ルキノ・ヴィスコンティ「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(42)
ヴィスコンティの処女作にして、イタリアン・ネオリアリスモの先駆的作品ながら、原作者(ジェームズ・ケイン)の許諾なく制作されたため、幻の作品として名のみ高かった作品。ヴィスコンティの死後ようやく日の目を見、日本では79年になって公開されたらしい。
いかにもネオ・リアリズモらしい「埃っぽい」ロケーションがとにかく好いです。内容的には、庶民の生活(苦)を写実することで普遍性に達している戦後のネオ・リアリズモの域には達していないというか、いやいやムッソリーニ政権下でよくぞここまでと思うか、ちょっと判断に困ります。
主人公と大道芸人スペインとの関係は、同性愛との説があり、いわれてみればたしかに納得します。
と同時に、ヴィスコンティが同性愛者の大道芸人にスペインという名を与えたのは、当時のスペインがフランコ政権であったことを思い出せば、おお!と膝を叩いてしまいますね。
そのスペインに対して、ヒールな(?)スペイン(国家)とは正反対の、金は天下の回りもの、自分が使って余ったのなら他人のために使ったらいいじゃん、という清廉潔白にして反近代主義(反資本主義)的な性格を付与したのも、ヴィスコンティやるな、という感じです。
ところで、私が見たツタヤのDVDは118分。ウィキペディアで確認すると、140分となっている。多分かなりカットされています。というのは、この映画は官能場面が売りだったはずなのに、私が見たのはその手のシーンは皆無なんですよね。おそらく上のリンクの方が見たBS版は完全版だったのでしょう。だからスペインとの同性愛にも気がつかれたに違いありません。
だとすればこの映画が即刻上映禁止となったのは、(ウィキペディアに書かれているところの)著作権問題は建前で、実際のところは官能場面も含めた反ファシズム的趣向が当局の逆鱗に触れたからではないかな。
主役の男女が喧嘩別れして縒りを戻す場面も唐突で判りにくかったのですが、解説を読むと女が妊娠していることを伝えてそうなったみたい。その場面もカットされているようです。
というわけで、いつか完全版を見てみたいと思いました。
ヴィスコンティの処女作にして、イタリアン・ネオリアリスモの先駆的作品ながら、原作者(ジェームズ・ケイン)の許諾なく制作されたため、幻の作品として名のみ高かった作品。ヴィスコンティの死後ようやく日の目を見、日本では79年になって公開されたらしい。
いかにもネオ・リアリズモらしい「埃っぽい」ロケーションがとにかく好いです。内容的には、庶民の生活(苦)を写実することで普遍性に達している戦後のネオ・リアリズモの域には達していないというか、いやいやムッソリーニ政権下でよくぞここまでと思うか、ちょっと判断に困ります。
主人公と大道芸人スペインとの関係は、同性愛との説があり、いわれてみればたしかに納得します。
と同時に、ヴィスコンティが同性愛者の大道芸人にスペインという名を与えたのは、当時のスペインがフランコ政権であったことを思い出せば、おお!と膝を叩いてしまいますね。
そのスペインに対して、ヒールな(?)スペイン(国家)とは正反対の、金は天下の回りもの、自分が使って余ったのなら他人のために使ったらいいじゃん、という清廉潔白にして反近代主義(反資本主義)的な性格を付与したのも、ヴィスコンティやるな、という感じです。
ところで、私が見たツタヤのDVDは118分。ウィキペディアで確認すると、140分となっている。多分かなりカットされています。というのは、この映画は官能場面が売りだったはずなのに、私が見たのはその手のシーンは皆無なんですよね。おそらく上のリンクの方が見たBS版は完全版だったのでしょう。だからスペインとの同性愛にも気がつかれたに違いありません。
だとすればこの映画が即刻上映禁止となったのは、(ウィキペディアに書かれているところの)著作権問題は建前で、実際のところは官能場面も含めた反ファシズム的趣向が当局の逆鱗に触れたからではないかな。
主役の男女が喧嘩別れして縒りを戻す場面も唐突で判りにくかったのですが、解説を読むと女が妊娠していることを伝えてそうなったみたい。その場面もカットされているようです。
というわけで、いつか完全版を見てみたいと思いました。