チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

遺す言葉、その他の短篇(中)

2006年09月29日 23時47分18秒 | 読書
アイリーン・ガン『遺す言葉、その他の短篇』幹遙子訳(早川書房、06)
 <承前>

○月×日
「コンピュータ・フレンドリー」(90)
 これはサイバーパンクなのか? いえよく知りませんが。
 むしろコードウェイナー・スミスの手触りを感じる。
 とはいえ一種ハートウォーミングな話として読んでしまった。

「ソックス物語」(89)
 奇妙な味風の小品。それ以上でも以下でもない。

「遺す言葉」(04)
 アブラム・デヴィッドスンの晩年にインスパイアされた一種オマージュ作品らしいが、そんな知識は読む際には不要。これだけで自立した作品たりえている。

 老作家が死に、地理的にも心的にも離れて暮らしていた娘が遺品整理に訪れる。すると本には夥しい書き込みがあり、室内のあらゆるものにはセロテープでメモが付された紙切れが貼り付けられていた。
 冒頭で、死期を覚った老作家が「過去というわら束を櫛で梳くように細かく調べ直した」ことが記されているが、それに対応するのがこれらのメモなのだろう。

 で、「それから30億回の鼓動を経た彼の心臓が」停止したとある。
 30億回とは具体的にどれくらいの時間だろう。いちおう鼓動数と脈拍数は同じだと仮定する。
 このHPによると「脈拍数は、正常成人で1分間に65~85です。しかし個人差もあり、とくに老人の場合は少なく、60くらいの人も多いのです」とあるので、老人ということで、仮に一分60回とすると、60×60×24×30=2592000≒260万回/月となり、30億÷260万≒1154月÷12月=96年となってしまう。 これはおかしい。この30億回は単なる比喩にすぎないのか。

 いや、待てよ。
 これは、この「30億回」はあるいは老作家の生涯時間を示しているのではないか。
 そうだ。そうに違いない。そいえばよく見たら「それから」と「30億回云々」の間に読点があるではないか。

 「それから、30億回の鼓動を経た彼の心臓の筋肉が疲れ果て(……)鼓動を止めた」
 つまり、<それから、(彼の一生である)30億回の鼓動を経た(打った)心臓が止まった。
 と読める。

 ということで計算をやり直す。一生ということだから毎分60回というのは少なすぎる。
 「正常成人で1分間に65~85」ということだから、
 中間を取って75回とすれば30億÷(75×60×24×30)÷12=77歳。
 80回ならば30億÷(80×60×24×30)÷12=72歳。
 85回ならば30億÷(85×60×24×30)÷12=68歳、となる。

 ちなみにアブラム・デヴィッドスンの享年は70歳だ。
 大体合う。

 それはさておき、「メモ」である。
 たとえば冷蔵庫。冷蔵庫には「この大きな冷蔵庫! 何のためだ? わたしは老人で、料理もしないのに」というメモ紙。
 そんな類のメモがいたるところに貼り付けられていて、娘はため息をつく。それらは死んで資産も愛情も何も遺さなかったはずの父親の存在感をありありと娘にもたらす。さらには蔵書に書き込まれた夥しいメモ。

 整理し、売り払えるものは売り払い、引き取ってもらえるものは引き取ってもらおうと思っていた彼女は、次第に、これらはすべて手元においておくべきかもしれないと思い始める。整理に疲れ果てた彼女は、窓からするりと少年が忍び込んでくるのを見つけるのだが……。

 死して肉体を消滅させてなお、その物理的なものではない何かを遺さずにはおかない(あるいはそう感じないではいられない)人間存在の不思議さが哀切に語られる。

○月×日
「遺す言葉」(承前)
 昨夜来何度も読み返している。読めば読むほど面白い。
 あの少年は何者か?
 もちろん客観的には幻覚である。娘の、父親の遺品が何者かに持ち去られたのではないかという疑いを核に構成されたもの。他方内宇宙的には書物の化身であろう。
 娘は「時間の物理学」の本を、(躊躇しつつ)どの「山」に「戻した」のだろう? おそらく「捨てる本」の山に、だ。
 その、「捨てる山」が少年(少年時代の父親そっくりな)に実体化したのに違いない。
 ではなぜ「捨てる山」に、彼女は「少年」を見たのか? 捨ててはいけないという「無意識」が見させたのだ。老作家の遺品はすべて捨てたり散逸させてはいけない。なぜならそれらの総体のなかにこそ「本の中に自分を分け与えていった」父親の「肉体なき」総体が宿っているのだから……。

 だからこそ、捨てる山の化身は、捨てるという選択をした娘に襲い掛かる。
 少年の死体が山に戻ったのは、娘の心の中で捨てる山が捨てる山ではなくなったからではないか。
 娘は了解する。物理的時間は一方向にしか流れない。しかし「精神と心は(……)時間を超越する」

 ところで、「機関誌」(112p)って何の機関紙? 季刊誌の変換ミス?

○月×日
「ライカンと岩」(91)
 遠未来SF的な内容を民話のフォームに載せているんだが、それが実にしっくりと馴染んでいるのだった。
 こういう話は大好き。実はオレもアイヌ民話(ウェペケレ)の世界観(世界設定)をダンセイニ風に料理できないかな、と思案しているのだが、こういう風に書けばいいんだな(^^; 訳文は民話的な雰囲気をうまく伝えている。この翻訳者はうまいのか下手なのか・・

「コンタクト」(81)
 一読「夜の翼」というタイトルを思い出したのだが、内容を忘れ果てているので、何故思い出したのか定かではない。
 ただ同様の感傷的な遠未来サイエンス・ファンタジーであることは確かで、たぶん「夜の翼」より出来はよい(内容は忘れているけど読後感は覚えているのだ)。
 アメリカンSFのある傾向の典型的な秀作だろう。オレはこういう作品も大好きなのだ。

「スロポ日和」(78)
 スロポという異星人は「ヘビ頭」と描写されているのに、なぜにイラストでは「ワニ頭」なのか。イラストレイターが勝手に想像でかいてはいかんよな。ヘビ頭では絵にならんと思ったのかな。(*)

 内容は風刺SFで愉快愉快。われわれの社会が根源的にもつ隠微でありつつも産業構造に組み込まれた「経済を刺激する(……)遺伝情報の散布」の諸相が(その文化に外在的な)異星人を介することによってあからさまに嘲笑される。
 風前の灯だった地球の運命が、かかる地球人類の特質によって当面危機を回避するのも皮肉でよい。

