チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

V・R・T(4)

2004年08月31日 21時26分39秒 | 読書
 (承前)
  >自由の民こそが(彼ら自身はその出自の記憶を失っていますが)ムー・アトランティスからやってきた地球人の植民者の末裔ということなのではないでしょうか! 
 
 自由の民(丘人)が超古代文明人植民者の末裔だと考えれば、かれらが「彼方の向こう」に隠れ住んでいる理由もわかります。彼らには変身能力がなかったのです!
 自由の民が超古代人、すなわちホモサピエンスならば、彼らにアボのような変身能力があるはずがない道理です。

 ところが、そうしますとまたもや矛盾に気づかざるを得ません。
 それはVRT(そしてその母親)に、変身(模倣)能力があるように書かれていることです。たとえば297pのハグスミスの物真似もその一環ですが、口髭でカバーしているとはいえ、VRTがマーシュになりきってサントクロワに現れたのは自明。パスポートの具体的な記述はありませんが、当然身分証明書のようなものにはマーシュの写真あるいはそれに類するものが添付されているはずで、すくなくともある程度似させなければサントクロワに渡ってこられるはずがないからです。

 母親の場合も、252pに「母さんは女優だった」とあるのは、その一環です。
 「あいつが男に声をかければ、相手は少女だと、処女だと、(・・・)でももし相手を気に入らないとなれば、あれは老婆になったもんです」(252p)

 変身能力を備えたVRTは(母親も)、自由の民ではないのではないか。
 ないのです!
 彼らは「沼人」なのです。
 それが証拠に、VRTの父親はこう言っています。
 「ときに<東風>とも呼ばれるわが偉大な先祖が、彼ら(註:仏人)と平和を結びました
 第2部によれば、この<東風>は実は<砂歩き>(またしても入れ替わり!)なんですが、とりあえず沼人の代表であることに代わりはありません。 

 もとよりVRTの父親は(自称とは違って)地球人です(あるいは地球人に完全同化し、自らのアイデンティティを忘却した沼人?)。かれの知識はすべて妻(VRTの母)からの受け売りだと推測されます。母親はそういう知識を伝承している一族、すなわち完全同化していない沼人の一族か、あるいは沼人と丘人のハーフなのかも知れません。

 自由の民が変身能力のない地球超古代文明の末裔だとしたら、変身能力を持つVRTは、当然自由の民ではあり得ません。彼は自分を自由の民・丘人だと思いこんでいる沼人なのではないでしょうか。
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凶鳥の黒影――中井英夫へ捧げるオマージュ

2004年08月29日 13時57分13秒 | 
 本多正一さん監修の中井英夫オマージュ集が、来月出版されますので、お知らせいたします(→[amazon]で予約受付中)。

   ――――――

 『凶鳥の黒影――中井英夫へ捧げるオマージュ(河出書房新社)2004年9月17日刊行予定。予価2300円。

 L'ombre noire d'un oiseau sinistre
 ―― Hommage a HIDEO NAKAI


 【序文】
 鶴見俊輔:「中井英夫のこと」

 【短篇】
 赤江瀑「歌のわかれ」、有栖川有栖「彼方にて」、北森鴻「銀河・1984」、倉阪鬼一郎「黒月物語」、竹本健治「黒の検閲」、獄本野ばら「流薔園の手品師」、津原泰水「ピカルディの薔薇」、皆川博子「影を買う店」、森真沙子「墓地見晴亭」、中井英夫「黄泉戸喫」

 【エッセイ】
 恩田陸「邂逅について」、笠井潔 「中井さんと遇うまで」、菊池秀行「彼は怒っているだろうか」、北村薫「彗星との邂逅」、長野まゆみ「蛻のから」、三浦しをん「残酷な力に抗うために」、山田正紀「『虚無への供物』への供物」

 【あとがきにかえて:短篇】
 本多正一「壁画と旅する男」

 【年譜】

   ――――――

 装幀の画像を入手しましたので、お見せします。↓
 河出のサイトにはまだ掲載されていませんので、ご内密に。


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V・R・T(3)

2004年08月29日 02時34分49秒 | 読書
 304pに唐突に出てくる「ルェーヴの公理」とは何でしょうか。
 この段落(301p~304p)は255p~260pのQ&A(第5回訊問183p)の回想です。
 この段落の「わたし」が、表向きはマーシュですが実はVRTであることはもはや明白です。

