とすること。第3点はオーストリア学派の設計主義批判である。
第3点の「設計主義」とは、社会などを予め設計図を立てて行おうという立場。一般的にその代表は社会主義・共産主義となる。でも設計主義というのは多くの役人の特徴だね。何か行うのにあらかじめ日程等を決めておかないと不安になる。そしていろいろ不利な要点を列挙して結局できないと結論付けるのだ。僕の考えは、必要な事態があるのならとにかく自分が引き受けて常に気にかけることだ。そうすると向こうから新しい事態がおこり霧の中にふと解決策が見えてくるのだ。形式性で言えば、公務員は研修で職場改善というと圧倒的多くはマニュアル作りを上げるけど、マニュアル作成が改善ではなく、そこに書かれる仕事の内容が改善されなきゃいけないのだよ。
若田部氏が違和感を持った3つの点は実は、オーストリア学派だけでなく、陽明学と親鸞にも共通するものだ。