チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

「青銅時代」読み中

2022年09月30日 20時10分23秒 | 日記

 朝起きたら、腰痛――とまではいかない変な気持ち悪さ。そういえば今週は、ほぼ外出していません。昨日金融機関に行ったくらい。
 自宅にいるということは、イコールPCの前に座りつづけているということで、しかも私の座る姿勢は、心理的にはもちろんコンフォータブルなんですが、しかしそれがどうやら物理的身体にとっては無理な姿勢らしいんですなあ。で、腰回りの蝶番がねじれて緩んでしまったのでしょう。
 ちょっと歩かねば、と、昼過ぎ外出着に着替えましたが、外がめちゃくちゃ暑い。怯んでしまい、なんとなく畳の上に寝ころんだら、5時に電話で起こされるまで、目があきませんでした。
 疲れてたんやろね\(^o^)/

『青銅時代』は、200頁中150頁まで。
 おぼえていたとおりで、主人公は目がおかしくなるのですが、それは暗い夜道でデート中、不良に因縁をつけられ、目をメリケンで撲られた結果というものでした。主人公は気を失い、ガールフレンドは不良に連れ去られる、というまるでハードボイルド小説のような展開(もちろん小川国夫ですからハードボイルドにはなりません。ただしマッチョという意味ではマルロー「王道」の文学論がかわされる)。
 目は後遺症が残り、それは視野が黒い枠組みで狭められ、どうかすると映像がストップモーションになったり、霧がかかったりする。視野の中心が見えなくなる、という私の記憶とはすこし違うようです。で、それは事件の記憶と相関しているようで、いわば内宇宙を映してしまうのかもしれません(メルロ=ポンティ的心身論の言及あり)。
『濹東綺譚』の本文ラストが(「舞姫」的という意味で)気に入らないのですが、本書を読み、ちょっと考えが変わったかも。

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レス二題

2022年09月29日 22時51分17秒 | 日記

 深田さん
 本日到着しました。
 パラパラとめくってみましたが、「香香背男」とは全然別のお話みたいですね。
『青銅時代』を読み終わったら、読みますね!