 (*)初出のアメージング誌のイラストには登場もしない「おっぱいの大きな若い女の子」が描かれていたらしい。それをことさら取り上げて「気に入った」と書くのは反語的表現なのであって、やはり悔しかったんだろうと思うぞ。

○月×日
「春の悪夢」
 なんとホラーである。ホラーであるからして描かれる対象は「超自然」現象である。超自然現象であるからして、因果論的解釈は不可能である。なぜなら超自然現象は小説世界を律するストーリーの流れ(時間的継起=因果関係)から独立的であり外在的であるからで(だから超自然現象なのだ)、したがって小説内世界は超自然現象とは断絶している。(*)

 本篇でもラストの異様な結末は、小説世界内の因果律では説明できない。よって読者の[謎=解明]欲求(知の再編成の快感)は充たされない。ただ大脳旧皮質の本能的恐怖感が刺激されるばかり。というのはいかにも言いがかりに近いよな。だからホラーなんだって。

 (*)所謂狂者を精神病理学的に「理解」しようとする態度は、その狂者と「私」の間は連続的であるという前提に立つものであり、SFと親和的であるといえる。一方、そういう迂遠な方法は効率的ではないとして、薬物を処方する立場は、すでにして当の狂者を「私」とは断絶した存在、「私」を含むこの世界の、世界内存在としての「私」とは別の存在(独立的・外在的)とみなすもので、狂者への共感的理解は最初から放棄されている。これは「ホラー」の小説作法と同断であるといえよう。これは言いがかりでもなんでもない。いいたいのは「だからホラーは詰まらない」ということ。

○月×日
「春の悪夢」(承前)
 「遺す言葉」の<少年>は肯定しておいて、本篇の<ロッジの中の水死体>は認めないというのはどういうことか?
 <少年>の出現は、「遺す言葉」の小説世界の内的論理からその出現を解釈できる。すなわち(たとえ外的に幻覚であったとしても)<少年>は歴とした小説世界内存在なのだ。

 一方、本篇の<ロッジの中の水死体>は、その出現をストーリーから帰納できない。唯一考えられるのは主人公とその夫(?)の間の「危機」なのだが、本篇での描写のみでこのような超自然現象を出現させるというのはいささか唐突に過ぎる。それにはもっと切実な何かをもっと描写しなければならない。
 「遺す言葉」では老作家の<奇行>の数々が描写し尽くされており、読者は切実さを充分に納得できる。
その差が、一方をNW-SFとし、他方をホラーにとどめる。

 (つづく)
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遺す言葉、その他の短篇(上)

2006年09月29日 23時20分06秒 | 読書
アイリーン・ガン『遺す言葉、その他の短篇』幹遙子訳(早川書房、06)

○月×日
 『遺す言葉、その他の短篇』がネット書店より届く。この著者の名前には覚えがあるのだが、これまでに読んだことはないはずだ。
 そんな読んだこともない著者の本を購入するのは、オレにすれば大冒険もいいところなんだが、今回はクラリオン・ワークショップの理事というのが決め手になった(^^)。
 クラリオン出身とはいえ、活躍時期は80年代以降のようで、世代的にもギブスンやラッカーと同世代と思われる。なるほどサイバーパンクがミッシング・リンクとなっているオレが、これまで読んだことがなかったのもむべなるかな。

 ということでわくわくしながら、まずは巻頭の、そのギブスンによる讃である「彼女こそビジネスだ」を読んだのだが、一読ちょっと心配になってきた。
 先回りして言っておくが、その心配は「内容」そのものに対してではなく「翻訳」に対してなのだ。この(もっさりした)直訳文はなんなんだ? 大丈夫か?
 
 オレが引っかかったのは「ビジネス」。
 まずもって「ビジネス」をどのような意味でギブスンが使ったのか、この訳文では唐突すぎて分からない。
 少なくとも(本来の米語ではない)日本語の慣用としてこういう「ビジネス」の用い方はないように思うのだ。たぶん「プロフェッショナル」に近い意味で使われているんだろうと推測する他ないのだが、本来の米語では「business」をそのような意味で使われことがあるのかもしれない。それは分からないが、しかし少なくともオレの知る限りでは日本語としての「ビジネス」にそのような意味はないはず。

 こういう場合はどうしたらいいのか? 
 もっと解釈に徹するか、注釈を入れるかするしかないのではないか。そうでなければ、英語表現に精通していない大半の読者は戸惑うほかない。
 けだし翻訳者も「ビジネス」と「business」の意味範疇のズレに気づいて困惑したのではないか。しかし米語「business」にしっくりと対応する日本語がどうも思い浮かばない。で、えーいままよとばかりに米語「business」に対して日本語「ビジネス」で置き換えた。……

 大体やね、
 「これらすべて、アイリーン・ガンが本当にビジネスだというすばらしい証拠である」
 これ、はっきりいって日本語になってないやん。中学生の英文解釈と変わらないような気がするのはオレだけ?
 それもこれも、「business」を強引に「ビジネス」に置き換えたせいだとオレには思えてならないのだが。

○月×日
 ガンの短篇集より、最初の2篇を読んだ。なかなかええやん。
 とりあえず訳文は一応読める訳になっているようだ。とはいえ、気になる(ひっかかる)ところはやはり散見されるんだけれども。

「中間管理職への出世戦略」 (89)
 出世を目的とする人々はどんな戦略を採用するだろうか?
 たとえば(まさに一例だが)、ウォルドロップのあとがきに書かれているように(本篇が執筆された90年前後)野心的で見映えに恵まれた女性のなかには、ボディコン服でアピールする者がいた。
 オレの周囲でも、この当時は野心的な女性ほどボディコン服を愛用していたという記憶がある。「人は見た目が9割」(新潮新書)なんだそうな。ボディコン服が着られない人はジムに通って肉体を改造しようとするかもしれない。これは男も同断である。
 自動車販売会社の社員が自社の車を所有するのは、ある意味当然とオレでも思う。まずもってその会社で出世しようと思うものならば、そういうアピールは、むしろスタートラインに立つくらいの意味であり、一種デファクト・スタンダードであるに違いない。
 これらの事例はオレだけではなく、誰でもそんなこともあるわな、と納得できることだろう。

 同じことが小説世界の主人公の会社でも当然起こっている。
 しかしここから先が現実とはちと違う。
 この時代、バイオエンジニアリング技術が進展して、人間は昆虫にでも類人猿にでも(遺伝子工学的)変身が出来るようになっている。
 この小説世界での新しい潮流として、野心ある人びとの間では、より会社に貢献できる形態を身につけようとするのが流行り始めている。会社もそんな「意欲」ある社員を厚遇するし、上司の覚えもめでたく出世に有利になるだろう、というわけだ。

 で、主人公は蚊と蜜蜂とカマキリの身体器官を発生させる。こんな変身が会社の役に立つのかと、冷静に考えれば気が付くと思うのだが、能書きによればそのオプションが「中間管理職層への優れた競合者に変化させ、さらに上の階層へ参画するために役立つ反応も作り出す」とのことで、主人公もその気になるのだったが……さてその結果は?

