チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

早川貴正『天津飯の謎』読了

2018年12月15日 22時44分00秒 | 読書
  (本稿は掲示板書き込みのコピペです。後日整形します)



「天津飯の謎」 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月 2日(日)16時36分43秒


 そうそう。昨日は同期生から著書をいただいたのでした。
 

 自費出版本で(文春新書みたい!)、彼がのたまうに、天津飯という料理が本場中国にはないことは知っていると思う(>知りませんでした)(汗)。その名前の由来についてはネットでもあまた説が出ているが、全部間違いである。本書はそれを質し、ある仮説を提出したもの、とのこと(^^;
 面白そう(^^)。『ランドスケープと夏の定理』を読み終わったら、さっそく着手しようと思います!


Re: 「天津飯の謎」 投稿者:雫石鉄也 投稿日:2018年12月 3日(月)09時59分32秒


この本、面白そうですね。
天津飯、確かに日本生まれだそうですね。
天津飯があんねんから、天津ラーメンもあってもええやろと
思って作りました。
https://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/50f562aaa6244c91fcba8d477da1319a
おいしかったですよ。



Re: 「天津飯の謎」 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月 3日(月)19時12分53秒


 雫石さん

>天津飯があんねんから、天津ラーメンもあってもええやろと
 雫石さんのと同じかどうかわかりませんが、天津麺もうまいですよね。
 ところで冒頭を下に掲げますが、著者の疑問はカツ丼みたく[材料+ごはん]という命名が一般的な中で、[米産地+ごはん]はいかにも不自然というのが出発点だったみたいですね。
 そこで、雫石さんの書き込みの、天津麺(天津ラーメン)です。天津飯の「天津」が米産地から来ているのなら、天津麺は[米産地+麺]ということになり、まったく意味が通らなくなってしまいますよね(^^;
 これは通説が誤りであることの強力な傍証になるのではないでしょうか。もしかしたら著者は気がついてないかもしれません。今度教えてあげようと思います!

 



 あ、アマゾンに反映されていました→〔amazon〕




「天津飯の謎」に着手 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月 8日(土)22時33分19秒


 という次第で、『天津飯の謎』に着手しました。
 冒頭です。
 

 ちょっとびっくりしました。この店、私もよく利用していたのです。著者と一緒に行った記憶はありませんが、私も行けば必ず天津飯を注文していたと思います。
 というか、この店ではじめて天津飯なる中華料理を知ったというべきでしょう。そのことについては、以前、当掲示板に書き込んだ記憶があり、検索したのですが発見できず。掲示板の欠点は検索性の悪さなんですよね。書き込みにおいて管理人と訪問者の差別がないところが気に入っていて、それでブログに移行せず使いつづけているのですが。
 話が端からそれてしまいました。この店の天津飯がうまかったというのは、実は先日のクラブOB会でも出まして、してみますとこの中華店、よほど天津飯がおいしい店だったのかもしれませんね。
 今はもう建物ごとありません。ゼロ年代にはまだ店はありましたが、営業していなかったかも。いずれにしろ、もはやその味を検証できないのです。残念です(^^;
 さて本書ですが、天津産の小站米が輸入されていたかどうかを調査しています。この部分、本格的でして、事実上戦前戦後の日本の米輸入史といってよいほど。
 結論だけいえば、ジャポニカ米である小站米は当時の天津近辺の在留日本人だけで消費されてしまって、日本本土に輸出する余分はなかったようです。逆に言えば、それだけ日本人が軍人民間人合わせて大量に北京天津辺に進出していたということなんでしょうね。
 上田早夕里『破滅の王』で通州事件が描かれていましたが、現地の人にすれば、もともと有数の人口地帯に、大量の日本人の到来は、邪魔で邪魔で仕方なかったんだろうな、とこの事実からでも想像されます(満蒙開拓団も、実は満蒙の荒蕪地を自分らで開拓したのではなく、既に農耕地となっている土地の住民をそっちに追い出し、居座ったというのが事実で、おそらく通州辺りでもそういうことをしていたのだろうと思いますね)。
 今でこそ米余りの日本ですが、実は戦後、昭和29・30年をピークに、昭和34年まで米は輸入されていたとのこと。多くは東南アジアからの輸入で、つまりインディカ米だったわけです。平成5年の米の緊急輸入でタイ米が嫌われて売れなかったことはいまだに記憶に新しいですが、わずか数十年で過去を忘れてしまう日本人の驕りは、ほんと、どうしようもないですね。



「天津飯の謎」(2) 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月 9日(日)17時38分34秒


 第二章は「天津飯は誰が作ったのか」。
 まずウィキペディア記載の「発祥」の二説が、「記述の論理的検証」によって退けられます(まずウィキペディアの記述をお読み下さい)
「来々軒説」について、この記述中のどこにも、この料理に「なぜ天津という名前が付くのか」「この部分の説明がまったくない」ことを指摘する。たしかにこれでは説明になっていませんね。著者は親切にも「天津の根拠は前述の、米の名前から名づけられたということなのかもしれない」と好意的に推測しますが、たとえそうだとしても、天津から米が輸入されたことがないという著者の調査の結果から、この説は否定されます。
「大正軒説」についても、「天津の食習慣である「蓋飯」」という記述が疑われる。なぜなら江南ならぬ華北(河北)で「米食(飯食)」が習慣であった事実がないからです。かれらの主食は「米ではなくトウモロコシや小麦」なんですからねえ。
 その派生として、華北内蒙古からの引揚者が、船待ちの天津で食べた料理説があり(たしか梅棹忠夫も天津から引揚げたと記憶しています。北満外蒙古からの引揚者はナホトカに集約されましたが。華北方面は天津がそういう港だったんでしょうね)、しかし著者は、困窮した引揚者にそんなものを食う金銭的余裕はなかったはずといいます。たしかに、「黒パン俘虜記」でも主人公はすべてを港で奪われ、着の身着のままでようやく乗船するのですし、配給される食事は(ロシアですから)黒パン。天津でも米作りはそもそも日本人農民が従事していたはずで、彼らも引揚げに大童で農耕などしているはずがない。配給されるのはアワとかヒエとかムギの携帯食で、というのは想像ですが、少なくとも米の白ご飯にかに玉をのせたあんかけ料理なんて夢のまた夢だったのではないでしょうか。てことでこの説もX。



「天津飯の謎」(3) 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月 9日(日)23時19分48秒


 いよいよ天津飯そのものに話は向かいます。
 もっとも著者は常に「そもそも」から解き明かしていきますので、まずは「そもそも中国料理はいつから日本で食べられはじめたか」が調べられる。
 当然江戸時代ということになります。鎖国日本は唯一長崎出島でオランダと通商していたわけですが、実はもう一つ窓口があり、それが中国貿易だった。同じ長崎に「唐人屋敷」が建てられ規模はオランダ人の出島より大きかった(年間5千人が利用した)。唐人屋敷ができる以前は船宿と呼ばれる民家に散宿していたので、日本人とも交流があり、そのときに中国料理が、まあ初めて伝えられたとされているようです(とはいえそれ以前に宣教師が「南蛮料理」を伝えています)。
 しかし本格的に入ってきたのは開国後。各地にできた「居留地」にやってくる外国人は、実質中国(香港、広東、上海)からの貿易商人なので、それに付随して中国人が船乗りやコックとして(同時に漢字筆談できるので通訳として)やってき、居留地に隣接する土地に住みつく。最初は中国人向けの料理店だったのが、居留地が廃止(1899)されてからは一般日本人相手の店となる。「中華街」のはじまりですね。(強引に約めた要約です。きちんと知りたい人は本書で確認下さい)




「天津飯の謎」(4) 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月10日(月)18時56分43秒


 初期の中国料理店は、現在の梅田の新北京のような、大人数が円卓を囲み、宴会場として利用する体の店だったようで、1882年(明治15)開店の日本橋の偕楽園がその嚆矢だった。以降、続々と類似店が生まれたのですが、日清戦争勃発(1894年)で多くの中国人が帰国してしまう。
 その結果、在留中国人向けではない、日本人むけの中国料理店が増加します。これらは宴会目的ではない、小規模な一般客相手の店です。たぶん現在日本各地津々浦々にある「中国料理」店をイメージすればいいのではないでしょうか。こうして中国料理が国民に広く知られるようになります。
 さらに日清戦争が終結し、日本は台湾を獲得すると共に、天津や漢口、杭州、上海※などに日本人租界を認めさせたのでしたが(上海租界は日清戦争以前、南京条約で獲得)、空前の中国料理(支那料理)ブームが起こり、家庭で作られる料理となっていく。
 そういう次第で、この時代は中国料理レシピ本が多く出版された。著者はそれらも調査していて、当時の中国料理レシピ本を見る限りでは、天津飯に当てはまる料理は紹介されていなかったとします。
「やはり天津飯は、戦前には存在せず、戦後に生まれたものかもしれない」
 それでもなお、後の天津飯につながるものはないかと、「蟹」や「蝦」や「卵」を使った料理をピックアップします。
 そのレシピが具体的に紹介されていますので、料理に興味ある方は、掲載のレシピにもとづいて、戦前日本における家庭むき中国料理を作って見られるのも一興かと思います(^^;
※追記。そういえば、日本人租界があった天津、漢口、杭州、上海って、広義に見ればいわゆる中華料理の大きな流派、北京料理・四川料理・広東料理・上海料理の原産地ですよね(^^;



「天津飯の謎」(5) 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月11日(火)00時32分51秒


 著者は一々のレシピを丹念に確認していくのですが、これは多分に著者の趣味ですね(>おい)。私は作るほうにはさほど興味がないのでその要約は割愛させていただきます。
 結局、「明治の終わりから大正にかけて、既に蟹と卵を使う料理は、家庭料理として一般的な料理となっていたと推測される」のですが、しかしそれらはどうみても「オムレツ」の変種なんですね(ケチャップやソースをかけたりする)。
 そこで著者は、この時代の蟹と卵を使う中華料理は、実は西洋料理の影響下に日本で生まれたのではないかと考えているようです。「西洋料理の支那化」
 よくいわれるように、日本のカレーはインド料理の日本化です。同じことがここでも起こったのではないでしょうか。支那料理を日本風にアレンジするに際して西洋料理が利用されたのではないか。これは本書に(ここまでのところでは)明示的ではなく、私の想像であることをお断りするのですが(でも、著者もたぶん内心そう考えているように、私には読めるのですけどね)、もしそれが正しいとしますと、当時の本場の中国料理に、西洋のオムレツ的な料理があったのかなかったのか、それを確認しなければなりません。そこまで深入りする気はないので、今度著者に会ったとき訊ねてみようと思います(^^;
 さて、大正14年に至りますと、ようやく「現在の「芙蓉蟹(フーヨーハイ)」として知られるレシピと、あんの有無以外は大変よく似ている」調理法が現れます。料理名も「芙蓉蟹」です。昭和2年発行の本にも紹介されており、「この頃にはよく知られた料理になっていたと思われる」
 さらにその10年後、昭和12年の本で紹介されている「芙蓉蟹粉」という料理は、卵焼きの上から「あん」のかかったもので、これは現在のそれに最も近いものになっていたようです。
「天津飯はどの料理の紹介本にものっていなかったが」「その具にあたる「芙蓉蟹」は多くの本で紹介されており、この料理は多くの人に広く知られた存在となっていたようだ」
 以下更に考証は続くのですが、省略。ここでは、天津飯の具に当たる料理が大正末期には存在していたことのみ確認して、次に進みます。




「天津飯の謎」(6) 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月14日(金)03時47分10秒


 さて気を取り直して薀蓄篇。いや私じゃなくて著者の薀蓄ですよ(^^;
 著者によれば、中国料理は(漢字の特性上)その料理名を見ただけで、どんな料理(調理)か一目瞭然になっているのだといいます。
 たとえば「炒」は「強火で炒める」という意味です。したがって炒飯は、「ご飯を強火で炒める」料理法だとわかる。実際は炒飯とだけ表現される料理はない。ご飯だけ炒めても料理にはなりません。他の食材とあわせて「鶏丁炒飯」や「蟹肉炒飯」という形で表されます。
「鶏丁炒飯」とは、「鶏肉」を「さいの目に切って」「強火で炒めた」「ご飯」という意味です。(たしかに豆腐は一丁二丁と数えますね。さいの目に切ってあるからなんでしょうね)
「絲」は「千切り」の意味です。したがって「青椒牛肉絲」(チンジャオロース)は「牛肉細切りピーマン炒め」となる。

  

 なるほどねえ。まさに一目瞭然で意味が頭に入ってきます。あ、これって、ディープラーニングと同じ原理ですよね。としますと中国人は、古来、AIのように思考していたのでしょうか(^^;
 いやまあそれはそれとして、コルトレーンの「Selflessness」は漢字なら「無私」となるわけで、表音文字より数倍理解が早くなるのは間違いなさそうですね。山田正紀の「神語」は、関係代名詞を重層させることで理解のスピードアップ化をはかるものだったと思いますが、「漢語」も負けてないような(^^;

 お話もどして――
 それでは芙蓉蟹(フーヨーハイ)はどうでしょう。著者の考察の過程はすっ飛ばして、結論をいいますと、「芙蓉」は元来花の名前で、白い花です。芙蓉蟹のレシピにはふたつの流派(?)があって、ひとつは卵白を使う調理法、もうひとつは全卵を使う調理法。
 現在の天津飯の具である芙蓉蟹は、後者ですね。
 著者は調査の結果、前者の記述は本場中国での調理法で、後者は日本でアレンジされた家庭料理としての調理法だろうと結論します。
 家庭料理では、卵白料理だと黄身が余ってしまう。黄身を使う別の献立を考えなければならない。料理店ならいろいろ使い道があるでしょうが、家庭ではなかなかそうは行きません。
 棄ててしまうようなそんな無駄はできないから、本来白身あんかけであった芙蓉蟹を全卵で作るようになったのではないかというのが著者の推理で、その結果、漢語としての「芙蓉」の意味が歪められてしまった。
 逆に言えば、漢語の意味が歪められたことから、この芙蓉蟹が日本でのアレンジであることが確定されるのですねえ!
 ちなみに黄身であんを作る場合は、本場では「桂花」と呼ぶらしいです(桂花は木犀の花の意味)。漢語は厳密なんですね。



「天津飯の謎」読了 投稿者:管理人 投稿日:2018年12月15日(土)22時13分20秒


 天津飯の天津とは何かを調べる著者ですが、なかなか核心に迫れません。
 芙蓉蟹という料理があることはわかりました。しかし戦前のそれは、いわゆるかに玉で、あんはかかっていなかった(むしろ西洋のオムレツに近いものだった)。
 そんなとき、著者は銀座アスター開店当時のメニュー表を入手します。
 銀座アスターは現在も続く中華料理の老舗銘店です。創業は1926年(昭和元年)です。そのメニュー表に、なんと「天津麺」という料理が載っていたのです! 天津飯の前に、天津麺が文献調査によって見つかったわけです。
 そのお品書きの「天津麺」の下には、「蟹・玉子入りそば」と説明書きがあったのですが、いかんせんメニュー表ですから詳しいレシピが判明したわけではありません。
 その後、一年前の1925年(大正14)の、当時のミシュランガイド的な本に、日本橋本石町の海曄軒が紹介されていて、評判の品として「天津麺」が挙げられていることも分かりました(但しレシピは不明)。
 何はともあれ、大正末年から昭和初年にかけて、「天津麺」という料理が確かに存在していたわけです。
 しかし、その後は再び、天津麺の品名は、当時の文献から姿を消してしまうのですね。そして次に天津麺が文献に現れるのは、それから30年ちかくあいた戦後の1952年(昭和27)でした。
 著者は考えます。昭和初年には存在した料理が途中姿を消し、昭和27年に再び世に現れる。そこには何か外在的な原因があるはずだ。
 天津飯ではなく天津麺ですから、米は関係ありません。麺か卵か蟹です。また逆に天津飯という料理が現在あるわけですから、麺も消去です。では卵なのか、それとも蟹なのか……
 天津とあるからには、卵にしても蟹にしても、天津産のそれでなければなりません。
 まず蟹。調べたところ天津から蟹が日本に輸出されたという記録は存在しなかった。消去。
 では卵か?
 ピンポン!
 戦前の天津の「在留邦人職業別統計」によって、「鶏卵輸出業」の会社が4社存在したことが判明したのです。
 卵は日本に輸出されていました。卵みたいな足の短い食材が、戦前戦後の、航空便などあるはずもない、船便で日本に送られてきて大丈夫なのか。これは私も目からうろこでした。大丈夫だったのです。それには日本の商社の営業努力があった。現地に一時保管用の製氷冷蔵庫を設置し、日本への配送に冷蔵船まで手配したとのこと。
 もちろんそこまでするのは、儲かったからですね。そこまでやっても日本産の卵より安価に販売できた。最盛期には、実に日本人の消費量の3分の1を中国からの輸入でまかなっていたと著者は書いています。
 当初は上海産が主力だったのですが、大正8年に関税が撤廃されてからは、天津産に比重が移った。ピークは大正12年で、この頃は卵といえば天津卵を日本人はイメージしたのかもしれません。しかし国内業者を圧迫したため、翌年(大正13)関税が復活、採算が合わなくなり1931年(昭和6)に鶏卵の輸入は停止します。
 上記したように天津麺は大正14年と昭和元年にその存在が確認されましたが、その後はぱったりと記事を見なくなります。
 これは天津卵の輸入の消長と軌を一にしているといえる。つまり天津卵のおかげで卵が安価だったとき、天津麺という日本的にアレンジされた中華料理が創案されたのだけれど、輸入卵が関税で高くなった結果、メニュー自体がなくなってしまったと考えると平仄が合う。
 以後は卵は高級食材となります。たしかに、当板をご覧の皆さんは経験あると思いますが、卵は運動会のときとか、風邪を引いたときしか口にできなかったじゃないですか(^^;。
 卵が今日のように安価に手に入るようになるのは、1962年(昭和37)に大暴落して一個17円(ワンパック170円)になってからです。以後は安値安定で現在に至るわけですが、昭和27年ですでにぐんと値下がりしてますよね。
 上記のように昭和27年に天津麺が復活したのは、やはり卵の価格が、ようやく芙蓉蟹を供するに適当な価格(あくまで料理店的には、ですが)にまで下がってきた結果だろうと著者は推理します。
 