>ご注文ありがとうございます。
>また感想など、お聞かせください。

ピョン吉@岡山さん
ご教示感謝。

>網膜色素変性
 調べてみます。

> まあそれよりありそうなのが、思い込み(笑)
 たしかに、思い込みは強いほうですね。
 そういえば、昨日の晩、ふと横を見ると、床に積み上げた本の頂上に(現在は『シンドバッドの渚』の台本)、Gがいました。
 視線が合うと、すこし身構えましたが、逃げ出しません。あれって、こっちがあえて動かなかったら、別に逃げたりしないのですかね。
 そういうことなら、待っとれ。
 そーっと反対側を見ました。
 そっちにキンチョールがあるのです。あるはずなのですが……見えない。
 全然動かないので(触覚は震わしていましたが)、上体ごと回してそっちを見たのですが、キンチョールは見当たりません。使ってどこかに置き忘れたのかも、とその場では思いました。
 ということで、ちょっと困った。
 しかし、除菌用アルコールスプレーが、目に入りました。
 仕方ない。これでも少しは効果があるだろう、と、逃げないように目で制しながら、手探りでスプレーを掴んだ。掴むやいなや、一瞬の早業で、Gに向かって噴射し続けたのであります。(可哀想に、『シンドバッドの渚』はアルコールで表紙がビショビショに濡れてしまいました)(^^ゞ
 Gめ、びっくりしたのか、飛び上がって逃げようとするも、早くも全身に麻痺が広がってきたらしく、フラフラしています。
 今がチャンス。ところが叩き潰すための、道具になりそうなものが手元に見当たらない。
 いやまあ、本はそこら中に転がっていて、なんなら辞書を投げつけたら一発でぺしゃんこなんですけど、さすがに本をGの漿液で汚す気にはなれません。
 なすすべもなく、私も棒立ちになっていたら、ちょっと復活したのか、ヨロヨロと本棚のうしろに逃げ込んでしまった。
 がっかりして、はて、キンチョールは?と、もう一度あるべきところに目を遣ったら……あったではありませんか。
 ただし、横に倒れた状態で。
 キンチョールは立っているものと思いこんでいるから、横に寝たキンチョールは、キンチョールと、とっさには認識できなかったんですね。
 なんでも歳のせいにしていますが、老眼でつねに視界がぼやけていますから、それを脳は過去の記憶で実はおぎなっているのだと思います。
 ところが本人は、脳によって補正された、いえば虚像を、実像と無意識に信じ込んで生活している(それで大概のところは辻褄が合う)、というのが、素人の診立てなんですが、過去の記憶の中では立っていてしかるべきキンチョールが、現実世界でもし倒れていたりすると、なにかの拍子に認識できず、透明化してしまうんじゃないでしょうか。
 それはさておき、キンチョールを手にしたからには、こっちのものです。本棚のうしろの狭い空間に、たっぷり噴霧してやったのはいうまでもありません。
 後日譚があります(長っ)
 そのうち苦しがって出てくるだろう、と、観察していたのですが、出てきません。
 これは本棚の裏で死んでしまったかな。
 しかし本棚の裏は、数センチの幅しかなく、しかも横は机で(反対側は壁)、机の下に顔を突っ込んで眇に見ても、暗くて何も見えません(識別できる明度も低下しています)。
 しかし、名案を思いついた。
 電気掃除機の、吸口を、細いところ用のに付け替え、それを本棚のうしろに突っ込んで(「強」にして)無理やり吸わせたのです。
 グイグイ吸わせていたのですが、ポキンと、吸口が折れてしまいました(十年以上使っているのでプラスチックが劣化していたんでしょう)。嗚呼。
 Gを吸い込んだかどうか、わからないのですが、とにかく紙パックをはずしてみたところ、これがほとんど満タンで、Gを目認できません。紙パックをハサミで切って中身をあけようかとも思ったが、ぱっと現れたら、ワッとなりそうでそれも気持ち悪い。そのままゴミ箱に捨てました(ちょうど今朝が可燃ゴミ収集日だったので、Gが入っているか不明のまま、ゴミ収集車が持っていってしまいました)
 そういう次第で、今日は昼から、新しい掃除機を買いに電器店に行ったのですが、なんかもったいなくなり(折れたのは普段使わない細いところ用ので、それがなくても当座問題ないわけです)、替えの紙パックだけ購入して帰ってきました。困ったもんです\(^o^)/

>>視野の中心が見えなくなる
> うちの親父が患った、網膜色素変性かも。中心静脈の通りが悪くなるのが原因で、
>黄斑部分から視野欠損を生じてきます。
> まあそれよりありそうなのが、思い込み(笑)
> 一度無いと思ったら、見えていても認識しないという。
>無い物が見えるのが幻覚だったら、その反対ですな(汗;)

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深田さん、《幻想と怪奇》に

2022年09月28日 00時46分55秒 | 日記

 8月31日発売の《幻想と怪奇11》に、深田亨さんの「勇者カガセオ」という作品が掲載されていることに、遅まきながらさっき気がつきましたm(_ _)m【amazon

 
 《幻想と怪奇》登場は、7号掲載の「降誕祭」以来、一年ぶり二度目ということで、やりましたね(^^)
 カガセオは、香香背男でしょう。いうまでもなく、記紀神話に出てくる星の神です。
 深田さんには、《北西航路6》掲載の、タイトルも「香香背男」という40枚ほどの短篇があります。今回の作品は、それを膨らませたものなのか、まったく別発想の作品なのか、いずれにしても、これは楽しみ!
 さっそく注文しました\(^o^)/

 

