チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

駅にいた蛸

2013年05月24日 03時45分00秒 | 読書
眉村卓『駅にいた蛸』(双葉文庫 13、元版 93)

 本書は1993年に出版された元版に、角川文庫版『あの真珠色の朝を…』から「真昼の断層」を加えた作品集です。
 以前、著者が「ジュブナイルの注文がたまに来るのだけれど、自分は自分の経験したこと、知っていることしか書けない。その意味で自分が現在の中学生を描けるかと言えば、それは自信がない」みたいなことをおっしゃっていたのを聞いたことがあります。
 なるほど当然だなあ、いかにも体験を重視する著者らしいなあ、と思いました。しかしその一方で、別に現在の中学生を描かなくてもいいのではないか、著者が中学生だった終戦直後の、その体験をそのまま描けば、それがそのままジュブナイルになるのではないか、とも考えていたのでした。
 表題作「駅にいた蛸」は、中年になった主人公(ほぼ著者自身)が、過去を正確に思い出せる(無意識による変形を元に戻せる)新薬の被験者となり、中学生当時の「真」の自分自身を、文字通り追体験します。
 人の記憶は、時に晒されていくうちに、嫌な記憶は都合よく抑圧され、懐かしく甘美な「思い出」に改変されてしまっているのですが、人はそれが正味の過去だと思い込んでいる。本篇は、しかしてその実体はどうだったのか? という話。
 著者は、無意識によってなされた抑圧を取り除く新薬というSF的装置を導入することで、「思い出」から一切の虚飾を剥ぎとり、そうしてあらわになった「実際の過去」を、主人公に突きつける。ある意味すさまじい。なぜならそのようにして暴かれた事実は、誰あろう著者自身の過去の事実なのだから。
 このような話を書くことは、著者にとてつもない苦痛を課すものだったに違いない。それを書き得たのは、上述の設定によって叙述を間接化したこと、あと「蛸」という(「実際の過去」に挿入された)唯一の「虚構」を配置したことによる。このような手法を採用することは、心理的な緩衝材として機能したはずです。かかる手法上のアイデアを得たことで、著者は本篇を完成させることができたのではないでしょうか。
 主人公が本来もっていた「感じやすい内向的な」自我は、傘三本を広げて作った防壁によって守られる「秘密基地」の内側でのみそれを保持し得た。その「秘密基地」の場所を「蛸」が占拠し、主人公はその場を追い払われる。それは主人公の境遇の暗喩であります。追い出された主人公は「現実」に直接晒されるのです。したがって主人公にとって「蛸」を小さくしていくことは、故地回復運動(レコンキスタ)であるわけですが、実はそれは嘗ての自分を自己否定するという逆説でもあった。つまり「蛸」とは、内側から見れば広げた三本の傘で作られた防壁なのです。そこから追い出された主人公には、それが「蛸」として見えているのです。「蛸」の否定は傘三本でつくられた秘密基地の否定だったわけです。
 けっきょく、その自己否定は果される。しかしその闘争に勝利した主人公自身とは、嘗ての自己の否定の完成者であった。と同時に、それは外界が著者に強いたオブセッションの結果でもあった。本篇から一般化した命題を引き出す必要はありません。もともと鈍感な子供なら、こんな結末にはならなかったのです。本篇は、国民学校から新制中学校にかけて、著者自身が蒙った変形が、いかなる糖衣も施されず赤裸々に描き出されている。
 かかる地点に到達してしまった著者にとって、ジュブナイル小説の(良くも悪くも)タテマエ的な世界は、もはやあまりにも遠い世界と感じられているのではないでしょうか。その意味で本篇は「アンチ・ジュブナイル」小説なのかもしれません。

「薄曇り」「籠の中」は、さらに私小説性が強くなっています。両作品とも、50歳代の作家が主人公。主人公たちはそれぞれ坂口圭吾、相沢映也という名前ですが、あきらかに(執筆時点の)著者自身に他なりません。
 もともと(デビュー当時から)私性の強い作風ですが、それは「体験を利用する」というレベルだった。この二篇の主人公は、著者ははっきり(モデルとするのではなく)自分自身のつもりで描写しています。当然使われる素材も自身の体験で、一例を上げれば「薄曇り」に、中学生の頃、近所の電柱をカメラで撮ったときの思い出が語られていますが(99p)、全く同じエピソードがエッセイ集『大阪の街角』(三一書房 95)に「電柱の写真」として収められている。もう一例、「籠の中」で描かれる造形大教授の「大川」は、大阪芸大教授だった小川国夫です(あとで触れます)。
 さて、主人公たちは、それまで締め切りに追われるようにがむしゃらに働いてきたのだが、子供が自立して夫婦だけになったことや、東京のパーティに出かけても編集者たちの態度がよそよそしく、そろそろ彼らの意識の中で、メインの立場ではなくなってきているのかも、などと、外因内因絡んでモチベーションが低下している。それまでは新し物好きで好奇心の塊だったのが、そういう興味も空しくなってき、「余命」などということも気になりかけて、要は「意欲」が減退しているのです。で、人生設計も趣味も「縮小均衡」へといつの間にか舵取りしていたりする。
 私自身現在50代後半に入っており、主人公の心の裡は痛いほど分かるし、実際同じ道を歩いている。共感してしまうのですよね。頑張る気持ちがまったくなくなっちゃいましたからねー(ーー;