 こうして、天津麺という日本アレンジ料理が、生まれるや否や姿を消し、30年後に復活するに至った理由と、なぜ「天津」なのかの謎が解明されたことになります。

 いや天津麺じゃなくて、天津飯の謎じゃなかったのかって?
 だから、雫石さんがおっしゃっているではないですか。

「天津飯があんねんから、天津ラーメンもあってもええやろ」

 実際は逆で、「天津麺があんねんから、天津飯もあってもええやろ」だったわけですね(^^; いずれにしましても、アレンジ好きの日本人なら当然考えつきますよね。
 著者は、「天津飯が誕生したのは1960年代(昭和35年~昭和44年)」とします。やはり卵大暴落の昭和37年前後からということですね。
 当感想文の冒頭に記しましたように、私が生まれて初めて天津飯なる中華料理を食したのが、高校に入学した昭和46年です。それまで食べたことがなかったのもむべなるかな。出来立てのほやほやの料理だったのですね(^^;

 さて、江戸時代に始まり現代に至る、天津飯の謎をめぐるながいながい旅も、愈々終わりに近づいてきました。
 あ、いま気が付きましたが、芙蓉蟹があんかけになった経緯を書き忘れていますね。いまさら書き足すのも面倒なので、ぜひ本書に当たって確認してください。
 ということで、早川貴正『天津飯の謎』(2018)、読了です。

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恋するタイムマシン

2016年03月15日 06時29分00秒 | 読書
 機本伸司『恋するタイムマシン 穂瑞沙羅華の課外活動(ハルキ文庫、16)読了。

 本書には(解説で眉村さんが指摘しているように)ふたつのテーマがあります。
 一つはタイムマシン(はなかなか難しいとわかりタイムプロセッサーにダウンサイジングされるのだけれど)を実現しようとするハードSF的物語(必然的に時間とは何かが考究される)。

「そもそも時間は、生きているからこそ感じられると思わないか」両備さんは、自分の胸のあたりを指さした。「時間の本質はまだ分からないにせよ、それを測る何らかの”物差し”は、こっちの中にあるのかもしれない」(107p)

「わしなんかには、そもそも時間なんて、客観的ではあり得ないような気がしてるんだ。何故なら外に流れる時間を、自分の”体内時計”と照合して認識しているわけだろ? たとえは良くないかもしれないが、死人に時間はないじゃないか」(233p)


 どうやら著者は、時間の流れは外的には存在せず、主観の側にあると言っているようです。これは橋元淳一郎さんの時間論に触れたことがあるものにはよくわかります。ミンコフスキー時空図に表現されるように、時間は流れているのではなく、高次元から見ればそこに(定まって)在るもので、それをエントロピー増大の方向に向かって時間の流れとして感じさせる(発生させる)のは、生の意志だとされます。

 それでふと、話は飛びますが、筒井康隆『モナドの領域』の宇宙論を思い出しました。
 筒井的GOD宇宙では、始源から終焉まで、時間は確定している(運命)。但しこの宇宙は並行世界の存在する宇宙です。そしてその無数にあるのだろう並行世界も確定世界である。主体I(人間とは限らない)は、任意の宇宙で運命は定まっているのですが、無数の並行宇宙には無数のIがいるわけです(いない宇宙もある)。だとすればある任意の宇宙でのIの未来は確定しているのだとしても、無数の並行世界は無数のIが、少しずつ違う可能性を体現して(ただしその世界では確定した生を)生きている。結果としてIは、全ての可能性を運命として生きている事になるのです(イーガンかよ)。
 つまり未来は改変できないが、すべての可能性の未来は体験されているのですねえ(^^;

 閑話休題。次にもうひとつのテーマ。主人公である天才少女は、天才らしくサバン的傾向があって、「人の気持ちがうまく理解できない」ところがある(それがために他者との関係を結べず研究の世界に逃避している面があるように読み取れる)。
 本篇の視点人物である「僕」は少女のマネージャー兼お守役的人物なのだが、なんとかしてその孤立的な性格を(世界に対して開かれるように)「直し」てあげたいと考えている。本篇の一連の事件を通じて、少女は「僕」の導きもあって「改善」されていく(のですが、このゆくたては、ちょっと私には首肯しかねる部分があります※)
 それはさておき、その説明として上に「死人に時間はない」と引用しましたが、それを言い換えれば「時間なんて、他に誰かがいてくれるから流れるようなものかもしれない」(234p)となる。なるほど、そうかもしれません。そしてこのアナロジーを少女の孤立性に対置している。
 これは正しいといえば正しいのですが、少女がサバンだったなら、むしろ苦しませるだけではないか、とも思いました。
 解説で眉村さんは「未発達性」と書かれていますが、私は、著者はサバンとして設定しているんじゃないかなと思いました。ただしサバンとみなせば異常にコミュニケーション能力のあるサバンではある。だとしたらラストシーンがまたよくわからなくなる。やはり未発達とすべきか。まあ発達障害とサバンの境目は曖昧ではあるのですが……

 はじめて読みましたが、予想以上に面白かったです。このシリーズ、第一話から読んでみたくなりました。

※補記。「ちょっと私には首肯しかねる部分」を説明しておきます。私は、第一のテーマの面白さに比して、第二のテーマの部分に少し抵抗を感じさせられたのでした。それは「僕」の沙羅華に対する態度が(本心から彼女をおもってのものであるにしても)いささか既存のありふれた観念を疑いもなく振りかざしているように見えたからにほかなりません。
 眉村さんが指摘された「未熟」とは、沙羅華のそれに対して向けられたものですが、むしろ私は「僕」のほうにそれを感じてしまいました。
 私に言わせれば、沙羅華はラファティ世界によく現れる人物なんですね。ですから沙羅華に対する「僕」の衷心よりの忠告やら何やらは、たとえば『蛇の卵』の歩くコンピュータ女子イニアールに対して、人間てひとりでは生きられない存在なんだよ、と教え諭しているかのような、また教え諭しているものに対しては、なにを的はずれな説教を、というなんとも居心地のわるい感覚になってしまったのでした。
 ラノベというものを読んだことがないので見当違いかもしれないのですが、ラノベの原則としてこのような公式的な常識を書き込まないといけないのでしょうか(それはある意味了解できます)。「これはまあ、作者が意図的に書いたのであろうが」という眉村さんの言葉からそう推測した次第なんですが、たしかに眉村さんの評言「この(1)と(2)の奇妙なアンバランス」は、私も感じないではいられませんでしたねえ。


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短話ガチャンポン

2015年08月29日 22時51分00秒 | 読書
 眉村卓『短話ガチャンポン』(双葉文庫、15)

 数ヶ月前、眉村さんから「いま、長さも内容もバラバラな、エッセイみたいのや断章めいたのもある短い作品を書きためていて、『短話ガチャポン』というタイトルでまとめるつもり」というお話を伺いました。
 ちょうど「或阿呆の一生」を読んだばかりだったので、すぐにそれが頭に浮かびました。そんな感じですか、と訊きましたら、「まあ形式的にはそうですが、あんなに深刻なものではありません」とのことでした。
 本書がそれです。タイトルが「短話ガチャンポン」となったのは、「ガチャポン」という言葉が権利関係で使えないのと、ガチャンポンというのもそれなりに通用しているからのようです。

 さて、一読私が感じたのは、当初エッセイめいた軽い作品集かと想像していたのですが、意外にきっちり小説しているな、ということでした。軽く読み飛ばせないのです。短い作品も含めてすべてそれなりにずっしり重い。
 ああ、これはやっぱり「或阿呆の一生」の著者版だ、と思いました。
 芥川のは三十代の作物ですが、遺稿です。「或阿呆の一生」を連載中に自殺したのです。
 著者は八十歳で、(本集中にも書かれていますように)大病されましたが、今は本復され、また以前のように精力的に東奔西走されています。まったく、二十歳下の私などが及びもつかぬバイタリティです。前者は若いが病んでいる。後者は高齢だが健康。と、両者の立ち位置は全く正反対です。

 しかし著者は、大病をされたこと、年齢(同い年である筒井さんが、自分より先輩は指折り数えられるようになった、という意味のことを日記に書いていらっしゃったと思います)などからいつかは訪れる死を強く意識されるようになったのではないでしょうか。
 それが本書には強く反映されているように思われるのです。
 あとがきで著者は、「何だかどれも、老齢に入り込んでしまった作者の心象が見えるようだ、と指摘する方があれば、そうなのだ、それがモチーフなのだと、白状するしかないのでります」と書いています。

 老人小説としての私ファンタジーには、すでに『いいかげんワールド』(07)あたりから着手されていましたが、それが前作『自殺卵』(13)収録作品あたりから(つまり大病を経験されてから)、もっと死を意識した作風に変化してきました。
 本作品集もその路線上にあります。
 つまり、「或阿呆の一生」を書いた芥川とは対称的なポジションから書き上げられたものながら、本作品集は、意外にも芥川作品に(表層的にではありますが)接近遭遇しているのです。

 「或阿呆の一生」には、著者の気分の浮き沈みが断章ごとに読み取れるのですが、本書も同様の明暗があります。
 たとえばほんとは自分はもう死んでいるのではないか、というモチーフが複数回出てきます(「杉田圭一」「生田川家」「大阪T病院」)。
 一方、年齢的な鬱感情が、ふとしたきっかけでおだやかに晴れる瞬間をとらえた作品もあります(「幻の背負投げ」「臨終の状況」「勧誘員」「思い出し笑い」)。「易者」では主人公は開き直ることができています。
 「エンテンポラール」では老いた肉体を脱ぎ捨て別次元のスポーツ選手になってしまう。
 これらは著者が、そのときどきの自身の感情を、素直に表現しているということではないかと思います。非常に自然なのです。

 私が特に気に入ったのは、「勧誘員」で、主人公は人生の経験者として蓄えた「世故」を、企業が営業に役立てるために、死後、脳から移植する契約を結ばないかと勧誘されるのですが、対価を聞くと案外に安かった。勧誘員は微笑して、「あなたは、あまり上手には生きてこなかった。むしろ不器用に、自分に誠実に生きてきた。だから金額も高くないんですよ」(私も実は同類で)「あなたのような人に出会うと、そうだそうだ、それでいい、という気になるんです」
 いいですねえ。まさに眉村節。

 「転倒」は、無駄な描写が全くない私(体験)小説の秀作。
 「昔のコース」も私小説。本書集中の白眉。主人公は、結婚前両親と同居していた、両親亡き後の今は妹夫婦が住んでいるA通りの実家へ、届け物を届けにH町の自宅からぶらりと出掛ける。そしてふと、昔その家に住んでいた頃、通勤に利用したコースをたどってみようと思いつきます。景観は一変していますが、面影が残っている場所がなくもない。歩きながら過去を思い出す。岸ノ里から北向きの地下鉄四つ橋線に乗った主人公は、大国町付近で一瞬並行する地下鉄御堂筋線の車両が見えないかと期待する。そしてその車窓に、先月亡くなった弟の顔が見えたらいいな、と思う……。ああ、しみじみ、よいです。


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疲れた社員たち

2014年05月18日 12時50分00秒 | 読書
眉村卓『疲れた社員たち』(双葉文庫14、初刊82)読了。

 本書は短篇集で、まさにタイトルどおり年齢も境涯もさまざまな<疲れた社員たち>が描かれています。ただ全8篇中半分の4篇が、50歳前後の社員を主人公に据えた話であるのは特筆すべきでしょう。

 実は読了後、なんとなく全ての作品の主人公が50歳前後のように錯覚していました。この感想文を書こうとパラパラと見なおしていてそうでないことに気づき、自分の錯覚にちょっと驚きました。
 つまりそれだけ、上記50代を主人公にした作品の印象が強かった、というよりも、その4篇に「共通する特徴」に、強く印象づけられたということだろうと思います。その理由としては、私がいまその年齢だから、ということがあるでしょう。

 でもそれだけではなさそうです。やっぱりこの4篇と、それ以外の(比較的若い主人公を扱った)残りの4篇とでは、「疲れた」感の質が違うように、私には思われます。著者の、主人公を見つめる視線にあきらかに温度差を感じてしまうのです。

「ふさわしい職業」の主人公は、50過ぎの、出世コースから外れたサラリーマン。体調が悪く病院に行ったら即入院を言い渡される。なんとか言い繕ってその場を逃げ出し、藁にもすがる思いで友人の病院を訪れるも、そこでも入院を言い渡され、観念して入院する。が、どうやら手遅れらしく、友人が奇妙な提案をする。もし手術の甲斐なく死亡した場合、冷凍冬眠実験の被験者となることを了承してくれないか、未来の医療技術で完治する可能性もあるから、と。
 どうでもよくなって了承した主人公、目覚めるとそこは130年後の未来だった……。

 未来で、主人公は健康を回復しますが、そこでの生活は、いわば生きている考古学資料、ある意味動物園の猿のそれだったのでした。しかし主人公は、今の生活、以前のそれよりも「ずっとまし」だ、とつぶやくのです。

 このつぶやきの中には、当然自虐も入っているわけですが、ラストの一行を勘案すれば、やはり本音であることが読み取れると思います。
 従来の著者の作風ならば(ショートショートは別にして)かかる境遇への安住は、「まやかし」として否定される筋立てになるのではないでしょうか。
 それをこのようなゆくたてにしたところに、(ちょっと先走りますが)私は当時40代後半だった筆者が、自分がこれからそこに入っていくところの、「50代」という年齢集団に対して、何を感じていたのかが、表現されているのではないかな、と思いました(後述)。

「知命・五十歳」の主人公も、表題から分かるとおり知命の50歳。出世コースとは無縁で、今度の異動でも平社員に据え置かれたばかりか、自分より若い連中が主任や係長になっていた。
 不機嫌な顔で馴染みのおでん屋で呑んでいたら、おでん屋の常連で、同様に不遇のまま定年をむかえたのだけれども特殊技能者ということで引き続き嘱託で雇われている男が、どうしたんだ、と声をかけてくる。この人物、主人公と似た境遇のはずなのに、なぜかいつも表情が明るいのです。主人公が、かくかくしかじかと愚痴ると……。

 男のアドバイスで、主人公は「現在の境遇をあるがままに受け入れてしまうことで発現する能力」を獲得します。そしてその結果「たのしく」生きられるようになるのでしたが……。

 本篇も構造は上の作品と同じで、逆説的な結末にされています(と私は思います)。やはり著者の「50代」観が、このような結末を選択させたのではないでしょうか。
(と書いてきて、ふと「暗い渦」も同じ結末であることを思い出しました。確認したら主人公のイマイは40過ぎという設定。そして本篇執筆時の著者は丁度30歳でした。ふーむ)。

「授かりもの」の主人公は50手前。歳を取るにつれ時間の流れが早くなる(主観時間が遅くなる)ことは、ある年齢に達したものは誰もが知る事実。
 ところが本編の主人公は逆で、なぜか主観時間がまた早くなり出し、若い連中以上の思考速度を獲得(回復)する(但し体がついてこない)。それは社会的会社的に有利に働くものと思われたのだが……。

 せっかく獲得した超能力が、ゲームセンターとか昼休みの将棋とか、そんな瑣末なことにしか適用できないという、しかしある意味、社会集団的には必然かもしれないオチが、(主人公と同世代読者である私には)がっかりさせられると同時に、納得もさせられるのでした。

「社屋の中」は前三作と比べると構造的にも少し異色で、話者である「ぼく」は、ほぼ視点人物の位置づけでしかなく、真の主人公は「ぼく」の元上司です(年齢の記述はないが話的に50代でなければ合わない)。