 上述の「人は見た目が9割」戦略には納得した読者も、この「昆虫化」戦略は唐突で現実的ではないと感ずるのではないか。そんなことをして一体どんなメリットがあるのかと。

 そこがガンの狙い目なのだ。
 なぜならば「人は見た目が9割」戦略と「昆虫化」戦略は、実際のところ、その構造-機能は同じなのだから。
 たとえば髪の毛がふさふさあるほうが禿げているより出世に有利だとしよう。それではということで、テレビ通販で強力毛はえ薬(中国4千年の秘薬だとテレビは強調する)を購入し、使用するも、髪の毛は全然復活しなかったという、笑うに笑えない話も現実にままあるではないか。
 昆虫化戦略も毛生え薬戦略も、胡散臭さでは甲乙つけ難い。そういう胡散臭いものでも「出世」という錦の御旗のもとでは「信ずる」ものも現れて来るのが、これまた「現実」の一断面なのだ。

 けっきょく本篇はバイオエンジニアリングというSF設定を用いることで、現実の出世戦略の愚かしさ・胡散臭さを剔抉する効果をもつ。
 主人公の昆虫化の何ともいえない馬鹿馬鹿しさを、読者は笑いつつ、それが現実に反転してきてぞっとするのだ。


「アメリカ国民の皆さん」(91)
 JFK暗殺後、歴史が別方向に分岐したアメリカが舞台。ジョンソンとゴールドウォーターの一騎打ちにゴールドウォーターが勝利し2期つとめあげる。その結果ロバートケネディは死なずNY知事になっており、ニクソンはついに一度も大統領とはならずニュースキャスターに転進し、その軽薄さで一定の人気を保っている。そんな世界の1990年代の話。

 これもめちゃ面白い。
 一読ヴォネガットの「ハイアニス・ポート物語」を連想した。ゴールドウォーター、ロバート・ケネディ、ニクソンの3者3様の「その後」が描写されるのだが、とりわけ著者の関心はリチャード・ニクソン(上の作品における類人猿に形態変化した男にして、脊髄反射能力に優れたハリーとほぼ同じ性格造型がなされている)にあるようで、小説世界に展開されたテレビの名司会者として一世を風靡しているトリッキー・ディック(ニクソン)の、本篇に生き生きと活写されるその食えないキャラクターが実に面白い。
 本篇も結局のところ、前作同様「笑劇」である。しかしこれはアメリカ人にはたまらんだろうな。

 ところで、訳文の不満。
 「皆さんが嫌いたくてしょうがない男」>こんな日本語あるのか? ものすごく気持ち悪い。

 それからレット・ミー・コール・ユー・スィートハートは、「君呼ぶワルツ」というれっきとした邦題があるのだよ。ちょっと検索すれば判るのにね。

○月×日
 ひきつづいて「コンピュータ・フレンドリー」を読み出すも、1行目でひっかかる。

 「エリザベスは試験センターの石灰岩の階段を上がっていた」
 石灰岩の階段かよ。上がりにくいぞ。整形された石灰岩は「大理石」(石灰石=CaCO)というべき。
 著者のガン自身は、大理石の階段というつもりで書いているのだと思う。あるいは大理石というには貧相だったので石灰石と書いたのかも。
 要するに訳者は、描写された状況を視覚的に意識化していないんだろうな。視覚化しないから、だからこんなケアレスミスが起こる。ただ英語の単語を、辞書上でそれに相当する日本語の単語に「自動的」に(脊髄反射的に)置き換えてことたれりとしてしまっているんだな。

 そういえば中学の時を思い出すなあ。
 英文解釈をやらされて、そんなのに興味のないオレはとりあえず分からない英語の単語辞書で引き、一番最初に出てくる日本語に置き換えて訳したもんだから、できあがった和文はまことに珍妙な文章になったもんだ。

 でも、訳者をそんなに攻められないような気もする。オレは翻訳の経験はないが、創作の真似事をしていたことがあって、客観的に見ればなんでこんな間違った単語を使うのかというようなケアレスミスを、読んでくれた人に指摘されるまで気が付かないということがしばしばあった。
 ことほどさようにのめりこんでしまうと目が見えなくなってしまう。そんなとき岡目八目の人が横にいてくれると、本当に助かるものだ。

 今回の場合の岡目八目の人は誰かといえば、そりゃあ編集だろう。
 編集がしっかり読んでさえいればこんなミスは表沙汰にならずにすむんだよ。だめな編集と組まされる訳者こそいい面の皮。
そういえば安眠練炭さんのサイトで「最近のラノベ、とくに新レーベルだと全く編集者が直せてない」とあったけど、そうするとハヤカワは「スパラベ」レーベル同然の会社ってこと?

 なんだかがっくりしてしまったので、読むのを中断して大阪へ行ってくる。畸人郷もあることだし、「エイやん」の行程を検証してこようかな。

 (つづく)
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好きさ 好きさ 好きさ

2006年09月27日 01時27分22秒 | midi

 好きさ 好きさ 好きさ→midi
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天離(あまざか)る鄙の星辺に(下)

2006年09月10日 17時25分24秒 | 小説
 (承前)

