チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

ウィアード2

2009年03月29日 21時29分00秒 | 読書
H・P・ラブクラフト他怪奇幻想小説シリーズウィアード2』大瀧啓裕編(青心社文庫90)

 本巻も、第1巻同様に精選された秀作が並べられていて、楽しめました。いや、第1巻が全体として《字で描かれたトワイライトゾーン》という印象であったのに対して、本巻は《小説》としての面白さをより強く感じた。つまりストーリー性の高い作品が多く並んでいたということでしょう。

 H・P・ラヴクラフト「エーリッヒ・ツァンの音楽」(25)大瀧啓裕訳
 地図にない傾斜面の町を(というかその町にある下宿屋を)舞台にした硬質ファンタジー。舞台は実に魅力的。で、もちろんストーリー性は薄い(因果性は無視される)。いい小説ですが、おもてからうらまで墨色で色彩がなく、わたし的にはその辺が不満。たぶんスミスが書けばもっと華やかになるんだろうな。
 *( )内の数字は掲載年度。

 フリッツ・ライバー「蜘蛛の館」(42)大島令子訳
 マッドサイエンティストもの、というよりフランケンシュタイン・テーマのホラー。ラストで、炎上する館から主人公夫婦が車で逃げ出す場面は、さながらハマー映画のラストシーン。

 オスカー・シスガル「カシュラの庭」(27)森川弘子訳
 女魔術師によって支配される男が、なんとか支配から脱しようと計画した殺人計画は……。ラストの処理に唸らされました。

 メアリー・エリザベス・カウンセルマン「黒い石の彫像」(37)森川弘子訳
 乱歩が好みそうな《人形》もの。わたし的にはいまいち。

 ラルフ・ミルン・ファーリイ「快楽の館」(38)児玉喜子訳
 これも乱歩的な小説。二人称小説の仕掛けがラストで生きる。

 フィッツ=ジェイムズ・オブライエン「チューリップの鉢」(33)大瀧啓裕訳
 33年の掲載といっても初出ではなく、リプリントコーナーに掲載されたもの。1800年代前半の作品です。へえ、この時代のマディスンスクェア辺は「野原と柊樫の木立からなる原野」(137p)だったんですね。幽霊屋敷ものですが、科学の世紀の作品らしく幽霊を理性的にとらえようとしており、カーナッキ等ゴーストハンターものの嚆矢的作品かも。

 ロバート・アーヴィン・ハワード「死霊の丘」(30)大瀧啓裕訳
 いわゆる《暗黒大陸》的な(想像の)西アフリカが舞台のヒロイック・ファンタジーで、《ソロモン・ケーン》もの。さすがに物語的面白さでは一頭抜きん出ています。

 グレイ・ラ・スピナ「三毛猫」(25)植木和美訳
 ジャマイカのブードゥーがからむ一種の因果応報譚。なかなか面白いのだがラストがご都合主義的に大団円してしまうのは、女魔術師を一方的に悪者にできなかったからだろう。猫アンソロジーにはぜひ収録してほしい佳品。

 ソープ・マクラスキイ「忍びよる恐怖」(36)大島令子訳
 トワイライトゾーン的な話で、たぶん宇宙から飛来したのだろう(と勝手に推測しています)ゼリー状の怪物との対決の物語。退治の方法がユニークでラストが引き締まった。

 テネシー・ウィリアムズ「ニトクリスの復讐」(28)大瀧啓裕訳
 著者若干16歳の処女作にしてウィアードテールズに発表した唯一の作品。どういう経緯で掲載されたのか知りたくなりますね。おそらくテネシー・ウィリアムズもウィアードテールズを愛読する少年のひとりだったんでしょうか。作品は古代エジプトが舞台の硬質ファンタジーで読ませる。ある意味散文詩的小説というべき。

 ロバート・ブロック「ノーク博士の謎の島」(49)大瀧啓裕訳
 これは一転、ドタバタでめっちゃ面白かった。というかぜんぜんウィアードテールズぽくない(^^; もはやモダンSFですね。掲載年も一番新しく、マッドサイエンティストもののパロディであり、たぶん当時既に大変な勢力となっていたんでしょうコミックスへの皮肉にみちた話(ひょっとしてコミックスにどんどん蚕食されていく小説側の危機感の表れかも)。まるで筒井康隆を読んでいるみたいでした。ラストがやや尻すぼみか。無限上昇させて「奇絶怪絶、また壮絶!」で締めればいいのに、と思ったけど、まだこのフレーズは生まれてないのでした(というか本篇掲載時、ヨコジュンまだ4歳(^^;)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウィアード 1

