黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「怒り」を武器に!(5)――「言論の自由」抹殺を図る安倍政権

2016-02-11 10:43:45 | 仕事
 このところの「政治」ニュースは、北朝鮮の「人工衛星(弾道ミサイル)発射実験」に関わる「制裁処置」や「国会議員も育児休暇を取るべきだ、自分は実践する」と声高に叫んでいた若手衆議院議員の「不倫疑惑」ばかりが前面に出ているが、僕にはその陰でいよいよ安倍自公政権の「ネオ・ナショナリズム=ファシズム」体質が剥き出しになってきたように思えてならない。そのいい例が、甘利元経済再生大臣の「政治とカネ」問題=「収賄・口利き」疑惑問題が「もう終わった」というようなムードになっているように思えることである。「権力を笠に着て、大臣(政治家)本人及びその「虎の威を借りる」秘書が、独立行政法人や民間会社から「カネをむしり取る」、区瑕疵からずっと保守政治家がやってきたことだが、政党交付金という巨額の税金をもらいながら、なおかつ企業や金持ちから「政治資金」という名の「寄付=賄賂」を受ける。そして、そのことを「当たり前」と思い、すぐに忘れてしまうこの国の人々(マスコミ・ジャーナリズムも含め)の「感性」と「知性」、これは>この国の「感性」と「知性」がいかに劣化しているかをよく表している
 さらに、昨日、1昨日の、「女性の活躍」を象徴するという宣伝文句で大臣になった二人の閣僚、高市早苗総務大臣と丸川珠代環境大臣の「とんでもない発言」を見ると(それに、弁護士だった稲田朋美自民党政調会長の国会における「立憲主義」をめぐる安倍首相との「ゴマすり=八百長」問答と、島尻沖縄・北方担当大臣が「歯舞諸島」が読めなかったことを加えると)、国会議員(閣僚)「感性」と知性」の劣化というよりは、主権者たる国民を「なめている=虚仮にしている」としか思えない。
 中でも、丸川環境大臣の「被爆線量の上限1ミリシーベルトに根拠がない」という発言は、環境大臣でありながら、フクシマの事故をできるだけ「小さく」見せようとする姑息な発言で、これは安倍首相が東京オリンピック招致の際に世界に向けて公言した「フクシマは完全にコントロールされている」というウソと同質の、デマゴギー(ウソ)で氏亜kなく、こんな「バカ」な大臣は、任命権者(安倍首相)と共に「早く消え去れ!」「この馬鹿者が!」、と言っておけばいいのだが、問題なのは、高市総務大臣の「政治的公平性を欠く報道を繰り返すならば、「電波停止」の処置を執ることもある」という発言である。
 このかつて「在特会」などという「右翼・ネトウヨ」と仲良く写真に収まって悦に入っていた「右翼政治家」は、たぶん安倍首相にゴマをするつもりで(あるいは、自分は安倍首相の考えと同じだということを言いたくて)、あたかも思想の自由や表現の自由が著しく制限されていた「治安維持法」が猛威を振るっていた戦前――安倍首相の「美しい国」や「日本を取り戻す」という言葉の裏に想定されている日本――のように、権力が「表現の自由」を制限できる、と本気で思って発言したのだろうが、彼女は日本が「民主主義国家」であり、憲法で基本的人権の尊重を謳っていること、その基本的人権の尊重の中核をなすのが「思想・表現の自由」であり、「平等」思想であることを、いかにも「私は秀才です」といった顔の、この「バカ女」は知らないのだろうか(知っていても、知らないフリをしているのかも知れない)。
 案の定、彼女のこの「不埒な発言」を受けて、安倍首相は「放送法第4条 政治的公平性」を理由とした「電波停止」もあり得る、と発言した
 この高市「バカ女」と安倍首相の「表現・思想の自由」制限にたいする発言は、先頃自民党が発表した「憲法改正草案」に盛り込まれていることでもあるが、特定秘密保護法を施行し、安保関連法制=戦争法案を実現させ、よりファシズム国家の体制を整えようとする安倍政権の「本性」をいよいよ隠さなくなったことを意味するものである。
 何としても、安倍首相やその取り巻き連中の「野望」を阻止しなければならない。「虚無」を枕に昼寝をしている暇はないのではないか、と僕は思う
<追加>
 ところで、高市総務大臣や安倍首相が問題にしている「放送法」第4条の「政治的公平性」についてであるが、そもそも「政治的公平性」というのは、マスコミや個人の「言論・表現の自由」、とりわけ「権力批判」が保障されて初めて担保されることで、1政党、あるいは権力者が恣意的に決めることではない(判断することではない)。そのことを捨象して権力者が「政治的公平性」を語るときは、一番危ないときで、民主主義国家か全体主義国家かの分かれ目は、まさにそこにあると言わねばならない。