    4

 老主人はダンカスと名乗った。
 「それからこれが古女房のエレナだ」
 老夫婦は二人暮らしとのことだった。
 「子供さんはいないのかい」
 エレナの心づくしの手料理に舌鼓を打ちながら男は何気なく聞いた。「それとも、あんたらをほったらかして出ていっちまったのかい?」
 「子供は五人いたさ」
 「ほう」
 「五人とも親孝行ないい子達だったよ」
 老ダンは遠くを見る眼で言った。「みなよく働いてくれたもんさね。わしらはあれが欲しいこれがほしいという事もなく、足ることを知って幸せに暮らしとったんじゃよ」
 男は老人の盃に酒を注ぎ足した。
 「だがある日、とつぜん募兵船がこの町に着陸したんだ」
 「軍の募兵部隊か?」
 「そうだ。募兵船とはいえ実体は徴兵船だった。もう十年も前の話さ。そしてどうなったかって? 奴ら、この町の若いもんを根こそぎ攫っていきやがった」
 老人の声がわずかに昂ぶった。
 「根こそぎ?」
 「おうさ、根こそぎよ。当然わしらの息子たちも、そのなかに含まれていた」
 老人はふっと重い息を吐く。「――それっきりだったぜ。それっきり、息子らからは何の音沙汰もありやしねえ」
 男は返す言葉を見つけられなかった。せわしく頭のなかをかきまわしたが、すぐに諦めた。無言で食事に没頭した。
 「それからたびたび、募兵船はやってくるようになった」
 老ダンは、男の様子など一切顧慮する気配もなく、おのれの裡に没入していた。「若い、健康なやつはそのうちひとりもいなくなっちまった。するとやつらは、歳喰ったもんまで徴発しはじめた。それもいなくなると、今度は〈戦域〉へつれてったって、足手まといになるだけだろうと思われるような、病弱者や不具者まで狩り集めた。……あんたは〈戦域〉を通ったことがあるっていってたな。あそこじゃ、そこまで人手が不足しているのか?」
 「そのようだな」
 ややあって男はいった。「募兵部隊もノルマがあるんだ。役立とうが足手まといだろうが関係ない。あいつらは命令された人数を〈戦域〉に送り込むのが仕事なのさ」
 「教えてくれ。あそこじゃ……〈戦域〉じゃ今、どんな状況になってるんだ?」

    5

 ――永久戦争。
 いつの頃からかこの〈戦争〉を、人々はそう呼びならわしてきたのだった。男が生まれる、ずっとずっと前からだ。
 男が生まれた頃には、すでにこの〈戦争〉がいったいどんな経緯で始められたものなのか、知っているものはいなかったのだ。
 もとより男がそれを知っているはずがなかった。だが現に、事実として、〈戦争〉は戦われていた。いったいだれと?
 ――敵。
 そう一般に呼ばれている交戦相手が何者であるのか、そのことも不明であった。噂なら捨てるほどあった。曰く〈敵〉とは他の銀河系の種族である、曰くこの宇宙とは別の宇宙……異次元の生物である、などなど。
 しかし真相は皆目見当もつかない、というのが実際のところであった。そのような 〈事実〉が忘れ去られてから、あまりにも久しい歳月が過ぎ去っていた。
 とはいえ、民間人とりわけこの銀河系の周縁星域〈辺境〉に生きる者たちにとって〈戦争〉は紛れもない具体的現実に他ならなかった。
 ――戦域。
 銀河周縁辺境域に、何の繋がりもなく不連続に点在する数箇所の〈戦域〉。そのなかへ膨大な物資と人資が送り込まれつづけていることは、なんぴとも否定できない事実であった。
 〈敵〉が異次元からの侵入者だとする説はこの〈戦域〉なるものの不自然さから来ていた。なぜなら〈敵〉は、兵站線というものを持たなかったのだ。彼らは〈戦域〉内に突如姿をあらわし、戦い、去っていくのだということだった。
 戦局は何十世紀も以前から膠着し、泥沼化していた。この銀河系は疲弊の極みに達していた。ことにも〈戦域〉に近接する〈後背星区〉では、その度合が激しかった。
 ――後背星区。
 そのような〈戦域〉に隣接する辺境諸星区を、軍はそう名づけていた。〈戦域〉に投下される物資と人資の殆どが、これらの〈後背星区〉より調達された。
 その事実はとりもなおさず、〈後背星区〉に生まれ死ぬ人びとに重過ぎる負担を強いることに他ならなかった。〈後背星区〉の住人の生活は悲惨を極めた。
 若い男の姿がこれらの星区から消えた。ついで一家を構えた壮年の男の姿がみえなくなった。もはや〈後背星区〉には、男は病者や老人しか残っていなかった。にもかかわらず〈戦域〉は、なお飽くことなく人資を要求しつづけたのである……。
 
 男は語り終えた。急速に酔いが廻りはじめていた。
 「そうか」
 老ダンは声を吐き出した。「やはり想像していたとおりだったぜ」
 つれあいに向かってほほえんだ。「そういうことだとすると、今度徴兵船がやってきた日にゃ、おそらくわしみたいな年寄りを引っ張っていくんだろうて」
 「そうだろうね」
 食卓を片付けるために立ち上がりながら、エレナが低い声で応えた。「大方そんなところだろうさ」

    6

 男は夢を見ていた。
 とおい過去が、夢のなかに甦っていた。それは、ほどよくセピア色がかかっていた。
 男には許婚者があった。やさしい心根の素朴な村娘だった。桃の花咲く惑星で男と娘は幼馴染であった。
 それは甘美な思い出だった。歳月によって美化されてもいた。男は夢のなかで幸福の絶頂にあった。
 けれども至福のときは、だしぬけに終わりを告げた。
 予備役だった男の許に召集令状が届いたのだ。まだそういう制度が機能していた時代であった。募兵船という名の徴兵船が着陸し、若者を一網打尽にひっさらっていくようになるのは、もっと先の話だ。
 男は〈戦域〉へと出征した。
 死と隣り合わせの数年がすぎた。男はしぶとく生き延びていた。間一髪のところで踏みとどまっていた。いや、男は自らすすんで死とがっぷり組み合い、それをねじ伏せてきたのだった。男は異例の出世をつづけ、ほどなく賜暇を与えられる身分にまで昇進した。初めての賜暇を手にするや、男は取るものも取りあえず帰省した。娘の待つ桃の花咲く故郷の惑星へ。……
 ところが帰ってみると、男を待っているはずの許婚者は、故郷の星にはいなかった。
 ナイルズという名前の兵站局の将校が、任地として赴任したその惑星で男の許婚者を見初め、略奪同然に娘を連れて行ってしまったのだ……と、そう尋ねていった男に娘の父親が語ったのだ。そしてその後すぐ、その将校は、異動で別の任地へ移って行ったと。……
 男は軍籍を捨てた。つまり軍の立場で言えば、〈逃亡〉した。
 そう。
 その日から、男のながいながい旅がはじまったのだ……

