チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

斎藤さん

2023年03月31日 12時12分27秒 | 日記
ズボンの膝の部分に血が付着しており、?と思い、ズボンをめくって見たら、膝に血がこびりついていました。
はたと手を打つ。
昨日は、トイレの床に膝をついて、ほとんど1時間、母親の排便介助していたのでした。
排尿させようとベッド横の簡易トイレに移動させ、介護パンツを下ろしたら、大量に排便していて、これは部屋では処理できない、と。
そんな場合は車いすでトイレに運び、ウォシュレットで洗浄するわけですが、きれいに拭いて、さあパンツを履かそうとしていたらまた排便(これ、心がぐったりします)。そんなのが数回続き、結局1時間ほどトイレに膝をついていたのでした。
こうなると心身ともにぐったりで、自然と言葉もあらくなるのですが、本人はもっとぐったりなので、その言葉が行き場を失い、内にこもってさらに疲労を倍加させます。
介護施設でのハラスメントのニュースを見かけますが、正義感からの非難に対しては、しかしなあ……と思わないではないのですね。身内であってもこれですからねえ、いわんや他人を世話をする立場なら、そのぐったり度いかばかりかと。いや介護職って(実際見ていて)本当に大変です。使命感だけでは無理です。身体と心が頑健でなければ続きません。使命感で就職してきた多くの方が、きっと挫折してやめていかれてるのだろうなと想像されます。
というわけで、筒井さんの言われるとおり、一日一個、言葉が(ということはその言葉シニフィアンが指し示す内容シニフィエが)消えていくのに反比例して介護内容は増えたり重度化したりしていくわけですが、わが膝小僧も、最近は短パンを履いていた子供の頃と同じように擦りむけて角質化しておりまして、それが破けたというわけですね。
うむ。おそらくそのうち、ブッチャーや大関朝潮の額のように、簡単に割れるようになってしまうのかもしれませんなあ。噫。

というわけで(どういうわけだ)、斎藤さん、さっそくご確認くださり感謝です。
けっきょく「答え一発カシオミニ」でしたか(汗)
われながら、なかなかの推理ではないか、と思っていたんですけどねえ。
いかにもっともらしい推理も、事実にはかなわないのでした。邪馬台国の所在地論争と同じですね。
それにしても最初に事実に基づいて巻向の地に卑弥呼の宮殿が発見されるであろうと予言した(後に実際に宮殿跡が発見された)石原藤夫さんの名前が、この手の類書に全く現れないのは、本当に悔しいです。

      ――――――

Unknown (斎藤)
2023-03-30 06:20:52
大熊さん、お早うございます。
私の指摘に対する精緻な論考、ありがとうございます。
大熊さんが気にされておりました、SFM78年2月号の矢野徹インタビューを確認しました。
矢野さんとの会話の冒頭の方に俳句の話が出てきまして、眉村さんが自分が編集責任者だった頃のものですと言って、俳句雑誌(高校のクラブの雑誌)を持ってきて、その中をページを繰りながら読み上げるという形で、矢野さんとの会話が進行しています。
その読み上げた俳句の中に「冬霧~」が出てきます。
それを確認しましたら、やはり「門」で「集めて」でした。
なので、高校の雑誌掲載時点で、「冬霧を集めて門に灯がともる」となっていたことが確認出来ます。
なので、おそらく、今回の論文筆者の引用誤りであることは間違いないと思いました。


さきほど、矢野さんのインタビューをざっと読み返しましたが、本当に貴重な内容で、これを単行本化しない早川書房の姿勢は納得出来ない感じです。
インタビューの分量も、今回の眉村さん分だけでも27ページもあるので、他の方へのインタビュー全体を合わせたら十分に単行本一冊分に足るものになると想像します。
数千円でも買います。
日下さん辺りが編集人になって又竹書房で出してくれたら嬉しいのに、と思ってしまいます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Re; 斉藤英雄「俳句とSF――眉村卓の場合――」を読んだ

