salt&pepper days 

ともすれば、子どもとの時間に埋もれそうな日々。でもやりたいことは他にもいっぱい。刺激を求めて悪あがき中。

タイムマシーンがあったら怖いかもしれない。

2007-03-25 01:36:27 | 本・雑誌
ドラえもんの道具でほしいものトップ3に
絶対入るのが、「どこでもドア」と「タイムマシーン」。
「タイムマシーンがあったら、あの時代に行ってみたい」
「あの人に会いたい」
「あのときのライブをもう一回見たい」
いろんな夢がかなうねー。

でもそれは、軽い気持ちで無邪気に思う夢。
ホントにそれができたら怖いぞ、と思わされる本を読んだ。

『Y』(佐藤正午・著 角川春樹事務所)

シンプルなタイトルの意味は、読んでのお楽しみ。
列車事故を境に、人生が変わってしまった人々の話。
ある女性を、自分が原因で事故に遭わせてしまい
人生を狂わせたと悔やむ男。
その思いの強さのあまり、とんでもない奇跡が。
簡単にいえば、列車事故の少し前の時間に戻り
事実を書き換えてしまう、という話。
ちなみに、タイムマシーンの話ではありません。

人の幸せを願ってやったことでも
必ずしもそれで、すべてが幸せにつながるとは限らない。
しかも、自分は戻してしまった時間を
生き直すことになる。
それは思わぬ苦しみを伴うものでもあった。

登場人物の心理描写が巧み。
一歩間違うと、いかにも作り物っぽくなりそうな話を
先を読み進めさせる力がある。

この著者の別の本の書評で、評者が
「文学賞とは縁のない作家だけど、もっと評価されていい」
というようなことを書いていた。
私も、ほかの作品も読みたくなった。

タイムマシーンで、もしも希望する時間に戻ったら
書き換えたい誘惑に駆られること、いろいろある。
実際にはそれができないから、思いを馳せて
頭を抱えたり、悔やんだりはするけれど
そこから学ぶこともあるわけで。

もし過去を書き換えるようなことをし始めたら
いいこともあるけれど
どこかで苦しくなるんだろうな、とも思う。
そんなことをつらつら考える読後感も、なかなか乙なもの。

甘えすぎですかね。

2007-03-18 02:33:16 | 出来事
ひよこ(娘)を連れて歩く際
ずいぶん、人様の親切に助けられている。

気に入らないことがあると
スーパーで、電車内で、道端で
ところかまわずひっくり返って泣くひよこに
声をかけてくれたり、アメをくれたり
「抱っこ抱っこ」とだだをこねられ
荷物を抱えてひよこを抱っこしているとき
年配の女性に、荷物を持ってもらったこともある。
顔なじみの新聞配達のおじさんに
スーパーの袋をバイクに乗せて、運んでもらったり。

子どもを持つ前から、今の町に住んでいたけれど
若い世代も多い土地なので
あまり人と人の関わりが強くないところだと思っていた。
子どもを持ってから、印象がすごく変わった。
困っていると、誰かどうか声をかけてくれる。

そういう空気に、つい甘えていたのかな。
先日、とあるお店で嫌な思いをして
むかっ腹立て、その後、自分の考えの甘さも痛感。

近所のママ友達に、「子どもたちに開放しているお店があるから
のぞいてみない?」と誘われた。
「自然と関わる生活の提案」をテーマとしたショップで
木のおもちゃや自然派化粧品、体にやさしい食材なんかを扱っている。
手作り作家の作品なんかも置いてある。
おもちゃは手にとって遊んでOKで
大人は買い物を楽しめ、子どもも退屈しない。

ところが、大人が考えるほど子どもは甘くない。
最初のうちこそ、木のおもちゃで遊んでいたけれど
そのうち店内を移動、食べ物のコーナーへ。
袋入りのお菓子を手に取り、封を開けようとしたひよこ。
あわてて取り上げ、「お店のだからダメだよ!」と注意する後ろから
「袋、開けないでよ!」
ややヒステリックな中年女性スタッフの声。
こっちに非があるので、おおっぴらにはいえないけど
やな感じ。