 会社の近くで、偶然、うしろからポンと肩を叩かれ振り返ったら、元上司だった。営業所長で失敗して本社に戻され、窓際族の大部屋入りを命じられたと聞いていたのに、思ったよりも元気でいきいきしている。あまつさえ、お茶に誘いたいのだが近頃忙しいので、と大股に去っていく後ろ姿に、「ぼく」はちょっと悲しくなります。忙しい? 窓際族の大部屋付きで忙しい? しかし元上司は本当に忙しかったのです。たぶん……。

 窓際族の課では、タイムレコーダーで出退勤時間がきちんと打刻されていれば、その出退間の時間は、別に課の部屋にいなくてもなんら不都合はない、という記述に、膝を打つとともに、これにもなんとなく(同世代として)がっくりもしてしまうのでしたが、本篇は(むろん元上司の作り話の可能性は残されていますが)、逆説ではない結末なので、共感的に読了できました。本集中のマイ・ベストワン。

 残りの4篇は、入社したての新人から3、40代くらい会社員が主人公で、これらは上記4篇のような主人公の態度への違和感(?)はあまり感じず、いかにも眉村卓の小説らしい作品世界で、楽しめました。

「まぶしい朝陽」の主人公は、「3丁目の夕日」的な過去に逃げ込むナルシシズムを嫌悪しますし、「従八位ニ除ス」の新人は、最初違和感を持った会社の体質に、いつの間にか馴染んでしまう(それの当否は別にして)。

「思いがけない出会い」『眉村卓異世界コレクション』にも再録された秀作ですが、都度都度無限の可能性がひとつに確定しながら延びていくはずの時間線が、なぜか収束せずふたつの時間線に分岐したまま存在してしまったのを、ひとつに収束させようと(正しい秩序の回復)やってきた次元修正員を、ふたつの世界に分かれた二人の同一主人公が、協力して殺し、その結果二つの時間線はそのまま別々に延びていきます。

「ペンルーム」の主人公は、自由業者たちの共同仕事部屋での奇妙な体験の後、次のように少し変化します。
「自分の勤めている大企業がきわめて堅固であり、ひとつの世界ではあるものの、その世界はどうやら有限であり、一歩外へ踏み出したり放り出されたりすれば、そこはどうにも手のくだしようのない化けものの領域なので……そんなところに踏み込みたくないため、小さく小さく生きるようになりだしたことである。/そして彼が、必ずしもそうしたおのれに満足しているわけでないことも、またたしかなのである」(下線、管理人)

 こう見てきますと、主人公が50代の作品とそれ以外の作品では、私には有意な違いが感じられます。著者の50代へ向ける視線には、いささかどうも辛辣なものがあるのですね。
 ちなみに本書の初刊は82年。著者48歳です。初出誌の記載はありませんが、収録作品は、おそらく40代半ばから後半にかけて書かれたものでしょう。すなわち50代が指呼の間に迫ってきた、ということを意識し始めた時期の作品といえるのではないでしょうか。この事実はけっこう重要かも分かりません。

 一般的に言って、40歳台といえば、まかされる仕事も責任のかかるものになりますし、人生においても、社会的にも、最も充実する時期だと思います。事実、会社を実際に動かしているのは40代です。
 ところがそんなさなかにあって、ちらりと心をよぎるのが、自分もそのうち50歳だ、という怯えにも似た思いではないでしょうか。40来たりなば50遠からじ。10年なんか、あっという間です。

 40代にとって、50歳というのはどんなイメージになるのか。それはやはり(一握りの選別された者以外は)、後進の40代に道を譲って退場していくというイメージではないか。
 じっさい、(本書執筆当時はまだ少なかったと思いますが)最近はどの会社も50歳役職定年制が導入されています。そして大方の50代は、それに楯突くこともなく、従容として受け入れ、流されていくんですよね。
 まさに人生の最盛期である40代にとって、50代は先が見えて反抗心を失った情けない存在、と見えるのではないでしょうか。ただしやがて自分もそうなってしまうかもしれない存在とも。ある意味アンビバレンツな思いがそこにはあるように思われます。

 本書の4人の50代には、50歳を目前に控えた著者が感じていた、50代のイメージが表現されているように思われてなりません。そしてそれは、決して肯定的なものではありませんね(「社屋の中」の元上司は、ちょっと違うかもしれません)。
 少なくともこれら4篇には、自分はこんな風にはならないぞ、という暗黙の決意が隠されているように、私には感じられたのでしたが、どうなんでしょうか。

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自殺卵

2013年09月16日 11時07分00秒 | 読書
眉村卓『自殺卵』(出版芸術社 13)

 本書は眉村卓の最新作品集で、10年ほど前に雑誌掲載されながら単行本未収録だった「豪邸の住人」と「月光よ」以外は、すべて去年から今年にかけて書き上げられたものを収録した、文字どおりの新作集です。

1) 「豪邸の住人」
 これ、眉村版「聊斎志異」ではないでしょうか!? 一読、まずその思いが頭に浮かんだ。しかしまあ、そう思ったのには伏線がありまして、本書収録作「ペケ投げ」に、主人公が「聊斎志異」を愛読していたという記述があり、そしてこれは著者の小説では通例と言ってよいのですが、作中人物は何程か著者自身を反映している。
 とすれば著者自身が「聊斎志異」を子供の頃愛読し、その影響を受けたのではないかと考えるのは、さほど間違っていないと思われます。(後記:というか、そもそも東京堂書店の「眉村卓が選ぶ10冊」に、著者は「聊斎志異」を選んでおられましたね)
 ですから本篇について「聊斎志異」っぽいと気づいたのは「ペケ投げ」を(初出媒体で既に)読んでいたからでありまして、そうでなければ気づかなかったかもしれません。
 そうと知って振り返れば、それは本篇にかぎったものではなく、たしかに著者の(とりわけ怪異系の)小説には、その怪異の存在の形式に、「聊斎志異」がみとめられることに気づいた(初期の「わがパキーネ」なども、初期作品だけに外観はかっちりしたSFで固めていますが、いわゆる「狐魅譚」の変形と解釈できそうです)。
 とはいえそれは一見ではわからない。いわば「内在」しているのであって、上記のような「ヒント」を与えられてはじめて気づくという感じだったと思います。
 しかし本篇「豪邸の住人」では、そういう「聊斎志異」の雰囲気が直接に私には感じられました。

 男がお屋敷町を散歩していると、空地だったところに豪邸が建てられていた。表札を見てびっくりする。記された名字が男のそれと同じだったのです。また何日かしてそこを通りますと、中に奥さんらしき女性の姿が見え、それがなんと、男の妻にそっくりだった。
 その後、男は自分がその豪邸に住んでいる、つまり豪邸の主人になっている夢を頻繁に見始める。その夢の中で、主人となっている男は、自分の身が、逮捕とかピストルで撃たれるとか、そんなふうに破滅する予感に怯えているのです。
 そしてついに或る日、男は豪邸の主人の姿を見かけてしまいます……

 これ、舞台を唐宋明清のどこかの都市の、栄えている役人とうだつのあがらない書生止まりに置き換えても十分通用する設定ではないでしょうか。
 本篇はSF的に解釈すれば並行宇宙が混在してしまう話ですが、中国古小説的にいえば夢とか生霊ということになる。以下は「聊斎志異」じゃなく唐代の伝奇ですが、「邯鄲夢」は夢のなかで権勢を体験してそのはかなさを知り、平凡な自分に不満を持つことをやめる。似ています。一方、生霊的には「離魂記」が想起されます(どちらも活動している点は違いますが)。
 そしてとりわけ重要だと思うのは、本篇の主人公を、「私」でも「彼」でも「佐藤一郎」でもなく、「男」としている点ではないでしょうか。ごく一般存在の「男」なのです。これは眉村作品としては、初期のショートショートを別にすれば珍しいと思います。視点人物を「男」としたことによる距離感――私はこれが決定的に本篇を「聊斎志異」(もしくは中国古小説)と感じさせる契機(Moment)となっていると思います。

 今まで著者が内在させていた「聊斎志異」的な志向性が、本篇ではじめて(かどうか検証してみないと断言できませんが、とりあえず)外面にまでその姿をあらわした。そしてそれは、どうやら本書『自殺卵』所収の、後続する諸短編*にも、引き続いているようなのです(主人公が「男」なのは本篇だけですが)。
 *本篇は本集中で一番早い時期に書かれた作品(本集は執筆順というか発表順に配列されています)。

2)「月光よ」
 収録順で行くと、次は「アシュラ」なんですが、先にこちらに着手しました。というのには理由がありまして、本集収録作品全8篇は、執筆時期に於いて二つのグループに大きく分けることができます。「豪邸の住人」と本篇「月光よ」は98年の作品なのですが、それ以外の6篇は、2012年以降に初出誌に発表されたもの。したがってこの2グループの間には、実に10年以上の開きがあるのです。
 十年一昔というくらいですから、その時差というのはやはり大きなものがあり、その間*に、著者の文体は少し変化しています。
(*その間にも中篇「エイやん」、長篇「いいかげんワールド」、短篇集「沈みゆく人」が発表されており、執筆活動が途絶えていたわけではありません)

 先回、本書は執筆順に配列されていると、うっかり書いてしまいました。ところが実際は、上述のように「豪邸の住人」の次に「アシュラ」がきており、本篇「月光よ」は3番目に並べられている。こうなった理由が、ちょっと私にはわからないのです。少なくとも、巻末の収録作品一覧では正しく執筆順に配列されておりますし、著者あとがきでも「豪邸の住人」の次に「月光よ」に就いて述べられているのです。
 先に書きましたように、文体(スタイル)が変わってきているので、本文も執筆順のほうがよかったのではないかなあ、という感じが私にはありまして、そういう次第で「アシュラ」より先に本篇を読むことにしました。

 前置きが長くなりました。
 主人公の「私」はフリーライターで、会社勤めを続けていたら一年前に定年退職しているという年齢。定期健診で異常が見つかり、精密検査をしなければならないということになる。それで精神的に落ち込んで、深夜、とぼとぼと路面電車の駅から帰宅の途次、(折からの満月の)月光が強くあたって「月光溜まり」のようになって青く浮かび上がっている場所に行き会う。と、その月光溜まりから、「男」の脳に直接、思念が届いたのです……

 非常に幻想的な、詩的で静謐な小説世界が展開されます。うっとりとして読みおわりました。まさに狂気月食――じゃなくて狂気月光なんですが、ピンクフロイドの幽玄なサウンドが聞こえてきそうな世界です。
 通常は(現代は夜でも光が溢れているため健康な人間には)届かない月光の呼び声が、主人公の落ち込んで弱くなった心には届いたのです。

 こういう詩的な世界表現は、第2グループには殆んど現れません。もっと即物的で乾いた簡潔な表現になっていくのです。また月光の呼び声と書きましたが、主人公と感応したのは月光そのものではなくて、実は何者かが月に設置した装置から月光にのってやってきた「?」としか言えない何かなのですね。そんなクラーク的というかSF的な趣向も、第2グループからは姿を消しています。「聊斎志異」的な趣向へと変化してゆくんですね。
 あ、「豪邸の住人」も聊斎志異なので、むしろ小説をかっちりと構築して虚構世界を作り上げていこう、という(小説家としては当然の)志向性というか呪縛から、解放されて来ていると言い換えましょうか(大家の境地?)。

3)「アシュラ」
 アシュラとは、市販されている抗老サプリメント。精力剤とかそういうものではなく、精神を賦活する作用があるとのことでよく売れているらしい。もちろん小説内存在物です。
 本篇は、この薬以外はすべて、いまここにある現実の世界が舞台です。ですから、ほとんど一般小説を読んでいる感じ。しかしながら、アシュラは未来に属しますから、本篇はやはりSFです。すなわち安部公房的な意味で、アシュラという未来からの贈り物が、現実世界を逆照射する物語だからです。

 主人公の「私」は70歳。アシュラを1か月前から常用している。どのくらい効果があるのかまだわからないが、とにかくきちんと服用している。
 そんな私が、ある日、電車で同じ歳くらいの男(老人)に、身に覚えのない因縁をつけられます。何が気に入らなかったのか、居丈高に謝れというばかり。とりあえず話をしようということになって、男と共に停車した駅のホームに降ります。しかし男は頭に血が上って前後見境つかない様子で、掴みかかってきたのです。
 しかし「私」は、老いたりといえども武道の心得があった。逆にその手首をひねってねじ伏せてしまう。と、突如男が戦意を喪失し、呆然とした面持ちで、まるで憑き物が落ちたかのように私に丁重に謝り、ふらふらと離れていったのです。

 どうやら、精神を賦活するアシュラは、飲み過ぎると賦活を通り越して、老人特有の立腹癖を助長するらしい。そんなことがだんだんわかってくるのですが、「私」は飲み続けます。たしかに元気になってくる実感があるからですね。
 それからさらに1か月が過ぎ、「私」はウオーキングの途次、同様にウォーキングしている50歳くらいの男が、こっちを見て笑っているように感じ、瞬間湯沸かし的に怒りの発作に襲われ、気づいたときには、その男に向かって歩き出していたのでした……

 未来からのギフトは、老化という存在形式が、その形式に組み込まれた人間に、どのような作用を及ぼすものであるかを、かなり冷徹に剔抉してみせます。
 たぶん、著者は、実際に電車の中で因縁をつけられたりしたことなどがあったのかもしれません。本篇は、そういう個人的な体験を元にした私ファンタジーであるのかもしれませんが、本篇ではそれが個人的体験にとどまらず、そこから出発しそれを突き抜けて、老人とか老化といった一般的な命題の考究にまで昇華されて、小説化がなされているのです。
 まさに未来が現在を断罪するという、安部公房的な意味でのSFの、小品ながらひとつの成果となり得ていると作品であると感じました。

4)「自殺卵」
 先々回、「アシュラ」が第1グループの中に挿入されているのが不審と書きました。本篇を読んで少しわかったような気がしました。
 本篇に比べれば、「アシュラ」はまだまだ構築のリアリティに配慮がなされているのです。つまり、ある意味第1グループ的な作品なんですね。アシュラという抗老サプリメントもそれなりに「あり得るもの」と読者に納得できる。そのように書かれています。
 本篇の「自殺卵」はどうでしょうか? あ、そのまえに「自殺卵」は「じさつらん」じゃなくて「じさつたまご」と読むそうです(表紙や扉の題字もそのようにかなが振られています)。「じさつらん」では、なんとなく生殖細胞の「卵子」に関連するものを連想されそうだし、「じさつたまご」なら、ちょっと「温泉卵」みたいでなかなかよろしいんじゃないですか、ということのようです(笑)。

 閑話休題。「自殺卵」も「アシュラ」同様(安部公房的に言えば)未来からのギフト、現代を断罪するために贈られたものです。ところがその(小説内での)存在のあり方は180度違います。
 「自殺卵」を贈りつけている当の存在は、彼らの言に従えば「あなたがたのいうエイリアンでも生物でもありません。あなたがたにも感知も理解もできない、宇宙全体の作用なのです」。宇宙全体の作用みたいなものが、「機嫌よく滅んで下さい」なんて文言をしたためているのです(汗)。

 なんかもうヤブレカブレで、リアリティを装う意志をはじめから放棄しているような設定ではないでしょうか! 前々回、「小説をかっちりと構築して虚構世界を作り上げていこう、という(小説家としては当然の)志向性というか呪縛から、解放されて来ている」と書いたのは、こういう意味なのでした。まことに自由闊達、融通無碍の境地で、本作(以下第2グループの作品)は書かれている。あとがきで著者自身が、「ここから先が、何だこれ、変なものを書くんだな、と言われるだろう作品が並ぶ」と言っています。

 変なものとは、読者が「近代的な小説概念」を(無意識に)念頭して読むとそうだということでしょう。つまり「近代小説」(一般的なSFも当然その範疇です)とは別の表現、別の筆法を、著者は「自殺卵」以降の作品で選択したということです。その別の表現法とは何か? それが「聊斎志異」だったのではないでしょうか。
(ちなみに「聊斎志異」は清代の作物ですが、そのスタイルは同時代の明清の長編小説よりも、唐宋の志怪・伝奇小説により近しい。要するに中国古小説の筆法ということで、遠近法的立体的で幾重にも上から塗り重ねていく西洋の油絵ではなく、淡い淡彩画・水墨画的な世界表現に、著者は向かったといえるように思います)。

 さて、以上のごとく新しい文体(スタイル)で表現された本篇は、そのスタイルの要請と相俟って、独特の世界観(感)を私達に提示しています。一読感じたのは、「淡々と進行していく不気味」といった感覚でした。

 本篇は、分類するならば「破滅小説」です。「宇宙全体の作用」と自称するわけのわからない存在が(それがまた半透明でトコロテンみたいな姿をしている(存在そのものではなく使い走りなのかもしれませんが)というのがなんとなくアンバランスで可笑しい。クラーク描く、もしくはSFが描く、至高存在とのこの落差!
 ばら撒いた自殺卵で、どんどん人口が減っていき、それにつれて社会がだんだん回っていかなくなる様子が、淡々と、何の感慨(哀感)も交えずに描写されており、そこに私は、何ともしれぬ不気味な印象を持ちました。「生」への執着が稀薄な感じなのです。