2009年03月23日 09時43分00秒 | 読書
H・P・ラヴクラフト他怪奇幻想小説シリーズ ウィアード 1』大瀧啓裕編(青心社文庫90)

 怪奇小説専門誌<ウィアード・テールズ>は、1923年から1954年までの31年間にわたって全279冊、長編94編、短編2617編、詩575編もの作品を世に送り出したパルプ雑誌の名門です(編者あとがき)。青心社文庫版のこのシリーズ(全4巻)はその厖大な作品群の中から選りすぐられた傑作選ということになります。
 第1巻12編を読み終わっての感想は、テレビドラマの「ミステリーゾーン」を字で読んだという印象でした(^^)。実際には60年代前半に放送された「ミステリーゾーン」(「トワイライトゾーン」)や「ウルトラゾーン」(「アウターリミッツ」)の方が<ウィアード・テールズ>の影響を受けているというべきなんでしょうけれどもね。予想以上に楽しめました。

 H・P・ラヴクラフト「サルナスをみまった災厄」大瀧啓裕訳
 蒼古的世界を舞台にした神話的ファンタジー。ヒロイック・ファンタジーにならないのはC・A・スミスと同じなのですが、スミスの華麗さはなく、もっとずっとおぞましい。

 ピーター・スカイラー・ミラー「壜のなかの船」大瀧啓裕訳
 著者はのちにSF評論家となり、そちらのほうが私には馴染みがあります。というか<ウィアードテールズ>の常連作家だったとははじめて知った。内容はメリットと同じモチーフながら、メリットのように雄渾な方向へは向かわず、むしろ異形コレクション的。ありがちな展開ではありますがダークな雰囲気を醸成し得ている。

 エイブラム・メリット「林の乙女」大瀧啓裕訳
 そのメリットが<ウィアードテールズ>に発表した唯一の作品。木々の精の実体化というある意味強引な設定にもかかわらず、ストーリーテリングで読ませてしまうのはさすが。

 マンリイ・ウェイド・ウェルマン「学校奇談」森川弘子訳
 ホラー系。ラストの処理が秀逸。

 クラーク・アシュトン・スミス「魔力のある物語」大島令子訳
 編者によれば原文は「目もあやな美文調」とのこと。原文で読んでみたいなあ(>無理)。ひょんな偶然でイギリスの荘園を相続することになり、豪州からやってきた主人公。歴代の肖像画の並びから自分と同じ名前の先祖だけがなぜか外されていることに気づき、調べ始める……。本篇もラストの処理が巧妙で読ませる(つまりご先祖と一体化したまま帰還したわけですね。その結果ご先祖が魔女に魂を奪われることを防いだ)。

 ロバート・アーヴィン・ハワード「夢の蛇」東谷真知子訳
 コナンシリーズの作者の珍しいショートショート。夜の夢こそまこと。

 G・ガーネット「コボルド・キープの首なし水車番」児玉喜子訳
 ウィアード版「ブレイクニーズの建てた家」。作者はこれ一本しか作品はないらしいのですがなかなか読ませる。アメリカの人跡まれな僻地の谷に、なぜかアメリカが発見される100年も前から使われなくなって久しい古英語(テュートン語)を話す一族が住んでいる、という設定がそそられます。

 この辺までは、作家も一流どころで堂々たる作品が並んでいます。以降は併し、悪くないにしても小粒な作品が並ぶ。

 ロバート・ブロック「エチケットの問題」植木和美訳
 ありがちなダークファンタジー。

 ヘンリイ・カットナー「墓地の鼠」植木和美訳
 巨大な鼠が生息する墓地。棺桶を食い破って死体を地下の穴に引きずり込んでしまう。墓地管理人は実は墓場泥棒を副業にしている。高価な装身具をつけた死者が埋葬され、目をつけていた管理人が墓を暴いてみると、今まさに鼠が死体を奪い去るところだった。逆上した管理人が鼠を追って穴にもぐりこむが……。ラヴクラフトにこれと似たシチュエーションがなかったっけ。

 メアリー・エリザベス・カウンセルマン「猫のような女」森川弘子訳
 猫アンソロジーにはぜひ収録したいショートショート。何も解釈しない(SSだからできない)のがよい。

 アーサー・J・バークス「大洋に鳴る鈴の音」大島令子訳
 海洋ホラー。

 ニクツィン・ダイアリス「サファイアの女神」東谷真知子訳
 本集では唯一退屈した。ヒロイック・ファンタジーのダイジェストを読まされているというか、昔アドベンチャーゲームブックというのが流行ったけど、ああいう文章。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イルーニュの巨人