 不意に目覚めた。
 一瞬、何で目が覚めたか判らなかった。あたりは森閑と静まりかえっている。男はベッドで身じろぎもせず、目を瞠っていた。
 とおく空気を切り裂く音が聴こえてきた。
 ガバと、男は身を起こした。
 その音に聴き覚えがあった。大型ロケット特有の降下音に間違いなかった。そして銀河辺境星域にある大型ロケットといえば、それは軍の募兵船以外にはありえないことを男は知っていた。
 ふと気がつくと、戸外が騒々しくなっていた。この町の住民たちが、あわてて外へ飛び出してきているらしい。
 男はベッドから降りた。窓へ顔を押し付ける。
 オレンジ色の炎を吐き、闇を切り裂いて一隻の募兵船が降下してくるところであった。
 ――と、階下の窓が開く音がした。男は目を凝らす。ちょうど真下の窓から、黒い影が飛び出して行くのがみえた。その影は少し左足を引きずっていた。
 黒い人影は背中を丸めて着地すると、足の不自由もものかは、素早い身のこなしで庭を突っ切った。闇に閉ざされた荒野へと走り去ったのだ。
 男はベッドに戻る。大の字になって天井を睨みつける。
 「今度徴兵船がやってきた日にゃ、おそらくわしみたいな年寄りを引っ張っていくんだろうて」
 夕食時の老人の言葉が甦る。
 「うまく逃げのびてくれよ」
 男はそうひとりごちた。にやりと口許をゆるめた。急速に睡魔が戻って来、男はごろりと寝返りをうつと淵に呑み込まれるように睡りに落ちて行った。……

 まどろみの底で、男は甲高い叫びを聞いたように思った。それは女の声であった。何か訴えているような声の調子。くぐもった男の声がつづいてきこえた。深い睡りから次の深い睡りへと移行する、そのあわいの浅い夢のなかで、男の耳がとらえた会話であった。
 女の声は旅籠の女将のそれに相違なかった。老女は誰かと言い争っていた。
 ――このうちにや、男手はひとりもいないよ。
 エレナはそう叫んでいた。嘘だと思うのなら、家捜しでも何でもおしよ。誰もいやしないから。
 低い声が何か言った。
 ――みんな連れてかれちまったのさ。亭主も息子らも、みんな〈戦域〉へ駆り出されちまった。
 くぐもった男の声。
 ――そんなに人が必要なら、この年寄りを連れて行ったらいい!
 老女の声が激した。歳は取ってるが、まだ飯炊きくらいの役には立つだろうさ!
 男はまどろみのなかで低くうなった。夢のなかへ踏み入ってくる不快なざわめきをしめ出そうと、頭から布団を引っ被った。一瞬にしてざわめきはとおい潮騒へと変わる。満足げにひとつ鼻を鳴らすと、男は再び深い睡りのなかへ沈んでいった。

    7

 翌朝、男が階下へ降りていくと、老ダンカスはカウンターの奥で新聞を広げていた。
 「おはよう、親仁さん」
 老主人は顔を上げ、ニヤッと笑うと新聞をカウンターに置いた。
 「おはよう。よく眠れたかい?」
 「ああ、ぐっすりと」
 男は応えた。「募兵船が来ていたんじゃないのか?」
 「おうさ」
 老人はうなずく。「またごっそり攫っていかれちまった。この町では、男はわし独りだけになっちまったようだぜ」
 「うまく隠れおおせたというわけかな?」
 老人はふんと鼻を鳴らした。
 一呼吸分、間があいた。
男は頭をかいた。
 「それじゃ……」
 「行くのかい?」
 ああ、と男はうなずく。「親仁さん、世話になったな」
 「なあに……」
 老ダンは暫く男を見つめていたが、やがて口を開いた。「おまえさん、兵站の駐屯地に行くつもりかい?」
 「いや」
 男は曖昧に首をふる。「そう決めちまったわけでもないんだが」
 「ダリウスに会いに?」
 老ダンはかぶせるように訊く。
 「……うむ」
 男はしぶしぶ応える。
 老人は二度、三度うなずいてみせる。「そうか」
 「おそらく別人だとは思うんだが」
 男は言い訳するように言った。そんなことは喋る必要のないことだった。しかし男は喋らずにはいられなかったのだ。こんな気持ちになるのははじめてだった。
 「これまでも、何人も似たやつがいた。しかしみんな別人だった。今度もきっと別人だろうさ」
 「ダリウスの野郎が、おまえさんの捜しているヤツだったらいいな」
 老人は微笑した。「そいつを祈ってるぜ」
 「ありがとう」
 男は素直にそういった。「じゃあ」
 「気をつけてな」
 男は直立した。右手をピンと張り一旦胸の位置で水平に構えてから、腕を斜め上に突き出し敬礼する。「親父さんもお達者で」笑いながら。
 両開きの扉を肩で押し開ける。男は振り返った。「女将さんにもよろしくな。裏の菜園にでも行ってるのかい?」
 「いいや」
 老主人は首をふった。指を天に向けた。「あそこへ連れてかれちまった」

        (「天離る鄙の星辺に」第1部、了)

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マラキア・タペストリ

2006年09月06日 22時51分15秒 | 読書
ブライアン・W・オールディス『マラキア・タペストリ』斎藤数衛訳(サンリオ文庫86、原著76)

 いやあ、これは予想以上に面白かった。オールディスという作家は、世界設定やそのひっくり返しに異常に執念を燃やす反面、「物語」それ自体への拘泥は存外に薄く、むしろ蔑ろにされることが多いのだが、本作にかぎってはじっくり腰をすえて「世界」と「物語」をふたつながらに語りきっている。全てを分厚く書き盡さずには擱かないその熱情は眉村卓「消滅の光輪」に匹敵する。

 設定的には、異世界(平行世界)テーマということになるだろう。魔術師がいたり(主人公「改心」の転機となった)超越的現象が起こったりと、ある意味ヒロイックファンタジーの世界設定に近いかも知れない。

 舞台はユーゴ(南)スラビアの何処かであるらしき架空の都市マラキア。
 そう推定した根拠は「マラキア」という語が「聖グレゴリウス講話」とりわけその南スラブ語訳にあるらしいこと(ここを参照)。
 また市内にスターリー・モスト通りがあるのだが、「スターリー・モスト」は現実にはボスニアの都市モスタルにあった橋で、内戦で破壊されてしまったが、もともとオスマントルコによって1566年に架けられたトルコ橋の名前らしいこと(ここ)。
 そして小説世界のマラキアはオットマン(オスマン)トルコ軍(実はボゴミール教を奉ずるボスニア王ステファン・トヴルツコの援軍)によって包囲されていたこと。
 などに拠る。

