チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

笑う警官

2009年08月15日 00時00分00秒 | 佐々木譲
佐々木譲『笑う警官』(ハルキ文庫07)

 《警察小説》というジャンルの契機・構成要件が何であるかということは、これまでに何度か思いつきを掲示板に開陳してきました。簡単にまとめますと――

 黄金期の本格ミステリでは頭脳明晰な警部や刑事が輩出した。ただ彼らは個人的な能力によって犯罪をあばいたのであって、そこでは「警察もまた組織である」ということはまったく等閑視されていた(名探偵としての名警官)。
 しかしやがて、犯罪を裁く警察組織そのものの中に、犯罪が巣食っている場合がある現実が次第に見えてくる。その結果ハードボイルド(私立探偵小説)では悪徳警官も現れてきた。しかし私立探偵はアウトサイダーであり、犯罪も概ね悪徳警官個人の犯罪。
 ところが更にズームを引いてみると、警察機構という組織が、組織であることによって犯す犯罪があることが見えてくる。警察小説は、そのような警察機構の「組織犯罪」を主題にする小説をいうべきだというのが私のジャンル認識。
 そのような警察小説では、警官が目の前の「犯罪」に立ち向かうことで、不可避的に自身の属する組織そのものの犯罪をあぶりだすものでなければならない。当然組織は圧殺にかかる。そこで前門の「悪」にも後門の「悪」にも目をつぶらない、いわばミステリにおける「インサイダー論」小説としての「警察小説」が、演繹的に導き出される。
 で、現実にこういう例があるのかと見回してみると、どうやら佐々木譲の仕事が一番近そうではないか、と目星をつけていたのでした。

 『警察小説大全集』(小説新潮平成16年3月臨時増刊号 04)所収の佐々木譲「逸脱」はまさにそういう小説でした。そのときの感想が以下。

「現実にあった北海道警稲葉事件の余波で、道警がまさに「お役所仕事的」配置転換をやった結果適所から適材が消えた状況を背景に、アメリカ小説的な地方都市の澱みが浮かび上がる。結末が偶発であるのは弱い」(ヘリコニア談話室ログ09/05/04)

 本書もまた稲葉事件の余波の一つを扱っており、「組織犯罪」を糊塗するために仕組まれた冤罪を配置転換で不慣れな部署に回された主人公たちが「長いものに巻かれるのを拒否し」、一致協力して警察組織に立ち向かう。一種の謀反ですから冤罪であることがわかっていても組織思考から脱却できず脱落する警官も描かれて実にリアルで、あまりの面白さに徹夜してしまいました(^^)

 ただ本篇でも組織が糊塗しようとして無実の警官を冤罪化することに利用される犯罪が、組織上位者の「個人的な嗜好」であった点が不満といえば不満。でもまあおおむね満足でした。
コメント
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