海外における「和食の認証制度」に反対する人たちの意見をいくつか。
pokoponにっき : それより米に認証を
気にしたい人が気にするのも、気にならない人が気にしないのも個人の自由です。
ザ☆タニスの生活覗き見隊:和食
仮に「正しいインド料理の認証制度」が始まったとして、ココイチは認証を得ようとはしないでしょうし、インド政府も「インド料理」を名乗らないココイチにまで文句を言わないはずです。
日本が検討している「和食の認証制度」は「変な日本料理を禁じる規制」ではありません。「良いものを褒める」お墨付きであって、認証外の料理をやめさせる力はありません。
tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃): 「正しい和食」 は高くつく
「わかっていてやっている」のと「全然わかってない」のを一緒くたに論じるのは乱暴すぎます。
「当のアメリカ人が喜」んでいるかどうかも疑問です。不味くて高価いインチキ日本料理を「あまりうまくないけど、これが"CoolでHealthyなJapanese food"なのだ。自分の舌が慣れてないのだろう」と思い込んで食べさせられているのではないでしょうか。
pokoponにっき : それより米に認証を
昨日は沖縄料理を食べた。美味かった。調理してくれたのは沖縄の人じゃない。だから「正しい」かどうかはわからないし、気にもしていない、美味けりゃいい。どうしても「正しい」のが良ければ沖縄に行けばいいんだし、気候の違う今の時期だと「正しい」より美味いアレンジがあるはずだ。民俗学者でもないのだから「正しいか」より「美味いか」の方が重要なのだ。それなら認証制度なんて野暮なものは「気にしない」のがよろしいでしょう。
気にしたい人が気にするのも、気にならない人が気にしないのも個人の自由です。
ザ☆タニスの生活覗き見隊:和食
たとえば、いまさらインドの粉っぽいカレーが正しいといわれ、ぼくの好きなココイチのカレーが「正しくない」などとけちをつけられたら、ちょっと待てお前と思う。言われるだけなら気持ちの問題なのでまだしも、ココイチのカレーが「正しくない」という理由で粉っぽくしなければならなくなったら、ぼくの好きな汁っぽいカレーが食べられなくなるという危機的状況を生み出す。インド人が何を言おうと自分の味覚に自信を持って好きなものを食べてください。
仮に「正しいインド料理の認証制度」が始まったとして、ココイチは認証を得ようとはしないでしょうし、インド政府も「インド料理」を名乗らないココイチにまで文句を言わないはずです。
日本が検討している「和食の認証制度」は「変な日本料理を禁じる規制」ではありません。「良いものを褒める」お墨付きであって、認証外の料理をやめさせる力はありません。
tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃): 「正しい和食」 は高くつく
「パンにしますか、ライスにしますか?」 なんて聞かれるようなレストランが、「正しい洋食」 の店ではないことぐらい、日本人だってわかっている。わかった上で、食いにくいのを重々承知で米の飯を皿に盛り、不器用な手付きで食っている。たぶんアメリカ人はそれが変てこりんだとわかってません。
だったら、アメリカで供される "soy soup" (味噌汁) が、いかに変てこりんなものであっても、当のアメリカ人が喜ぶなら、それはそれでいいじゃないか。洋食の 「ライス」 ほど変じゃないかもしれない。
「わかっていてやっている」のと「全然わかってない」のを一緒くたに論じるのは乱暴すぎます。
「当のアメリカ人が喜」んでいるかどうかも疑問です。不味くて高価いインチキ日本料理を「あまりうまくないけど、これが"CoolでHealthyなJapanese food"なのだ。自分の舌が慣れてないのだろう」と思い込んで食べさせられているのではないでしょうか。
そもそもインドのカレーは粉っぽくありません。
どこのインドでカレーを食ってきたのでしょうか。
それどころかインドには小麦粉を混ぜて作ったどろっとしたカレーまであります。インドも広いですからいろいろなカレーがあるのです。あんまり辛くないカレーだってありますよ。
これほどインド料理についていい加減な知識が出回っていると言うことは、やっぱり認証制度は必要ですね(笑)
どうせ国が作る認証制度なんてどうせ大したことがないのだろうから「こんな認証制度ではいかん」と調理師会(ってあるんでしたっけ?)とか言い始めてが自主的に認証制度とか作り始めれば、ますます和食の世界の活性化になります。
そして結果的に、首相の靖国参拝についても、私は反対、玄倉川さんは容認、天皇後継でも私は臣系否定で玄倉川さんは容認と、表面的には玄倉川さんの方が「保守的」に見えることです。
この認証制度については、かなり隔たりが大きいようで、どこが分岐点なのか、わかりにくいです。
定義されることに階級制というか、権力臭を感じるのではないでしょうか?