 「わたし」はこの訊問で、メートルが死んだことを知り、当然若い方が逮捕されているだろうと想像します。そしてジーニー叔母が第5号の釈放に奔走している筈だと考えます。そしてジーニーは「わたし」も釈放させようとしているかも知れないと、思いつきます。

 その流れの中で、ヴェール(すなわちジーニー)の仮説「アンヌ人がホモサピエンスを飲み込み、置き換わった」(だからアンヌ人は表面上存在しなくなった)を思い起こし、それでは「自由の民とは何者なのだ」と問いかけます。自由の民とは、VRTにとっては現在も彼方の地に隠れ住んでいる丘人であります。かれは続けます。「昔の生き方に固執する保守主義者か」と。

 すなわちVRTにとって自由の民(丘人)はホモサピエンスに変身せずに現在も細々と生きているアボということになります。

 第2部で明らかなように、フランス人がやってくるまでにサントアンヌには丘人(少数)、沼人(多数派)、影の子らの3種のアボがいたわけです。
 先回に述べたように、影の子が内面を変身?させたアボだとすると、多数派の沼人こそ外観変身種族であり、丘人は変身しなかったアボということになりはしないでしょうか。

 だからこそ、VRTは「昔の生き方に固執する保守主義者か」と考えたわけです。

 そしてこう記します。
問題は、かつてわたしが考えていたのと違い、影の子たちの考えがどこまで現実に影響を与えたのかではない。我々自身の考えがどれだけ影響を与えたかなのだ

 ここの「わたしが考えていた」とは「マーシュの考えていた」ということです。VRTはマーシュの考えを否定し、「我々自身の考えがどれだけ影響を与えたか」なんだといいます。

 ここの「我々自身」は自由の民です。VRTは自由の民(のハーフ)であるからです。

わたしはブラント夫人のインタビューを読んだ」。ブラント夫人のインタビューはマーシュによってなされましたから、ここではっきりと「わたし」がマーシュではないことが示されます。
で、そのわたしは「今では自由の民が何者なのか判っている」というのです。
 どういうことか。
 自由の民こそが(彼ら自身はその出自の記憶を失っていますが)ムー・アトランティスからやってきた地球人の植民者の末裔ということなのではないでしょうか! 

 VRTはこれを「ルェーヴの公理」と名付けます。ルェーヴとは何か? もちろんヴェールの逆さ読みに他なりません(原文の綴りもそうなっている筈)。
 ヴェールのさかさまとはどういう意味か。アボがホモサピエンスに置き換わったのではなく、ホモサピエンス(ムー、アトランティス人)こそがアボだった、という意味に他なりません。

では、「わたしはルェーヴであり、もういない」とは?
ルェーヴの公理を見いだしたのは、VRTです。しかしVRTは表向き死んでいます。今いるわたしはマーシュなんですから、ルェーヴである「わたし」=VRTは「もういない」わけです。
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保全書き込み

2004年08月25日 21時14分07秒 | ノンジャンル
あまり書き込まないと、ブログ消されてしまうことがあるらしいので(牛込中年日記で知った)、保全書き込み(^^;ゞ

東京見物に行っていたりで、「ケルベロス」逍遥(汗)も「夢見る人の物語」も中途半端に中断したまま、本業が忙しくなってしまいました。
まあ、ぼちぼち進めていこうと思っています(どうせすぐ暇になるはず)。このブログはカウンターが付いていて、毎日10名以上の方が来て下さっているようで、それを見るたび申し訳なく、また早く続きを書かなくちゃ、と焦るのですが、そういうわけで、そのうち復活しますので、気長におつきあい下さいね。
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V・R・T(2)

2004年08月16日 19時46分09秒 | 読書
 (承前)
 やはり上の文章は不可解だ。もう一度読み直してみよう。

 わたしはとても疲れていた。ケイブ。カネムに行っており、その結果として寝たのは遅くなってからだった――ほとんど4時頃だった。(・・・)わたしは寝ようと思い、(・・・)マダム・デュクロースに十時に起こしてくれるようメモを残した。(221p)

 わたしはデュクロース夫人に当てたメモを書き(・・・)寝室に向かった、つもりだった。
 (部屋には誰かいる気配で)わたしは手紙か伝言があるのだろうと思いこんだ。(・・・)ケイブ・カネムの売春宿の主人から、その夜早くに「息子」と対決するので同席してほしい、といわれた件の確認かも知れない。(223p)

 もしも「その夜早く」のうちに、既に「対決」への同席があったのならば、「確認」という用語はおかしい。確認とは同席してくれるか否かの確認ということであるはずだから。

 「その夜早くに「息子」と対決するので同席してほしい」とは、(その夜行っていた)ケイブ・カネムにおいて「その夜早くに」、メートルから「「息子」と対決するので同席してほしい」といわれた、と理解するのが、むしろ自然な読み方ではないか(それで「確認」の使いが来たとマーシュは思った)。そうだとしたら、この時点で、「対決」はまだ起こっていないことになる。
 ところがこのあと、マーシュは逮捕されるので、「対決」の場面へは同席できないということになってしまう。同席したマーシュは、逮捕されたマーシュとは別人と言うことになる。だれかがマーシュに入れ替わったのか?

 そういうことだとすれば、303pの、

 彼の顔に浮かんだ表情が答えだった。売春宿の主人は死んだのだ。

 という記述が納得できる。この記述は、主人の死をその時点ではじめて知ったことを示している。もっとも前回の解釈でもこの記述は矛盾しない。メートルが生きている間に退出したという可能性があるからだ。しかしもっとこの線で想像してみよう。
 もし対決以前にマーシュが逮捕されたのなら、誰がマーシュに入れ替わったのか? 

 287pにマーシュがサント・アンヌから着の身着のままでサント・クロアに到着したことが記述されている。
 
 サント・アンヌから夏物を何も(・・・)持ってきていなかったからである。その方が経済的であり、いっそ全員が裸のまま渡ってサント・クロアで新しい服を買うようにすればさらに合理的である。

 ここに唐突に「全員」とあるのはどういうことだろう。マーシュは一人で来たのではなかったのだろうか。ひょっとしたらマーシュ(=VRT)は、3年間山で暮らしていたとき、アボと接触したのではないか。かれはアボを複数名連れてポート・ミミゾンにやってきたのだとしたら?
 マーシュは逮捕されたが、別のアボがマーシュとなって同席したのではないだろうか。

 だがだが、もしそうだとしたら、マーシュは何故逮捕された?
 
 Q ここでは誰を暗殺するつもりだったんだ? きみが殺した男ではあるまい――あれは必要に駆られた間に合わせの犯行だ。(259p)

 これは、マーシュがメートル殺しの嫌疑で逮捕されたことを示しているのならば、「対決」以前に逮捕されるというのは、そもそもおかしい。
 というわけで、この線は薄いかも。お騒がせしました(汗)

 気をとりなおして、、、
 マーシュがサント・クロアにやってきた理由を推理しよう。考えられるのは、やはりここでもまた「母探し」ではないか。サント・クロアに母親がいる、そういう情報を得たから、彼はやってきた。

 さて、マーシュに対して無意味な暗号を送っていた隣の監房の囚人は、「盗癖を持つ文盲の女性」であることが記されている。

 隣の監房にいる囚人は盗癖を持つ文盲の女性で、同様に壁を叩くことでコミュニケーションをとろうとしていましたが、パターンが判読できず、男は反応しませんでした。(320p)

 盗癖はアボの特徴である。もしこの女囚がVRTの母親だとしたら・・・
 ここにもひとつの(哀切な)物語が埋め込まれているといえるだろう。 
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V・R・T(1)

2004年08月15日 20時44分46秒 | 読書
1)録音テープ
 (a)第2回訊問:260p~274p 訊問者コンスタント。最後まで。「芝居」(61p)から1年後
 (b)第5回訊問:255p~260p 訊問者コンスタント。途中で壊れる。301~302pの手記に対応。
 (c)第17回訊問・第3巻:183p~185p 訊問者ジャベス 途中からヴォリュームを小さくされる。306pの手記に対応。

2)V・R・T(ヴィクター・R・トレンチャード)は白い肌、緑の目、黒い髪で、地球人の父とアボ(自由の民)の母とのハーフ。
 母がアボであるのは、252pのR・Tの言葉や、283pの手記でわかる。

3)
 これからどうするか考えたことは?(211p)

 この問いに、VRTが泣くのは、ひとつは将来がない境遇を思い出したせいかも知れないが、あるいは、これからマーシュを殺さねばならないからではなかったか。
 なぜなら

 ロンズヴォーにいたときには、母がここに来たと考える相当の理由があった。(284p)

 から、マーシュに「入れ替わって」ロンズヴォーに行くことをそのとき既に考えていた。あるいはマーシュの上の一言で、自己の境遇に思い至り、その結果マーシュと入れ替わることを思いついた。

4)ではVRTはいつマーシュになりすましたか? それは311p「少年は死んだ」の記述だ。このとき(厳密にはその前日4/25からか)以降、マーシュは実はVRTである。この記述者はVRTであり、「少年は死んだ」は「マーシュは死んだ」という意味だ。その後銃を必要とする大型獣を狩っていないことや、文字が汚くなる(言い訳しているが)ことが傍証となる。(ちなみに第1部のマーシュの描写は、白い顔、黒い髪(髭)、緑の目)

5)そうしてマーシュ(VRT)は山の中で3年暮らし、ロンズヴォーにやってくる。そこで1年ほど滞在し、母親を捜す(探したのだろう)かたわらで

 わたしの3年間の仕事に興味を持って貰おうと大学に働きかけた。(・・・)ロンズヴォーでは<自由の民>は絶滅したと考えられており、生き残っている者の保護になど、ましてや最低限の人権を与えることになど誰も興味も示さない。(271p)

 とかなり突飛な行動をとっている。しかしマーシュがアボとのハーフのVRTであるなら納得できる行動ではないだろうか。

 さて、母親は見つからず、大学への不調で、マーシュ=VRTはサントクロアのポート・ミミゾンにやって来、第一部の48pに繋がる。

 そうして第1部96p

 「あなたはアボで、地球から来たんじゃない」
 そしてすぐに、わたしは父と二人きりになった。


 という場面。「わたし」言葉にマーシュ=VRTはかっとなって(あるいは打ちのめされて?)その場を退出したと言うことか。

 マーシュ=VRTの逮捕は、ケイブ・カネムに行って、夜遅く帰ってきたときで(221p)

 ひょっとしたらケイブ・カネムの売春宿の主人から、その夜早くに「息子」と対決するので同席してほしい、と言われた件の確認かも知れない。もし彼からの伝言だったなら、翌夜まで返事すまい、とわたしは思った。(223p)

 と記している。これをまともに受け取るならば、逮捕はケイブ・カネムの対決の途中逃げ出して帰ってきた、その夜遅くのことになる。そのやましさから返事は翌夜にのばそうとしたと言うことか。
 しかし上の文は不自然で、何か隠されているような気がするのは確か。
(つづく)
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ケルベロス第五の首(5)

2004年08月15日 13時04分31秒 | 読書
 読み落とし。

 もしヴェールが正しければ、おまえとわたしはサント・アンヌのアボだということになる。少なくともその末裔である、と。(35p)

 このジーニー叔母の言葉に着目すれば、ウルフ一族の出自はサント・アンヌということになります! うーむ。

 しかし、この本は麻薬ですな。気がつけば前の部分を読み返している。何度でも読み返さずにはいられなくなってしまいます(^^; で、読み返すたびになにか発見させられる(あるいはしたような錯覚を与えられる)。
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ある物語(2)

2004年08月13日 21時18分25秒 | 読書
8)
 「人が空から現れるまで、我らは名前を持っていなかった」(166p)

 と老賢者は言い、自他を取り違えていることを砂歩きに指摘される。
 これは老賢者を構成する7名が次々殺され、人数を減らされた結果かも知れない。
 たとえば166pで老賢者が若くなったように砂歩きは感じるのは、これは構成員から老齢の者が殺された結果、平均年齢が若くなったからではないか。その伝でいうなら、人数が減ったことによって、今や構成員に含まれている(171p)砂歩き(=アボ)の要素の占める割合が増した結果と解釈できるからだ。
 けれども別の解釈もあり得る→後述。

9)
 「人は星を渡る。(・・・)我らがここへ来てから――」(最後の影の子の言葉)
 「彼らがここへ来てから」老賢者はそっと正した。「今わたしは半分だけ人で、我らがずっとここで来ない思いを聞きつづけていたのも知っている。人になろうという思いもなくただ聞いていたことを。あるいはみながひとつの種で、なかば覚えており衰えゆく者と、なかば忘れて栄えている者とがいるのかも知れぬ」(171p)

 さていよいよ佳境に来ました。

 我らがここへ来てから―― 

 最後の影の子が言うこの「我ら」とは「星を渡ってきた我ら」という意味であると思います。これまでの流れからはそうなります。ところが、老賢者は訂正します。

 彼らがここへ来てから

 老賢者は、ここで8)と同じ自他取り違えをしているように見えます。
 ですがこっちの方が正しいのではないだろうか。
 つまり、影の子は、別種のアボだったのではないでしょうか?

 今わたしは半分だけ人で、我らがずっとここで来ない思いを聞きつづけていたのも知っている。人になろうという思いもなくただ聞いていたことを。

 この謎めいた言葉は、何を意味するのか。

 今わたしは半分だけ人で、我らがずっとここで来ない思いを聞きつづけていたのも知っている

 というのは、上述したように、砂歩きが構成に加わったことをあらわしているようにも読めますが、 

 人になろうという思いもなくただ聞いていたことを。

 に焦点を当てるなら、影の子はアボながら、人になろうという思いを持たなかったアボだったのではないかという疑問がわいてくるのです。さらに想像をたくましくすれば、影の子は外観ではなく人の内面を模倣するアボだったのではないでしょうか。それが固定化し、自らを飛来した人間のなれの果てと思いこみ、外観の相違を上述の屁理屈で合理化していたのでは?

 あるいはみながひとつの種で、なかば覚えており衰えゆく者と、なかば忘れて栄えている者とがいるのかも知れぬ

 そう、アボも影の子も「ひとつの種」だった。片方は(影の子は)「なかば覚えており衰えてゆく者」であり、もう一方(アボ)は「なかば忘れて栄えている者」だった。

 人間と思いこんでしまったアボ=影の子は、無意識裡に半ば覚えている記憶によって、本物の地球人が再び訪れて真実を明らかにしないように(?)精神波の歌でそれと知られず追い返していたのだが、ここにいたって最後の影の子は自分が殺されるくらいならば、とそのシールド(?)を切ってしまい……そうして地球人類の星船が、到着するのです。

10)176pで砂歩きは東風を殺そうとする。そのとき老賢者は殺すと砂歩き自身も一部死ぬと警告される。
 また出てきたクローンのアナロジーです。
 このとき、影の子は解決策として東風と砂歩きを「入れ替える」といい、東風に、例のマリファナを噛みついて注入します。この結果東風の精神はあっちへ行ってしまい、砂歩き(東風?)は易々と相手を殺します。
 これは第一部で行われたかも知れない「入れ替わり」と「殺害」のモチーフの再現なのかも知れません。


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ある物語(1)

2004年08月13日 16時28分12秒 | 読書
 まず、この話は採取された民話なのか? それともマーシュの創作なのか?
 翻訳者は「by John V.Marsh」を「マーシュ作」と訳しているので、創作と考えているのかも。
 これについてはとりあえず棚上げして、どちらの場合も想定して気がついたことを列挙していきます。

1)
 そして砂歩きは、その日自分が男であることを知り(107p)

 既に女も知っているかれが、どのように男であるのを知ったのか、具体的にはよく判りませんが、

 東風は言った。「それを女の髪できつく結んで、やがて腐って落ちた。(・・・)」(147p)

 と対応させているのは明らか。「それ」とはもちろん男性器だろう。
 なぜなら、175pで砂歩きは東風に言います。
 
 おまえは男じゃないし、おまえなぞすぐにでも殺せる。

2)東風と砂歩きは夢世界では繋がっている。
 これは第一部の父と「わたし」、あるいはクローン一族の中の個人の存在を説明するための設定だろう。

3)本篇は、地球人がサント・アンヌに上陸する直前の物語で、この物語を信ずるならば、地球人上陸以前に地球より(ムーやアトランティスが暗示される)飛来した者たち(影の子)がおり(けだしそれは神武侵攻以前に大和にニギハヤヒがいたようなものか)、アボは既に先発種を真似て変身が完了していた、ということになる。

4)影の子は7人で、あるいは5人で、あるいは3人で一人の集合存在「老賢者」をもっている。これは5人のクローンがマーシュによって一人の存在と見なされたのに対応する。
 7人、5人、3人で個々の名前は変わるが、一人になったとき、