 「破滅小説」と書きましたが、それは描かれる世界の破滅であると同時に、それを描いている「視点」というか「視線」に含まれている何かでもある。
 小説世界は次第に、かつての戦後的世界・焼跡闇市を彷彿とさせる風になっていくのですが、語られる視点は、むしろそれを喜んでいる気配があります。そういえばあとがきで著者は、「今の時代をそういうかたちにすることに快感があった」と書かれていますね。
 (戦後のゼロから発して)今在る(このようにしか在りえなかった)世界への違和感は、戦後を知らない50代の私にもあります。いわんやゼロを知っている70代の著者には(私のそれと同じかどうかは別にして)当然あるはずです。本篇はそのような意味で、一種の「復讐」なのかも。
「なお、誤解しないようにして下さい。われわれの贈り物で消滅した人は、いわゆる死後の世界に行くわけではありません。消えてしまうだけです。妙な期待は無用です」(107p)

 イギリスSF伝統の破滅ものを中国古小説的な筆法で淡々と描いた異色の傑作といってよいのではないでしょうか。

5)「ペケ投げ」
 本篇は、もろに「聊斎志異」です。いつからそれが始まったのかははっきりしませんが、いつのまにかそれは始まっており、またたく間に全国に波及しました。それとは「ペケ投げ」です。
 「ペケ投げ」とは何か。文字どおりペケポンのペケを投げること。「ペケ投げ」なんていわれますと、「自殺たまご」と同様、その語感に滑稽味を感じてしまうんですが、しかしてその実体はといえば、これまた自殺卵と同じで、人間社会にとってきわめて深刻な現象、事態なんですね。

 不正なことを目撃したり、許せないと感じたりしても、ふつう人間は、即それに対応して行動を起こすことはありません。余程のことがない限り胸のうちに押しとどめて、非難したりはしないものです。自制心が働きます。ところが「ペケ投げ」は、人間の自制心(理性)のコントロールが効かない不随意現象なんです。
 ペケ投げでは、許せないと感じた途端、その気持ちを制御するいとまもなく、その原因に向かって「X」を投げつけてしまっている、という行動です。その瞬間を、当人は自覚しません。とにかく無意識のうちに、当人は「ペケ投げ」をしてしまっているのです。投げつける格好をするというのではありません。不思議なことに、何も持っていない掌から、黒いX印が飛び出して、目標物(や人)にべっちゃりとくっついてしまうのです。

 そもそも人間社会は、曖昧な部分を残すことでギクシャクせずに済んでいる面があるわけですが、ペケ投げにはかかる「大人の理性」は働きません。白黒はっきりと分たれて灰色の余地はない(しかも感情という非理性的なものに立脚している)。
 要するにペケ投げって「ダメ出し」なんですね。これがとんでもない事態であることは、別に想像しなくても分かります。実際にこんなことになったら、共同幻想の上に成立している人間社会は、忽ちにしてバラバラになってしまうのではないでしょうか。そう「ペケ投げ」もまた、現在を断罪するために贈られてきたギフトなんです。

 「ペケ投げ」の原理はまったく不明となっています。怪異だとしても、人はそれをあるがままに受け入れるしかない。
 「アシュラ」はとりあえず工業生産品でした。「自殺卵」もその原理は不明ながら「宇宙の作用」と自称する半透明のトコロテン生物(?)が配って回っていました。
 けれども「ペケ投げ」には、もはやそういった(擬似科学)説明すら放棄されています。ただ「ペケ投げ」という奇怪な現象が、いつのまにか日本中(だけでなく世界中にも)に拡がっているのです。これはまさに、「伝奇」や「志怪」の筆法です。一般的なSFの疑似科学的説明とは一線を画すものです。

 管見では「怪奇」とはレ点を施して読み下せば「奇ナルヲ怪シム」となり、怪異現象を合理的に解釈するという意味に拡大解釈できます(奇怪ナリとはいっても怪奇ナリとは一般に言わないのではないでしょうか)。
 その伝でいえば、「伝奇」は「奇ナルヲ伝フ」であって、怪異を疑わずそのまま伝えるという意味です。「志怪」もまた、(「志怪」の「志」は「三国志」の「志」と同じく記述するという意味なので)「怪ナル志ス(そのまま記す)」となるはずです。
 つまるところ中国古小説の「伝奇」も「志怪」も、同じ意味内容を表現しており、それはともに「怪奇」とは対角的な態度といえる。(「聊斎志異」の「志異」も同様です。聊斎は蒲松齢の号)
 そのような意味に即せば、「ペケ投げ」は「奇ナルヲ怪シミテ」合理的解釈を目指す「SF」ではありえません*。「伝奇」「志怪」「志異」と筆法を同じくするものといえると私は思います。いささか強弁にすぎるでしょうか(笑)。
(*但し言う迄もなく広義のSFではある)
 本篇は、「自殺卵」に比しても伝奇へ傾斜しており、著者のこのような作品群の頂点的な位置を占めているように思われます。

 さて――。ペケ投げ騒動が沈静化してしまってから、主人公はこうしみじみと述懐します。
「白状すると、私は心のどこかで、ペケ投げのあった頃が、なぜか、懐かしい気がするのだが」
 この言葉は、先回引用した「今の時代をそういうかたちにすることに快感があった」に直接繋がっていくものでしょう。何もかもオブラートに包み込んで、一見、平穏平安な現代ニッポンの虚飾を、剥ぎ取ってしまいたい、ゼロへ引き戻したい、という(ゼロ世界を体験した)著者の密かな(そしていささか無責任でヤブレカブレな)願望が、ここには表現されているように私には感じられてならないのですが。

6)「佐藤一郎と時間」
 いわゆる小説の常識的な筆法の拘束から、第2グループの作品群は何ほどか自由になってきていると書きましたが、本篇はそれを批評的(再帰的)に行っているように思われます(後述する「とりこ」参照)。
 冒頭からして異色です。
「どこにでもいそうな名前でいいのだ。ある本によれば、日本で一番多い苗字は鈴木ではなく佐藤だそうである。なら、姓は佐藤で名も(今は少ないかもしれないが)ありふれた一郎でいいだろう」
 なんというテキトーさ。ラノベの命名法とはまぎゃくですね。端から虚構構築を拒絶しています。

 その、主人公である佐藤一郎は、春の或る日、散歩中に不思議な現象に遭遇します。突如、行く手の空中に半透明の物体が現れ、忽ち透明さを失って黄緑色の塊となり、草むらの向こうに落下したのです。恐る恐る首を伸ばして覗きこむと、その物体は人間に変身する最中だった! 変身を完了しどこから見ても人間の男そのものになった「それ」は、逃げ出そうとする主人公に「待たれよ」と声をかけたのです……

 鈴木二郎(!)と名乗った「それ」は、自分は人類の歴史を過去から未来へと時間を飛び越して進んでいる旅行者で、いま、この時代に辿り着いた。ついてはお話を聞かせてもらえないか、と佐藤一郎に言うのです(おそらく「待たれよ」なんて古風な呼びかけをしたのは、江戸時代あたりから跳んできたんでしょうね(^^;)。
 そして鈴木二郎は、人類は老年期にさしかかっていると思いますか、などと訊ねるのです。確かに、原発やバイオ技術やコンピュータなどは、人類の活力を維持するための、副作用も毒もある(生活習慣病の)薬のようなものなのかも、佐藤一郎は漠然と思います。

 鈴木二郎が未来へ去っていったあと、佐藤は不思議な夢を続けざまに見ます。それはケイ素型生物の、その始まりから終焉までを、ピョンピョン跳びながら、七夜で体験してしまう、というものでした。
 佐藤は、卒然と、これは鈴木二郎と同じ体験をしたのではないか、と気づく。おそらく鈴木二郎も、地球人類の終焉のときを、その目で見届けたに違いない。それが遙か遠未来なのか、ほんの数年先(ひょっとしたら数日先?)の事だったのか、それはわかりませんが。
 その後佐藤は、検査で進行性の癌である事を知る。入院しなければならないことになる。医師の雰囲気から、余命はそう長くないようだと感じる。お話は、佐藤が検査の結果を聞いたあと、病院の階段を降りてくるシーンで終わります。「銀杏は次々と黄葉を降らせていた」

 本篇は主人公である佐藤一郎が遭遇した怪現象(夢を含む)の顛末を記述するもので、これは中国古小説でもっとも一般的な「伝」という叙述形式なんですね(例えば「南柯太守伝」)。その意味で、本篇は「佐藤一郎伝」ということになる。

 「南柯太守伝」というのはこんな話。ほんのひとときの午睡に主人公は夢を見ます。門の外に立つ櫂の木の根元の穴を通って行った架空の国で、王に信任され、めきめきと頭角を現し王に次ぐ権勢を得るも失脚し、尾羽うち枯らして故郷に帰ってきたところで目覚める。目覚めて不思議に思った主人公が、当の櫂の木を調べると、果たして穴があり、掘り進めると、巨大な蟻の巣になっていて、その配置が夢のなかの王国と同じなのでした。
 その後主人公は亡くなるのですが、それは夢の中で(現実には死んでいるはずの)父と再会を約束したその日だったのです。

 かくのごとく「南柯太守伝」は、夢と現実に相関関係を張りめぐらせた筋立てなんですが、「佐藤一郎と時間」も同じといえるのではないでしょうか。
 夢のなかで佐藤一郎は、或る文明の発生から終焉までを通観する。鈴木二郎もおそらく地球文明の最期を見届ける。夢から覚めた佐藤一郎は、現実の世界で、自らの生の終焉に突き合わされるわけです。そのゆくたてが、春に始まって銀杏の落葉する秋までの間に嵌め込まれています。

 以上は小説としての本篇の要約ですが、著者の小説の例に漏れず、本篇に於いても著者自身の体験が素材として利用されています。
 実は著者自身も、あとがきにありますとおり、検査で癌が発見され手術されたという事実があるのです。幸い手術は成功し予後も順調で、今現在著者は以前にもましてピンピンされていてお元気なんですが、執筆されたのは癌が発見された直後から手術前という時期で、いろいろ精神的にもしんどかったこともあったのではないでしょうか。本篇の色調にはそれが反映されているようにも感じられます(いまそれを何を憚ることもなく公言できることを、私はとても嬉しくありがたく思います)。ということで、次は「退院後」を読みます。

7)「退院後」
 先回読んだ「佐藤一郎と時間」と本篇「退院後」、そして次の「とりこ」は、三部作ということになるかと思います。
 これまでも著者は自己を小説の基底に据えるのが特徴だったわけですが、しかしそれは小説世界が、著者がこれまで生きてきた、そのことにおいて必然的に遭遇し決断し処置して来た、来ざるを得なかったところの、現実世界(歴史)への対峙(格闘)の仕方と重ね合わせて、納得できなければならない、納得できないことは書けない、といった、一段階高次のレベルでそうだった。
 著者のリアルな、具体的な体験がそのまま小説の素材となることは少なかったはずです。たとえば小説世界が、固有名詞を隠しているだけで大阪南部の土地を知るものには自明であるとか、朝が極端に弱いので目覚まし時計を何個も枕元に置く(というのは私の著者に抱くイメージだけれども、それに類する描写は著者の作品に枚挙にいとまがないはず。「あの真珠色の朝を…」はオブセッションでしょう(^^;)とか、いかにも著者を彷彿とさせる図ですが、前者は主体性に関わってくるものではなく、後者はある意味小説家一般のイメージともいえます。

 今回の三部作はそういうレベルではなく、まさに「著者の現実」が小説の核となっている(傍証として「佐藤一郎と時間」では主人公の職業の記述はないのですが、後二者でははっきり作家であることが、それもどうやらSF作家らしいことが分かるようになっている。本集収録作品中で主人公が(SF)作家となっているのは、この2篇のみ)。まさに、「私小説」そのものです。もっとも、そうはいっても単なる私小説に終始してしまわないのがこの著者らしいところでありまして、最終的にはやはり想像的な領域へと拡大していくのですね。

 さて本篇です。主人公は「私」。名前の記載はないですが「佐藤一郎」ではないと思います(ああ、先に言っておきますが、小説内人物として別人という意味です)。が、その世界設定は引き継いでいます。
 「佐藤一郎……」のラストで、主人公に進行癌が発見されました。それを引き継ぐ本篇では、すでに入院手術は成功しており、主人公「私」は5日前に自宅に戻ってきている。というところから話は始まります。しかし長期の入院生活でまだふらふらの状態。こんなことで回復するのだろうかと「私」はあやしく思っています。
 また主人公は、自分が世の中から遅れ始めていることにも(これは既に10年ほど前から)気づいている。「外の世界」に対する興味も、それに関わっていこうという意欲も、減退してしまっている。 橋元淳一郎的に言うならば「生への意志」が希薄化しているのですね。あともうひとつ、それと同時に現代社会の「棄老」傾向に嫌気がさしているせいでもあるのです。

 話はそれますが、前者に関してはこれは多分に老化の一般現象で、実際私も、近頃とみに「外の世界」への関心は減退していまして、新聞もしっかりとは読まなくなってきました。テレビも別に見たいとは思いません。50代も後半になれば、誰でもそうなのではないでしょうか。違うのか。
 いや政治家をみなはれ、ぜんぜん「生の意志」は希薄化などしてませんがな、ですって? たしかにそうかもしれません。しかしそれは忙しすぎて、実は惰性なのに、それに気づく暇がないだけかも。というのは、仕事関係で、(オーナー)社長を引退し息子に譲った方が、複数、引退した時点では元気だったのが、数年たたず亡くなっているという例を私は知っているからで、「仕事一筋」でやって来た人が、あるいは「社内抗争」に明け暮れていた人が、とつぜん、というか、「生まれて初めて」走るのをやめたとき、一気にそれがやってくるのではないか。

 閑話休題。要するに外界への関心の低下は、老齢化の一般的現象でもあるということを言いたかったのでした。いまひとつの社会の「棄老」傾向も、次の「とりこ」で、客観的に看破されているように「社会」の本質的契機にほかならないので、これまた社会が老齢者から「生への意志」を奪っていくという一般現象の面がありますね。

 さて、退院して5日目の「私」は、ふらふらしながらバスに乗っています。と、とつぜん視界が真っ白になり、バスの中ではないようです。そしてその白い霧の中から、過去の知り合い達がぼんやりと現れ、次第にはっきりとした姿を持ち、近付いてきては、「私」の横を通り過ぎ、通り過ぎると同時に消えていくのでした。そしてその知り合い達は、何ほどか、「私」が記憶しているその人達のイメージとは違うのです。
 そのとき、頭の中で、だれかの声が聞こえてきたのです。声は言います。そもそもあんたの記憶が怪しいんだよ……

 その後も主人公の視界は何度も変化し、そのたびに自分が知っている現実とは少しずつ異なったものが見えてくる。
 その理由を、声の主が言う。「あんたは、あんたたちの共同幻想である世界に生きている」「その中であんたは、その共同幻想からこぼれ落ちようとしている。老化や病気で、もはや共同幻想*のうちにとどまっていられない人だ」

 *この「共同幻想」というのは、おそらく(吉本隆明のでも岸田秀のでもなく)松井孝典が説く共同幻想です。例の東京堂書店のフリーペーパー「眉村卓が選ぶ10冊」に松井氏の『我関わる、ゆえに我あり』が選ばれており、私も読みましたが、基礎素養が達してなくてよくわかりませんでした。課題とします。
 でも要するに、私の知識内解釈でも、世界に参加してこそ生の快感が実感できるというのは社会学の根本命題なので、その視点からしても、上記の理由で「生の意志」が減退すると引力よりも斥力が勝ち始めて、最後には振りほどかれてしまうというのは妥当性があるように思いますね。

 やがて、脳内に言葉を送ってきた当の存在が姿を現す。それはこんな姿。「高さ20センチか30センチ、太さ直径10センチばかりの指サック状」「ちゃんと小さな目が二つと、裂け目のような口があった。両腕もあった。その裾の下からは二つの足が見えている」
 ……えと、それって眉村さんが描くおなじみの「タックン」とか「卓ちゃん人形」と呼ばれているキャラクタでは?(汗)
 
 こいつが、あんたらは自分たちが現実に存在していると思い込んでいるが、そして共同幻想の中に生きているが、実はそもそも、あんたらはわれわれ(タックン)の想像の産物、われわれが「あんたらを生み出した存在だよ」、だからあんた(主人公)を消去することも簡単にできるのだと、のたまうのです。
 ああそうでっか、と主人公、(そもそも生の意志が薄れていますから)じゃあ消してもらって結構と売り言葉に買い言葉。
「そうかそうか」「じゃ、そろそろそういうことにしよう」「消えてもらうよ。さらばだ」
 そのとき主人公は重大なことに気づきます。実は……!?
 ――いやだいたい、タックンが「共同幻想」なんて言葉を弄しているのもそうですが、そもそもそいつが「タックン」であることからも、それは当然の理路なのです(笑)