2009年03月20日 10時49分00秒 | 読書
C・A・スミス『イルーニュの巨人』井辻朱美訳(創元推理文庫86)

 訳者あとがきに「いずれ(の作品)もその濃密な雰囲気と、イメージの強烈さ、感覚的描写の切れのよさで、詩人の作品らしい鮮やかな余韻を残す。ストーリー自体が独創的というよりは、それらのストーリーを成立させている幻想の風土がよく描きこまれている」とあるが、まことに著者の資質を端的に言いあらわした評言だと思う。

 それはラヴクラフトと対照するとよく判る。「幻想の風土がよく描きこまれている」のは両者とも同じではあるのだが、スミスには詩人らしい感性による切れのよい描写が随所に認められるのだ。この点がラヴクラフトには欠けているところであるように私には思われる。詩的なひらめくような花やかさがないというか……。
 ラヴクラフトの作品を絵に譬えるならば、びっしり描き込まれているのはいいのだが、その結果全体に黒っぽく重くなってしまい解像度が落ちるきらいがあるのではないだろうか。要は詩人ではないのですね。もとよりこれはどちらが優れているかというのとは別の話で、ただ私自身について言えば、スミスの小説世界のほうが好ましく感じられるのは確かではあるけれども。

 「マルネアンの夜」は、ほとんど散文詩といってよい、短い枚数に凝集された硬質ファンタジーの屹立した傑作。トータル評価では本集のベスト。

 「アタマウスの遺言」は「ハイパーボレア」という(ヒロイック・ファンタジーではよくある)蒼古世界を舞台にしたもの。もっとも設定はHFながら、ヒーローは存在しない。異形の魔人(?)に蹂躙されるがままに舞台の都市は滅び去るばかり。

 「聖人アゼダラク」は、ムーアの「ジゼルシリーズ」同様の中世フランス的世界を舞台にした「アヴェロワーニュ」もの。ひそかに古き神々を信仰する司教アゼダラク。その秘密を知った若きベネディクト派修道僧は秘薬により700年過去のドルイド世界へとばされる。一種の浦島太郎もので、過去世界で美しい魔女に至れり尽くせりの歓待を受けるも、事実を知らせねばとアヴェロワーニュ世界に戻るのだが……。タイトルの皮肉がピリリと利いたラストが笑える。

 「アヴェロワーニュの獣」もアヴェロワーニュもの。大接近する彗星から魔獣が地上に降り立ち、アヴェロワーニュを恐慌に陥れる。典型的な「怪獣小説」であり「悪魔祓い小説」。ひょっとしたら「ミステリーゾーン」の類でドラマ化されているかも。

 「彼方からの光」 一種のアブダクションもの。

 「死の顕現」 ラヴクラフトがモデルらしい。読んだことがあるような気がするのだが。

 「氷の魔物」 ハイパーボレアもの。怪獣もの。カヴァン「氷」へのレスポンス(>違う)。スケール的には一番面白かった。

 「シレールの女魔法使い」 アヴェロワーニュもの。本篇も「聖人アゼダラク」の過去世界における魔女と修道僧の関係と同じパターン。結局まがい物と判っていても(自ら望んで)惑溺していく若者。サガなのか破滅願望なのか。

 「土地神」 カヴァン「輝く草地」へのレスポンス(>逆か)。

 「柳のある風景」 スミス版「押絵と旅する男」。

 「九番目の骸骨」 怪奇小説の衣を纏った軽妙なオチショートショート。

 「イルーニュの巨人」 アヴェロワーニュもの。フランケンシュタインもの。当然怪獣もの。

 「ヒキガエルおばさん」 アヴェロワーニュもの。「シレールの女魔法使い」の若者は鏡を捨ててしまうが、もし鏡を見ていたら本篇の結末になったことであろう。

 「はかりがたい恐怖」 金星舞台のSF。ナメクジ怪獣の恐怖。

 「見えない街」 メリット的な秘境ゴビ砂漠もの。むしろハミルトンによく似た話があったような。

 「余分な死体」 マッドサイエンティストの完全犯罪の結果は? もっとあたふたした様子をコミカルに書き込めばよかったのに、というのはないものねだりか(^^;