「薄曇り」では、そんな(過去と現在のギャップに)やや落ち込んでしまっている主人公ですから、どうも若者たちには、自分ら実年を過ぎた人間が、透明化して見えていないのではないか、と、いささか神経症的な疑いさえ感じてしまう。「縮小均衡」の一環で非常勤講師をしている短大で、同僚や先輩の教授たちに冗談めかしてその話をしたら、あろうことか納得されてしまい、逆に主人公の「胸の中にたしかに冷たい塊ができて」しまうのでした(^^;。
 そんな不安定な心理状態のまま、主人公は取材旅行に出かけるのだが、それが原因なのか、やることなすことうまくいかない。このあたりの描写が実に可笑しくて笑っちゃうのですが、旅行先の白浜の橋杭岩で、短大の卒業生という女から「先生じゃないですか?」と声をかけられる。よかった透明化してはいなかった、と、ほっと安心して主人公、(上記の)カメラで彼女を撮ってあげるのでしたが……。
 ある意味ホラーなんですが、よくよく考えれば、超自然現象ではない。すなわち本篇は、純粋にホラーでもSFでもないわけです。手ひどいしっぺ返しではありますが(笑)。あ、笑っちゃいけません。面白い。

「籠の中」の主人公も、モヤモヤした心境のままに、次のような物語を考えつく。
 リイ・ブラケット「消滅した月」のような無から有を作れる空間「造物部屋」を設定する。若い人々はロマンチックな王子、王女や、花や妖精を出現させて遊んでいる。そこへ男が登場し、それらにまことに日常的な物を加えてぶち壊しにする。
「王子や王女に汗を出させわきがを発散させ、生理的欲求を催させ(……)家来には反逆心を抱かせ、斬り殺された敵の内臓や血や体液をどろどろと出させるのである」
 例によってこのアイデアを(今度は造形大で)上記大川教授(小川国夫)らに話しますと、「そりゃ暗いなあ」と否定的な意見が出る一方で、大川教授は、
「わしは、それはそれでええと思うけどな」「それをまともにやろうとすれば、汚いところをこれでもかこれでもかと書かんとあかんのと違うか? もうええ、もうやめてくれと、読んでる者にも思わせんとあかんのやないか?(……)相沢先生にそこまでできるやろか。途中で放り出すか、自分でも嫌になってしまうのとちゃうかなあ。わしはそう思うけど」
 これに対して主人公も「自分はそこまで手前勝手で押しとおせるだろうか? そこまで徹底的に書き切れるだろうか? 怪しいのだ」と、あっさり小川国夫の意見に納得して小説化を断念してしまう。実際現実にこういう会話が交わされたことがあったのではないかと想像させられる描写です。さすが小川国夫の洞察力は、眉村さんの本質を見通していたのでしょうか。(追記。本篇も純然たる私小説です)

【5/28訂正】眉村先生から、大川は小川国夫がモデルではないよ、とのご指摘をいただきました(汗)
 この大川は、やはり芸大教授だった俳人の鈴木六林男(wikipedia)だそうです。お詫びして訂正いたしますm(__)m。
 うーむ、てっきり小川国夫だと思っていたんですがねえ。ただ、大川は大阪弁で喋っていて、そこが、あの読んでもさっぱり分からない藤枝弁で小説を書いた(>おい)小川とはちょっとそぐわないかな、と一瞬思ったことは思ったのですが、さすがに眉村さんもあの藤枝弁は再現できないだろうから大阪弁にしてしまったに違いない、と勝手に思い込んでしまったのが敗因でした(>すみません言い訳です)。
 ついでながら、「そりゃ暗いなあ」といった野口は、同じく芸大教授(現役)の阪井敏夫さんとのことです。
 ただモデルはその二人だけれども、それだけではなく、他のいろいろな人の要素も入っていて、小川国夫も少しは入っているみたいです(>すみません言い訳です)。


