丹下匡先生へ
昨日、先生とのお別れでしたね。葬儀場への車の中、いろんなことが思い出されました。私にとって、先生と奥様は理想のご夫妻でした。お互いがお互いを思いやり、二人で共通の趣味をお持ちでした。奥様が先に始められたお習字を始められて、奥様より先に8段位を取得されました。日本習字の創設者の原田観峰先生との出会いのお話や講習会の様子など、とても嬉しそうに話してくださいました。
私が先生にお習字を教えていただいたのは昭和62年の春でした。娘についていって、「私も字が上手になりたい」の一心で一生けんめいでした。
先生はなかなか誉めて下さらず、一度でいいから、先生をうならせるくらいの字を書いてみたいと思って精進したものです。
日曜日に先生のお宅で仲間と条幅課題を仕上げるのがとても楽しかったですよ。
先生の書かれるお手本の筆運びをじっと目をこらせて見つめていました。作品を仕上げると、奥様がお茶とお菓子を出して下さり、またおしゃべりをして、本当に心休まる憩いの一日でした。
時折、奥様が外出されていて、帰りが遅くなっていたら、何度も外に出られて、奥様の帰りを待たれていましたね。そんな時、私はよく思ったものでした。私も年老いたら、こんな夫婦になりたいなと・・・
私のお習字教室の看板を2つ書いていただきましたね。教室にもご案内してみていただきました。それが、今から6年前の事でした。そして、最後に先生をお会いしたのは、たぶん2年前・・・ 私を見ながら、にこにこされてお元気でした。
その後、施設に入られて、お会いすることはありませんでした。奥様が一人になって寂しいと仰っていましたよ。奥様が愛媛新聞に投稿される俳句にその心情が読み取れて、先生への愛情が溢れていましたよ。
もう、先生には教えていただけないんですね。先生との出会いがなければ、こんなにお習字(書道)を続けていなかったかもしれない。
書を通して、つながりは永遠です。また、いつかどこかで出会って、私に教えて下さいね。奥様,、アヤ子先生を御護り、家族を御護り、そして、私たちをお導き下さい。
たくさんの人々から、愛されてた先生、どうぞ、安らかにお眠り下さい。
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