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「青銅時代」届く

2022年09月27日 20時09分22秒 | 日記

 小川国夫『青銅時代』が届きました。

 
 アマゾン古本・古書ストア(いつから名前が変わったんや?)で購入。
 本篇、《波》連載中に読んでいました。しかし、途中で《波》購読をやめたので(無料で送ってくれていたのが有料に変わったからだったような)、読了していません。出版後も購入することはなかったのですが、ところが、ちょっと確認したいことが出来ました。
 近年、目が悪くなって、読書はいうに及ばず、日々の事務仕事にも、支障をきたすことが起きてきていて、先般も銀行から電話がかかってきて、当座が不足していると。数日前に準備したはずなのに、と調べたところ、桁を一桁間違えていました。ゼロがひとつ足りない操作をしていたのです。噫。まさにツイッター語で「もうダメだ」。
『田園の憂鬱』の主人公が、あるはずのものが見えず、また見えたりするのですが、私も同じで、探している物に限って見えない。典型的にはスマホで、探しに探し回り、最後の手段で固定電話から電話すると、テーブルの上から着信音がする。そこは何度も見た場所なのです。とにかく探している当のものに限って視野から消え去るという……
 で、はたと思い出したのが、そういえば、『青銅時代』の主人公も、目の病気だったか事故だったかで、視野の中心が見えなくなるのではなかったか(私のかすかな記憶では)。現在の私の状態と二重写しになってきたのでした。
 ネットで『青銅時代』のあらすじを探したのだけれども、皆無ですね。ネット世代の読書の偏りを憂えざるを得ません。
 まあ、それはともかく、そういうわけで、確認のため購入しました(電子本もないのですよ!)。
 目を酷使して20ページほど読みました。静岡県を台風が通過する夜から話は開始されていました。いやなんという暗合!
 これは、私の記憶が間違っていないという、一種のお告げでしょうか(>単なる偶然です)(^^ゞ

 

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「シンドバッドの渚」台本読了

2022年09月26日 21時40分29秒 | 日記

 オリゴ党上演台本『シンドバッドの渚』(岩橋貞典)を読みました。

 

 近年オリゴ党さんは、劇場で上演台本を頒布するようになっていて、今回も購入。
 この劇団のお芝居は、いつも大人数で人間関係がごちゃごちゃしていて、一見ではなかなか整理できません。台本の販売は本当に助かります。
 ということで、ようやくうっすらと、全体像が見えてきました。
 最後に、視点が一気に高みへと舞い上がり、世界の真相が開示され、おおっ!となるのですが、そこにいきつくまでは、登場人物たちがまさに今どきの行為者(思考者)で、苦しんだり悩んだり、それがドタバタ演じられる。
 そのありようは、しかし生身の人間というより、私にはむしろパペットの右往左往として映った。いやまあ、電子存在なんだから(わ、言ってもた)それは当然とはいえ、ラストで真相を知るずっと以前から、というか、最初から、そう感じていたのでした。
 いやこれはもちろん、貶めて言っているのではありません。山尾悠子の登場人物にも、私は同様のパペット感を感じる者でありまして、「夢の棲む街」は明示的ですが、「飛ぶ孔雀」だって、作中人物たちの右往左往ぶりは、生身の人間というよりはマペット的で、それが効果を発揮している。「シンドバッドの渚」も同じなのでした。
 2.5次元俳優達が、「俺たちは(……)人よりちょっとだけなにかが足りない男たち」と自嘲(?)するのですが、象徴的かも。カリカチュア的と言い換えられるか。
 本芝居には一本の直線的な太いストーリー性はあまり感じられず、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、しかもそれらのシーンの連続性もあまり担保されていない、と私自身は思ったりするのですが、しかし、そのドタバタぶり、離散性こそ、むしろリアルに近いといえる。現実世界の動きに起承転結はないですよね。
 かかる手法は全体小説のそれといえる。全体小説は終わらないんですね。永遠に続いていくのです。
 本芝居も、その前後に無限に広がっているはずで、ではどう閉めるかといえば、それは視点を幾層も上昇させ、超時間的に俯瞰するしかない。まあSFの常套手段なんですが、本編は、そこでまたすばらしいヴィジョンを見せてくれる。じつに冷たく、且つ、切ない。
 堪能させていただきました\(^o^)/

追記。や、台本の裏表紙に「本書をご購入の方には、付録としてデジタルデータ版をお送りします」とあるではないですか! そんな重大なことはオモテに書いておいてほしかった。老眼に鞭打って読んだではありませんか。面白かったからまあいいけど(^^ゞ 

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「濹東綺譚」読了(前)

