黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

武漢・南京(2)

2012-05-29 16:25:20 | 仕事
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(1)は、南京城内にある門の一つ (2)歩ける広さの城壁 (3)中華門の正面の一部、ハーケンのようなものが見える 


京へは土日を利用して2泊3日の小旅行を行ったのだが、南京旅行の目的は、先にも書いたように何よりも1937年に起こった「南京大虐殺」の現場を自分の足で歩き、目で見ることであった。結果は、百聞は一見にしかず、ではないが、来て良かったと痛感した。写真や映像で何度も見、また多くの「手記」や「記録」、あるいは文学作品で「知識」としては十分に身に付けてきたと思っていたのだが、例えば、南京市内を囲む城壁の上は、万里の長城と同じように、3メートルほどの幅を持った回廊と言って良く、日本の城とは全く異なる構造をしていて、日中戦争時における都市の攻防だけでなく、南京の場合「明」の時代における遺跡も数多く残っているのだが、彼の時代における「国盗り合戦」についても思いを馳せると、「城」の役割が日本と中国とでは全く異なっていることを知らされた。
 ともかく、南京城は「堅牢」なのである。城内から場外へ出るには10数個の門を通らなければならず、この門さえ守れば城内への侵入を防ぐことができる、ということが自分の足で歩き、一目見ただけで理解できた。南京攻略戦において日本軍が、それらの門のうち、4重の構造を持つ最も堅牢と思われていた「中華門」を何日も掛けて攻め落とし、一挙に城内になだれ込み、その後に中国兵を含む市民を「虐殺」したのも、案内をしてくれた南京工業大学外国語学院(日語系)の陳先生のいう「中華門は、明の時代から南京城防御の象徴だったから」の言葉の通りなのだろうと納得させられた。「中華門」の外側には、垂直の壁にいくつもの登山で使うハーケンのようなものが打ち付けられていて、そこをよじ登って城内に入ろうとした日本軍兵士はどのような思いであったのか、たぶん多くの犠牲を払ったのだと思うと、そのような「労苦」を経たが故に、城内に入ってからの「暴虐」を止めることができなかったのではないか、そこには「鬼気迫る」ものがあり、そのような「狂気を生み出すものこそ「戦争」であることを、改めて認識させられた。
 自民党も民主党も、また石原慎太郎も橋下徹も「日本国憲法第9条」の改正を政見に盛り込んでいるが、戦争がどんなことをもたらすか、僕らはもう一度謙虚になって「侵略(領土拡張・市場獲得・資源確保)」目的で行われたアジア太平洋戦争について見直し、「戦争」によって「幸福」になる者は絶対にいないことを確認し、「反戦」の意思を強く持たなければならないのではないか、と思った。75年前、緑に覆われたこの南京市で数十万とも数万(虐殺記念館では「30万人」と明記している)とも言われる無辜の民が僕と同じ民族の血を持つ日本軍兵士によって、殺され、焼かれたことを思うと、何とも言えない「嫌な気持」になった。
 僕らは、金曜日(18日)に虐殺記念館に行ったのだが、各地から来た中国人でにぎわっていた記念館で日本人に出会ったのは1組(3人連れの若者)だけで、他の場所では何組も日本人観光客に会っているにもかかわらず、この落差は何なのだ、と思わざるを得なかった。歴史に目を背ける者は、いつか歴史によって復習されざるを得ない、というのは、いつも肝に銘じていることだが、「経済」ばかりではなく、「歴史」をきちんと共有することが必要なのではないか、と痛感した。