 ということで、「私」は消滅していない様子ですが、すでに共同幻想から離脱しているからでしょう、世界は確固たる相を失っており、視界は像を結ばず、輪郭のないぼんやりした異空間として現前している。主人公はその流動的な流れの中を漂流するばかりなのです。

 ところで、興味深い記述がありました。「私」が現在の「私」に至ったのには、来し方における重要な分岐点で、こちらに来るように曲がってきた結果なんです。そういうことですよね。
 ところが、上記の白色空間に現れる、自分の記憶とは異なった映像の一つとして、そのような分岐点で、別の道を選択しようとしている「過去の私」が現れます。そしてそのことによって「私」を戦慄させるのです。
「かつて私の書いたものを読んで、この筆者は幼児回帰願望を持っていると決めつけた者がいたけれども、それは錯覚である。過去を語る人間がみな幼児あるいは少年的回帰願望を持っていると思うのは、私に言わせれば文学中毒である」
 として、
「少なくとも私の場合、過去は、そこからうまく今のコースに抜け出せた記念碑なのだ。そこからもしも別の道に行っていたなら、今のおのれはない。今の道を来たから自分は助かっているのである。私はそう信じる。だから過去は、私が憎み恐れる対象なのだ。現在の自己を肯定できなければ、おのれを信じるのは不可能である。現在の自己を肯定するには、過去、自分が選ばなかった方向につながる過去を憎悪すべきなのである」

 だから、白色世界に浮かぶ、過去の「自分」達の「間違った」決断に、主人公の「私」は恐怖したわけです。言われてみればそのとおりですが、ちょっと独特の観点でもありますね。
 いうまでもなくこの部分は、主人公というより、著者自身の生の発言というべきでしょう。本篇の「私小説」性が最も際立った部分です。そういえば著者は何かのインタビューだったかで、人生をやり直せるとしたらどの時点に戻りたいか? との質問に、やり直したくない、と回答していたのではなかったでしたっけ。

 結局、本篇は何だったのか? 老齢化と社会の棄老傾向でいいかげん社会(共同幻想)からの斥力が働いていた主人公の「私」が(もちろんその頃からうすぼんやりと半自覚してはいたのでしょうが)、大病を患ったことで(手術の結果は成功だったけれども)、年齢からしても病気からしても、いつ死んでもおかしくない、いつ死んでも想定内だということをはっきり自覚し、客観的に見られるようになり、ある意味開き直った、その軌跡を定着させたものといってよいのではないでしょうか。

8)「とりこ」
 冒頭の、「今回は、緑映一にしよう」は、もちろん「佐藤一郎」を踏まえています。だから「今回は」となるわけですが、となると、この「今回は、緑影一にしよう」とつぶやいているところの所謂「話者」は、一体だれなのか? 当然主人公である緑映一ではありえませんよね。
 いうまでもなく作者なんです。「佐藤一郎と時間」を書いた(語った)作者が、今回、本篇「とりこ」も書いた(語った)ということが、表現されているわけです。
 そうしますと、「私」が主人公の「退院後」も、形式の慣性で「私」が話者(視点人物)のように見えますが、やはり作者が視点人物として語ったもの、と見てよいのではないか。

「どこにでもいそうな名前でいいのだ。ある本によれば、日本で一番多い苗字は鈴木ではなく佐藤だそうである。なら、姓は佐藤で名も(今は少ないかもしれないが)ありふれた一郎でいいだろう」も、「今回は、緑映一にしよう」も、この二人の主人公を話者と考えると浮き上がってしまう一文ですよね。でも、なぜ著者がこうしたのかに思いを致せば、当然こうでなければならない仕掛けであったことに気づされない訳にはいかない。

 結局(「私」も含めた)この三人の主人公は、著者が演じている、もしくは著者が中に入っている着ぐるみと考えてよい。作品の冒頭で著者は、今から被る着ぐるみに、とりあえず仮の名前をつけたんですね。あ、それからもうひとつ、演じているわけですから、彼らは著者そのままではない、ということも念のため記しておきましょう。

 そうするとどうなるのか。この三部作は単なる私小説ではなく、「作者の内的世界を舞台にした、神の視点から描かれる一般小説」ということになるのです(いわずもがな、作者の内的世界における神の視点とは、つまるところ作者の視点に他なりません)。
 そのような二段階構造を採用することで、ようやく著者は、自身の状況という、ふつう目を瞑ってしまいたい、なかなか客観的に見るということが困難なものをテーマにしたこの三部作を完成させることができたのではないか。私はそのように受け取りました。

 さて、前作「退院後」は、文字どおり退院したばかりの主人公が、バスに乗っていて不思議なヴィジョンを見る話でしたが、本篇では、退院して1か月後の世界が舞台となります。
 もちろん前作とは別の話ですから、「私」と「緑映一」は別人格です。「私」が見たヴィジョンを「緑映一」は見ていません(というか「私」は共同幻想を失って、いつともどこともいえない場所をさまよい続けているはずです(^^;)。
 しかし着ぐるみの中の人は作者自身ですから、この三作は内的に連結しているのです。

 退院して一か月経ったけれども、まだ体力は戻らず、歩くと体がふらふらと傾いてしまうのですが、それでも緑映一は、そろそろ物書きの仕事を再開しようと思いたち、デパートへ原稿用紙や消しゴムなどを買いに出かけます。そのデパートの特設売り場で「幸運をもたらす水晶玉」が販売されているのを見かける。ちょうど入院保険が下りたところだったので、少々高価だったけれども、販売員に勧められるままに購入する。販売員は緑に、一週間したらまた来て下さい。幸福になっていますよ、というのでした。

 帰宅し、水晶玉を取り出し、机においてぼんやり見入っているうちに、緑映一は眠ってしまい、ふと目覚めると、目の前に自分の顔があってぎょっとします。緑映一の「意識」は水晶玉の中に取り込まれてしまって、その視点から、自分自身(いわば魂の抜け殻)を見ていたのです。

 見えている視界は、固定されたテレビカメラのように動かせません。なのでじっと自分の顔を見つめることしかできない。一方、抜け殻の方も微動だにしない(多分まばたきもしない)。凍りついている。
 そのうち過去のいろんなことが思い出されてきます。どんどん記憶が甦ってきて、それこそ意識がめばえてからの70有余年をすべてたどり直したのではないかと思われるほど。その間、眠ったりもするのです。思い出すのにもある程度時間を要しますから、どうやら自分は、10年以上こうしているようだ、と気づきます。一方、抜け殻の方はまったく変化がなく、時間の経過は認められません。

 ふと気づくと、元の体に戻っていました。時計を確認すると、水晶玉を机においてぼんやり見つめた時間からほとんど経過していなかった。水晶玉の中で、自分は10年以上過ごしたという確かな感じがあるのに、です。

 ところで「魚服記」は「夢応の鯉魚」の元ネタですが、周知のように意識が鯉の中に閉じ込められる話です。ただし「魚服記」では抜け殻と意識の時間の流れは同じです。一方「邯鄲夢」は、主人公は夢の世界で20数年過しますが、夢から覚めれば、ほんの一瞬のうたた寝であったことを知る。どちらの設定も中国古小説にはよくあるパターンです。「とりこ」はこの両方の要素を持っています。その辺は中国古小説っぽいのですが、視点の距離感がちょっと違います。本篇の方がずっと近い。この視点距離の近さは、本篇の創作動機からの必然なんですね。

 話がそれました。この異様な体験後、またとり込まれては大変と、緑は水晶玉を仕舞い込んでしまうのですが、その一週間後、病院の検査で癌が再発していることが判明します。体力が落ちているので再手術が可能なものかどうか、抗癌剤治療にするか、様子を見ましょうということになり、病院をあとにする。
 緑は、水晶を購入したデパートに向かう。一週間前購入した際に、販売係の女性に一週間経ったらまた来て下さい、と言われていたのを覚えていたからです。
 特設売り場はまだあり、一週間前の販売係はいなかったけれども、ショーウィンドーの中にはケースに入った水晶玉が並べられ、そのうちの一つは、水晶玉が見えるようにフタを外されていました。
 それに見入った途端、緑の脳内に、わっと、水晶玉に閉じ込められていた10数年間に想起した無数の記憶や想念が、ふたたびとび込んできたのでした。
 が――そのとき緑が感じていたのは、「幸福感」といってよいものだったのでした……

 「退院後」で「開き直る」に至った「主人公」は、本篇では、さらに「肯定」の境地に達したのです。いや、「佐藤一郎……」からでは180度転回したのではないでしょうか。
 うーむ。この感覚(幸福感)、実はちょっとわかりづらかったのです。でもこれが著者の「実感」なんでしょうね。で、ふと「午後の恐竜」を思い出したら、なんとなく類推的に了解できたような気がしたのですが、しかしそれが正しいかどうか、よくわかりません。本当のところは私自身が、著者のように死を間近にしてはじめて、思い至ることなのだと思います。

 ここで書いておくべきだと思うのですが、著者が着ぐるみをかぶって演じた本篇は、当然小説ですから、小説の要請に従って創作もあれば、元ネタである事実を改変して利用しているところもあります。緑映一は癌が再発してしまいますが、現実の著者の場合は、検査で腫瘍が認められたものの、精密検査でそれが良性のものであることが判明し、よかったよかった、ということだったのです(^^)。
 現在の著者は、むしろ手術前よりも仕事量は増えていると思います。事実今年になってからの出版も、本書で既に(復刊も含め)5冊目で、これは70年代80年代の、一番忙しくされていた時期に匹敵するのではないでしょうか。そもそも強靭な基礎体力をお持ちなのです。
 本書を読まれた方の中には、心配された方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう次第ですので、どうかご安心下さい!

 以上、眉村卓『自殺卵』読み終わりとします。

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職場、好きですか?

2013年08月14日 01時19分00秒 | 読書
眉村卓『職場、好きですか?』(双葉文庫 13)

 桜井節『そよぐかぜつむじ風――八ヶ岳南麓風景抄――』の感想で、眉村さんはこのような生活にはきっと耐えられないだろうな、と書きました。
 眉村さんの小説を読み続けていると、自然とおのずから、著者自身はこういう人なんじゃないかな、というすがたが、なんとなく浮かんでくるのです。でもそれって、きっと私だけの感覚ではないと思います。というのは眉村作品の特徴として、基底に著者自身の体験がしっかり根づいている、そういう作風ですから、すべての作品を通して或る一定の一貫性がある。それは著者について何の予備知識のない読者にもはっきりわかるものなのですね。
 近年の<私ファンタジー>は、その基層がかなり表面近くにあって一部は露床している、そんな部分を掘り返したものといえます。しかしそれ以前の作品も、基本的に全て、表面からの距離に深浅はあっても、基層には著者がひそんでいるのは同じなのです。

「F商事」の主人公がF社の入社試験に合格したのは、主人公が挫折を経験せずにきたエリートではなかったからです。
「ペーパーテストをくぐり抜け、なんでも思いどおりになっておとなになった人間は、障害にぶつかると、とたんに自信を喪失して、人格まで変わってしまう。最近、そんな人が多いからね。だからうちは、挫折して立ち直った者だけでやっていく」
 この言葉、まるで東電社員に当てつけたみたいですが、本書の初刊は1982年なのです(^^;

 一方、「立派な先輩」の主人公が尊敬してやまない、頑張り屋の先輩が、とつぜん会社をやすむ。心配した主人公が様子うかがいに訪れると、
「わたし、いいOLになろうと思って、会社のことばかりやってきたわ」「一日会社で働いて帰ってくると、あと、何もする元気がなくなるのよ」
 それを何とかやり過ごすために、先輩はある薬を常用していたのですが、ここでの肝は、会社からの、もっと広く他者からの期待に応えようとすることに疲れ果ててしまう一つの類型です。それは誠実ということでもあるのだが、意地悪く言えば、自己を高めたいという欲求と裏腹な内的エリート意識(負けてはいけない)でもある。著者は自分の中にある、そのような傾向の負の部面もしっかり見据えているのだと思います。

「必死の夏休み」の主人公が夏休みをとる。
「正直なところをいえば、彼は、自分が夏休みをとれなければ、それはそれでやむを得ないと考えていた。休んだら、それだけ仕事が遅れるからである。もしも停滞恐怖症というものがあるとしたら、彼はその典型なのかもしれなかった。/何もせずに時間を費やすことほど、彼にとって、こわいことはないのだ。少しでも時間のゆとりがあれば、何かをせずにいられない。」
 さて、この主人公の三日間の夏休みは……(^^;
 この主人公が、まんま著者ではないにせよ、このような傾向が著者にあるからこそ生まれた作品であるのは間違いありません。そんな著者が、八ヶ岳南麓で花鳥風月を友に、「惑星総長」よろしく(笑)、悠々自適の生活を送られるはずがありませんよね*(>おい)m(__)m
 それはさておき、ラストの、休み明けで出勤した主人公が同僚に向ける「ちらちらと馬鹿にしたような視線」こそ、上記「自己を高めたいという欲求と裏腹な内的エリート意識」の現れにほかなりません。

「無人の住居」はアイデアストーリーとして秀逸。小松左京「葎生の宿」とともに、アンソロジー「家」にはぜひ収録したい!

「内海さん」もまた、仕事取りつかれ人間。しかしこの内海さんの場合は、上記「停滞恐怖症」とは、ちと違うみたいですねえ。むしろ銀行員とか教員のパロディか。

「仕返し」は、転職可能だったからこそ出来た仕返し。しがみつくしかない者には想像するだけしか出来ませんね。

「青木くん」は、才能も、それを使い切る名伯楽がいなければ、ただの変人という話。

 ふう。疲れたので以下略。そういえばこういう形のショートショートって、著者以外には書いていませんね。星新一流のショートショートとは、端から形式が違うものです。星SSが唯一の形式ではないことを、もっと理論化一般化しなければいけないかも。と言ってもそれは私の任ではないので要望するばかりですが。
 全26篇の”オフィスショートショート集”で、スラスラと読めて、頷いたり、考えこんだり、と、楽しめました。面白かった(^^)。

*「都会っ子の私などは、そうした小さな世界でのしがらみや、自然が残っているための不便さなどには耐えられないという気がするけれども」「上田くん」

【お詫びと訂正】「必死の夏休み」で、
《それはさておき、ラストの、休み明けで出勤した主人公が同僚に向ける「ちらちらと馬鹿にしたような視線」こそ、上記「自己を高めたいという欲求と裏腹な内的エリート意識」の現れにほかなりません。》
 と書きました。完全に読み違えていました。原文は――
「出社した彼は、休暇のブランクを感じさせないスピードで、仕事を開始した。/女子社員たちは、もう全員出てきている。みんな、まだ仕事に身が入らず、お喋りしている。休みの間のことを、ヨーロッパがどうのこうの、ハワイがこうの、と、話し合っているのだ。そして、彼や係長やもうひとりの男子社員に、ちらちらと馬鹿にしたような視線を向けるのであった」(42p)
「ちらちらと馬鹿にしたような視線」は主人公が同僚に向けたものではなく、女子社員が主人公たち男子社員に向けたもので、全く反対でした。何でこんなミスをしたのか。いや理由は明らかで、私の中に「内的エリート意識」というものが予断としてあり、「ちらちらと馬鹿にしたような視線」が、それを証明する格好の記述である、ととびついてしまったわけです。お詫びして訂正します。ああ、これじゃあ麻生さんを哂えませんねえ・・


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そよぐかぜつむじ風

2013年08月13日 01時31分00秒 | 読書
桜井節『そよぐかぜつむじ風――八ヶ岳南麓風景抄――』(編集工房ノア 01)