2022年09月26日 00時36分03秒 | 日記

 承前。
 観劇のあと、ライブの開始までかなり時間があり、さてどうしたものか、と、思案投げ首。とりあえず時間つぶしに劇場の近くの喫茶店に入りました。
 私が入ったとき、客は誰もおらず、暗い店内には、店番の初老のおばさんがカウンター席に腰掛けて、新聞を読んでいました。
 まさに昭和のにおい芬芬たる「喫茶店」の風情ではありませんか。
 先般、眉村さんが、カフェと表記して、喫茶店とは記さないと書きましたが、上記の店が喫茶店だとしましたら、カフェとはもっと近代的というか、明るくて清潔でしゃれた店内というイメージですね。
 なんなら制服の若い女性従業員が、カウンターの向こうで注文を聞き、番号札を渡され、客は番号を呼ばれたらそれをもらいにいくセルフサービス形式の店こそ、いまどきのカフェのイメージかも。
 とはいえ、それは私のイメージであって、カフェと聞いて何を思い浮かべるかは、年代によって違うかもしれません。
『濹東綺譚』に「カフエー」(「ェ」じゃなくて「エ」)が出てきます。主人公の説明によれば、
《銀座通りの裏表に処を択ばず蔓衍したカフエーが最も繁盛し、また最も淫卑に流れたのは、今日から回顧すると、この歳昭和七年の夏から翌年にかけてのことであった。いずこのカフエーでも女給を二三人店口に立たせて通行の人を呼び込ませる》
《月島小学校の女教師が夜になると銀座一丁目裏のラバサンと云うカフエーに女給となっ て現れ、売春の傍枕さがしをして捕えられた事が新聞の紙上を賑した。それはやはりこの年昭和七年の冬であった》(※ついでながら、枕さがしとは同衾した客の就寝中にカバンとかから盗みを働くことです)
 とあって、これはもう全然別物ですね。(汗)
 話がそれました。
 私はどうも、ひとりでは喫茶店に長時間居座っていることができません。今回も一時間ほど時間つぶししたかったのですが、三〇分もしたらお尻がもぞもぞしてくる。
 いやまあ、とはいえジャズ喫茶は別でして、一時間半程度なら全然問題なく座っていられます。ジャズ喫茶はLPレコードを全部は掛けず、A面だけ掛けるのが常ですから、LP三枚から四枚くらい全然大丈夫で、時間つぶしには最適だったのですが、いまやジャズ喫茶そのものが絶滅してしまいましたからねえ。噫。
 話がそれました。
 そういうわけで、早々に喫茶店を退出し(その間、客は私一人だけでした)、森小路駅に到ったのですが、時間を確認しますと、枚方で特急に乗り換えてしまうと、40分近く早く着いてしまうことが判明。
 しゃーない。
 各駅停車にそのまま乗っていくことに。これも時間つぶし。
 ところが、これが思わぬ怪我の功名となり、おかげで『濹東綺譚』読了してしまいました\(^o^)/
 ということで、これからが本題の、『濹東綺譚』感想文だったのですが、残念時間切れ。次の機会とさせていただきます(>おい)(^^ゞ

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観劇とライブ

2022年09月25日 12時02分59秒 | 日記

 昨日は、オリゴ党30周年記念公演「シンドバッドの渚」を観劇してきました。於大阪市立芸術創造館。
 先般、小劇場の客席設営が年寄りには過酷であることをぼやきましたが、オリゴ党の今回の劇場はまったくそんなことはなく、いやむしろ大劇場なみで、快適に観劇することが出来、感激\(^o^)/
 内容については、イワハシさんの作劇の常で仕掛けがあり、私はもう幾度となくイワハシ劇を(難解ながらも)見てきているので、ああこう進めるんだろうなと予想していまして、ほぼそのとおりだったのですが、今日はまだ公演が残っていますので(残席僅有)、その披露は後日といたします。悪しからずm(__)m