 「夜の怪物たち」 近未来の狼男の悲劇(喜劇?)。狼男の固定イメージを逆手に取って投げ捨てたショートショート。

 「ユーヴォラン王の船旅」 ゾシークという(ヒロイック・ファンタジーではよくある)超遠未来世界を舞台にしたもの。超遠未来は蒼古世界と同じような世界になってしまうようです(^^;。ストーリーは「高丘親王航海記」のようにして進み、次第に人間の世界から鳥たちの世界へと……。そうしてユーヴォラン王の探求の旅の果てに待っていたのは……王様がどんどん失っていき虚飾まで失っていきたどり着くラストがよい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚舟・獣舟

2009年03月13日 22時23分00秒 | 読書
上田早夕里『魚舟・獣舟』(光文社文庫09)

 読み終わってまず思ったのは、酷薄苛烈であるな、ということだった。それは専ら作中人物に対する印象で、彼らの錯綜する複雑きわまる心理と行為には、読者が感情移入することを拒絶するものがあるように思われる。
 これは著者の作風が、単に口当たりのよいもてなし型のエンターテインメント小説ではなく、「リアリティ」すなわち小説世界に他者や社会が導入された別種のエンターテインメント小説であるからで、作者がこれを明確に意識して執筆していることは明らかだろう。

 もてなし型の小説では他者が存在しないので葛藤も起こらず不愉快な出来事も起こりえない。あるいは起こっても最終的に予定された想定の範囲内に収まる。それゆえ読者は羊水の中のように安心感にみちて、あー面白かったと本を閉じることが出来る。
 本書にはそういう安心感は微塵もない。無防備に主人公に心を重ねていると、とんでもないしっぺ返しを食らう。

 「魚舟・獣舟」では、人懐こかった美緒の片割れが成長し獣舟として浜に戻ってくる。しかし本篇はもてなし型の小説ではないので、その手の読者が期待する「想定の結末」は見事に裏切られる。主人公も最初から美緒の願いを聞き届ける気がない。非常に手前勝手である。美緒が死ぬや「一生獣舟を激しく憎み、最後の一頭まで殺し続けるだろう」(33p)と決意するのだが、そもそもそれ以前は獣舟を憎んでいなかったのかい、と突っ込みたくなる。しかしまあそんなものです。

 「くさびらの道」の主人公も、妹に殉じようとする恋人の前で、妹と父母のなれの果てを踏み潰す。これまた読者の安易な想定を木っ端微塵に打ち砕く行動といえる。苛烈というほかない。

 「饗応」はショートショートのためか、ちょっと色合いが異なる。幻想(?)の温泉巡りの描写はなんともいえない癒しがあってほっとさせられるのだが、ラストでは再び「現実」が姿をあらわす。

 「真朱の街」は幻想小説。本集中では個人的にもっとも気に入った作品。これまでの作品とはプロットが逆向きで、つまらない、しかし本人にとれば譲れない(しかしまあそんなものです)一線に固執したために友人を死なせた男が、友人の遺児を連れて一種の遍路に出、「真朱の街」で寛解を果たす。ある意味想定の範囲内に収まる話で、してみると私はもてなし型エンターテインメントを好む読者なのかも(汗)。

 「ブルーグラス」は、田中光二を彷彿とさせる海洋青春SF。甘酸っぱくてよい。想定の範囲に収まる。

 「小鳥の墓」は、300枚弱のノヴェラ。「火星ダーク・バラード」(私の感想文)の重要な悪役であるジョエルがなぜ火星に流れ着いたのか、その顛末を綴った若き日のジョエルの物語である。本篇にも、主人公はもとより一筋縄ではいかない登場人物たちが活写されていて簡単な割り切り読解を許さない。主人公を、ある意味導く役割を担った勝原の心の闇。主人公の父母もそれぞれに内面を抱え込んでいるし、重要ではあるが端役であるダブルE区の管理官にしてからが複雑な性格を担わされていて、簡単に読み捨てる訳にはいかない。

 以上、簡単に見てきたわけだが、結局のところ本集の最大の特徴は「リアリティ」があるということだろう。最近の日本SF界(作者-出版社-読者)に於いては、いわばポストモダン的に(マンガ的にともいえる)リアリティを軽視する作風をもてはやす傾向があると感じているのだが(それが必ずしも駄目だとはいわないにせよ)、著者の作風にはそれらとは一線を画する、よい意味で古きを継承する、ある意味70年代SFの再現が強く感じられた。これはよい意味でいうのだけれども、当時の「角川文庫」に並んでいそうな作風だなと思いついた。

 70年代風といえば、平谷美樹の作風がまず念頭に浮かぶけれども、そういえば何となく似ているところがある。それはやはり反ポストモダンの姿勢なのではないだろうか。
 あまりトレースしていなかった作家だったので、思いがけない掘り出し物を得たような気分になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする