黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「怒り」を武器に!(6)――「言論の自由」抹殺を図る安倍政権・補遺

2016-02-12 09:07:58 | 仕事
 昨日の記事は、怒りにまかせて高市早苗総務大臣を「バカ女」呼ばわりしたが、1日経って、さすがにこの彼女に対する言い方は「差別」に繋がるものだと反省せざるを得なかったが、今朝の新聞を見ていたら、彼女はどうやら「放送法第4条」の「政治的公平性」は、安倍首相と同じように、政府(権力者)の判断によって決められるというのは持論のようで、言ってみれば「総務大臣の判断で、政治的公平性に違反していると思われる放送機関に対して<電波停止>の処置を行うことができる」という信念=政治的立場は揺るぎないもののようである。
 つまり、彼女は>「表現(言論)・思想の自由」が権力者=政府の意思に委ねられているものである、と信じているということである。言い方を変えれば、「表現(言論)の自由」や「思想の自由」は、その生殺与奪の権を政府=権力者が握っていて、しかもそれは恣意的なものである、と言っているということである。
 昨日も書いたが、これはあのアジア太平洋戦争の敗北から日本国民が学び、選んだ「戦後民主主義」=「日本国憲法」を支えている「基本的人権の尊重」の否定ということである。
 自民党(公明党も)の政治家たちの多くは、国会議員が遵守しなければならない「日本国憲法」の思想=精神を否定し、逸脱している人が、安倍首相を先頭に数多くいるが、この(安倍首相の意を汲んだと思われる)高市総務大臣ほどあからさまに日本国憲法を否定するような考えを堂々と述べる「愚か者」はいないのではないか。
 それだけ、現在政治の世界では「知性の劣化」が進んでいるということなのだろうと思うが、それはそれで大きな問題だが、今ひとつ理解できないのは、高市総務大臣もそうだが、安倍首相たち「ネオ・ナショナリスト=ネオ・ファッシスト」が、「どのような日本になればいいを想定しているのか」、つまり「日本の将来像をどう描いているのか」ということである
 というのも、僕がこの欄で何度も言及してきたことだが、まさか彼らが本気で「戦前の日本=絶対主義天皇制国家」・「軍国主義国家・日本」の再来を望んでいるわけではないだろう、と思うからである。
 彼らが思い描く「理想の日本」とはどのようなものなのか? どう考えたって、少なくとも固定化しつつある「格差社会」=不平等社会から脱却しない限り、万民が「自分たちは幸福だ」と思うような社会は実現できないと思うし、現今の安倍自公「極右」政権が行っていることは、「不平等」の固定化であって、そのような「格差社会」の解体・解消を目指すものではない。
 とは言え、そんな安倍自公「極右」政権を支持する国民が「50%」ほども存在するという現実、「絶望」してはいけないと思いつつ、「お先真っ暗」と思わない日がないというのも現実である。
 ">何とかしなければ、と切に思う。