 さて、この地点から翻って「駅にいた蛸」を振り返ります。「駅にいた蛸」は「造物部屋」の実践と見ることができる。とすればこの小説は、本来「薬」などに頼らず「薄曇り」「籠の中」と同様に《私小説》として書かれるべきものだった。
 しかしそのようには書かれなかった。「駅にいた蛸」の間接的二重構造は、やはり小川国夫の洞察を証明している。著者はこのような間接的設定において、ようやく本篇を書き得た。このへんが芸のためには女房も泣かすといいますか、昔の私小説作家が臆面もなく、むしろ嬉々として自らの恥部を晒し、関係者のプライバシーを売り物に利用する感性とは劃然と違う所で、良くも悪くも大人の社会人の小説家なのだと思いました。

「滑落」は、従来の(といっても『あの真珠色の朝を……』あたりから始まった)路線に戻った作品。既述三篇とは異なり、主人公と著者はイコールではありません。かといって全然別人でもない。「外側」は別人ですが、「内側」では著者自身が思考している。
 本篇の主人公は定年を迎えたあと、延長嘱託として会社に残るも、その期間もあと半年に迫っている(本篇執筆時、著者59歳)。まさに「退場」が目前に迫っている。小説世界はその気分が色濃く反映されていて、同期入社ながら役員になっている男から命ぜられて取引先のパーティに出席することになるのですが、その同期の役員の物の言いようにいちいちカチンと来るのは、役員がKYなのもあるが(主人公の意識ではそういうことになる)、やはり彼我の立場の差に主人公が過剰に反応しているのだと思います。そんなわけでいやいや出向いたパーティ会場で、いやに馴れ馴れしく男が近寄ってくる。どうやら知合いらしいのだが主人公には心あたりがない。そこは経験で如才なくやりすごすのだが(相手は「また会うかもしれんな」と言いながら去ってゆく)、今度は同じくパーティに招かれて来ていた別の会社のオーナー社長につかまり、一種疑似科学的な「霊魂の前世後世二段階説」(内容については本篇を読まれたし)を謹聴させられます。この説、人間の二類型を言い表していてなかなか面白いのですが、私自身は別の解釈をしており、それを開陳してもいいのですが、本筋から外れてしまいますので、今回はやめておきます(>おい)(^^;。
 いずれにしろ死に関係する話題で、そういえばこのパーティでは、自分は死に関する話題ばかり付き合わされたな、と、そんなことをぼんやり考えながら帰りかけた主人公の心に、だしぬけに、例の知合いらしき男の名前と、その若い頃の顔が浮び上がってきて、(ある理由で)主人公を愕然とさせます。そして主人公の前には光彩を極めた夕焼けが――ではなく、壮麗だった最盛期を既に過ぎてしまって、いまや暗い血の色に沈んだ、死にゆく夕焼けが、広がっているのでした。……
 うまい。ため息が出ますねえ。間然するところなき完成品。わずか20頁の紙幅の奥に「永遠」がピンナップされているように感じられます。まるでキリコの絵のように。

「第二社会」は、59歳の作家が主人公。本業の傍らカルチャーセンターで文章講座の講師をしています(初刊本のための書き下ろし。本篇執筆時点の著者も59歳)。
 となりますと、一見(「薄曇り」「籠の中」のような)私小説を予想させますが、むしろ作品内主人公と著者の距離は「滑落」の方に近い(でもそれともすこし違うのですが>後述)。講師をしているのも、上記二篇のような意味合いではなく、「生活に異質感を持ち込み、気分転換を図り」たいがゆえ。そもそも「SFのことはよくわからない」という設定。もっともこちらの設定は、一義的には作中で要旨が述べられる受講生の書いたSF作品についての価値判断を避けるためのものでしょうが、同時に主人公を著者と同一視されることを避ける意味があったと思います。
 こうして主人公≠著者とすることで、著者は自身の「本音」を、自由に書き込む余地を設けたのだと思います(間接性の効用という意味では表題作と同構造です)。

 まずは卑近な例を。満員電車の座席の前に立っていて、もし席を譲られたら、と、主人公はぞっとします。そんな気配を感じるとドアの前へ移動します(^^;。執筆当時の著者は、おそらく電車に乗ったとき、常にその可能性におののいていた(?)ホンネなんでしょう。
 私事にわたりますが、実際これは切実な問題なんですよね。どう考えても席を譲られて当然の年齢なのです。でももし譲られたら、これは困るのです。まず第一に、そんな歳に見えるのか、とがっくりします。でもその逆もあって(疲れているときは)俺は譲られて当然の年齢なんだけどなあ、前で座ってケータイをいじっている姉ちゃん気づけよ、とか思わないこともないではないこともない(汗)。50代後半て、そんな微妙なお年頃なんですよね~(>おい)(^^; 追記。ちなみにまだ譲られたことはない!