2023年03月29日 20時52分49秒 | 日記
斎藤さん

これは大変重要なご指摘です。
私は全く、気がつきもしませんでした。嗚呼。
しかし――
待てよ。
私、思いつきました。
この難問、次のように考えればどうでしょう。
「学苑」に掲載された当該句はたしかに「塀」だった。けれども、のちに改稿されて「門」に替えられた(ひらがな→漢字も)。その改稿句が、『霧を行く』(ずばり著者が強調する「霧」ですね)に収録された、としたら?
その可能性、あるのではないでしょうか。
その理由はいくつかありまして――
たしかに、「門に灯がともる」なら「門灯」が浮かんできて自然な情景です。一方「塀」にともる「灯」って、なかなかイメージできませんよね。
あえて想像すれば、道沿いに瓦屋根付きの塀がずっと先まで延びていて、その塀に、距離をあけて照明灯が(一種の盗難よけに?)複数個取り付けられている大邸宅ならありそうでは?
もしかしたら眉村さん――と言うか17歳の村上少年は、実際にそんな大邸宅(帝塚山辺かな?)の塀に付けられた照明灯に、ぱっと灯がともって渦巻く霧を浮かび上がらせたその瞬間を目撃し、啓示に撃たれたのかもしれません。
で、素直にそれを句にし、「学苑」に発表した。
しかし後になって、その「絵」がイメージしにくいと気づいた。そこでイメージしやすい門灯に改められたのではないか。
そう考えれば、著者は正しく「塀」と引用した。けれども『霧を行く』では「門」である。ことが両方成立するわけです。
その正否は、俳句文学館で当該誌を閲覧すれば答え一発なんですが、現在の私にはちょっとむずかしいです。
そこで、本篇の記述から推理してみたいと思います。
本篇初出は平成2年(1990)「九州大谷国文19号」ですから、『霧を行く』(2009)を著者は参照していません(もし参照できていたら、注で理ったはずです)。
著者が本篇執筆に際し、参照したのは(「塀」だったと私が想像する)付記にあるとおり「学苑」のバックナンバーでした。
いや、もしかしたら最初に目にしたのは、矢野徹インタビュウ(SFM1978年2月号)だったのかも。おそらくこちらも「塀」だったと私は想像するのですが、如何せん現物に当たるのはほぼ不可能。(いやまあ、アマゾンで400円で入手できますが)
だからそれはお前の妄想だろう。皆さん、いまそう思われているでしょう。
ここでもう一つ証拠を提出しましょう。
本論付記二に「私信の全文引用を快く許可して下さった眉村卓氏に深く感謝する」とあります。
つまり当該論文が書かれたことを眉村さんは認識していたと考えてよい。
当然、雑誌は眉村さんに献呈されているはずです。単行本も同様。
雑誌に誤引用があれば、眉村さんは必ず指摘されたと思います。それが単行本でも残っているからには、誤引用ではなかったのです。
この仮説を認めるなら、「塀」はいつ「門」に改められたのか?
これまでの私の論述が、ああでもないこうでもない類いの予断でしかないのに対し、斎藤さんは明確に確認されています。星新一の角川文庫『変な男』(1978年6月刊)『解説』では、「門」なんですよね?
ということで、私も確認しようとした――ところが。
ところが、嗚呼何タルチヤ、サンタルチヤ(~~; この角川文庫版がどうしても発掘できません(文化出版局版は出てきた)。
うーむ。
文化出版局版を持っているから文庫は買わなかったのか?
いやいや。星新一の解説は記憶にあるのです。というか、この解説で、私も「渡り鳥空の一点よりひろがる」に驚倒したのですから。だからどこかに埋もれているはずなんですが(~~;
閑話休題。
時系列的には、SFM78年2月号は、77年12月発売で、おそらくその一か月前には締め切られています。また角川文庫版は早ければ三か月前の78年3月頃編集は終了していたと考えられます。
とすれば、1977年11月~1978年3月の間に眉村さんによって改稿された可能性がある。QED!
しかしこの推理、欠陥があるのですね。
それは、星さんは改稿句をどこで(あるいは何で)知られたのかがまったく分からなくなるからです。
もし、上記の「学苑」か、もしくはSFMで知られたのだったら、その二誌には初めから「門」であり、誤引用が成立しちゃうんですよねえ。唖々。

      ――――――

Unknown (斎藤)
2023-03-28 06:22:53
大熊さん、こんにちは。
とても貴重な資料のご紹介、ありがとうございます。
早速この本を買い求めました。
眉村さんへの論評ページが20ページもあるんですね。
このような貴重な論文が、一般購入の出来る書籍として存在していることに、本当に驚きです。
まだまだ知らない眉村さん関連の活字が存在しているんですね。
嬉しいです。
それにしても、大熊さんに今回ここでご紹介して頂けなかったら目にすることは出来ませんでした。
本当にありがとうございます。
これからも貴重な情報の掲載、よろしくお願いします。

一点だけ気になったことがありました。
それは眉村さんの俳句
「冬霧をあつめて塀に灯がともる」
についてです。
私の記憶では、「塀」ではなく「門」ではなかったかと思いました。
又、「あつめて」はひらがなではなく「集めて」と漢字だったと記憶しています。
なぜこの句を記憶しているかというと、眉村さんの文庫の解説か何かで、この俳句と「渡り鳥空の一点よりひろがる」をとりあげ、「前衛派である」と紹介されていたことがとても強く印象に残っていたからです。
そこで、眉村さんの句集「霧を行く」で確認をしたらやはり「門」でした。
又、「あつめて」はひらがなではなく「集めて」と漢字で表記されていました。
これは著者の引用誤りなのでしょうね。
結構な引用誤りだなと少し気になった次第でした。

それにしても、このようなマイナーとしか思えない本の存在を把握でき、しかもそれを把握して即、販売情報を入手して購入出来る、今の時代はとても素晴らしいことだなと改めて思いました。






コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斉藤英雄「俳句とSF――眉村卓の場合――」を読んだ

2023年03月21日 21時30分22秒 | 日記
或る眉村研究論文に示唆されて、当該論文に参考文献として挙げられていた
斉藤英雄「俳句とSF――眉村卓の場合――」
を読みました。
いやこれ、とんでもなく刺激的な論考で驚きました!
こんな論考をものする著者、もしかしたらそもそも眉村さんの読者だったのではないでしょうか。
本考察を始めるに至った最初の動機が、眉村さんの数ある文庫本のなかでもかなりマイナーな、といってもいいでしょう、角川文庫『ショートショートふつうの家族』に光瀬龍が解説として書いた文章のなかにあった、
「眉村卓氏は俳句を中学生時代から始められ(中略)のちに水原秋桜子の『馬酔木』によって活躍したというのだからこれは本格派である」
という一文に触発されたからというところからしてそうですが、本稿には当該文庫本以外にも、角川文庫の『迷宮物語』『傾いた地平線』『おしゃべり迷路』『夕焼けの回転木馬』『変な男』『奇妙な妻』『燃える傾斜』『異郷変化』からの引用がなされていて――のみならず、かつてSFマガジンに連載された矢野徹「SFインタビュウこの人との一時間」の眉村さんインタビューからも牽かれていて、とりわけこのインタビュウをハヤカワは単行本化していないのですから(ああなんと勿体ない)、リアルタイムでかなり好んで眉村SFと向き合っていた方だったのではないかと想像します。

さて、上記光瀬解説に触発された著者は、なんと眉村さんに直接質問状を送りつけるのです!
大変な行動力ではありませんか!!
眉村さんもすばらしい。懇切な返信を著者に返しているのです。
そこからいろいろなことが判明します。
それについては、みなさんもぜひお読みになってください。→【Amazon】

ところで本稿には眉村さんの句作が多く(39句)引用されているのですが、私、ちょっと気がついた、というか、「眉村さんにしてはうーむ」と気になったことがあるのですね。
それは初期の「が」の頻用です。挙げます。

 ⑥霧青しビルの一つに灯がともる 

(※アタマの丸数字は、本稿に引用された39句に著者が発表順に振った番号で、⑥は昭和26年の作品。眉村さん17歳)
しかしこれ、やっぱり「霧青しビルの一つに灯のともる」のほうが耳に心地よくないですか?

 ⑧泥道に寒燈の輪がゆがみけり

これも「泥道に寒燈の輪のゆがみけり」のほうがよい(>お前は何様じゃ!)

 ⑨冬霧をあつめて塀に灯がともる

 →「冬霧をあつめて塀に灯のともる」

 そして⑩から後は最後の㊴まで、「が」は一度も使われていません。
 眉村さんも、音の汚さに気づかれたのでしょうね(>おい)\(^o^)/

それが証拠に、

寒燈のやたら目につく帰途いそぐ

は、以前だったら「寒燈がやたら目につく帰途いそぐ」としていたのではないか。
いや、冒とく的なことを平気で書いていますね。失礼にもほどがあります。眉村さんもあっちでさぞや立腹なさっていることでしょう。

その点、著者は私と正反対。
「風花の湖西線」(『異郷変化』所収)を解題されているのですが、一読、ガーンと殴られました。
この話、正直言うと私、表層しか読んでなくてSF(ファンタジー)として定型的で進め方結末が見えている凡作という評価なのでした。
そんな深い内容が表層下にあったとは!!
きっと眉村さん、あっちで「得たりや応!」(これも、辞書には載っているけど、眉村さんさんしか使っているのを見たことがない表現ですね)と頷かれていると思います。
いや参りましたm(__)m


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Re; 大江健三郎逝去

2023年03月15日 21時30分52秒 | 日記
斎藤さん

や、斎藤さんも大江を気に入っておられたのですね。
しかも私が読まなくなってからの作品をよく読まれているようで、さすがです。

>「雨の木を聴く女たち」を今読み返したら
私の場合は、これは掲示板にも書き込んだ記憶があるのですが、初期の(第二期の?)「叫び声」とか「日常生活の冒険」とか、あのあたり(とは、まだ清らかな(笑)青春小説「芽むしり子撃ち」以後~第二期の総決算的作品である「個人的な体験」以前)のを読み返したいと、それこそ10年以上前からずっと思っていて、その理由の半分は、やはり、あのあたり、いま読んでも面白いと感じるだろうか、という興味が占めているんですね。
もっとも、私の場合は見果てぬ夢に終わってしまいそうです。嗚呼。
そういえば、作者自身が封印した「青年の汚名」(所持しています)と「夜よゆるやかに歩め」(未所持)は『全小説』に入っているのかな、と、ふと気になって検索しましたが、やはり入っていませんね。
そして重大な発見をしちゃいました!
「日常生活の冒険」も未収録ではないですか! これも封印してしまったんでしょうか。
いや、「日常生活の冒険」すぐにでも読み返したくなりました\(^o^)/

      ――――――

Unknown (斎藤)
2023-03-14 16:51:36
こんにちは。
私も昨日ネット内でこの大江さんの弔報に接し、眉村さんの時以来の喪失感に襲われていました。
講談社から数年前に出版された大江健三郎小説全集を、定年後に読もうと思って全巻購入していました。
いつから読み始めようかと思い巡らせています。

私も「洪水は我が魂に及び」は大好きです。
作品内の登場人物「ジン」が発する鳥の名前の言葉に、当時高校生ながら癒やされていました。

私が多分一番好きな小説は、その内容の分りやすさから「新しい人よ目覚めよ」です。
小説最後にイーヨーが発する「私はイーヨーではありません。ヒカルさんです」というセリフは今でも鮮明に覚えています。
このセリフに接してとても感動したことを覚えています。

私のリアルタイム作品は「雨の木を聴く女たち」からでした。
難解さマックスで何が面白いのかも分らず、とにかく読み続けました。
そしてその難解さは自分の理解力不足のせいかと思っていたら、日経新聞の書評欄で「小説で学問をすることは止めてくれ」というようなことが書かれ、書評の筆者もその難解さに辟易したということを語っていて、自分だけでは無かったと一安心したことを覚えています。
この作品を読んで、マルカム・ラウリー「活火山の下」という作品の名前だけ覚えました。
いつか読んでやろうと思ったりしています。
「雨の木を聴く女たち」を今読み返したら果たして面白さを感じることは出来るのか。
ちょっと不安を覚えながらも楽しみ感も有って、大江さんの小説全集を読み出す日を探しています。
新潮社の全30巻の安部公房全集も準備済みなので、これとの兼ね合いもあったりして迷っています。
本来の定年日である60才には、どちらも読み始めたいと思っています。
あっ、筒井さんの「コレクションセット」と荒巻義雄さんの「メタSF全集」もあった。
ん~、どこから手を付けるべきか、全て並行で行くべきか、悩みは尽きません。

大江さんの作品、味わい直してみます。
Unknown (斎藤)
2023-03-14 16:54:54
一点追記です。
大江さんの息子の光さんのCD(光さん作曲の作品集)も良く聴いています。
とても優しく綺麗なメロディーで大好きです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大江健三郎逝去

2023年03月13日 21時54分09秒 | 日記
大江健三郎が亡くなりましたね。昭和10年生まれですから、眉村さんの一歳年下……といまのいままでずっと思っていたのですが――訃報をニュースで知り、で、いろいろ検索していたら、なんと1月生まれだったんですね。
眉村さんと同級だったのか!
いやびっくりした。
大江を中学のとき知って、すでに半世紀を超えましたが、今日までその事実に気がつきませんでした。鈍すぎる。
それにしても、はじめて読んだときはたまげました。
まるでフリージャズのフレーズのようなうねうねつづく文体で、その晦渋さもふくめてカッコよかったですなあ。
新潮文庫を続けざまに読み、『個人的な体験』までは後追いでしたが、『洪水はわが魂に及び』からはリアルタイムになりました。
しかし、『同時代ゲーム』はいまいちで、ちょうどその頃、私も学生ではなくなったこともあって本自体をあまり読まなく(読めなく)なり、離れてしまいました(読んだ範囲では『洪水はわが魂に及び』がいちばん好き)。
ところが先般、『晩年様式集』という長篇について、作家自ら「最後の小説」と語っていたと知り(実際最後の小説となりました)、これは眉村さんの『その果てを知らず』に対応するのではないかと思いつき、読みはじめたところなのでした。
現在30%ですが、しかし何十年も離れていた作家の、それも最後の作品というやつを読み始めたらなぜかその作家本人が亡くなってしまった。
うーむ。なんか勝手に「意味ある偶然」を感じてしまうのですねえ。
合掌。

追記。ちなみに、フリージャズ度一番は「みずから我が涙をぬぐいたまう日 」。非小説だったら「壊れものとしての人間」。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャットGPTが書いた小説を読んでみたい!

2023年03月02日 22時41分05秒 | 日記
深田さん

出版社は今後淘汰消滅していくと思いますが、編集者は、私は消滅しないと考えており、その理由がこれなんですね。
ただマクロ的にはそうなんですが、ミクロ的に見た場合、現在いる個々の編集者に就いてはほぼ全滅かも。名刺の肩書は編集者でも、中身が編集者に達してないのが大半では。
「雛」を指摘できない編集者がその最たるものですよね。
もちろん作家本人が気づけばよい話だけれども、実際のところ、自分の原稿に対してはなぜか「校正眼」が機能しないこと、これは衆目の一致するところではないでしょうか(もちろんしばらく寝かせておけば見えてきます。ですから寝かせておいてから見直せばいいわけですが、これも締切がある場合はなかなか難しい。拙作の、締切をのばしてもらって書き上げた「新・夢まかせ」も、読み返すたびに切歯扼腕しています)。

あ、そうだ。ついでに訂正。
この記事で、「八路軍」と書いてしまいましたが、江南に八路軍は進出していませんね。当該書にも、国民党との協定で八路軍は揚子江を渡って南下しなかった、と明記されており、撤退の途中で攻撃してきたのは国民軍(と、アメリカ空軍の飛行機。重慶に駐留していたのかな?)でした。m(__)m

     ――――――

Unknown (深田 亨)
2023-03-02 01:39:29
管理人様
拙作の紹介ありがとうございます。
雛・・・鄙ですね。まったく気づきませんでした。
今後ともよろしくお願いいたします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする