みっちゃんのブログ

今日のありがとう

夏の終わり

2009-08-30 19:38:32 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、「いよし名物みなみ夜市&たそがれコンサート」が夕方5時から開催されました。心配されたお天気も残暑厳しく、生ビールがよく売れていました。

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ご覧のとおり、教会所前は、特設会場になり、ライブを聴きながら、

ビアーガーデンにお客様がいっぱいです。

道路はもちろん通行止めになり、両側には手作り屋台が並びます。

生バンドの演奏とおいしい食べ物をいただきながら、真夏を名残惜しむかのように

時間が過ぎていきます。

午後9時に終了、後片付けが10時30分頃済んで、

お疲れ様!で役員の一杯会が教会所の宴会場でありました。

エー、そんな話が聞いてなかったな? 突然のことで、お酒のおつまみが

ないのです。屋台の食べ物はどこも完売で、間に合わせのいりこと

かっぱえびせんなどで、反省やら提案やら労をねぎらいあいました。

私も理事の一人として、参加させていただいています。

偶然、以前、岡山に住んでいた方から、黒住教の話になり、嬉しく思いました。

どこにご縁があるかわかりませんね。

お付き合いの輪が広がり、また深くなっていくことを大変有り難く

この郡中に根付いていっている自分を実感しています。


ラジオ体操

2009-08-28 09:47:16 | 日記・エッセイ・コラム

夏休みも残り僅か、子どもたちを見ると「宿題終わった?」なんて聞いています。

さて、夏休みといえば、ラジオ体操・・・ 

私の子ども時代は中学生の時まで、ちょっと離れた神社の境内で

行われるラジオ体操に参加していました。

今時の子どもたちは、校区によって、実施される期間もまちまちのようです。

教会所の前では、灘町校区のこどもたちのラジオ体操が行われています。

そして、今日がその最後でした。ラジオ体操が終わっても、なにやら話し声が

するので、出てみると子どもたちが清掃活動として、教会所の境内のゴミ拾いを

しているではありませんか。もちろん、保護者の責任者の指導の下・・・

時間は20分くらいだったと思いますが、毎年、夏休みと冬休みにして下さっています。

6年間×2回=12回 一人の児童が清掃活動を行う回数です。

大人になっても記憶に残ると思うのです。

これは、学校からの指示ではなくて、自主的な行為だそうです。

(校長先生からお聞きしたことがあります。)

自分だけがよければいい。と言う風潮の中、尊いことです。

大人の姿勢が大切ですね。

朝から、子どもたちに感動させられました。そして勇気を頂きました。

ありがとう。

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運命の手紙

2009-08-26 11:55:19 | 日記・エッセイ・コラム

 もうすぐ、この夏最後のイベントがあります。

フリーマーケットへの提供商品を探していましたら、

古い一通の手紙が出てきました。

これは、ある方から、亡き義母(芳子先生)あての物でした。

もう45年も前の手紙です。当時、義母は倉敷大教会所に勤めていました。

亡き夫、国利先生は、体調を崩して、おつとめが出来ない状態でした。

国利先生は、故郷の八幡浜市保内町の宮内教会所に帰省していました。

しばらく、離れ離れの生活をしておられました。

芳子先生も、宮内に引き上げる予定でおりました。

そんな折、ある方のお世話に松前町の伊予教会所にお勤めすることが

決まりました。ある方は、その窮状に救いの手を差し伸べて下さったのでした。

内容は、温情溢れる有り難い思いのこもったものでした。

この手紙がなければ、私と主人との出会いはありません。

もちろん、黒住教とのつながりもできませんでした。

そう考えるとこの手紙は運命の手紙です。

当時の義母たちの苦労を偲びながら、淡々と語って下さった母の人生に

唯惟頭をたれている私です。


父の入院

2009-08-20 08:33:03 | 日記・エッセイ・コラム

 「うつ病の家族」という暗ーい内容の記事を書き込みしてから

一週間、状態は悪化するばかりで、とうとう 父は入院しました。

父のことも姉妹3人で協力していますが、お互いに疲労困憊してしまいました。

食べれない、眠れない、夜間の頻尿、病院もあちこちしましたが、

内科的にはどこもわるくなく、結局、心療内科の受診をしておりました。

家では、父の介護、面倒はこれ以上はできないことになりました。

共倒れになりそうでした。うつ病の治療のため、任意入院しました。

一般病院ではなく、精神病院ですので、面倒な手続きや制限があります。

(松前町の黒田病院は5年前立て替えて、とても快適な感じがしました。)

入院の目安は3ヶ月・・・どこまで回復しますか・・・

高齢者ですので、時間がかかりそうですが・・・

「病は気から」といいますが、まさにそのとおりです。

以前から、その兆候がありました。母の病気がわかってからです。

母を失う寂しさ、失った寂しさ、一人になってしまった寂しさ・・・

娘が近くに3人いますが、母の替わりには、なれないようですね。

今更ながら、母の存在の大きいことを思い知らされております。

こんな体験もいつかどなたかのお役に立てる事もあるかもしれないと

お互いに励ましあいながら、父の看護を続けています。

高齢者の生き方について考えさせられる日々です。