たまたま書店で見つけた本。
『最初の質問』(詩・長田弘 絵・いせひでこ/講談社)
静かに語りかける言葉と
胸の奥の懐かしい場所へ導いてくれるような絵。
詩人の長田さんの言葉も、画家のいせさんの絵も
とてもとても柔らかでいて、強いです。
不本意な理由での忙しさや
混乱に満ちている、ここ最近。
そんな中で、この本に出会えた喜び。
大好きな作品がたくさんある、長田さんといせさん。
この絵本は、新たな宝物です。
大事に読み返します。
たまたま書店で見つけた本。
『最初の質問』(詩・長田弘 絵・いせひでこ/講談社)
静かに語りかける言葉と
胸の奥の懐かしい場所へ導いてくれるような絵。
詩人の長田さんの言葉も、画家のいせさんの絵も
とてもとても柔らかでいて、強いです。
不本意な理由での忙しさや
混乱に満ちている、ここ最近。
そんな中で、この本に出会えた喜び。
大好きな作品がたくさんある、長田さんといせさん。
この絵本は、新たな宝物です。
大事に読み返します。
江国香織さんの『ちょうちんそで』を読みました。
久しぶりに触れた、“江国ワールド”、静かに明々とじんわり。
シンプルな文章で、人の心の動きを伝えるこの人の文体は
語りたがりで、理屈っぽい話が好きな人には「すかすか」と感じるみたいだけど
いや、技術的にはすごいことだよ、と思う。
語り手が何人も入れ替わり、実はあの人とこの人がつながって
たくさんの物語が現れる。
それぞれ日常生活には出てこない「過去」に身を委ねたり
ひっそりと居場所を求めたり、苦しんだり、怯えていたり。
実際、普通に生活しているように見えても
みんないろんなことを、抱えている。
この話の中心的な存在、雛子さんのように
少女時代を鮮明に覚えていることは、とても幸せ。
その記憶に生きることを「寂しさ」ととらえがちだけど
「豊かである」と思わせる力が、雛子さんにはある。
それが妄想だろうが、架空の人との会話であっても。
幼いころの記憶、なかでも自分が包まれていたもの、人、
どれも人を一生支え得る。
あるいは、一生苦しめるものかもしれないけれど
あるとないとでは、人生の深さが全然違うだろうな。
大事件は起きない、ふわふわ、シンプルな話だけど
濃くて質感のある物語は、さすがです。
11月から、市が主催で行っている
「児童文学講座」に出ています。
小学生向けの物語を書く講座。
希望者が多くて、作文選考があるくらい。
懐かしい?原稿用紙、バリバリ使ってます。
大学時代からかぞえ、約20年近くぶりの講義らしい講義を受けてます。
ある児童文学作家が講師で、受講者の平均年齢は
だいたい50~55歳くらいかな~。
自分が若いほう、っていう環境、久しぶりで、なんか心地よい((笑)。
週末に、2時間の講義。
正直、前半がツライ。
なにがって・・・。
眠いのですー、ごめんなさいー。
授業がつまらないわけじゃないんですが~。
午後イチ、という時間帯もまずいのでしょう。
あと、全館暖房で、教室がポカポカすぎるのも原因でしょう。
手をつねって、睡魔と戦ってる自分が情けない・・・。
ダメな生徒、先生にバレてるだろうなあ。
後半は復活し、ばっちり聞いてます。
実践形式で原稿書いたりするので、寝てる場合じゃない。
先週から、各自が書いた短編作品をみんなで読み
意見を言い合う、という講義になりました。
レベルはまちまち、だけど
中には「これ、本になっていても不思議じゃない」という作品も。
再来週、私の作品の順番がまわってくるので、楽しみ。
児童文学というくくりが、今までは自分のなかで曖昧で
絵本の文章との境界線もわからず、童話とも違うのか、
どのあたりの人を対象にした作品だろうと思っていた。
要は、児童向けの長編作品、空想物語、日常をテーマにした物語、
といったところでよいみたい。
松谷みよ子さんの、『モモちゃんとアカネちゃん』シリーズとか。
童話は、だいたいが短編で、空想物語も多い。
まああんまり深く考えず、書きたいものを書こう、ということで。
講義のなか、先生の言葉で印象的だったのは
「とにかく、途中で投げ出さないで書き切ること」というもの。
最後まで書ききれば、読み返して、直すべきところが見える。
当たり前なようで、これってすごく大事だと思う。
特に小説のような長いものについては、まずこれに尽きる。
実際、やんなるんだよね、途中で行き詰ると。
投げ出した作品だらけの私は、耳が痛い。
この講座、今月いっぱいで終了です。
決まった時間に、決まった場所に集まって
講義を受ける、作品を書く、という「強制力」が
私にとってはすごく良かった。
堂々と出かけられ、書くための時間をとる「理由」にもなる。
そして、学ぶ人たちの姿勢。
大人になってからの「学び」って、本当にやりたい人が集まるから
みんな真剣、質問バンバン飛び交う。