 閑話休題。こっちが著者の書きたかったこと。カルチャーセンターの受講者は、年齢もバラバラ(本篇のような70歳代の生徒も実際いても不思議ではない)、小説や文章への関心のあり方も千差万別、それをひとつの教室で指導するのは、芸大で(比較的同質な)学生を相手にするのとは全く違った難しさがあるのは想像に難くありません。
 本篇のタイトルは74歳の受講生が提出したエッセイに因むもので、高齢化が進み、気力も体力もまだ十分あるのに社会から退場させられてしまう現実に対し、「高年者」だけの「第二社会」の可能性、必要性を訴える内容。
 この説をめぐって、当の74歳の大久保氏、(サラリーマンなら定年目前の)59歳で、これから老人社会の仲間入りをしなければならない(まだ入っていない)主人公。若者代表として35、6歳の受講生の杉浦綾子が配置されます。
 ここで杉浦綾子が大久保氏に噛み付くのですが、その根拠が自身の世代性に囚われたものにすぎず、であるばかりか、エッセイのテーマを虚心坦懐に読み取らず、自身が追認する世代性の枠内で、一知半解に歪曲したものである点が強調されます。もちろん主人公はそれを不愉快に感じている。このへん、類似の事例を著者は経験したことがあったのではないか。それを上記間接性で迂回的自由を得たことで、かなり正直に描写しているように思います。

 一方、大久保氏の説に対しても、主人公は共感しつつも、完全には同意できないみたいです。理想論すぎるんですね。これは私の考えですが、かかる第二社会論は、高年者のうちの「選良」しか想定していないんですね。会社から帰宅しても、晩酌しながらプロ野球中継を見、風呂に入って寝るだけの生活をしてきて、それに充足して定年を迎えた高年者は考慮されていない。でもそっちの方が大多数なのではないでしょうか。定年退職したはいいが、そもそも趣味を持っていなかった者こそ、高齢化で引き伸ばされた退職後の時間をもてあましてしまうのであって、当該所論には、かれらを救い上げる間口の広さはない。
 ラストで著者が、主人公をして大久保氏から送られてきた第二社会の機関誌を、表紙を眺めただけで本棚にしまわせ、当面の生活に戻っていかせるのは、そのような暗意があったのだろうと私は解釈します。
 本篇は、純然たる私小説ではありませんし、「滑落」のような従来の作風とも少し違っていまして、主体性よりも客観性というか、一旦立ち止まっての現状確認的な意味合いの作品として書かれたように思いました。

「真昼の断層」は『あの真珠色の朝を……』からの再録で、著者30代後半、現役バリバリの、SF専門誌から中間小説誌ヘ日の出の勢いで進出していった頃の作品。これも実話を虚構化したものでしょう。主人公はサラリーマンをしながら小説も売れ始めている。ようやく最初の本が上梓された折りも折り、就職して最初に配属された岡山の工場に出張を命じられる。主人公はその本を手に出張します。つまり工場で「見せびらかそう」という無意識があったわけです。本社ではとてもそんなアブナイ真似はできませんから、工場の「田舎性」に対して一種「甘え」があっての行為です。で、見せびらかしたわけですが……(笑)。
 この辺、デビュー当時の自分への苦々しさが、執筆当時の著者にはあったのかも(だからしっぺ返しを与えた)。それが執筆のモチベーションの一つだったと思うのですが、同時に、工場勤務時代への親和的な感情(それはアンビバレンツな感情でもある)も見いだせます。それは日常生への埋没でもあるのですが、実は工場勤務時代は(あまりに居心地が良すぎて)そういう傾向に陥りがちな自分を戒めるため、しょっちゅう休みを利用して大阪に(つまり刺激の多い都会へ)帰ってきていることはいろんなエッセイに書かれているんですよね。

 今度、チャチャヤング・ショートショートの会から、眉村さん50周年記念企画として、眉村さんの全詩集『《捩子》の時代――眉村卓詩集――という冊子を近々発行するのですが、これは眉村卓の筆名で作家デビューする以前、十代後半から二十代半ばにかけて《捩子》という同人誌に発表された詩と、ここ十年くらいに書かれた最近の詩を合わせて収録しておりまして、そのなかには工場勤務時代に書かれた詩も何篇かあります。その詩に表現された工場(のある土地)は、後年の日生もので甘美に窯変されたのとは違って、ずいぶん否定的に観念されていたりするんですよね。面白いです。
 詩集刊行の暁には、ぜひとも後年の《日生》ものと読み比べていただきたいものです。

 ということで、双葉文庫版『駅にいた蛸』読了。画期的な傑作短篇集で、堪能しました。

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