 今の名前は一人の名前だ。彼の名前、老賢者の名前だけは決して変わらない(170p)

 で、その名前はというと、

 「狼」(170p)

 ということになるのです! つまり「ウルフ」!
 こういうあからさまなほのめかしは、この物語がマーシュの創作であることを大いに疑わせます。

5)ジーニー叔母は、ヴェール説が正しいとするとアボは地球人上陸以前に変身能力を失ってしまう矛盾を説明したが(36p)、この物語では地球人上陸以前に変身能力を失ったということがあったとしても、そのとき獲得していた形質は「地球人」のものだったわけで、結果的にヴェール説の正しさと、地球人に変身し固定化したアボという存在は共存しうることを描いていることになる。

6)
 「湿地人の星歩きは言っていた。(・・・)ぼくはそう教わった」(151p)

 これは砂歩きの発言だが、砂歩きがそんな経験をしているはずがなく、東風の経験を自分の経験と勘違いしている。
 自分と他者との勘違いはこの後頻出する(後述)。

7)影の子(ムー人?)が上陸し、強く影響を受けたアボが地球人外観を模倣し固定化されたいきさつが語られる。(155p)

 砂歩きは聞く。それはわかった。ではなぜ影の子は地球人外観を失ったのかと。最初の説明はほとんど負け惜しみで説明になっていない。
 納得しない砂歩きに老賢者が口から出して見せたのは、アボの間では毒草として知られている草。これは食えば毒だが、噛むだけなら素晴らしい至福を味合わせてくれる、と老賢者は言う。しかし――

 「このために、我らはすべてを諦めた。」(157p)

 マリファナのような向精神性の植物が、彼らの形質まで変えてしまった、という、これもいいわけのような説明で、それが証拠に、おまえも噛めという長老の言葉を最後まで聞かず、砂歩きは関心を失う。 
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ケルベロス第五の首(4)

2004年08月12日 21時57分58秒 | 読書
 らっぱ亭さんの解釈を読ませていただきました。

 >幼少時から麻酔療法検査を施して、いかなる情報が得られるのだろうか、

 こうは考えられないでしょうか。

 >「船」のシーンのような経験していない筈の経験
 ウルフはそんなに科学的(?)な人ではないようで、クローンというものは記憶も共有する。催眠療法で無意識を探ればオリジナルの記憶が引き出されるという設定になっているのだと思います。

 マーシュはクローンを完全な同一体と考え、父は(「わたし」も)そうではなくヴァリエーションが現れると考えますね(91p)。
 父は、そのどちらが正しいかを「わたし」を被験者に研究していたのではないでしょうか。

 そして「わたし」にとっては「経験していない筈」の「船のシーン」ですが、オリジナルはおそらく父親と「写真」の母親とに連れられて地球からこの星に移民してきたのではないでしょうか。そのときの「記憶」では?
 オリジナルの経験が、実験の影響で「わたし」の夢に甦った、ということなのではないかと思うのです。
 191pのブラント夫人の聞き取りは、そのための(後至的な)伏線です。

 >「あまりにも少なすぎる、あるいは多すぎる」
 なるほど! たしかに柳下訳該当部分は、首をひねった箇所です。もうすこし考えてみます。

 >第一部はウルフの最良の短編のひとつとして私を魅了しましたが、第二部・第三部は第一部をより楽しませるための仕掛けとしての機能が大きく、連作としての「ケルベロス」は完成度が高い傑作と思いますが、私的なオールタイムベストからは外れてしまう作品です。

 私も全く同感です。おそらく単独作品としての第一部を書いているうちに、いろいろ波及的なアイデア(第一部的にはほとんど遊びの)を思いついてしまい(^^;、第2部以降を書かずにはいられなくなってしまったのではないでしょうか。

 >オービット10初出時のケルベロスでは、ケイト・ウィルヘルムおよびヴィンジの本についての記載はなく
 これも「ウルフ」にすることを、後に思いついてから書き加えたのではないでしょうか。

<補足>
 読み落としていました。
    ↓
 >三つの狼の首を持つ鋼鉄の犬の像(100p)

 素直に読めば「狼の首を持つ犬の像」とは形容矛盾ですね。この文で、著者は「狼」とはまさに「ウルフ」(Wolfe)であることを種明かししているんだと思います(^^)
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