 著者は詩人、5冊の詩集を上梓されています。眉村さんの中学の後輩にあたる方で《捩子》の主宰者でもあります。『《捩子》の時代――眉村卓詩集――』製作にあたって、《捩子》全巻を貸していただきました。そのご縁で、本書をご恵贈下さったのでした。
 さて、本書によりますと、著者は50歳を過ぎた1987年、生まれ育った大阪から八ヶ岳南麓「清里の森」に移り住まれました。同地に芸術文化「心耕」の拠点としてのサロン、アートファーム「自在舎」を開設し、こんにちに至っています。
 そんな著者が、移住してから13年ほどして、丁度「当地での人びとの生活ぶりもようやく見えてきた」2000年6月から翌年4月までのほぼ一年にわたって、「毎日新聞・山梨版」に連載されたのが、本書の原型です。
 八ヶ岳南麓の四季折々の自然や人の情景、さらには八ヶ岳周辺を舞台にした文学風景が(昨日当掲示板で話題になった「風立ちぬ」もこの地が舞台)、著者自身も所属する、したがって著者自身のも含む、「四季」派の詩人たちの詩篇とともに「風景譚」として綴られていきます。
 著者の住まう八ヶ岳南麓の高原からは、西は釜無川の対岸に南アルプスの山容を望見でき、南は笛吹川の盆地のかなたに富士の稜線が、そして上空には日本で二番目に星の数が多い夜空があります。すばらしい景勝地なんですね(北は当然八ヶ岳)。その風景に囲まれて著者は「一日として退屈したことはない。一度退屈してみたいと思うほどである」と書いています。
 面白いな、と思いました。というのはそのとき眉村さんがよぎったからで、眉村さんなら、このような自然に囲まれ、自然と対話するような生活にはおそらく堪えられないだろうな、と、いや、そんなんこっちから御免被りますと、屹度言うだろうな、と想像したからです。根っからの都市人で、新奇な情報を求めてやまなかった(言い方を変えれば「遅れる」ことを肯んじなかった)眉村さんと、自然に囲まれて退屈しない著者が、年次は少し違うにしろ同じ地域の同じ中学だったというのがたいへん面白く思われたのでした。
 それはさておき、本書は単なる田園風物誌ではありません。地の人間にはアプリオリに当然過ぎて見えていない問題が、「来たりもん」の目には見える場合がある。地の人びとの伝統的な思考態度が、自然破壊に加担してしまっている場合があるのを著者は憂えます。観光化の功罪。その一方で、八ヶ岳南麓が、新しい文化創造の拠点となりつつあることも報告される(新南麓文化)。それはある意味「新しい軽井沢」の誕生なのかもしれない。しかし軽井沢の文化的イメージが戦前の特権階級や資産家にその一端を担われたものであるのに対し、新南麓文化は「来たりもん」の芸術家や趣味人、学識経験者が中心になっているとのことで、その点に著者は希望を持っているようです。
 かくのごとく本書は南麓賛美の風物詩でありますがそればかりではなく、外なる視点からの現状分析であり、未来へ向けてのビジョン提案の書でもあります。大変面白かった。
 私は、甲信地方は主に中央本線-篠ノ井線のラインの西側しか知らず、八ヶ岳・南アルプス方面はまだ行ったことがありません(富士市側から車でぐるりと富士急ハイランドまで行ったことはある)。旅行してみたくなりました。沼津に友人がいるので、誘ってみようか知らん。身延線利用になるのかな(身延線もまだ乗ったことがない)。

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たそがれ・あやしげ

2013年06月29日 16時28分00秒 | 読書
眉村卓『たそがれ・あやしげ』(出版芸術社 13)

 本書は、15枚前後の短い短篇21篇を収録したもの。「人生のたそがれに遭遇するあやしげな出来事集」です(^^;。収録全作品に、はしがき<T.Mいわく>が付されており、これが効いています。本書と同じく出版芸術社より8月刊行予定の短篇集『自殺卵』に収録が決まったことに対応して、当HPからの閲覧リンクを外した3作品(昨日の書き込み参照)と同系統の、いわゆる<私ファンタジー>ですが、それよりもさらに舞台が現実的(より私的)。とはいえまるっぽ著者自身の身辺雑記かといえば、当然ながら違う。作者と作品のいわく言いがたい距離(決して同一視してはいけない)、それに読者の注意を喚起することが<T.Mいわく>を付した理由であるようです。

「絵のお礼」 若い頃イラストレーター志望で、それがため二回転職し、そこで諦め三度目に入った会社で定年まで勤め上げた主人公。その会社で嘱託となるも、次の契約延長はなかった。ということで就活中だが、見通しは全く暗い。それでも主人公が明るいのは……

「腹立ち」 の主人公も定年退職した会社で嘱託になっている。で、近頃思うのは、自分が怒りっぽくなったこと。これは老人一般の現象らしい。その理由を著者は<T.Mいわく>で「自信の喪失」が主原因と分析します。たしかに。しかしそれは、現役バリバリで仕事をしていた過去の自分と比べて今のオレは……という自信喪失であって、事実と言うよりも多分に心理的な自己卑下というか縮み思考なんですね。でもそれも又過渡的な現象というべきであろう、と著者は言います。さらに老齢化が進むと……

「五十崎」 主人公はリストラされ就活中の六十男。なまじ技術を持っているという自負が災いしていて、このご時世それはちょっと甘すぎると、つてを頼って訪れた会社の経営者に諭される。消沈して最終の出たバス停のベンチにすわっていると、もうその乗り場には来ない筈のバスがやってくる。それは別世界でやり直しを賭ける者たちを送り届けるバスだったのですが……

「多佳子」 定年後、再就職がままならず年金生活者になっている主人公は、亡妻と結婚前デートした地方都市のお城が、大改修を終えたと知り、ふと訪れてみる。そこで主人公は、10年前になくなった筈の妻と出逢うが……

「新旧通訳」 年を取るにつれて若い人の使う言葉が分からなくなったと述懐する著者が、その苛立ち(?)を未来に向けて伸ばしてみた江戸長崎的な小品(>おい)(^^;。

「中華料理店で」 70手前の主人公は年金生活者。できる事なら働きたいが、その実そんな元気はない。という主人公が散歩の途中ふと立ち寄った中華料理店では、オバサン連中があたり構わず声高にしゃべっている。聞くともなく聞いているうちに、そういえばそんな場面を自分も昔経験した、と、子供の頃の記憶が戻ってくる……

「息子からの手紙?」 息子の育て方について妻と話した日の夕方、「自分は成功している、あなたがかくあるべしという縛りをせずやりたいようにさせてくれたおかげです」と知らせる「未来の息子」からの手紙が届く。それは結構なことながら、なぜそんな手紙が届いたのか? そう訝しむ主人公の脳裏に浮かんだ理由は……

「有元氏の話」 一応功成り名遂げて、70を目前にして事業を息子に譲った有元氏。しかし引退は早すぎたかと後悔が。そこへ「空っぽ」の青年を連れた謎の人物が登場。この肉体にあなたを満たしてあげるから、人生やり直して見ませんか。さて有元氏はどうしたのでしょうか?

「あんたの一生って……」 これはアイデアストーリーとしても秀逸。主人公は5年前、60近い年齢で、勤めていた会社が親会社の不振のあおりを受けて倒産。習得した技術がものをいって今の会社に拾ってもらうも、きのうリストラの通告を受けとる。そんな主人公を、見ず知らずの通行人が、バチバチ写真を撮り始め、なおかつ「あんたの一生ってなんだったんだろうな」などという言葉を放って通り過ぎていく。一体何だ? どうなっているんだ? 就活は依然として先が見えない。そんなとき、見知らぬ紳士が「あそこの売り場で宝くじを買いなさい。天が与えたチャンスですよ」とひとこと言って離れていったのだ。主人公は宝くじを買ったのか、買わなかったのか。買ったとしてその顛末は……!? 「世界のどんでん返し」がある傑作。

「未練の幻」 主人公は60を過ぎている。社用で、いま母校で教授となっている友人に面会に、久しぶりに大学を訪れる。と、前方から、これも同級生で同じく母校に残った(ただしこちらは人事の巡り合わせが悪いのか准教授の)Hがやってきてすれ違う。主人公を無視して。教授に面会してその話をすると、Hはこの4月から(この大学での先行きを見限って)別の大学に移ったはずだが、と首を傾げる。その後教授から、Hの姿が学内で何度か目撃されているとの話が。どうやら本人ではなく(また生霊でもなく)、大学に残存した「未練の幻」ではないかとなる。定年になる前に役員となった主人公も、社を去る日が来た。しかし主人公は何かにつけ用を作っては元の会社に電話している。なぜなら……

 ふう。ここまでで、収録21作品中前半の11編。このへんでやめておきます。
 かくのごとく、本書のテーマは「《老い》が遭遇するそれぞれの場面」といえましょうか。かなり統一性があり、連作集とみなせます。それもそのはずで、本集収録作品は、中高年が読者層の、とある業界誌に連載されたもの。
 それからもうひとつの特徴は、すべての作品が著者の身辺に取材されたものである点で、地元の読者なら(たとえN電鉄という風になっていても)どこが舞台となっているか一目瞭然。同じく主人公に著者が二重写しになってくることは、これは避けようがありません。
 もっともこれらの主人公を全面的に著者自身とすることはできません。「昔の団地で」では、著者は、本篇の舞台が著者自身がかつて住んでいた「阪南団地」がモデルであることを<T.Mいわく>で明言しています。が、それと同時に「この話の主人公の過去は作りもので、私のことではありません」とも。
 ですから外的容器をすべて著者と考えるのは危険なんですが、主人公の「内容」は著者とみなして構わないと思います。
 「まえがき」で著者は、「そして、これまた例によってだが、ここの一人ひとりについて、これはそうなっていたのかもしれない私なのだ」と言っています。
 たしかに本書の諸篇は、一種のオブセッションのようにも感じられます。著者も上記引用に続けて、「自分自身の一生が一回限りだとの気持ちが強すぎるのであろうか」と書いています。
 後半の諸篇になりますと、「一回限りであるが故、この一回ではない別の、他の、あり得たかもしれない、一回」に、よりこだわった世界が展開されます。一回限りであることが何とも無念な著者は、せめて想像の中ではと、虚構の世界を建てては壊し、別の人生を生き、生きておられるのかもしれませんね。
 ちなみに、「F駅で」の<T.Mいわく>で、「そういえば私は、無数のパラレルワールドが現実に出現してしまったという長篇の構想(どんな話なのか、まだ言いたくない)をあたためていて、しかしストーリーが錯綜しているので鬱陶しくて、まとめ切れないでいる」と書かれています。おお、これは期待しちゃいますねえ。イーガンとはまた一味違う《多世界小説》になること間違いなし。楽しみに待ちたいと思います(^^)

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駅にいた蛸

2013年05月24日 03時45分00秒 | 読書
眉村卓『駅にいた蛸』(双葉文庫 13、元版 93)

 本書は1993年に出版された元版に、角川文庫版『あの真珠色の朝を…』から「真昼の断層」を加えた作品集です。
 以前、著者が「ジュブナイルの注文がたまに来るのだけれど、自分は自分の経験したこと、知っていることしか書けない。その意味で自分が現在の中学生を描けるかと言えば、それは自信がない」みたいなことをおっしゃっていたのを聞いたことがあります。
 なるほど当然だなあ、いかにも体験を重視する著者らしいなあ、と思いました。しかしその一方で、別に現在の中学生を描かなくてもいいのではないか、著者が中学生だった終戦直後の、その体験をそのまま描けば、それがそのままジュブナイルになるのではないか、とも考えていたのでした。
 表題作「駅にいた蛸」は、中年になった主人公(ほぼ著者自身)が、過去を正確に思い出せる(無意識による変形を元に戻せる)新薬の被験者となり、中学生当時の「真」の自分自身を、文字通り追体験します。
 人の記憶は、時に晒されていくうちに、嫌な記憶は都合よく抑圧され、懐かしく甘美な「思い出」に改変されてしまっているのですが、人はそれが正味の過去だと思い込んでいる。本篇は、しかしてその実体はどうだったのか? という話。
 著者は、無意識によってなされた抑圧を取り除く新薬というSF的装置を導入することで、「思い出」から一切の虚飾を剥ぎとり、そうしてあらわになった「実際の過去」を、主人公に突きつける。ある意味すさまじい。なぜならそのようにして暴かれた事実は、誰あろう著者自身の過去の事実なのだから。
 このような話を書くことは、著者にとてつもない苦痛を課すものだったに違いない。それを書き得たのは、上述の設定によって叙述を間接化したこと、あと「蛸」という(「実際の過去」に挿入された)唯一の「虚構」を配置したことによる。このような手法を採用することは、心理的な緩衝材として機能したはずです。かかる手法上のアイデアを得たことで、著者は本篇を完成させることができたのではないでしょうか。
 主人公が本来もっていた「感じやすい内向的な」自我は、傘三本を広げて作った防壁によって守られる「秘密基地」の内側でのみそれを保持し得た。その「秘密基地」の場所を「蛸」が占拠し、主人公はその場を追い払われる。それは主人公の境遇の暗喩であります。追い出された主人公は「現実」に直接晒されるのです。したがって主人公にとって「蛸」を小さくしていくことは、故地回復運動(レコンキスタ)であるわけですが、実はそれは嘗ての自分を自己否定するという逆説でもあった。つまり「蛸」とは、内側から見れば広げた三本の傘で作られた防壁なのです。そこから追い出された主人公には、それが「蛸」として見えているのです。「蛸」の否定は傘三本でつくられた秘密基地の否定だったわけです。
 けっきょく、その自己否定は果される。しかしその闘争に勝利した主人公自身とは、嘗ての自己の否定の完成者であった。と同時に、それは外界が著者に強いたオブセッションの結果でもあった。本篇から一般化した命題を引き出す必要はありません。もともと鈍感な子供なら、こんな結末にはならなかったのです。本篇は、国民学校から新制中学校にかけて、著者自身が蒙った変形が、いかなる糖衣も施されず赤裸々に描き出されている。
 かかる地点に到達してしまった著者にとって、ジュブナイル小説の(良くも悪くも)タテマエ的な世界は、もはやあまりにも遠い世界と感じられているのではないでしょうか。その意味で本篇は「アンチ・ジュブナイル」小説なのかもしれません。

「薄曇り」「籠の中」は、さらに私小説性が強くなっています。両作品とも、50歳代の作家が主人公。主人公たちはそれぞれ坂口圭吾、相沢映也という名前ですが、あきらかに(執筆時点の)著者自身に他なりません。
 もともと(デビュー当時から)私性の強い作風ですが、それは「体験を利用する」というレベルだった。この二篇の主人公は、著者ははっきり(モデルとするのではなく)自分自身のつもりで描写しています。当然使われる素材も自身の体験で、一例を上げれば「薄曇り」に、中学生の頃、近所の電柱をカメラで撮ったときの思い出が語られていますが(99p)、全く同じエピソードがエッセイ集『大阪の街角』(三一書房 95)に「電柱の写真」として収められている。もう一例、「籠の中」で描かれる造形大教授の「大川」は、大阪芸大教授だった小川国夫です(あとで触れます)。
 さて、主人公たちは、それまで締め切りに追われるようにがむしゃらに働いてきたのだが、子供が自立して夫婦だけになったことや、東京のパーティに出かけても編集者たちの態度がよそよそしく、そろそろ彼らの意識の中で、メインの立場ではなくなってきているのかも、などと、外因内因絡んでモチベーションが低下している。それまでは新し物好きで好奇心の塊だったのが、そういう興味も空しくなってき、「余命」などということも気になりかけて、要は「意欲」が減退しているのです。で、人生設計も趣味も「縮小均衡」へといつの間にか舵取りしていたりする。
 私自身現在50代後半に入っており、主人公の心の裡は痛いほど分かるし、実際同じ道を歩いている。共感してしまうのですよね。頑張る気持ちがまったくなくなっちゃいましたからねー(ーー;

「薄曇り」では、そんな(過去と現在のギャップに)やや落ち込んでしまっている主人公ですから、どうも若者たちには、自分ら実年を過ぎた人間が、透明化して見えていないのではないか、と、いささか神経症的な疑いさえ感じてしまう。「縮小均衡」の一環で非常勤講師をしている短大で、同僚や先輩の教授たちに冗談めかしてその話をしたら、あろうことか納得されてしまい、逆に主人公の「胸の中にたしかに冷たい塊ができて」しまうのでした(^^;。
 そんな不安定な心理状態のまま、主人公は取材旅行に出かけるのだが、それが原因なのか、やることなすことうまくいかない。このあたりの描写が実に可笑しくて笑っちゃうのですが、旅行先の白浜の橋杭岩で、短大の卒業生という女から「先生じゃないですか?」と声をかけられる。よかった透明化してはいなかった、と、ほっと安心して主人公、(上記の)カメラで彼女を撮ってあげるのでしたが……。
 ある意味ホラーなんですが、よくよく考えれば、超自然現象ではない。すなわち本篇は、純粋にホラーでもSFでもないわけです。手ひどいしっぺ返しではありますが(笑)。あ、笑っちゃいけません。面白い。

「籠の中」の主人公も、モヤモヤした心境のままに、次のような物語を考えつく。
 リイ・ブラケット「消滅した月」のような無から有を作れる空間「造物部屋」を設定する。若い人々はロマンチックな王子、王女や、花や妖精を出現させて遊んでいる。そこへ男が登場し、それらにまことに日常的な物を加えてぶち壊しにする。
「王子や王女に汗を出させわきがを発散させ、生理的欲求を催させ(……)家来には反逆心を抱かせ、斬り殺された敵の内臓や血や体液をどろどろと出させるのである」
 例によってこのアイデアを(今度は造形大で)上記大川教授(小川国夫)らに話しますと、「そりゃ暗いなあ」と否定的な意見が出る一方で、大川教授は、
「わしは、それはそれでええと思うけどな」「それをまともにやろうとすれば、汚いところをこれでもかこれでもかと書かんとあかんのと違うか? もうええ、もうやめてくれと、読んでる者にも思わせんとあかんのやないか?(……)相沢先生にそこまでできるやろか。途中で放り出すか、自分でも嫌になってしまうのとちゃうかなあ。わしはそう思うけど」
 これに対して主人公も「自分はそこまで手前勝手で押しとおせるだろうか? そこまで徹底的に書き切れるだろうか? 怪しいのだ」と、あっさり小川国夫の意見に納得して小説化を断念してしまう。実際現実にこういう会話が交わされたことがあったのではないかと想像させられる描写です。さすが小川国夫の洞察力は、眉村さんの本質を見通していたのでしょうか。(追記。本篇も純然たる私小説です)