 進化の系統において、ホモ・シミウスや類人猿とは別個の進化をとげた人類、ホモ・サウルスの後裔たるマラキア人、宗教的にはサタンによって創造されたマラキア人は建国者の遺訓を守り数百万年(!)にわたって「変化」を拒み永遠の無時間のなかで惰眠を貪っている。
 そこへ「変化」を導入しようとするものが現れる。それは一種の革命運動。
 主人公ペリアン・ド・キロロはしがない役者にしてボヘミアン。永遠の無時間のなかで恋のから騒ぎに興じている。そのペリアンが、かれらの企みに偶然関わるようになるも、高邁な理想などお構いなし。手前勝手な遊民感覚で関係する相手を傷つけるのだがその自覚はない。
 やがて上流階級の娘アルミダに一目ぼれして舞い上がる日々、しかも逆玉の輿に乗ろうという不純な動機も加わり、恋のから騒ぎは卒業したとばかりに殊勝なところをみせれば、あららいつの間にやらアルミダはペリアンの大親友ギーとくっついてしまっているではないか。
 自分の行状は棚に上げて二人を糾弾するペリアン・ド・キロロは、しかし逆にギーの家のものに袋叩きに放り出されてしまう。放り出されたトイ河で、彼が見たのは流れてくる生首。それは変化を求め、支配被支配の逆転を夢見た革命家のなれの果てに他ならなかった……

 本篇は、有翼人舞い古代恐竜闊歩するユートピア国家マラキアを舞台に、上記のような(波乱万丈といえなくもない(^^;)絢爛豪華な絵巻物世界を、悠揚迫らざる筆致で(意外にも)ユーモアたっぷりに描ききった傑作であり、私は主人公以下登場人物たちの馬鹿騒ぎ・から騒ぎを皮肉たっぷりに突き放して描いた「喜劇」として読んだ。その意味では、異色作ながら、オールディスの意地悪な笑い顔が行間から浮かんでくるような、いかにもオールディスらしい快作であるといえるのではないかと思う。

 こうなってくると、本書と同系統であるらしい『ヘリコニア3部作』への期待が否が応でも高まるというもの。先に本篇を「消滅の光輪」に比定したが、その伝でいえば「ヘリコニア3部作」「引き潮のとき」なのではないか、とひそかに想像しているのだが……
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忍者部隊月光のテーマ

2006年09月05日 21時09分21秒 | midi
忍者部隊月光のテーマ→midi

卒然と頭のなかに鳴り響いたので、メモ。

この曲は(カラオケでもおそらく歌ったことがないので)確実に40年来聞いていない筈。
浮かんできたのは主旋律だけ。いったいどんなアレンジだったのか全く覚えてません。
というか小学生がアレンジを気にして聞くわけがないので、最初から頭にインプットされてないのでしょう。
うーむ、カラオケで聞いてみるか。てかカラオケにあるのか?
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天離(あまざか)る鄙の星辺に(上)

2006年09月04日 20時12分16秒 | 小説
    1

 廃船寸前のボロケットを大気圏に突っ込ませるのは至難の業だ。ギシギシと不気味なきしみ音に冷や汗を掻きながらも、どうにか男はこのさびれた惑星の一角にボロ船をひきずり降ろした。

 操縦桿を離した手で額を拭い、溜めていた息を吐き出すと、男はトーラの葉を咥えた。
 姿勢を緩めてトーラをしがみながら、男は船体の冷えていく音を聞いている。最初はカン、カンと甲高かった外殻の収縮音が、次第に低くなっていく。その音があるピッチまで下がったのを確認すると、男はトーラを吐き出し、中腰になって天井のハンドルを廻し始めた。ハッチの自動開閉装置はとっくにいかれてしまっていたからだ。

 地面に飛び降りると、広からぬ発着場は夕日に染まっていた。凍えるような木枯しが男に襲いかかる。吐く息が白かった。
 男は上空を見上げる。雄大な夕焼けが天穹を覆っていた。この惑星の衰弱した太陽が、今しも荒涼たる平原のはてに沈もうとしているのだ。
 平坦な世界だった。起伏らしい起伏は殆どない。ぐるりと三六〇度の地平線が男を円くとりまいている。
 ただ風がつよかった。吹きつのる木枯しだけが、この円盤世界に君臨していた。ふと気づけば、チラチラと白い小片が上空に舞っている。それは恰もこの惑星自らが、その夜の厳しさを男に告げているかのようだった。
 ハッチをロックしようとして、思わず舌打ちした。断熱板がふっとんでいた。
 「くそったれ!」
 そう言ってロケットの脚部をブーツで蹴り上げると、男は町へと向かった。

 町は寒風に身をこごめていた。
 空が、風景の大半を占めるこの平坦な世界に、なお這いつくばるようにして、低い家並みがつづいていた。
 小さな町だった。
 宿場町とおぼしかった。大平原を一直線に区切って伸びる街道の両側に、古びた建物がそれぞれ十数戸並んでいる。それが町のすべてだ。ちょっと裏へまわってみれば、そこはもう果てしもなくつづく大平原なのだ。
 メインストリートにひとかげはなかった。夕闇せまる町のたたずまいはさながらゴーストタウン。一陣の突風が砂埃を舞い上げ駆けぬけていく。
 かつては白銀色に輝いていたに違いないスペーススーツは、今では見る影もなく色褪せてしまっている。その上に無造作に羽織ったマント。マントといえば聞こえはいいが、擦切れ綻びて襤褸と大差ない。そのマントの襟を掻き立てると、男は宿を求めて歩き出した。