 さて、大阪市立芸術創造館は、旭区民センター内に併設された施設で、最寄り駅は谷町線千林大宮駅。ということで、天王寺から地下鉄一本で行けて超便利でした。
 ところが最寄り駅がもうひとつあって、それが京阪本線森小路駅で、両駅とも徒歩10分で同じ。
 京阪本線かあ……
 そうと知れればもはや条件反射。帰途は足が勝手に京阪駅に向かってしまう。困ったものです。
 昨日のボーカルは、私は初見でしたが、パンチの効いたキレのよい歌が大変ここちよかったので、次の出演日予約してしまいました(^^ゞ
 また昨日は、キイボードレス・ツインギターというバンド構成で、この世界的には変わっていて珍しく、こちらも大変よかった。 
 ということで、昨日も帰宅はAM1時前。バタンキューもいつも通り。ところが明け方に、近頃は絶えてなかったこむら返りにおそわれ目が覚める。
 昨日は二か所回って、歩数が(私とすれば)限界を超えていたのでしょうな。もっと日頃散歩すべしと反省(>猿)

追記。あ、書き忘れました。昨日はさっそく卓ちゃんTシャツ(ブルーブラック)を着て出かけました(^^)。昼は30度弱ですが、夜は20度を下回る予報だったので、羽織るものを持っていきましたが、必要なかったです。まだ実体は夏。とはいえ季節感的には、Tシャツ一枚というのは(モジリアニ展で大変な目に遭いましたから、それからは用心して薄いTシャツを下に重ねているのですが)、昨日が最終かも。

 

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卓ちゃんTシャツ到着

2022年09月23日 14時30分08秒 | 日記

 卓ちゃんTシャツのブルーブラックが届きました\(^o^)/

 けっきょくMサイズにしたのですが、大正解、ジャストフィットでありました。
 ジャストフィットといっても、体にぴっちりという意味ではありません。ほどよくルーズな着心地で、その意味で、私がこうであったらいいなと、イメージしたとおりだった、ってことですので、念のため。
 購入を希望されているみなさんは、私の体格で、Mサイズできちきちでないほどよさであった、ということを参考にされるといいかも。
 16日に注文して、今日到着しましたので、リードタイムちょうど1週間ですね。

 色も、最初はブラックが欲しかったのですが、現物をみたら、こっちで断然よかったです。

 いまや猫も杓子もブラックですからね。スーパーで買い物している年寄りを観察していたら、ほぼ100%黒のTシャツかポロシャツ。年寄りと一緒くたにされてはコケンにかかわるというものです。 

 何を年寄りのくせに?

 もちろんそうなんですけど、これは荷風山人が「現代人」に自分を含めない心理を踏襲したもので、他意はありません。いやそれが他意だって(^^ゞ

 

 

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吹き返し

2022年09月20日 00時23分13秒 | 日記

 今日は敬老の日ということで、町内会から御赤飯を頂戴しました。ありがたや、ありがたや。
 ところで台風、みなさんどうでした?
「これまでに類似のものがない台風」なんていわれますと、4年前の21号で、庭の木がメリメリと折れるわ、停電が一週間つづくわで、大変な目にあった私は、もしかしてそれを超える台風なのか、と戦々恐々、恐怖と不安に打ち震えておりましたが、結果的に泰山鳴動、雨風もしれていてほっ。
 いやもちろん幸いなことに当地では、ということで、もし他地域で災害に遭われたみなさまがいらっしゃいましたら、軽率な発言お赦し下さい。
 ということで、テレビの天気番組によれば、このあとは吹き返しの北風に変わり、気温が急激に下がるとのこと。それは大歓迎なのですが、この「吹き返し」という言い方、最近聞くようになったような気がします。台風が東に去って、北風に変わるメカニズムは理解していますが、なぜそれを吹き返しと表現するのか。
 台風の風は、中心に向かって反時計回りに落ち込む大気の現象で、南風と北風にメカニック上の違いはないですよね。右から入ったのが左から出てきたのであれば「返し」は妥当かもですが、当然そうではありません。
 検索しても、なぜ吹き返しというのかの説明は見つからなかった。むしろこの表現、天動説的態度のように思われます。科学的表現とはいえないのではないでしょうか?

 

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「仕事ください」拝受

2022年09月18日 11時47分04秒 | 日記

 竹書房編集部水上様名義のネコポスが届き、なんだろう?と開封したら、竹書房文庫最新刊『仕事ください』でした!
 あれ、注文してたっけ、でも最近アルツ亢進中だからなそうかもしれん、と、本を開くと、眉村さんご長女村上知子様御手製の謹呈カードが\(^o^)/
 ご恵投ありがとうございましたm(__)m

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