【5/28訂正】眉村先生から、大川は小川国夫がモデルではないよ、とのご指摘をいただきました(汗)
 この大川は、やはり芸大教授だった俳人の鈴木六林男(wikipedia)だそうです。お詫びして訂正いたしますm(__)m。
 うーむ、てっきり小川国夫だと思っていたんですがねえ。ただ、大川は大阪弁で喋っていて、そこが、あの読んでもさっぱり分からない藤枝弁で小説を書いた(>おい)小川とはちょっとそぐわないかな、と一瞬思ったことは思ったのですが、さすがに眉村さんもあの藤枝弁は再現できないだろうから大阪弁にしてしまったに違いない、と勝手に思い込んでしまったのが敗因でした(>すみません言い訳です)。
 ついでながら、「そりゃ暗いなあ」といった野口は、同じく芸大教授(現役)の阪井敏夫さんとのことです。
 ただモデルはその二人だけれども、それだけではなく、他のいろいろな人の要素も入っていて、小川国夫も少しは入っているみたいです(>すみません言い訳です)。


 さて、この地点から翻って「駅にいた蛸」を振り返ります。「駅にいた蛸」は「造物部屋」の実践と見ることができる。とすればこの小説は、本来「薬」などに頼らず「薄曇り」「籠の中」と同様に《私小説》として書かれるべきものだった。
 しかしそのようには書かれなかった。「駅にいた蛸」の間接的二重構造は、やはり小川国夫の洞察を証明している。著者はこのような間接的設定において、ようやく本篇を書き得た。このへんが芸のためには女房も泣かすといいますか、昔の私小説作家が臆面もなく、むしろ嬉々として自らの恥部を晒し、関係者のプライバシーを売り物に利用する感性とは劃然と違う所で、良くも悪くも大人の社会人の小説家なのだと思いました。

「滑落」は、従来の(といっても『あの真珠色の朝を……』あたりから始まった)路線に戻った作品。既述三篇とは異なり、主人公と著者はイコールではありません。かといって全然別人でもない。「外側」は別人ですが、「内側」では著者自身が思考している。
 本篇の主人公は定年を迎えたあと、延長嘱託として会社に残るも、その期間もあと半年に迫っている(本篇執筆時、著者59歳)。まさに「退場」が目前に迫っている。小説世界はその気分が色濃く反映されていて、同期入社ながら役員になっている男から命ぜられて取引先のパーティに出席することになるのですが、その同期の役員の物の言いようにいちいちカチンと来るのは、役員がKYなのもあるが(主人公の意識ではそういうことになる)、やはり彼我の立場の差に主人公が過剰に反応しているのだと思います。そんなわけでいやいや出向いたパーティ会場で、いやに馴れ馴れしく男が近寄ってくる。どうやら知合いらしいのだが主人公には心あたりがない。そこは経験で如才なくやりすごすのだが(相手は「また会うかもしれんな」と言いながら去ってゆく)、今度は同じくパーティに招かれて来ていた別の会社のオーナー社長につかまり、一種疑似科学的な「霊魂の前世後世二段階説」(内容については本篇を読まれたし)を謹聴させられます。この説、人間の二類型を言い表していてなかなか面白いのですが、私自身は別の解釈をしており、それを開陳してもいいのですが、本筋から外れてしまいますので、今回はやめておきます(>おい)(^^;。
 いずれにしろ死に関係する話題で、そういえばこのパーティでは、自分は死に関する話題ばかり付き合わされたな、と、そんなことをぼんやり考えながら帰りかけた主人公の心に、だしぬけに、例の知合いらしき男の名前と、その若い頃の顔が浮び上がってきて、(ある理由で)主人公を愕然とさせます。そして主人公の前には光彩を極めた夕焼けが――ではなく、壮麗だった最盛期を既に過ぎてしまって、いまや暗い血の色に沈んだ、死にゆく夕焼けが、広がっているのでした。……
 うまい。ため息が出ますねえ。間然するところなき完成品。わずか20頁の紙幅の奥に「永遠」がピンナップされているように感じられます。まるでキリコの絵のように。

「第二社会」は、59歳の作家が主人公。本業の傍らカルチャーセンターで文章講座の講師をしています(初刊本のための書き下ろし。本篇執筆時点の著者も59歳)。
 となりますと、一見(「薄曇り」「籠の中」のような)私小説を予想させますが、むしろ作品内主人公と著者の距離は「滑落」の方に近い(でもそれともすこし違うのですが>後述)。講師をしているのも、上記二篇のような意味合いではなく、「生活に異質感を持ち込み、気分転換を図り」たいがゆえ。そもそも「SFのことはよくわからない」という設定。もっともこちらの設定は、一義的には作中で要旨が述べられる受講生の書いたSF作品についての価値判断を避けるためのものでしょうが、同時に主人公を著者と同一視されることを避ける意味があったと思います。
 こうして主人公≠著者とすることで、著者は自身の「本音」を、自由に書き込む余地を設けたのだと思います(間接性の効用という意味では表題作と同構造です)。

 まずは卑近な例を。満員電車の座席の前に立っていて、もし席を譲られたら、と、主人公はぞっとします。そんな気配を感じるとドアの前へ移動します(^^;。執筆当時の著者は、おそらく電車に乗ったとき、常にその可能性におののいていた(?)ホンネなんでしょう。
 私事にわたりますが、実際これは切実な問題なんですよね。どう考えても席を譲られて当然の年齢なのです。でももし譲られたら、これは困るのです。まず第一に、そんな歳に見えるのか、とがっくりします。でもその逆もあって(疲れているときは)俺は譲られて当然の年齢なんだけどなあ、前で座ってケータイをいじっている姉ちゃん気づけよ、とか思わないこともないではないこともない(汗)。50代後半て、そんな微妙なお年頃なんですよね~(>おい)(^^; 追記。ちなみにまだ譲られたことはない!

 閑話休題。こっちが著者の書きたかったこと。カルチャーセンターの受講者は、年齢もバラバラ(本篇のような70歳代の生徒も実際いても不思議ではない)、小説や文章への関心のあり方も千差万別、それをひとつの教室で指導するのは、芸大で(比較的同質な)学生を相手にするのとは全く違った難しさがあるのは想像に難くありません。
 本篇のタイトルは74歳の受講生が提出したエッセイに因むもので、高齢化が進み、気力も体力もまだ十分あるのに社会から退場させられてしまう現実に対し、「高年者」だけの「第二社会」の可能性、必要性を訴える内容。
 この説をめぐって、当の74歳の大久保氏、(サラリーマンなら定年目前の)59歳で、これから老人社会の仲間入りをしなければならない(まだ入っていない)主人公。若者代表として35、6歳の受講生の杉浦綾子が配置されます。
 ここで杉浦綾子が大久保氏に噛み付くのですが、その根拠が自身の世代性に囚われたものにすぎず、であるばかりか、エッセイのテーマを虚心坦懐に読み取らず、自身が追認する世代性の枠内で、一知半解に歪曲したものである点が強調されます。もちろん主人公はそれを不愉快に感じている。このへん、類似の事例を著者は経験したことがあったのではないか。それを上記間接性で迂回的自由を得たことで、かなり正直に描写しているように思います。

 一方、大久保氏の説に対しても、主人公は共感しつつも、完全には同意できないみたいです。理想論すぎるんですね。これは私の考えですが、かかる第二社会論は、高年者のうちの「選良」しか想定していないんですね。会社から帰宅しても、晩酌しながらプロ野球中継を見、風呂に入って寝るだけの生活をしてきて、それに充足して定年を迎えた高年者は考慮されていない。でもそっちの方が大多数なのではないでしょうか。定年退職したはいいが、そもそも趣味を持っていなかった者こそ、高齢化で引き伸ばされた退職後の時間をもてあましてしまうのであって、当該所論には、かれらを救い上げる間口の広さはない。
 ラストで著者が、主人公をして大久保氏から送られてきた第二社会の機関誌を、表紙を眺めただけで本棚にしまわせ、当面の生活に戻っていかせるのは、そのような暗意があったのだろうと私は解釈します。
 本篇は、純然たる私小説ではありませんし、「滑落」のような従来の作風とも少し違っていまして、主体性よりも客観性というか、一旦立ち止まっての現状確認的な意味合いの作品として書かれたように思いました。

「真昼の断層」は『あの真珠色の朝を……』からの再録で、著者30代後半、現役バリバリの、SF専門誌から中間小説誌ヘ日の出の勢いで進出していった頃の作品。これも実話を虚構化したものでしょう。主人公はサラリーマンをしながら小説も売れ始めている。ようやく最初の本が上梓された折りも折り、就職して最初に配属された岡山の工場に出張を命じられる。主人公はその本を手に出張します。つまり工場で「見せびらかそう」という無意識があったわけです。本社ではとてもそんなアブナイ真似はできませんから、工場の「田舎性」に対して一種「甘え」があっての行為です。で、見せびらかしたわけですが……(笑)。
 この辺、デビュー当時の自分への苦々しさが、執筆当時の著者にはあったのかも(だからしっぺ返しを与えた)。それが執筆のモチベーションの一つだったと思うのですが、同時に、工場勤務時代への親和的な感情(それはアンビバレンツな感情でもある)も見いだせます。それは日常生への埋没でもあるのですが、実は工場勤務時代は(あまりに居心地が良すぎて)そういう傾向に陥りがちな自分を戒めるため、しょっちゅう休みを利用して大阪に(つまり刺激の多い都会へ)帰ってきていることはいろんなエッセイに書かれているんですよね。

 今度、チャチャヤング・ショートショートの会から、眉村さん50周年記念企画として、眉村さんの全詩集『《捩子》の時代――眉村卓詩集――という冊子を近々発行するのですが、これは眉村卓の筆名で作家デビューする以前、十代後半から二十代半ばにかけて《捩子》という同人誌に発表された詩と、ここ十年くらいに書かれた最近の詩を合わせて収録しておりまして、そのなかには工場勤務時代に書かれた詩も何篇かあります。その詩に表現された工場(のある土地)は、後年の日生もので甘美に窯変されたのとは違って、ずいぶん否定的に観念されていたりするんですよね。面白いです。
 詩集刊行の暁には、ぜひとも後年の《日生》ものと読み比べていただきたいものです。

 ということで、双葉文庫版『駅にいた蛸』読了。画期的な傑作短篇集で、堪能しました。

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ヴェネツィアの恋人

2013年03月10日 23時55分00秒 | 読書
高野史緒『ヴェネツィアの恋人』(河出書房13)

 高野史緒初の短篇集――なのだが……あれ、これだけ? もっと書いてるはずよなあ。二分冊という形なんでしょうか。
 とまれ、まずは冒頭の「ガスパリーニ」を読みました。
 うーん。いいですねえ。というか、劈頭から超傑作をバシンとぶつけられた感じ。
 音楽小説です。音楽小説にして芸術家小説というべきか。「楽器はね、人を見るんです。自分にふさわしい弾き手を選んで、自分からその人のところにやって来るんです。不思議でしょう? 人はその命令に従わなければならない」(18p)という、前半に出てくるこの言葉が、本小説を語り盡しています。その意味で、主題は「運命」といってもよいかもしれません。
 主人公は日本人女性でヴァイオリン弾きの音楽家(の卵?)。それなりの自負心を持って東欧の音楽院の講習会に参加するも、井の中の蛙であったことを思い知らされ、放心状態で帰途に着く、というよりも急いでその地を逃げ出す。
 物語は、そんな次第で鉄道に乗ってパリまで来た主人公が、なんとなくふらふらと(おそらく)東駅で降り、メトロ(おそらく4号線)でモンパルナスの駅に降りたところから始まります。
 この発端のシーン、(当板で何十回となく唱えて耳にタコができておられるかもしれませんが)まさに「幻想小説」の開始を意味する「シグナル」ですね。「城」しかり。「クレプシドラ・サナトリウム」しかり。本邦でいえば「神聖代」がそう。
 主人公の女性と一緒に、我々も又、鉄道を降りて「幻想のパリ」に迷い込みます。
 それにしても、なぜ主人公はふらりとここに来てしまったのでしょうか? それはいうまでもなく上に引用したとおり。定まったことだったのです。「私が流れ者のようにこの街にやって来たのも、すべてはガスパロのヴァイオリンが私を選んだが故なのだ」(27p)。タイトルの「ガスパリーニ」は、このガスパロのヴァイオリンのこと。ストラディバリのそれのような名器なのでしょうか。
 主人公は(おそらく)リュクサンブール宮殿の近くのホテルを宿とするのですが、これも定まっていたこと。そして又、ホテルのオーナーが、最近、このガスパリーニを(もう一軒所有していたホテルを売却してまでして)購入していたというのも、オーナーは自分の意志だと思っていますが、実はガスパリーニが、そう仕向けさせたのだったのかも。
 楽器とは音楽家にとって何でしょうか。「それは異世界の生命体の一部だ」「ヴァイオリンとは何処とも知れぬ世界からこの世に突き出されたそれの器官なのだ。それが放出する音楽という毒液を私の体内に注入するための手段なのだ」(23p)。このイメージがいいですねえ。そしてそれが一般論ではなく、具体的な事実を述べたものであるのも、この小説世界が「幻想のパリ」なのだからでしょうか。
 これを異空間から触手をのばして音楽家の魂を絡めとるために、はるけくも「16世紀の半ば頃からずっと私を待っていた」(このイメージもよいです)「古きもの」の眷属とみれば、本篇はたしかに、あの邪悪な神話の一エピソードともみなせるわけで、そういえば、ふと「エーリッヒ・ツァン」を思い出したのも、あながち故ないことではなかったのかもしれません(^^;

「錠前屋」

  レシ  
 お話は、マリー・アントワネットが断頭台の露と消えてから2か月後、フランス革命共和暦2年フリメール20日(1793年12月10日)に開幕します。  
 パリの法学校を卒業し、6年ぶりにセーヌ川沿いのノルマンディーの鄙びた田舎町に帰郷したヴィクトールは、安酒場で錠前屋の男を見かけて驚く。なんとマダム・カペーより早く一年近く前に処刑されたムッシュー・カペーにそっくりだったからです。  
 聞けば錠前屋は、半年ほど前、どこからともなくやってきて町はずれにひっそりと居ついたのだそうで、町の人々とは殆んど交際がなく、ただし腕は一流で、町民は不気味がりながらも重宝していたのだそうです。そのときヴィクトールの脳裏に「身代わり」という言葉が浮かびます……  
 ヴィクトールが「身代わり説」を思いついたのは、たまたま手に入れた青本(当時のフランスでは大衆向きの小説の類(青本)を行商する商人がいた)が、不思議な青本で、発行年が2000年となっており、その内容といえば、脱出未遂に終わったヴァレンヌ事件の際、ルイ王のみ身代わりと入れ替わることに成功します。実は彼を救出したのはチェス人形「トルコ人」(「デカルトの密室」にも出てましたね)で有名なケンプラン男爵らで、錠前屋などに身をやつして田舎に隠れ潜み、密かに制作した機械人形軍団「神の援軍」をもって共和派に復讐してゆく……そんな話を読んでいたからです。  
 しかもヴィクトールは、町で3か月前から埋葬者の皮が剥がされるという猟奇事件が起っていることを知ります。このふたつの状況証拠が、彼の頭のなかで一つになったとき……  
 いやー本篇も非常に面白かった。あまりに面白すぎて、私の妄想はさらに展開していくのです。なぜ主人公の名前はヴィクトールなんでしょうか。この小説世界の年から26年後の1816年(ヴィクトールは46歳です)、レマン湖畔のディオダティ荘で語られたお話に登場する重要人物の名は、一体何という名前でしたっけ(笑)。本篇は幻想のフランス第一共和国の田舎に起ったお話。その世界が、四半世紀後にジュネーブに現出した幻想世界と通底していても、ちっとも不思議ではないんじゃないでしょうか(>おい)(^^;

