チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

寝ても覚めても

2011年05月06日 21時15分00秒 | 読書
柴崎友香『寝ても覚めても』(河出書房10)

 本篇は、『ビリジアン』のように短篇を繋げた連作長篇ではなく、純然たる長篇小説で、同タイトルの短篇が『ドリーマーズ』に収録されていますが、その長篇化でもない全くの別作品です。私は著者の本を、本書を含めてもまだ三冊しか読んでいませんけれども、勘案するにおそらく本書は、これまでのところの最高傑作なんではないでしょうか。既読書に比べてもレベルが一桁違う作品のように感じました。とりあえず「凄い」のひと言。

 ストーリーを要約してしまうと、なんだか安直なドラマのように思われるかも知れません。私も最初は、「ちょっと危ういなあ」との予断を以って読み始めたものでしたが、恋愛小説というならばそういってもいいですが、これほどエンターテインメントのそれから遙かにはずれてしまった恋愛小説もありません。だからストーリーの要約は(予断を招きそうなので)省きます。

 私はまず、本篇から「時間」というものを強く意識させられた。本篇は、主人公の、大学を卒業して就職したばかりの、22歳のゴールデンウィークから31歳までの物語が、わずか270頁で語られるのです。どんどん時が過ぎていきます。最初のGWで、いわゆる一目惚れをしてしまった「麦」に翻弄される9年間と言ってよい。「麦」は「獏」でしょう。夢の世界の人物のように淡い、全く生活感のない、実体感のない若者で、主人公の女友達が「あさちゃんは、ああいう感じでオッケーなん? ていうか、かなりあかんと思うねんけど」と主人公を心配するほど。とつぜん数ヶ月も居なくなったりする。そういう事が何度もあり、案の定、中国へ旅行に出たまま音信不通になる。

 主人公も主人公で、かなり幼いというのか、生きるのが不器用な感じで、麦がいなくなったあとも、主体性もなく流されるまま、東京に移り住みます。で、そこで(麦と知り合って6年後、麦がいなくなってからなら3年後)麦とそっくりな若者亮平に出遭う……。

 なんといいますかこの辺が、表面的には韓流ドラマっぽい展開なんですよね(汗)。ま、それはとにかく、それから半年近く、主人公は亮平を避ける。実は亮平に惹かれているのだが、それは彼に麦を見ているからだと思っているのです。ところがひょんな偶然で(これまたテレビドラマの定石のシーン(^^;)、一気に二人は付き合い始める。そのうち主人公の心の中で、麦はどんどん印象を薄めていくのですが、亮平と付き合い始めて3年後、主人公の前に、突然麦が現れる、というか(テレビの中に)目撃する。麦は新人の映画俳優になっていたのです! なんとなんと(^^ゞ。
 亮平が転勤で大阪に帰ることになる。主人公も大阪に戻ろうと決意する。そんなとき、麦の乗っているロケ車が主人公の横を通り過ぎるのでした……。

 や、ストーリーは書かないと言っていたのに、気づいたら書いてしまってました(汗)。まあいいか。とまれかくまれ、このように要約すると、誰でもこの後の展開に、韓流ドラマのゆくたてを予想するに違いありません。たしかにある意味、まさに予想通りに展開していくのだが、その予想は最終的に大きく裏切られてしまうことになるのです!!

 このラスト、読む人で大きく好悪に印象が分かれてしまうでしょう。でも、このラスト、そもそも「現実」の(もちろん小説内現実の)出来事なんでしょうか?

 亮平は大阪に転勤することになって、それで主人公も大阪へ帰る決心をした筈です。なのに、なぜ亮平は主人公の住んでいたアパートの裏の家に住んでいるんでしょうか? 同じシーン、いま亮平と付き合っているらしい千花が、主人公と口論のあと、千花の友人らしいげんちゃんが、「都合よく」自転車でやってきて、千花を乗せて去っていく。これもふつうにはあり得ないシチュエーションではないでしょうか。(註)

 そう考えると、このシーンが「現実」のシーンだとは考え難くなってくる。つまりこのシーンは主人公の「心の中」の、いわば《内宇宙》での出来事なのではないか。主人公は、眠っている麦を残して岡山駅でのぞみから降りたとき、「現実」との繋がりも切れてしまったのではなかろうか――と想像するのは、あながち無理読みでもないように思われるのです。あるいは麦との逃避行すら、既に《内宇宙》での話なのかも。……

 ともあれ、時の流れの非情さに、主人公がひたすら切ない、残酷な物語で、よかった。面白かった(汗)。
 あと、著者がアングルを考えて描写しているのは間違いなく(平谷美樹もそうですね)、たとえば本書の第1行目は「この場所の全体が雲の影に入っていた」という印象的な文章で始まり、雲の下に街があり、やがて視線は高層ビルの展望フロアに収束していくのですが、この描写のように、実に視覚的な快感があります。折々に挿入される2、3行のスケッチ風の描写も(その前後に絡む場合も、ぜんぜん無関係な場合もある)、よいアクセントになっている。平谷さんは美術の先生でしたし、本篇の主人公はカメラが趣味なのだが、おそらく著者自身もそうなんでしょう、そういう「目」のよい人の小説だよなあ、と感じました。

 柴崎友香って、とんでもない作家なのではないか、そんな気がしてきました(>畏怖)。

 (註)むろん亮平の方に未練があり、会社を辞めてアパートの裏の家を借りて主人公が戻ってくるのを待っていたという可能性もあり得るわけですが、そういうのはあからさまなので、千花は近づかないのではないでしょうか? そんなロマンチックな話ではないと思います。それではまんま韓流になってしまいます。

コメント
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