黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

国威掲揚と「経済=金権主義」――何だか「亡霊」を見ているようだね!

2013-05-03 07:28:50 | 近況
 帰国してから今日で6日目、帰国してすぐに両親の墓参り、過程では面倒見られなくなり施設にいる義母のお見舞い、そして武漢にいるときからぐらぐらが激しくなった奥歯の治療のため友人の歯科医のところへ、放置されたまま大根の花が咲き誇り、雑草が我が物顔に蔓延っている家庭菜園の片付け、また「解放文学賞」の選考会(これについては、少し落ち着いてから書きたいと思っている)、等々、そんなことをあれこれやってうちに、時間はあっという間に過ぎていったのだが、僕が武漢にいる間に溜まった新聞の整理をしていて「はっ」と思ったのだが、どうもこの国は明治時代から昭和戦前まで(アジア太平洋戦争の敗戦まで)続いていた「膨張主義=覇権主義=海外侵略」という、どう考えても結果的には「破滅」しかない道を歩き始めているように思えてならなかった。
 たぶん、そのような僕の予想には、中国にいて放送される「領土問題=尖閣諸島問題」に関する日本の対応に必ず登場する「日の丸」の旗を振って安倍首相の演説を応援する若者たち(「ネトウヨ」=ネット右翼と呼ばれる一群の若者たち)の姿に、大いなる「違和感」を抱かざるを得なかったと言う感情も反映しているのだろうが、それ以上にこの国全体が「国威掲揚」に向かってひた走っているように見えるからに他ならない。
 言い方を換えれば、アベノミクスなどと言われる「経済政策」(TPP参加も含む)から取り残された多くの国民(貧困層)を尻目に、自分たちが大企業中心の現代社会からの「落ちこぼれ」(というか、「落ちこぼされた」)であることに無自覚な(これは意図的に「無自覚」を装っているとも言える)若者たちの思想的な退廃でもある、と僕は思っているが、他者(他国)の在り方に対して想像力を巡らせず、一方的に「我が国」の優位性や正当性を信じ込んでいるその様は、どうも戦前の「暴戻」を見ているような気がしてならない。
 帰国してこのようなことがしきりに頭をよぎったのだが、それはたぶんに武漢の大学で、中国人学生もほとんど読んだことないという日中戦争が明らかに「侵略戦争」であることを証明した石川達三の『生きてゐる兵隊』(「中央公論」1938年3月号、直ちに発禁処分)とその続編と言っていい『武漢作戦』(同 1939年1月号)をその前後の作品や自筆年表、同時代のエッセイ等を参考にして読んできたことと関係しているのかも知れない。数は分からないが、確実に「南京大虐殺」という非戦闘員を大量に殺戮した南京攻略戦を想起させる表現が何カ所もある『生きてゐる兵隊』と、占領した南京から揚子江をさかのぼって武漢を占領しようとした日本軍の実際を、持ち前のリアリズムの処方を用いて描いた『武漢作戦』、これらの作品を通して透けて見えてくるのは、「無謀」としか思われない中国侵略を後押しした国民の「ナショナリズム」(国威掲揚によって醸成されたもの)であり、「大東亜共栄圏建設」に見られるアジアの盟主志向・経済膨張思想である(安倍晋三氏の祖父岸信介が戦犯として問われたのも、この時期「革新官僚」として日本の中国・アジアへの侵略政策に辣腕をふるっていたからに他ならなかった)。
 誰かが「歴史に学ばないものは馬鹿だ」と言っていたが、安倍首相の今度のロシア・中近東訪問で明らかになった「トップ・セールス」は、サウジアラビアやトルコへの「原発輸出」が如実に語るように、「経済=金儲け」のためなら、歴史の「改ざん」(具体的には「フクシマ」が全く収束していないにもかかわらず、国民支配のため」でしかない原発を兵器で輸出する(輸入する)、という何とも腹立たしいばかりの「歴史」抜きの商売、フクシマだけが問題なのではない。核廃棄物の最終処分場も決まっておらず、また廃炉にどのくらいの費用と時間が掛かるかも不分明なまま、「安全」を強調して危険きわまりない原発を輸出しようとする神経、僕にはとうてい考えられないが、この国がどんどん困った状況に進んでいることだけは確か、と言えるだろう。

 そして今日は「憲法記念日」、ほとんどの政治指導者が戦後の「平和と民主主義」の時代を知らない現在にあって、本来ならそんなに変える必要がない憲法改正のハードルを下げるための「96条改正」が論議されている。いまだに、国民の半数以上が「改正反対」にもかかわらず、選挙で大勝したからと言うことで「憲法改正」、それは「戦争のできる国にする」ことが目的であるようだが、日本人が兵隊を中心に300万余りの人が死に、アジア全域で2000万人以上の人が犠牲になった先のアジア太平洋戦争のことを考えれば、戦争になっても絶対戦場に出ることのない安倍氏(とその一族郎等たち)がどんなに戦争に恋いこがれても、戦争反対・軍備は認めない「憲法9条」は守り抜かなくてはならないのではないか。
 それにしても、あのように「国威掲揚」と「金儲け」のことしか頭にない安倍氏がトップに座る自民党に、国民はあれほどの議席を与え、高い支持率を与えているのだろうか。僕らはもっともっと「反省」しなければならないのではないか、と思う。