自分が好きで食べている物に、ある日突然ランクが付けられる。
そのランク付けも、選者の主観であるのなら他人事と思えるけど、
公の、客観的な印象を理由にした選別法。
ただ、日本人もかつてはわかっていなくて、「ライスはフォークの背に乗せて食うのが正しい洋食マナーなのか」なんて、本気で悩んでいたのは、つい最近までのことです。
もしかしたら、まだ悩んでいる人がいるかもしれませんが。
というわけで、認証制度なんかなくても、だんだん理解されるものと、私は考えています。
それに、理解されて初めて、「正しい和食」では、とてもリーズナブルな値段では腹いっぱいにならないと気付いて、かえってジャンクな「和食もどき」の支持が上がるかもしれないとも、考えています。
いずれにしても、文化理解とマーケティングは、別物ではないでしょうか。
階級や権力臭を感じる、とまでいうことではなく、政府による認証の胡散臭さとでも言っていいのか。
適当にやるなら無駄でしかないし、きちんとするなら、膨大な費用がかかるわけだし、利権の温床になるんじゃないかと思ってしまう。
泥酔さんの解説が分かりやすかったです。
「伝統的な日本料理が食べられる店」と「日本料理を基にした創作料理」
気分とサイフで使い分けられていいと思うけどなぁ。
現状ではどの店が前者でどの店が後者か分からないわけだし。
コーヒー豆の含有量によって
「コーヒー」「コーヒー飲料」「コーヒー入り清涼飲料」と言った分類があるわけで、
消費者は好みで飲めばいいけど、ベンダーには正規表示の義務がある。
「日本”風”料理店」表示は義務じゃないし、別に問題は無いような気がします。
>安部奈亮さん
本当かどうか知りませんが、インドのイスラム教徒はビーフカレーを食べてるそうです。
グジャラート州の料理はやたらに砂糖が入って甘いそうです。
www.terra.dti.ne.jp/~salam/journal/030108gujarati.html
いろいろな味があっても、きっと素材やスパイスの使い方でインド料理として外せないポイントがあるのでしょう。
日本料理でダシのとりかたや魚の引き方が基本なのと同じように。
>南郷力丸さん
私の場合はリベラルとか何とか立派なものではなくて、自分の好き嫌いによる行き当たりばったりなのです。
「まずいエセ日本食は嫌だ」とか「神社に行くか行かないか口出しされたくない」とか「伝統が途切れるのはもったいない」とか。
>てんてけさん
味の好みはあくまで個人的なものですから、そこに「国」が「正しい」基準を持ち込むと聞いて反発する人の気持は素直なものだと思います。
>takさん
すでに海外の回転ズシなんかは日本料理という意識よりも単にヘルシーな"Sushi"として食べている人が多そうですね。
エセ日本料理の場合は日本イメージを強調しつつ出てくる料理がデタラメ・あるいは過剰にアレンジされているのが問題です。
>るぅさん
店構えだけ本格的で料理は変な店もあるようです。
良心的な経営者や調理人がいい加減な人に代わるとそういうことになるのだとか。
>nao_cwさん
私はコーヒーの味が分からないので甘くまろやかなコーヒー牛乳(最近はカフェラテと呼ぶのかな?)が好きです。
あと韓国人云々については、私もいい気持ちはしませんが、かといってそういった行為を排除することは無理でしょう。アメリカで韓国人が日本料理を作って悪い道理はないです。衛生面についても、その国々が監督すべき事柄であるので、日本ができることって言ったら注意喚起(日本料理は生物が多いので衛生的にとか)ぐらいしかなさそう。逆にステッカーのあるお店で食中毒とか出た日には、「日本政府公認の店じゃないのか?!どうしてくれるんだこのヤロー」とかなりますよきっと。
こういうのは、よほどの実害(海外の日本料理店での不祥事が相次ぐとかスシは韓国起源ニダとユネスコに登録とか)でもない限りはやらないのが賢明です。