皇室の次世代に男子がいないことから女帝を認めるかどうかの議論が起っているけど、当然出てくるべき2つの方策が話されていないのは不思議だ。
あまり調べてはいないけど、皇室典範を改定して女帝を認めることによって、今の皇太子と秋篠宮の後に天皇家が途絶えること防ごうというのが主要な論調らしい。他国でも女王を認めているし、日本でも過去に何人もの女帝がいたことがその論拠らしい。
女帝に反対する主張では、日本の天皇はすべて男系で継承されていて、女帝はその当時の事情による臨時の中継ぎであったということ。愛子内親王自体は父親が天皇家であるから男系ではあるが、その次の代は母(愛子女帝)が天皇家ではあるが、父(女帝の夫)は天皇家出身ではないので男系ではなくなる。そのときに男系の皇統の伝統は途絶えるから容認できないとのことらしい。ではどうすればよいかとなると、皇太子家や秋篠宮家に男子が生まれるかもしれないからまだ待とうという意見と、終戦後廃止された旧宮家を復活させて天皇家に男子がいない場合は旧宮家の男子から天皇をということらしい。
でもこの旧宮家というのは室町時代に立てられたもので、天皇家からわかれてから400年以上たっており血のつながりは非常に薄くなっている。ただし江戸時代に旧宮家から天皇家の養子になって天皇になった人がいるからまったくの他人というわけではなさそう。それから一旦宮家から離れた(臣籍降下)者が皇族にもどることが伝統上でも民主主義制度上も難しい。
そこで戦前ならば出てきたであろう2つの方策がある。1つは、皇太子及び秋篠宮に側室を認めて、男子の出産の機会をふやすことだ。明治天皇までは側室がいた。それが民主主義政体にふさわしくないという意見が出るだろう。また他国への評判も気になるだろう。でも、天皇家に生まれたものに拒否できないいわば過酷な運命を負わせること自体が民主主義政体にふさわしくない。だから君主制を許容するなら側室も許容しえる。それに天皇家には民法が適用されないと思うから(専門家ではないので推測)、天皇側には重婚罪は適用されないし、自由意志でなった側室にとって夫はその皇族1人だけだからこれも重婚にならない。むかしは大名もこうして跡継ぎ問題に対処してきた。
もう一つの方策は、南朝の復活である。すなわち南朝の天皇の子孫を探し出して皇位につけることだ。南朝か北朝かどちらが正統かということについては、北朝の系統である明治天皇自身が南朝が正統と言っている。南朝の皇統は代々天皇に即位してない(と思われる)が、不当に簒奪されてきたわけで臣籍降下というわけではない。幾代にも途絶えていた天皇家の正統が復活したのはこれまでも歴史上3回あったと思われる。
1回目は古墳時代に天皇の跡継ぎが途絶え、何代も前の天皇の子孫を日本海側から連れてきて天皇に据えた。
2回目は天智天皇の息子の大友皇子を倒して皇位を奪った天武天皇の系統の天皇が数代続いた後途絶え、再び天智天皇の子孫が天皇についた。日本書紀では天武天皇は天智天皇の弟ということになっているが、若い時の記録が無く突然歴史書に出てくる。天智天皇より年上みたいな記録もある。天智天皇が2人も娘を与えている。忍術ができた。等など、本当に弟かとう疑問点がある。
3回目は、室町時代。でも南北朝の話ではない。室町将軍の胤と思われる天皇の系統が数代で途絶えた。
朱子学的大義名分論でいえば、南朝が復活すれば、皇統の正閏が正されることになり、数百年の日本史のゆがみが正されることになる。
あまり調べてはいないけど、皇室典範を改定して女帝を認めることによって、今の皇太子と秋篠宮の後に天皇家が途絶えること防ごうというのが主要な論調らしい。他国でも女王を認めているし、日本でも過去に何人もの女帝がいたことがその論拠らしい。
女帝に反対する主張では、日本の天皇はすべて男系で継承されていて、女帝はその当時の事情による臨時の中継ぎであったということ。愛子内親王自体は父親が天皇家であるから男系ではあるが、その次の代は母(愛子女帝)が天皇家ではあるが、父(女帝の夫)は天皇家出身ではないので男系ではなくなる。そのときに男系の皇統の伝統は途絶えるから容認できないとのことらしい。ではどうすればよいかとなると、皇太子家や秋篠宮家に男子が生まれるかもしれないからまだ待とうという意見と、終戦後廃止された旧宮家を復活させて天皇家に男子がいない場合は旧宮家の男子から天皇をということらしい。
でもこの旧宮家というのは室町時代に立てられたもので、天皇家からわかれてから400年以上たっており血のつながりは非常に薄くなっている。ただし江戸時代に旧宮家から天皇家の養子になって天皇になった人がいるからまったくの他人というわけではなさそう。それから一旦宮家から離れた(臣籍降下)者が皇族にもどることが伝統上でも民主主義制度上も難しい。
そこで戦前ならば出てきたであろう2つの方策がある。1つは、皇太子及び秋篠宮に側室を認めて、男子の出産の機会をふやすことだ。明治天皇までは側室がいた。それが民主主義政体にふさわしくないという意見が出るだろう。また他国への評判も気になるだろう。でも、天皇家に生まれたものに拒否できないいわば過酷な運命を負わせること自体が民主主義政体にふさわしくない。だから君主制を許容するなら側室も許容しえる。それに天皇家には民法が適用されないと思うから(専門家ではないので推測)、天皇側には重婚罪は適用されないし、自由意志でなった側室にとって夫はその皇族1人だけだからこれも重婚にならない。むかしは大名もこうして跡継ぎ問題に対処してきた。
もう一つの方策は、南朝の復活である。すなわち南朝の天皇の子孫を探し出して皇位につけることだ。南朝か北朝かどちらが正統かということについては、北朝の系統である明治天皇自身が南朝が正統と言っている。南朝の皇統は代々天皇に即位してない(と思われる)が、不当に簒奪されてきたわけで臣籍降下というわけではない。幾代にも途絶えていた天皇家の正統が復活したのはこれまでも歴史上3回あったと思われる。
1回目は古墳時代に天皇の跡継ぎが途絶え、何代も前の天皇の子孫を日本海側から連れてきて天皇に据えた。
2回目は天智天皇の息子の大友皇子を倒して皇位を奪った天武天皇の系統の天皇が数代続いた後途絶え、再び天智天皇の子孫が天皇についた。日本書紀では天武天皇は天智天皇の弟ということになっているが、若い時の記録が無く突然歴史書に出てくる。天智天皇より年上みたいな記録もある。天智天皇が2人も娘を与えている。忍術ができた。等など、本当に弟かとう疑問点がある。
3回目は、室町時代。でも南北朝の話ではない。室町将軍の胤と思われる天皇の系統が数代で途絶えた。
朱子学的大義名分論でいえば、南朝が復活すれば、皇統の正閏が正されることになり、数百年の日本史のゆがみが正されることになる。