チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

神の血脈

2009年09月20日 00時00分00秒 | 伊藤致雄
伊藤致雄『神の血脈』(角川春樹事務所05)

 小松左京賞シリーズ第3弾。第7回は受賞作が出ず、本篇は第6回受賞作品。
 わ、これは傑作でした。出版時点で読んでいたら森下さんの年間ベストSFには当然入れていたと思います。でも当時は(少なくともネットでは)全然反響がなかったんですよね。いまも検索してみたんですが、純然たる感想や書評は片手にも満たない。
 この10年くらいは本の情報収集の90パーセント以上をネットに頼っており、そのネットで反響がないとなかなか当方へ伝わってこない。しかしまあ、考えてみるまでもなく、ネットでの情報発信者(つまり書評サイト)の大半はせいぜい40代までの若い人たちであるわけで、ネットってある意味偏った情報発信装置なんですよね。こういう作品は我々より下の、歴史の授業をないがしろにされてきた世代にはけっこうきついのかも、と感じさせられた次第。
 その意味で、情報を得るにネットだけを頼るのは問題がありますね、と今更気づく私。ではどうすればいいのか。やはりSF雑誌の定期購読すべきなのか。SFのサークルに入ればいいのかね。でもこの年齢でなあ……

 とまあ、のっけからわき道にそれてしまいましたが、本篇はいわゆる《文系本格SF》であります。舞台は幕末。ペリー来寇に際して、隠密裏に幕府にアドバイスする影の一族が存在した。彼らは4500年前の縄文時代より250代以上連綿と続く万世一系の超家系イヌイ一族で(ちなみに天皇家は125代)、その秘密は彼らが4500年前に宇宙より飛来した宇宙人(?)と特別な関係があったことによるのです。
 4500年前、やってきた宇宙人のひとりである結晶人ジュジュが地球で行方不明になる。しかし開いていた<時限航路>の閉じる刻限は迫っており、やむなくもう一人の精神生命型宇宙人ヨサムを救出者として残し、宇宙船は出発する。その211年後にジュジュは救出されるも、次に航路が開くのは遙か未来の21世紀初頭。そのときに出発のサポートを頼むために、イヌイ一族はヨサムとジュジュより「英才教育」を受けていたのです。そうして幕末も近くなった19世紀、「新人類」に近づいた個体が生れ始め、なかでも当代当主の乾風之介は抜群の能力を発揮し、ペリーでさえ手玉に取る。そしてその風之介の明晰な頭脳は、教育係のヨサムとジュジュも知らなかった或る真相に気づくのであった……!

 というゆくたては、本邦版『幼年期の終り』と言っても過言ではありません。いやむしろその円環構造は『果しなき流れの果に』か。いずれにせよ小松左京が好みそうなテーマであります。しかも文章がよい。先に読んだ『セカンドムーン』は生硬な文章でずいぶん損をしていましたが、本篇はまさに時代小説のスタイルで飄々と綴られていて、この辺は余人もとい余SF作家にはない独自性といえましょう。大衆性を獲得する基本条件をクリアしています。時代小説を書かせても面白いでしょうね(と思ったらすでに何冊か書いていました(^^;)。

 私が気に入ったのは幕末期の支配階級の自然の知識を描いているところで、老中は既に地球が球体であること、地底が岩石が溶けた溶岩であることなどを知っています(地球核の知識はまだない)。この辺が実に面白い。これらはいわゆる蘭学の知識なのであり、著者の恣意によりテキトーに書かれたものではないことは、作中で風之介が、すでに大西洋横断海底ケーブルが敷設されており、ペリー自身が持っている情報は実は古いものだとして、風之介がペリーを恫喝する場面からあきらかでしょう。と書いた後で調べたら、大西洋海底ケーブルは1858年ですね。ペリーの浦賀入港は1853年で、ドーバー海峡横断ケーブルが1850年。つまりここは著者の作為があるわけですが(汗)、なるほど日本が鎖国している間に海底ケーブルが少なくとも完成目前だったのかという落差の驚き《断知識膨張》は確かに喚起されます。

 乾一族という「未来の視点」を導入することでステレオグラムの効果が働き、そのような歴史をくっきり立体的に浮かび上がらせることに本篇は成功しているわけです。これまた小松左京好みの設定ですよね。これで受賞しなければ誰が取るというまさに鉄板(^^;
 非常に面白いSFで堪能しました。
コメント
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