チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

エリの花

2005年11月28日 21時00分17秒 | 芝居
劇団May公演「エリの花」作・演出/金哲義
                   2005.11.25、26、27/atアリス零番館-IST


 大阪の朝鮮学校が舞台のストレートでノスタルジックな青春グラフィティの大感動作。よかった!! 時代設定が不明なのだが、私には自分の中高生時代と重なってみえて、とても懐かしい世界だった。
 仮に時代設定が現在だとしたら、在日朝鮮人コミュニティには、古き良き70年代が残っていることになるのだけれど、そんなメルヘンめいたことはありえないだろう。
 おそらくは座長で作・演出の金哲義さんが実際に経験された学生時代が元になっているはず。その金さんは教師役で出演されており、一見30代といったところなので、1980年代後半あたりの雰囲気であろうか。

 大阪の朝鮮中学校を舞台に、朝鮮舞踏を通して交差する、
 少年 弘文(ホンムン)と少女 愛理(エリ)の思い。
 そして少しづつ消え行く民族としての生き方の中で、
 子供達とすれ違いあう大人達を描く。
HPより)

 主人公の少女エリ(李愉未)が実にけなげですこやかで可愛らしいのであった。いまどき中学生でもこんな少女はいまい、昔はいたんだけどね(>あ、偏見かも)。とても懐かしいのであった。
 それに比べて、彼女に慕われるホンムン(柴嵜辰治)は、教師(金哲義)にどつかれ、父親(KAZU)にどつかれまくる。実は私もなろうことならば舞台に上がっていってヘッドロックかましてやりたかった。それほど歯がゆく、情けないやつなのであった。しかしながらそれはそれでウブな中学男子のリアリティがよく表現されていたように思う。中学生の男の子なんてみんなそんなものでしょう。

 以上のボーイ・ミーツ・ガール的ストーリー(タテ糸)は、在日コミュニティを舞台にしているとはいえ、特殊なものではなく、在日社会を知らない我々にも充分共感できる一般的なカタチを描いたものといえよう。

 が、他方在日コミュニティゆえの諸問題がヨコ糸として織り込まれており、たとえば目上を敬う表現は、私などにはとても興味深かった。彼らは目上の人がくれたタバコにしろ缶ジュースにしろ、その人の前では絶対に手をつけないのですね。日本人的にはこれは非常に不自然で、逆にオレの煙草は吸えんのかと怒られてしまいそうだ。

 そのような、コミュニティの成員にとって自明であった諸々の「生活の形式」(それは登場する大人たちの行動が明白に語っており、例えば朝鮮人学校で教育を受けなかったホンムンの母親(誉田万里子)でさえ息子にそのような教育を与えることを毫も疑わない)が、ホンムンやエリのような若者には、自明ではないという「すれ違い」が表現され、在日コミュニティといえども変化無しに存続していくことはありえないことが暗示される(父母世代とホンムンの世代の中間世代として設定されているホンムンの兄ホンス(岸野準)は、問題を意識しつつも疑問として表出することはなく、その意味でも2世代間の中間項(媒介項)であり、もとより社会学的にも媒介項は社会の変動を、分断に至らせず、ゆるやかに繋ぎ止める役割を担うわけだが、まさにホンスの存在(役割)は家庭においてもコミュニティに於いてもそのような媒介項であり、いつも微笑んでいる演技は実に象徴的だ)。

 とはいえ、ここで提示された在日コミュニティは、全体としてメルヘンめいており、両親の事業の失敗でアルバイトせざるを得なくなったスヒャン(岩本由佳理)に、コミュニティは決して冷たくしない。
 だが、実際のところ、ホンスの学年で異例の学芸会となったのは、コミュニティといえども金の力がものをいう世界であることの証左なのであり、そのような力が、少女たちの間の友情関係に影響を及ぼさないはずもないのであって、スヒャンがたとえばジョンジル(桜木艶)から面罵されたりした方がリアリティがあったように思うし、教師カン・バンウンの告白に、諦めの雰囲気が濃厚で、怒りの色が薄いのもすこし残念だった。

 その意味で、本作品が、ノスタルジー的興趣に於いて優れた青春劇であることは否定しようもないとしても、社会劇としての面でやや不満が残ったのも事実。
 もとよりいうまでもなく、作者が本作品を社会劇として意識していなかったはずがなく、だからこそスヒャンのエピソードや学芸会のエピソードが取り入れられているわけだから、私の注文はさほど的外れでもないと思う。

 とはいえ、コミュニティの変容は、中間項たるホンスにも及んでいる。婚約者の日本人真祐美(宇仁菅綾の特異な演技がすばらしい)のキャラクターはそのようなキャラであるからこそ、在日社会に溶け込んで行けたということを強調しているのかもしれないが、それを突破点として在日社会が日本社会に融合して行く、言い換えれば併呑されていかざるを得ない状況が暗示されているのかもしれない。

 結局のところ、日本人で「在日」を区別したがる人々が、周囲に在日の知人友人をもたない(無知の)人であることは、まごう方なき事実であって、基本的には一人の在日の友人知人の存在(知)が、区別差別の無根拠性を認知させると私は考えているのだが、そういう意味で本作は、知識もなく(求めもせず)ひきこもって、(虚構の)朝鮮人を差別したがっている最近の若者たちに、首根っこを引っつかんでも見せたい素晴らしい青春劇である。
コメント (7)
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宇宙舟歌

2005年11月08日 22時45分24秒 | 読書
R・A・ラファティ『宇宙舟歌』柳下毅一郎訳(国書刊行会、05)

 かつて伊藤典夫が筒井康隆を評して、「テンポがのろくて場面転換のないシェクリイ」といったこと(そして筒井本人が「そのとおり」と首肯したこと)は、つとに有名な話。
 もとより誉め言葉で、SFのある種の作風を伊藤典夫一流の言い回しで表現したものなのだが(だからこそ筒井康隆も首肯したわけだが)、その伝でいけば、本篇におけるラファティもまた、「テンポがのろくて場面転換のないシェクリイ」だと思う。
 この手の作風の持ち主としては、横田順彌もそのうちのひとりであり、実のところ他ならぬシェクリイだって、案外「テンポがのろくて場面転換のないシェクリイ」だったのではないだろうか。

 ――そう気づいたのは、他でもない本書を読んでいる最中で、たとえばヨコジュン「宇宙船スロッピー号の冒険」、筒井の「馬の首風雲録」「脱走と追跡のサンバ」、シェクリイ「明日を越える旅」などの諸作と、本書「宇宙舟歌」は、SF空間の同一座標上を、ゆるい編隊を組んで進んでいるような印象が強い。

 ヨコジュンのそれは、まさに本書と同趣向の、宇宙船による放浪の物語であるし、筒井とシェクリイの諸作は、ひとりの人間が(人間とは限らないか)、一種「偶然の神」とでもいうべき力によって、時間と空間の彼方に弾き飛ばされ、好むと好まざるとに関わらずホメロス的遍歴を強いられる物語であった。

 これらの作品はひとしく人間の生の不条理と、にもかかわらず生を積み上げていかざるを得ない――いやむしろ生という営為への、一種健康な意志にみちた人間を描き尽くして、深い感動を、読後読者にもたらすものであった。

 そのような形式と内容は、たしかに本篇にも見出しうるのであって、上記作品同様、何ともいえない奇想とその場限りの思いつき、そしてそれらを姑息な因果に収束させないおおらかさに哄笑しつつ、物語の流れのままに心地よく身をゆだねてきた読者は、その流れの果てで、いつしか自分が大いなる感動に包まれていることに気づくことになるに違いない。

 とりわけ第四章冒頭のギャンブル惑星ルーレッテンヴェルトでの一挿話は、間然するところのないまさに神話そのものといってよい掌篇として完成されており、これだけ取り出して「世界掌篇傑作選」に収録したい名品といえる。

 訳文はよく練られている。頭韻を踏んだり日本語で出来うる限りのアイデアを駆使している。本作が本来的に持つ「読感」を、日本語に再現せずんばおくまじといった翻訳者の意志が伝わってくる訳業である。だから読んでいて楽しくなってくる。
 当然読む側も、それに応えるべく、いささかなりともその「読感」を摑み取ろうと想像力を目一杯働かせないではいられなくなるわけだ。そういう次第で、わが想像力は146pの哀しき羊男が情けない声でうたう――

 「断尾男がこっちに来るときゃよ
 全然怖い奴にゃあ見えない
 ナイフを研いで涙を流しゃよ
 おいらたちには尻尾がない」


 を、「ひとり寝の子守唄」のメロディにのせて脳内に響かせたのだったが、あるいは翻訳者の思う壺だったかも。
 
 第五章ポリュペモスのエピソードは、こちらはラファティ節全開のドライブ感にみちた傑作なのだけれども、ただラストの「危機また危機!さらなる危機が襲い来る」のくだりは、「奇絶怪絶、また壮絶!」と訳してほしかった(笑)

 200p前後に登場する哀しき交通信号男もまた、わたし的には非常にイメージ強烈で、それこそヨコジュン描くところの夜の訪問者としての横断歩道とコンビを組めるキャラだと思った。わずか2頁で姿を消したのは残念!

 ラファティという特異な作家は、その跳躍力に拍車がかかると、ラファティ好きの私ですら置いてきぼりを食わされる場合があるのだが、本書は長篇として構想されているせいか、作家としてはめずらしく背後の読者が奈辺にいるか、ちゃんとついて来ているかを、時々振り返りながら進んでいる気配がある。その意味ではラファティ入門に最適な一冊ではないだろうか。

 〈追記〉「タイタンの妖女」を忘れていた。このジャンル(?)の真打ちなのに。 
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