黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

スポーツと「政治(利用)」

2013-05-09 18:48:17 | 仕事
 学生だった頃だから、今から40年以上も前のことになるが、ある教授が「スポーツ振興はもう一つの政治である。スポーツを盛んにすることによって政治の欠落(失敗)を糊塗しようとする」と言ったことがある。確か、数年前に終わった東京オリンピックに関するコメントを学生に求められて回答だったと思うが、昨今の猪瀬直樹東京都知事の2020年東京オリンピック招致に関する「不適切発言」や、長嶋茂雄と松井秀喜への「国民栄誉賞」授賞式における安倍首相の「はしゃぎぶり」を見ていると、40数年前に恩師の言葉が鮮やかに蘇ってくる。
 猪瀬東京都知事の発言は、いつもの「尊大さ」が現れたもので、あの発言こそ猪瀬の本質だと考えればそれで済むが、安倍首相(安倍政権)の「国民栄誉賞」に現れた「あざとさ」、それはあの安倍氏の「笑い」に全て集約されていると思うが、何とも言えぬ不気味さを感ぜざるを得なかった。まさに恩師の一人が言った「スポーツと政治(利用)」を地でいった安倍首相、思わず「貴方は今にこやかに笑っているが、貴方が進めようとしている憲法改正が実現し、例えば集団的自衛権が行使されれば、この野球場に集っている若者の何人かは戦場に狩り出され、もしかしたら死者となって帰ってくるかも知れないのだが、そのことについて貴方はどう考えるのか」とつぶやかざるを得なかった。
 そして、同時に想起したのは、これも今から45年ほど前になるが、あの1970年前後の「政治の季節」(全共闘運動・学生叛乱の時代)において、運動部のほとんどが、大学当局に操られ日本刀を振りかざして全共闘が立てこもる校舎に殴り込んできた日大の運動部がそれを象徴していたが、その歴史的意味を知ろうとせず学生運動を弾圧する側に回ったこと、このこともスポーツが「政治利用」されたことの一例として記憶から消すことができない。
 猪瀬発言、長嶋茂雄・松井秀喜の「国民栄誉賞」について、そんな大げさに考えなくとも、と大方の人は思うかも知れない。しかし、一番「恐ろしいこと」「嫌なこと」は、「あめ玉=甘言」と共にやってくるというのは、歴史の「法則」でもある。
 フクシマが一向に「収束」していないにもかかわらず、中東(サウジアラビア・トルコ)やベトナムに「日本の原発技術は高い。フクシマがあったから安全には気をつけている」という、まさに屁理屈としか思えない理由で「平気な顔」をして原発輸出を行い、その「トップ・セールス」ぶりを自慢している安倍首相である、もし憲法(第9条)が改正され、この国が「戦争のできる国」になったとしたら、有頂天になって周りが見えなくなり、「日本のため(天皇のため)」と称して、若者たちを戦場に狩り出していくかも知れない。
 周知のように、僕は昨年9月から中国(武漢)で暮らしてきたが、そこで知った中国人のメンタリティに照らして判断すれば、もし自分たちの顔が潰されるようなことがあったら(馬鹿にされたら、あるいはプライドを傷つけられるようなことがあったら)、迷わず相手に立ち向かっていく、と思われる。つまり、自分たちのプライドのためなら戦争も辞さない覚悟(メンタリティ)を誰もが持っている、ということである。
 日本人は、「脱亜入欧」を唱えた福沢諭吉の時代から、ずっと中国(人)や朝鮮(人)を「蔑視」してきたが、それが根本から間違っていること、僕は5ヶ月に及ぶ武漢暮らしで、そのことがよく分かった。
 その意味で、安倍首相は「スポーツ(国民栄誉賞)」などにうつつを抜かしている暇があったら、もう一度アジアの歴史(とりわけ近代史)を学ぶべきである。まさか、副総理の麻生さんのように「漫画」(『マンガ日本の歴史』)を読んで歴史を学んだつもりになっているわけではないだろうが、せめて発禁処分を受けた石川達三の『生きてゐる兵隊』(1938年、日中戦争開始直後)を読んでから、憲法改正や『侵略』について発言してもらいたいものだ、と思う。