さらに、何が気に入らなかったか忘れたけど
私の手をふりほどき、店内を走り出すひよこ。
ガラスのカップなんかがディスプレイされているコーナー、
危ないなあ、と最初から思っていたんだけど
よりによって、そこへ向かう…。
つかまえて、「ここで走ると危ないからやめて!」
そう叱っている後ろから、さっきのスタッフが
「ここで子どもを走らせないでくださいね!
なにかあっても、こちらは責任とれませんから」

んなこと、わかってるわ!
だから怒って言い聞かせてんだろうが!
べつに走らせたわけじゃないさ!
2歳になりたての子どもに、走るなっていうのは
通用しないんじゃい!
万が一ケガしたら、親の責任だし
袋破っちゃったり、カップを割ってしまったら
買い取ればいいんでしょ! と、こっちもつい
ふてぶてしい気持ちになる。

…そうはいえないんですけどね、もちろん。
悔しい、悔しい、悔しい、と頭の中グルグル。

子どもに開放するなら、ディスプレイに気をつかってほしいし
それが無理なら、開放なんかすんな。
子どもに安全でやさしいおもちゃ、とか置いているのに
やることが中途半端なんだよ、と心の中で悪態をつきつつ
自分がどこかで、子育ての恵まれた環境に慣れて
甘えていることも痛感。

昔みたいに、近所の人がよその子どもを叱るっていうのは
さすがにないので、私自身も慣れてないから
人から子どもに対してキツイ言い方されると、へこむ。
あれは叱るっていうか、嫌味だね。
「うちに来ていいのは、お上品なお子様だけよ」って。
物の言い方で、受け取る印象も違うということも実感。

お店自体は素敵だし、買ってきた天然酵母のパンは
すごくおいしかったので、残念な出来事。
ああ、ついつい愚痴っぽくなってしまうなあ。
人間、できてない。

悔しさと悲しさと反省とが入り混じった1日でした。

石田千さんの本

2007-03-09 01:45:25 | 本・雑誌
石田千さん、ここのところマイブーム。
最初に読んだ『ぽっぺん』で
「ああ、この人の本と出会えてよかった(涙涙)」と感じ
2冊目『月と菓子パン』で、またもや幸せをかみしめる。

小さなころのことを思い出す。
いいことも悪いことも。
そして、そこから目をそらさないでいられる。
日々、なんとなくやり過ごしている感情、
とくに、マイナス感情の部分も
それはそれでいいのだ、と思える。
ありふれた毎日のなかに、おもしろいことを
見つけられる確信がもてる。
和食が食べたくなる。
蕗味噌、食べたい。
お酒が飲めたらいいのに、と思う。
下戸なのが、悔しい。
野球(ナイター)に行きたくなる。

以上、『月と菓子パン』を読んで思ったこと。

丁寧に生きている人。
そうすることで、胸が苦しくなるようなことが増えたとしても
この人は受け止める度量があるんだなとうらやましくなる。
それほど年も違わない、見習いたい人。

ご本人はどんな人だろう、と思い巡らせていたら
朝日新聞の「すたいるぶっく」というコーナーで
エッセイとともに、お顔も発見。
なんかうれしい。

今年のひなまつり

2007-03-03 23:39:38 | 出来事
大人になってからは
ひなまつりは年中行事のなかで、やや存在が薄かった。
昔はちゃんと雛人形を飾っていた。
その頃、雛人形は祖父母の家に置いてあり
その地域のお節句は4月だったから
ちょうど春休みに遊びに行っていたときにお祝いしていた。

