黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

数の力」の恐ろしさ――安倍内閣の暴走ぶりに関して。

2014-06-17 10:22:03 | 近況
 僕は決してスポーツ(観戦)嫌いというわけではなく、中学から高校に掛けて部活を熱心にやっていた柔道やラグビー、あるいは子供の頃に道具のないままにやっていた三角ベースボールが発展した野球、さらにはアメリカンフットボールやサッカーも、仕事の合間に「気晴らし」「休憩」の口実を設けて、家人や娘たちからの顰蹙を買いながらも、よく観戦してきた。
 しかし、日曜日の午前10時から始まったワールドカップの第一戦(コートジボワール戦―2:1で日本が敗退)を頂点とするマスコミ・ジャーナリズムの対応を(はしゃぎすぎ)を見ていると、サッカー・ファンの反発を承知で言うのだが、マスコミジャーナリズムにはこのサッカー・ワールドカップの開催を良いことに、何か「重大なこと」を隠蔽しようとする、あるいは軽視してもいいのだ、という意思があるのではないか、と思わざるを得ない。
 結論的(具体的)に言えば、マスコミジャーナリズムは(作られた、あるいは図分たちで作った)「サッカー・ワールドカップ熱」を利用して、安倍「極右」政権が強引に推し進めようとしている「集団的自衛権行使容認」や大企業優遇策としか思えない「法人税の減税」、あるいは日本の農業を圧殺する「TPP」の締結、さらには「教育改革」(首長による教育委員の任命や国立大学における学長の権限強化、等々)を隠蔽しようとしているのではないか。 また、これは「右派ジャーナリズム」を代表するフジ・産経グループだから仕方がないのかも知れないが、フジテレビの「特ダネ」という番組で、コートジボワール戦をテレビ観戦していない人に向かって、街頭やその他の場所で、「コートジボワール戦を見なくていいのですか?」「何でサッカーのワールドカップを見ないのですか」とインタビューし続け、あたかもコートジボワール戦を見ていない人間は「非国民」であるかのような扱いをしていたが、スポーツ観戦をするいないは、個人の「自由」で、ワールド・カップ戦を見ない人間は「非国民」などという論調は、まさに安倍「極右」内閣が、これほどまでに多くの国民・知識人が「問題がある」と言っている集団的自衛権行使容認を「強引」かつ「非論理」的に推し進めようとしていることと表裏一体なのではないか、と思われる。
 考えてみれば、現在各種の世論調査の結果が明らかなように、確かに安倍「極右」内閣の支持率は50%を超えているが、自民党が衆参両院で議員の数で「過半数」を占めていると言っても、これは選挙制度(小選挙区制)のマジックで、自民党の得票率は第二次安倍「極右」内閣が成立する以前と、そう大差がないもので、本来安倍「極右」内閣は、国民の半数以下しか支持していない、ということも理屈では成り立つのである
 にもかかわらず、安倍「極右」内閣は、「数の力」を頼りに「暴走」を続けている。何日前の「朝日新聞」に、加藤紘一や海部俊樹ら「元」自民党の幹部たちによる集団的自衛権行使容認論についての考えが載っていたが、全員「反対」を表明していた。また、自民党の岐阜県連も安倍首相の「拙速主義」を批判する声明を出した。自民党内の「リベラル派」が少しずつ声を上げ始めたという感じで、いまこそ自民党「リベラル派」の底力の見せ所だと思うが、安倍首相は「数の力」を頼りにこのまま「突っ走る」だろう。
 しかし、僕らは本当に「非道い」人間を首相に選んでしまったものである。先日の民主党海江田万里代表との「党首討論」においても、終始「上から目線」で、海江田さんの「集団的自衛権をみとめて、自衛隊が戦場に出掛けていき、戦死してもいいのですか。若者が戦争で死んでもいいのですか」という質問に、真正面から答えず、相変わらずリフレインの如く、現実的にはあり得ない「米艦による邦人救出云々」「日本人の命と暮らしを守る」を蕩々としゃべり、いかにも自分は「救世主」であるというような態度、本当にこの人のメンタリティはどうなっているのか、と思わざるを得なかった。
 もうこうなったら、「解釈改憲」などという姑息な手段を執らず、国会を解散して、堂々と国民に「信を問うべき」だと思うが、安倍首相にそんな「勇気」もなさそうで、僕らはとんでもない時代に生きているな、という実感だけが募る
 何とかしなければ、痛切に思う今日この頃である。サッカー・ワールドカップの予選突破は絶望的なようなので、ここは心を引き締めて、何としても安倍「極右」内閣の「暴走」を止めなければ、と思うのだが……。