    2

 両開きの扉を肩で押しあける。薄暗い内部はひどくガランとしていた。カウンターの奥に男がいた。下を向いて何か書きつけている。薄明かりのなかでもかなりの年齢であるのがわかった。老人といってよかった。
 「悪いな。酒場は廃業したんだ」
 老人は下を向いたままそう言った。
 「酒はいらねえ。一晩泊めてもらいたいんだ」
 男は言った。「それとも旅籠も廃業しちまったのかい?」
 「いいや」
 老人はようやく顔を上げた。男を眇めるような目で見た。「ここんところ休業同然だったんだがな、しかし営業してるのは間違いねえ。オーケイ、ここにサインしてくれ」
 男は少し考え、ペンを走らせた。
 老人が鼻の頭を太い指で掻く。
 「ほお、ヴェガ星区から?」
 男は肩を竦める。
 「遠くから来なすったね。ヴェガ星区といやあ」
 「ガンサーって愛玩動物を、あんた知ってるか?」
 「星間ニュースで見たかもな。核(コア)じゃ飼うのが流行ってるんだって?」
 「わが故郷(ほし)の特産だぜ」
 「ほほう」
 老人は半ば表紙の千切れた古い宿帳を太い指で叩いた。「このアクテオキアってのが?」
 「そいつがわが故郷の惑星さ」
 男はニッと口を歪めた。「ブームのおかげで、今じゃ惑星全土が放牧場だぜ。まあ矮惑星なみのちっぽけな星だけどな。そんなわけでアクテオキア人は、みんな地下で暮らしてらあ」
 老人はさも感心したかのように首を小さく振った。「流行のペットが、とある惑星でしか繁殖しないとニュースでいってたが……あんたの惑星だったのか」
 男は頷いた。そのかみどこかの星で耳にした話であった。その話をしてくれたアクテオキア人が、今どこで何をしているか、もとより男の知るところではなかった。が、おそらくは〈戦域〉へと駆り出され、とっくの昔に〈ダーハの国〉へ渡ってしまったに違いなかった。
 老人が立ち上がって、キイをひとつ無造作に抜き取った。立つとかなりの長身だ。身のこなしも矍鑠としており、若い頃はそうとう〈ならした〉ものとみえた。
 「ともあれ久しぶりの客人だ。歓迎するぜ。ま、ひと晩ゆっくり休んでくんな」
 ついてこいと言う風に親指を立て合図すると、狭い階段をきしませて上がっていく。片足を引きずっていることに男は気づいた。
 「部屋は当家で最高の部屋だぜ。特別大サービスだ。そのかわり食事は、悪いが満足なものは出せねえぜ」
 老人は言った。
 「構わねえ」
 男は応えた。「食えるもんだったら、何だって構わねえ」
 「済まんな。平時ならばこの星のうまいもんをたっぷり食わせてやれるんだが……ガルフェウスって聞いたことがあるか?」
 「いや」
 「この惑星の砂漠地帯に棲む砂魚(サンド・フィッシュ)なんだが……これが正真正銘の魚類なんだぜ……そいつの刺身ってのは、この辺の星区じゃ随一の珍味なんだがな。それが今では土地のもんの口にだって滅多に入りゃしねえ」
 「供出か?」
 「おうさ」
 老人は唇を歪めた。「砂舟(サンド・ボート)で西に三日ほど行ったところに、軍の兵站局の駐屯地がある」
 男の両眼が一瞬鋭く光った。
 「そこの連中は、物資は確実に〈戦域〉へ送り届けていると、そう言ってはいる。だけどな、そんなことだれが信じるものか。現に星区の行政庁があるテドゥヌスでは、今でも高級料理店へ行きゃ、ガルフェウスのメニューがあるっていうじゃねえか。全く頭に来るぜ」
 「そいつは残念だな」
 男は慰めるように言った。「だけどうまいものを味わう舌は持ち合わせてねえんだ。そんな生まれ育ちじゃねえ。あり合わせで結構だよ。そのほうがむしろありがたい」
 「そういってくれると……悪いな」
 老人は拝むように片手をあげた。
 「ところで……」
 さりげなく男は訊く。「ところで親仁さんは、その兵站局の駐屯地のボスってぇ奴の名前を知ってるかい。ひょっとしてナイルスってんじゃ?」
 「違うな」
 老人は首を横に振った。「あいつは、たしかダリウスっていったはずだぜ。ダリウス中佐。そいつがどうかしたのか?」
 「いや。おれの古い仲間がこの星区のどこかに兵站局から出向してるって噂を耳にしたんでね」
 「多分そいつは別人だろうて」
 老人は言った。「おまえさんの古い仲間てのは、極悪人じゃなかろう?」
 「もちろん!」
 男は片目をつぶってみせる。「そいつは悪党かもしれないが、極悪人ではない」
 「そうだろうとも」
 老人はドアを開けた。「ここがあんたの部屋だ。なんにももてなせねえが、ゆっくり寛いでってくんな」

    3

 部屋は裏庭に面していた。裏庭といってもささやかな菜園があるだけだ。壊れかけた垣根越しにみえる赤茶けた荒地は、そのまま大平原へ繋がっている。
 日はすでに没し去った。上空にこそまだ夕映えの名残りがあったが、地上はもはや全き夜だった。銀河辺縁特有の、星のない穴のような夜空であった。
 雪片がときおり舞った。とはいえそれはまさに雪片にすぎなかった。極度に乾燥したこの惑星では、大気は雪を降らせるだけの水分を抱えていないのだ。せいぜい思い出したように、風が収まった瞬間に白い結晶を析出する。しかしそれも地上に落ちる前には消え果るのだ。侘しい風景だった。
 男は窓を閉め、カーテンを引いた。
 その部屋が長いこと使用されていなかったことは一目瞭然だった。が、手入れは行き届いていた。調度も古びて決して贅沢なものではなかったが、こぎれいに整えられている。
 男は暖炉の前に椅子を引き寄せた。両手をかざす。男の体を暖炉の火があかあかと照らした。痩身とみえた体は、汚れたスペーススーツを脱がせてみれば存外頑丈そうであった。
 古代ローマ人のように直毛の黒髪を短く切り揃えた額の下には、ロケット乗り特有の宇宙線に灼かれた青銅色の顔があった。曲がった鼻梁の両側の、ガルバラのそれにも似た鋭い眸が、熾火のように暗い耀きを湛えている。お世辞にも男前とはいい難い面構えだ。
 男は両の掌でゴシゴシ顔をこすった。目蓋を強く圧した。暫くそうしていた。それからまた両手を火にかざす。
 濃い疲労の色が、男の相貌から滲み出していた。それは両手でこすった程度では到底落ちそうもなかった。
 すでに宿の老夫婦の心づくしの手料理で、男の胃袋は心地よくみたされている。
 「どんな料理だって、おれにとっちゃご馳走さ」
 フッと苦い微笑が口許からさざなみのように拡がり、消えた。
 ……こんな渡り鳥暮らしを、おれはいったい何年つづけてきたことか。
 ろくでもない噂だけを頼りに、星から星へと渡ってきた。そしていつのまにか銀河系の辺縁星域にまで来てしまった。
 こんな生活をあと何年つづけたら終着点にたどり着けるというのか。……
 投げやりな鬱屈に男は捉えられていた。それは男にとっては周期的に訪れる、お馴染みの感情ではあった。ただつい先刻、夕食時の会話と、そしてこの置き去りにされたような惑星のうら寂れた景観が、その引き金になったろうことは確かなようだった。
 ――もう、やめちまおうか。
 男は思った。こんな無宿渡星な生活から脱け出して、どこかに落ち着いてしまおうか。
 女の顔がいくつか脳裏に来て去った。男がいくつかの惑星にそれぞれ置いてきぼりを喰わせた女たちの、それは幾人かだった。
 「こいつはとんだ重症だぜ」
 と、男は苦笑した。想像以上に疲れが溜まっているようだ。早々にベッドにもぐりこむ必要がありそうだった。男はそうした。
 「ダリウス中佐……か」
 シーツにくるまって男はつぶやく。「似てるな」
 ものの数秒とたたぬ間に、規則正しい寝息が、唯一この惑星の静けさに抗した。