雛人形を自分の家に持ってきてからは
母も私が大きくなったからか、飾らなくなり
私も積極的には「おひなさま出そう」とは言わず
ずいぶんと顔を見ていない。

ひよこが生まれ、ひよこの雛人形を飾るようになって
がぜん、ひなまつりを意識するようになった。
といっても、今年のひよこはいたずら盛り。
人形を引き倒したり、段に上ったりしかねないと
出すのをためらっていた。
先週、姑と義弟が遊びに来ることになったのをきっかけに
やっと飾った。
案の定、ひよこは牛車の金具を外したり
桃と橘の飾りも、しばしば落っことす。
三人官女の手に持たせた小物(何て言うものだっけ?)も
いつのまにか曲がってるし。

今日、夫は休日出勤&飲み会なので
「男は勝手にせい」と、女の子(ひよこと私ね)だけでお祝い。
といっても、桜餅買ってきて、ちらし寿司を食べただけだけど。

テレビのニュースで、雛人形を川に流す「人形供養」の映像を見た。
舟に、全国から送られてきた雛人形千体(?)を乗せ
川からやがて海へ…って、そのまま流しちゃうの??
つまり、もう飾られることのない、持ち主のいなくなった人形ということか。

うちの人形は、明日しまおう。
買った人、贈った人、それを飾る人の想いが込められた人形は
一年のこの時期だけ日の目を見て、またお休み。
ずいぶんと日の目を見ていない、私の雛人形たちも
祖父母や両親の願いが込められていたのだと
いまさらながら思ったひなまつり。

敬語、使える?

2007-03-02 01:36:28 | 出来事
テレビで「最近、敬語の使い方がおかしくなっている」
という内容の番組を見た。

ファストフードのお店やファミレスで
「店内でお召し上がりでよろしかったですか」とか
「1000円からお預かりします」とか。
たしかに言われること、よくあるある。
変だな、と引っかかることもあった気がするけれど
最近は、気にも留めなくなっていた。

なんで「よろしかった」と、過去形で言うようになったかというと
外資系レストランのマニュアルを訳すときに
英語で丁寧な言い方として「Would you~」とか「Could you~」
という表現を、過去形で訳したためという説があるとか。
なるほどねえ。

敬語がうまく使えない人が増えているのは
使う機会が減っている、とか
人との距離感の取り方が、下手になっているためとか
いろいろ考え方はあり、それぞれに
納得したり、そうかなあ、と思ったり。

会社に勤めていた頃は、社内でも、電話でも
ファクスでも、敬語は常に使った。
何よりも、取材させてもらう立場だったので
そこでずいぶん鍛えられたと思う。
最近は敬語、そうえいばあまり使ってないなあ。
たしかに、使ってこそ身につくものだ。

敬語は元々は、上下関係を明らかにするための
使い方が一般的なのだけれど
最近は、それが少し変わってきている、と。
昔は親子でも、子どもは親に敬語で話していたけれど
今はあまりない。
むしろ今は上下より「左右の距離」を考えて使う、と。
「この人とは普通(いわゆる、ため口)で話すけど
こっちの人とはあまり親しくないから敬語」とか。

これは、すごく思い当たることがある。
ひよこを連れていく公園で、ママたちと話すとき。
初対面のママには、相手が明らかに年下だと思っても
なんとなくため口はききにくい。
何度か顔を合わせるうちに、なんとなく気が合うなとか
相手が自分に対してフランクになってくれているのを感じると
だんだん「~でしょ」とか「そうだよね」って言えるようになる。
ママ友達って、ほとんど年齢関係ないので
ため口かそうでないかって、親しさの度合い、距離感が
とてもはっきりする。

それ以外の人間関係でも
相手がため口をきいてくれると
親しくなれた気がして、うれしくなることがある。
逆に、同期や同い年なのに敬語使われると
違和感あったり、よそよそしく感じたり。

複雑だなあ。
もはや、敬語の正しい使い方を知っているかどうか、だけでなく
相手との距離も考えつつ、使うようになるなんて。
これも現代だからこそ?
難しいけど、なかなか興味深い。