いくつになっても、やる人はやる、やらない人はやらない。
いつまでも挑戦する人でいたい、と心から思う。
そして、講座が終わっても、「終わり」にしない。
庭づくりに続き、今年の誓い。
この夏、私はなにやってたんでしょうねー。
子供の夏休みでバタバタだったり、体調崩したり
「なんて夏だ・・・」、という感じの夏でした。
でもこのブログ、やめたわけではありません。
ゆるいお心でお付き合いくださいませ。
ブログの更新さえ隔月のような状態の私にとって
驚異の本を読みました。
『いしいしんじのごはん日記』(新潮文庫)
自分がその日に食べたメニューとあった出来事を
毎日毎日毎日毎日・・・・・・・・・。
簡単に見えて、これはすごいです。
「人が食べたものなんて、べつに興味ないんだけど?」
とはいわず、まあちょっと読んでみぃ。
(私も最初はちょっと思ったけど)
三崎在住時(今は京都らしい)の海の幸豊かな食卓、しかも自炊。
そして、ご近所さんとの距離感。
「もの書きって、こういうふうに仕事して、こういうふうに人と会ってるんだ」
という生活も垣間見られ、どんどん読んでしまいます。
知らない魚の名前がたくさん出てきたり、昭和の生活のにおいがしてきたり
こういう生活もあるのねえ、としみじみする。
いしいさんの摩訶不思議な小説の空気は
この生活から生まれていたのね、と妙に納得したり。
文章の雰囲気や見た目によらず、ちらっと見せる毒がまた良い。
人との距離感、生活様式、食べ物選び、
私、マネできないなあ、と思うところもたくさんあるけれど憧れる。
あ、いちいちマネはしなくてよいですね。
ただ、この豊かな食卓を見習いたいと思って
今日は魚を食べようか、という気分にはなる。
午前中、まじめにものを書こうかという気分にもなる。
ひよこも学校始まったし、今、ぴよぴよは週1のプレに行っているし
それにここ半年くらい、自分の生活や健康を振り返らざるを得ない
出来事も、大小ちょこまかとあるので
自分自身の良いリズムをつくりたい。
ちなみに、『ごはん日記』は1~3まで出ています。
元来、几帳面ではなく
とちらかというと、テキトウでがさつな性質なので
ていねいな暮らしぶりを目にしたり
人が書いた文章などを読むと、我が身を恥じ入り
憧れと反省とあきらめのような思いでいっぱいになる。
ていねいな暮らしぶり、とは
物腰や言葉づかいの問題だけではない。
単純に、部屋がモデルルームのようにナチュラルで美しかったり
服や持ち物、食にもポリシーがあって、お金をかけていて
ブランドや有名な店について
情報をたくさん知っていて、というのとは違う。
「ていねい」というのは、暮らしぶりが華美、というわけではなく
どちらかといえばシンプル、質の良いものを選ぶ目をもち
生活になじませ、長く大切につきあうやり方。
あれもこれもと、迷わない、欲張らない。
そういう心持ちがあるかないかって、ちょっとしたところで出るんだろうな。
行動、仕事や人との関わり方にも。
がさつで、その場その場でバタバタと対応して
なんとか切り抜ける、そんなやり方がすべて悪いとは思わないし
そうやって鍛えられる部分は、たしかにある。
いま、ていねいに暮らしている人もきっと
ドタバタしたり、迷ってあれこれ手を出したり
自分がどうなるのかわからないままに
走り続けてきた日々があって、いまがあるのかもしれない。
痛い目にあったり、失敗をしてたどりついたのが
ていねいな暮らし、というなら納得できる。
そんなことを思いながら、読んだ本。
『今日もていねいに。』(PHPエディターズ・グループ)
『くちぶえカタログ』(静山社)
著者は、松浦弥太郎さん。
中目黒の「COWBOOKS」という本屋さんを経営し
雑誌『暮しの手帖』の編集長。
ものへのこだわり、日常生活のなかでの心持ち。
人へのやさしさ、心が行き届いた暮らしぶりが見えてくる。
その生き方を「主義」として振りかざしたり
「ファッション的」な見せ方だと、「ああ、またか」と思ったりするし
女性でこういう本を書く人は、べつに珍しくない。
男の人の目線でとらえられた「ていねい」は
なんかどきっとさせられたり、柔らかさの中にも頑丈さがあって
かっこいいなあと思う。
「この人が使っている、これがほしい」というんじゃなくて
「こういう考え方のできる人になりたい」と思う。
好き嫌いはあるかもしれないけれど
私はこの本を、ひとりでひっそりと読み
心の中の、ずっとふてくされていた部分が持ち直したりもした。
忙しかろうと、何があろうと、誰に何を言われようと、傷つけられようと
どうでもいいやと投げたり、ていねいさを捨ててはいけない。
暮らしも仕事も人に対しても
そして、自分に対しても。
もともとの性格がなせる業、というだけでなく
ていねいな生き方は、築き上げていくものなんだろう、と思う。
だったら、私にもできる・・・、かも。