 ――つづく――
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言語と妄想

2006年09月03日 13時41分14秒 | 読書
宮本忠雄『言語と妄想 危機意識の病理(平凡社ライブラリー、94 元版、74)

 下の『月光とアムネジア』の感想に対する風野さんからのコメントで紹介していただいた本です。

 「言語新作」といえども、そこには「論理」があるのであって、それに気づきさえすれば何らわれわれと異なるものではない。
 という拙文に対して、

 それは「精神病理学の立場ではありません。病者の了解不能性を認識し、その異質な思考を哲学の知見を駆使して説明しようとするのが精神病理学です。」
 との反論をいただき、本書を紹介していただいた次第。まずはその辺に留意して読んでみました。

 端的にいって私の当該部分は、確かに誤解を招きやすい表現であったかもしれないが、間違ったことは言っていないと確認できたように思います。それでは風野さんが間違っているのかといえば、そんなことはない。以下に述べるように、私の文が雑だったことによる行き違いだったというのが私自身の判断です。

 私は、精神病といえども人間の患う疾病であるからには、病者と健常者の間には「了解不能」というような断絶はなく、連続的である、という立場(信念)なのですが、それは先日読んだ村瀬学「自閉症」感想文にも書いたとおり。

 すなわち自閉症は、一種の防衛機制の特殊な発現でなのあり、ある意味頑なな守りの姿勢なのだが、健常者には異常とも見える現象(「変化への抵抗」「同一性保持」「強 迫的な同一行為」)も、健常者が自己の体験構造に立ち還って見直せば、過剰ではあるかもしれないが、その論理は「了解可能」である。

 同様のことが精神分裂病に就いてもいえるのだと思います。というか本書自体の立場がそうで(副題にそれは反映されています)、それはとりもなおさず精神病理学の立場といえるのではないかと思うのですが、風野さんの「病者の了解不能性を認識し、その異質な思考を哲学の知見を駆使して説明しようとする」にも繋がっていくものなのだと思われます。

 それは、「ただしこれらの症状をいつまでも「奇」と感ずるうちは、病者とのあいだにまだ人間的関係が結ばれていない証拠であり、この「奇」を二人称的接触をとおして解消していくところに治療の進展がある」(32p)
 という記述に明らかで、両者の間に断絶はなく連続的であるという「了解可能性」が前提されていなければ、このような記述が出てくる余地はありません。
 それでは風野さんの「了解不能性」は違うのではないか、ということになりますが、そうではありません。それも以下に述べます。

 精神分裂病が「関係の病」であることはつとに人口に膾炙しています。本書を通読してやはりその思いを強くしました。詳細は省きますが、精神分裂病もつまるところは自閉症と同じで、一種の防衛機制の誤発動なのではないでしょうか。社会的ストレスが強くても発病しない人もいますから、それが気質(脳機能)的なある種の脆弱さと相関的であるのは間違いないでしょう。しかしピッチャーが投球しなければ試合が進行しないのと同じ意味で、社会的ストレスがこの病を発現させる契機(Moment)であることに疑いありません。脳機能等はその意味で従属的です。

  ということで「言語新作」です。(「月光とアムネジア」を貸出し中で手元になく引用できないことをまずお断りしておきます。結果牧野ファンをひとり作ることに成功しましたことをご報告します(^^;)

 とりわけ「言語新作」が興味深いのは、分裂病(統合失調症)に言語が深く関わっており、翻って(人間なくして言語がないのは当然ですが)言語なくしては人間自体がありえないということを端的に示しているからです。この事実においても「言語新作」(分裂病)が、われわれ健常者の彼岸にある事態ではなく、どんなに「不気味」であっても、一線の「こちら側」=此岸の事態であることをおのずと示しています。

 さて、上記の人間とは端的に「私」です。現象学によれば「私」とは構成であって、その一端を担う(というか欠くことのできない構成要素である)のが「言語」であります。その「私」の弱化した状態が分裂病的事態であるようです。

 著者によれば言語新作は、私の弱化によって主体的な「統覚力」がゆるみ希薄化し、意味するものと意味されるものの緊密な自明性(それは体験の積み上げの結果獲得したものです)が失われ、どちらも浮遊してしまうところに発現するもののようです。
 煩瑣な引用は避けて結論するならば、何らかの原因で社会的関係性が阻害された結果、ある意味必然的にコミュニケーションに欠くことのできない言語作用が弱化し、それによって主体的能動性(私)が衰弱することで、言語新作が発現する。それは結局患者なりの(ただし無意識的な)防衛機制なのだということです。

そしてこの過程は、われわれにも十分了解できる因果関係であるといえる。その意味で、私は冒頭の、
 「言語新作」といえども、そこには「論理」があるのであって、それに気づきさえすれば何らわれわれと異なるものではない」
 と述べたわけです。
 
 ただしだからといって、言語新作されたものを了解できるわけではありません。この事態をさして、風野さんは「病者の了解不能性」とおっしゃったのだと思います(そう受け取られても仕方がない書き方だったと思います)。
 わたし的にはかかる二つの言説は決して相矛盾するものではなく、志向する意味内容が(粗雑な記述で)異なって受け取られてしまったに過ぎないと理解しました。

 結局精神病はその了解不能な「異質さ」「不気味さ」を健常者に与えますが、そこに立ち至るまでの論理(原理)自体は「了解可能」なのであり、それを説明する原理を考察するのが精神病理学という学問であるに違いありません。

 つまるところ、精神病理学が治療には効率的ではないというよりも、薬物の方が手っ取り早いというのが現状なのではないかと言うのが私の偏見なんですが、精神病理学が見出したこのような根源的な説明原理は、(効率を云々される)上記の状況においてはむしろそれを読み込んだ一般の生活者に対して有効なのかもしれません。
 なぜなら少なくともかかる説明原理を了解することで一般健常者は、それまで抱いていた病者に対する本能的な「異質さ」「不気味さ」を何ほどか減殺される筈だからで、そういう意味においてもこの学問は必要な学問であり、あるいは必要とされなければならないものであるはずなのです。その意味で実学としての精神医学と理論学としての精神病理学は明確に区別されなければならないのではないか、と感じました。本書を教えて下さった風野さんに感謝します。
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