「スズダリの鐘つき男」  
 今回の舞台はロシア平原のど真ん中。モスクワから東北に4時間半の町、スズダリ。実在する町です。(→この画像はネットで見つけたスズダリ全景。まさに著者の描写どおりのたたずまい)  
 なのですが、主人公は「車」でこの地に到着して、本篇は開始されるのです。幻想小説の定義(笑)に照らして、著者の誘うこの地が、トラベルミステリーのごとき、現実のスズダリではないのは言うまでもありません。  
 というか、この小説世界自体が、「この現実世界」とは何ほどか異なっている。モスクワ南郊のヤスナヤポリャーナには宇宙港が存在するらしく、スズダリでも明け方には「ヤスナヤ・ポリャーナから軌道上に打ち上げられる貨物定期便の光芒と軌跡」(66p)が望めるようです。ではこの世界は未来のロシアなのか?  
 どうもそうではないらしいのです。この世界では、ソ連が依然として続いているらしい(例えば65p「党の意向」、70pの宗教を偉大に見せるわけには行かない党の苦悩、82p「政治犯」「西側」、83p「この無神論の国」等から判断)。つまりSF的にいえば、本篇の作品世界は別の時間線ということになり、未来なのかどうかは確定しません。  
 だからかどうか、きわめつけは主人公で、彼はスイス人(65p、90p)で医者(精神科医?)。スズダリの北のはずれのスパソ・エフフィミエフ修道院(→修道院の画像。イワンが自転車を立てかけたのは、一番上の画像(案内図)の(1)の位置でしょうか)に付設された精神病棟に、治療と自説の研究のためにチューリヒからやって来たのですが、元型などと口走り、チューリヒ湖の畔に「自ら石を積んで造った別荘」(94p)を所有しているというのです。とくればこの男、誰あろうC・G・ユングその人じゃないですか(^^;。まさに手術台の上のミシンとこうもり傘。  
 宇宙基地がすでに存在し、遺伝子工学の発展が国際紛争を巻き起こすほどになっている(77p)この近未来的世界において、ユングがやって来た中世的な修道院の精神病棟は、19世紀生まれのユングですら驚くほど、前近代的なままの隔離政策が取られている。それは逆にいえば、ユングにとって、理想的な研究環境だった。自説に都合の良い結果がどんどん出てきてウハウハのユングでしたが、その意味するところにはっと気づいたときには……既に魔の手が背後に忍び寄っていたのでした!?  
 追記。スイスの山国育ちのユングがロシアの大平原のただなかでアゴラフォビアに罹るのだが、これはひざポンでした(<おい)(^^;  
  
 いやあめっちゃ面白いです(^^)。本篇に至って、高野史緒の近作に連なるモチーフが現れはじめましたね。しかしそれにしても、よくもまあ、こんなヘンテコな話を思いつくものですなあ。そのイマジネーションに脱帽。  

「空忘の鉢」  
 いやー面白かった。本篇、まず言語SFとしての一面があります。舞台はアンドロポフ時代(1985)のソ連。カザフ共和国の首都アルマ・アタです。主人公はカザフ大学の助教授で、専攻は失われた古代言語の黄華文字。  
 かつてシルクロード国家の一つに黄華国があった。中国とカザフの国境のアラタウ山脈の山中に存在したとされます。何の変哲もない小国というのが定説だったが、主人公はその国に独自の文字があったことを発見する。それは漢字に似た表意文字で、偏や冠などの部首を複雑に組み合わせることで、漢字6文字分をたった一文字で表せられる驚異の文字だったのです。しかも庶民が通常用いるのではないらしい(未解読の)太陽文字となると、一体どれほどの影響力があるのか!(読者は後で思い知るでしょう)  
 余談ですが、おそらく著者は執筆中、ディレーニイ『バベル17』を間違いなく意識していたと思いますね。ディレーニイ何するものぞと(>おい)(笑)。たしかに黄華文字、いや太陽文字となりますと(あとで判明するのですが)ディレーニイが生み出した超言語バベル17以上のとんでもない威力を発揮します!  
 閑話休題。主人公は文献考証で、黄華国の比定地を割り出します。中ソ国境という場所が場所だけに、現地調査は端から許されるとは考えられません。そこで主人公は、ソ連の軍事衛星が当該地域を撮った写真の閲覧を、党と軍に懇請します。現在なら10センチ、20センチ単位の解像度らしいですが、1980年代当時の解像度でも、遺跡の存在の有無くらいは簡単に識別できそうですね。いや、実際できたのです。ただし・・・(えーはっきり書きたいところですが、さすがにこれを書いてしまうわけにはいきません。よって以下略!)(^^;。  
 ともあれそういう経緯で、参謀本部情報局が興味を示します(スパイの暗号に格好の言語ですものね)。主人公は戦略ミサイル軍の高級将校に呼び出されます。
 ――このような設定だけ見れば、幻の超表意文字をめぐって中ソのスパイが暗闘する、あたかも山田正紀の書きそうな冒険SFが想像されるわけですが(実際主人公の周囲には中国スパイの影が……)、もちろんそんな展開にはなりません。著者はここで、第二のアイデアを投入します。  
 主人公を呼び出した黒髪の将校は、主人公自身が驚くほどその研究成果に通じていたのです。将校は主人公が発見した、漢語と黄華語が併記された古文書を話題にします。それは「空忘の碗」というべき物語(史実?)で、明の宣徳帝によって幽閉されていた黄華の陶工が、「空忘の碗」によって脱出し故国に逃げ帰ったという内容。そうして将校がおもむろに取り出したのは、うっすらと翠色を帯びた、おそろしいほど薄く美しい碗でありました。主人公はその碗を見つめているうちに、すっと気が遠くなりかけ……。  
 この古文書に記された短い物語が大変良いのです。まるで「聊斎志異」のなかの一篇。そういわれても違和感ありません。そしてこのあと、小説世界は一気に確固たる輪郭を喪い幻想性を帯びて、本篇そのものが「聊斎志異」のなかの一篇であるかのように、変容していきます(冒険SFとは全く異なる世界観が開示されます)。  
 冒頭でも言いましたがもう一回言います。いやー面白かった。しかもなお、本篇、10年後のラストシーンがこの作者には珍しくハッピーエンドに(ハッピーエンドでしょう!)大団円に収まってゆく。スパイ衛星のカメラにも捉えられない不可視の国の人情に、心地よく頁を閉じたのでした。  
 ↓はアルマ・アタ(アルマティ)の戦没慰霊碑と〈永遠の炎〉→画像リンク元








「ヴェネツィアの恋人」 
 著者の作品にはめずらしく、SFのフレームで解釈しやすい話で、一読、想起したのは眉村卓『夕焼けの回転木馬』でした。  
 本篇の起点はヴェネツィアの或る夜です。マルセイユの劇場で、まだ群舞を舞う踊り手の一人でしかなかったヴィオレッタは、客演に赴くプリマに帯同して行ったヴェネツィアの劇場で、若者ホルツァーと運命的な邂逅を果たす。  
 この時一体何が起こったのでしょうか。翌朝、ヴィオレッタのもとからホルツァーは姿を消しており、ホルツァーのもとからはヴィオレッタが姿を消していたのでした。  
 SF的には、ふたりの時間線がこのとき分岐したのだと私は想像します。その結果として、それぞれの時間線上の相手(ホルツァーの時間線上のヴィオレッタ。ヴィオレッタの時間線上のホルツァー)は、ヴェネツィアでの記憶を持っていません。それでも、直接の記憶はなくても無意識裡には相手を特別な存在として(予め)知っていて(この知っている者は、ひょっとしたらユング的な何かかもしれません)、あこがれを抱いているのです。で、再会して、否、再会ではなく憧れの人に初めて出会って、そこで聞かされた、自分の記憶にない「ヴェネツィアの運命的邂逅」が、たしかに無意識の奥底から事実のような確信を持って浮上してきます。  
 そのとき、彼(彼女)の前に、(そこには確か何も存在していなかったはずの)占いの店が出現する。彼(彼女)は抗いがたい力に促されるように店に入っていき……  
 ここからふたりの、無数の並行世界での出会いと別れが繰り返されていく。それが『夕焼けの回転木馬』の、別の時間流にどんどんはね跳ばされていく物語を想起させたのでしたが、又私はそれとは別に、占いの店の存在形式には人がそれを必要とした時にその人の前にひょいと出現するイシャーの武器店を重ねてみてしまいましたし、占い女の意図は判然としないながら、その結果、永遠に出会い、すれ違っていくふたりの関係は、時間シーソーとなって行ったり来たりしながら次第に遠く離れていってしまうマカリスターの運命を感じてしまったのですが、これはさすがに読み過ぎですなあ(^^;  

「白鳥の騎士」  
 面白かった。白鳥の騎士とは、言うまでもなくローエングリン。  
 言うまでもなく、というのは、ちょっと知ったかぶりでしたかね。実はワグナーも歌劇も殆んど知らないのです。ジャズ住職が最近、というか、もう1年以上前からずっとワグナーを聴きつづけていまして(→ここ)、何をトチ狂ったのか(だって志向性がジャズとはまぎゃくじゃないですか)と思う一方で、そんなにいいのん?ワシも聴いてみようかなと思っていたところ、そんなレベルです。  
 本篇、筆法(スタイル)が本集中では異色で、いわば「ストーリー」本位で書き上げられています。要するにリニアな、長編小説の筆法ですね。他の収録作品は、一応時間の流れはありますが真のストーリー性はなく、一種「絵画」のように現前していて、読者は、絵画を鑑賞するとき鼻の先まで近づいて部分を見たり後ろに下がって全体を見たりするように、何度もふりかえって確認したり、それを頭のなかで全体の中での位置を確認したりしながら読み進めていく、そういう風に読むべく、作られているのに対して、いわば三銃士やああ無情のように、順々に読んでいけばよい。というかだれでも自然にそういう風に読むでしょう。  
 したがって読後の印象は短い長編小説です(もっとも実際200枚以上あるわけで、純文学の通例ならばじゅうぶん長篇の範疇です。この作品一本で一冊の本だったとしても十分ありえます)。  
 要するに本篇は物語なんですね。主人公はバイエルン王ルートヴィヒ2世。この王は多くの作品でそれこそいろいろな視座から描かれ、既に描き盡されているといってもよいですが、本篇の狂王はこれはまたとんでもない、一種オールディス的に涜神的なキャラクターに造形されています(本集中では「空忘の鉢」の主人公に近い)。  
 舞台はルートヴィヒ王治下のバイエルン王国。政情的にはプロイセン主導の統一への潮流にさらされているのは史実通り。  
 ところがこの国の存在する時間線では、19世紀末のこの時代、すでにテレビが存在し、さばかりか爛熟の極致の様相を呈しています。  
 このテレビが、白黒の「ぱちりという安っぽい音の後に、低い唸りとともに画面が明るくなり始め」「硝子管が温まるのに数十秒」というシロモノ。昭和30年代後半の光景を想起せずにはいられません。客観的には進みすぎているテクノロジーなのですが、読者からすればなんとも甘美に懐かしくもあって、南ドイツの小国があたかも三丁目の夕日のとなり町あたりに錯覚されなくもなくて楽しい。  
 放送される内容も、雑多な報道記事、醜聞、噂、憶測、そして茶化し、と、この時間線のテレビ同様なのですが、唯一異なっているのが、この幻想のバイエルン王国ではワグナーの楽劇番組が大変な人気で、新作が発表される一方で、異版、再解釈の別バージョンが同時並行的に作られたりしていて「貪欲に消費し尽くす視聴者たちにさえ目眩をおこさせる」ほど。ワグナー楽劇のテレビスタジオである「祝祭歌劇場」の消費電力は、実に首都ミュンヘンの消費電力の四分の一にも達する。幻想の都ミュンヘンは、幻映の都でもあったのです。  
 当然ワグナーの人気は大変なもの。その筆頭がルートヴィヒ王でありまして、その熱狂的傾倒ぶりたるや、政務はそっちのけ、もはや狂気の域に達しています(摂政ルイトポルト公が実権を持って切り回しているのは現実どおり)。その結果、ルートヴィヒはかれこれ20年以上公式に姿を見せていません。若き日の映像だけが日夜テレビに映し出されていますが。  
 そんなルートヴィヒ王、以前からネ申ワグナーに会いたくて仕方がない。しかし、なかなか叶いません。というか現実のワグナーに会うことが出来たものは、関係者でも一部の者以外全く存在しないというのです。  
 そこで病膏肓に入った王様、遂に意を決して単身王宮を脱け出します。そしてミュンヘンの地底に展がる広大な地下世界の何処かに存在するという「祝祭歌劇場」めざして、いわば「ミュンヘン地下オデッセイ」というべき冒険行が開始されます!  
 この地下世界が実によいです。地下世界は多層になっており、最上層は工場地帯で、そこでは教養人ルートヴィヒ王とは正反対な、文化の欠片も持ち合わせない工場労働者たちが働いていました。そしてそのさらに下層が、労働者たちの生活圏で、「電気の照明でかろうじて正気を保っている闇の世界」ながら、「入り組んだ迷路に小さな部屋や飲み屋が詰め込まれ、そこかしこにテレビが光っている」のです。  
 まさに乱歩的風景が現出しているのです。  
 さて「祝祭歌劇場」をめざすルートヴィヒですが、なかなかそこへ至る道が見つからない。持参した食料も食べつくし途方に暮れていたところ、与太者めいた男たちに袋叩きにあいます。そこに突如現れて与太者たちを剣戟で追い払ってくれたのは、凛々しい武者振りの男装の少女「聖杯の騎士パルジファル」でした。実は彼女も「祝祭歌劇場」を探していた。意気投合したふたりは共に「祝祭歌劇場」をめざすのですが……  
 行く手に広がる闇の地下世界――ふたりは無事「祝祭歌劇場」に辿り着けるのでしょうか!?  
 いやそんなストレートな話じゃないのです。最後に明かされる驚愕の真相は……実際に読んでのお楽しみということで。  
 これはぜひとも、「ワグナーSF傑作選」にはイドリス・シーブライト「ヒーロー登場」と共に必ず収録して頂きたいですなあ(>あるのかそんなアンソロジー)(^^;。  

「ひな菊」  
 本篇の舞台は1952年夏、レニングラード郊外の保養地レーピノ。ここにソ連作曲家同盟の保養所〈音楽家の家〉があります。グルジアの中学理科教師ニーナは、趣味でやっているチェロの演奏を、たまたま当地を訪れたショスタコーヴィチに(演奏よりもむしろ作曲を)みとめられ、作曲家同盟が開催する二週間の『才能ある市民音楽家のためのキャンプ』に抜擢招集される。  
 このときショスタコーヴィチはレニングラード音楽院の教授ではなかったのですが(1948年ジダーノフ批判)、その後猫をかぶって社会主義リアリズムの称揚に邁進し、往年の地位を取り戻しつつあり、それくらいの「横槍」は可能だったようですね。  
 だいたい、ショスタコーヴィチって、クラシックに疎い(中学高校の音楽の授業で止まっている)者には、御用音楽家のイメージが強いのではないでしょうか。ウィキペディアなどを確認すれば、それが今言った猫かぶりだった、それも極めて巧妙な猫かぶりだったことが分かります(1936年プラウダ批判からも復権している)。  
 このへん作者も、「私のように、ソヴィエト市民の風上にも置けないろくでもない奴だと言われながらも、彼らの喜ぶ言葉遣いで話すすべを身につけている者(……)は、それでも生き延びることができる」と、作中のショスタコーヴィチに言わせていますね*。  
 しかしながら、この(作中の)ショスタコーヴィチ、音楽の才はどうであれ、人間としてどんなものなのかといえば、もとよりそれと楽才とは相関するはずもないわけです。実際のところニーナが選抜された(ショスタコーヴィチの口添えがあった)理由も純粋に音楽的見地だったのかどうか。  
 それはさておき、〈音楽家の家〉で主人公は、遠い親戚で、数年前に認められレニングラード音楽院に入ったマルガリータに再会します。主人公は、彼女の知っているガキ然としたマルガリータが、年齢以上に妖艶に成熟しているのをみて驚かされます。  
 そのマルガリータをひそかに注視している男がいた。それも男女の関心のせいではなく、純粋に学術的な興味故に。  
 男は音楽院の校医で感染症の専門医。彼は当時ソ連を席巻していた「獲得形質も遺伝する」とするルセンコ学説を、(監視国家相互告げ口国家であるがゆえに)誰もがそれに、(内心は別にして)異を唱えないなかで、あっけらかんと公然と批判してはばからないところがあって、主人公も少々腰を引き気味なのですが、彼はソ連の音楽関係者に、感染力は極めて弱い未知の感染症が、その弱さを補うためある種のホルモンを感染者に増大させ、音楽家という一種の孤島に住む人々のみに、広がっている可能性を予想していたのです。それはむろん、ウィルスの利己的行動なのですが……。  
 かくして物語は、校医に好意を持った(感染者)マルガリータが、主人公と校医の仲を疑ったことから、予想もしなかった結末を迎えるのでしたが……  
 ショスタコーヴィチ、ルイセンコ学説、スターリンソ連というお題が、きっちり一つにまとまるラストは見事。翌年の1953年は、そういう年だったんですねえ!  
*というような知識は予め持っていないと、本編の面白さは半減すると思いますので(ショスタコーヴィチと校医の対比とか)、はばかりながら贅言を加えさせていただきました(^^;。  
追記。あ、*註は、作者に「もっと説明しろ」と言ってるんじゃないですよ。逐一説明を入れられたら折角の小説の美しい姿が完全に消え去ってしまいます。これでいいのであります。念のため。  
 ということで、高野史緒『ヴェネツィアの恋人』(河出書房13)の読了とします。  

コメント
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