チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

モロー博士の島

2006年03月30日 03時05分30秒 | 読書
H・G・ウェルズ『モロー博士の島』中村融訳(創元文庫、96)読了。

 いうまでもなく、ウルフ「デス博士の島その他の物語」の元ネタである。そういうわけで30数年ぶりに読み返してみた(実質的には初読同然)のだが、面白くて一気に読んでしまった。

 内容は、訳者中村融による巻末解説にこれ以上もなく簡潔に要領よく整理されている。それをわたし的に言い換えるならば、進化論は西欧キリスト教世界のドグマであった人間と動物の絶対的非連続を否定し、人間と動物間の連続性を明らかにした。それは(1)時間的な連続関係を意味するだけではなく、ウェルズにとっては、(2)「人間」そのものの中に(根底に)「動物」がいることを意味するものだった。

 それはとりもなおさず、いつなんどきその動物性が「人間」を再び覆いつくすかもしれない(退化)という惧れを抱かせるものだったに違いなく、第1作「タイムマシン」では、かかる人間の「退化」が遠未来において描かれた……(1)'
 つづく第2作の本書では後者の意味、すなわち現在の人間そのもののなかに「動物化」を見出しているといえよう……(2)'

 モロー博士の島で、主人公は一旦人間化させられた動物があっけなく「退化・動物化」していく姿を目の当たりにする。やがて島から脱出し、ようやく文明社会、19世紀末の先進都市であるロンドにン戻ることができた主人公は、しかしそのロンドンに代表される世界そのものもまた、「島」であったことに気づかざるをえない。

 獣人たちに好意をみせるモンゴメリーとは対照的に、主人公は「島」において徹頭徹尾、獣人を「人間」と区別する態度を崩さない。
 それはウェルズ自身の「譲れない一線」なのだろう。もとよりその態度は、キリスト教的ドグマとしてのそれではなく、一線を明確に意識しておかなければ、ずるずるとなし崩し的に動物化は進んでいくだろうという、進化論を肯定したところから発せられる(近代科学精神に則った)危惧のあらわれなのだ。

 そこにはある意味ヴィクトリア朝的な禁欲主義が認められるかもしれない。モンゴメリーの酒に溺れる姿が強く否定的に描かれているが、それも人間が自覚的に自己をコントロールする勁さを養わなければ、退化、動物化に抗することができないというウェルズの信念のあらわれだろう。
 そのようなウェルズの「信念」は、おそらく獣人の<掟>にあらわされている。それは多分に硬直的でもある。かかる禁欲的な硬直性は、ウェルズが近代科学精神と共に、あるいはカルヴァン主義の影響が認められるような気がするのだが……

 ところで、本篇を読んで直ちに思い出されるのが乱歩「孤島の鬼」であろう。乱歩は本書に触発されて「孤島の鬼」を書き上げたのではないだろうか。
 そういえば「孤島の鬼」のマッドサイエンティスト諸戸道雄の「モロト」のなかには、「モロー」が隠されているではないか!(諸戸=モロー説は誰か既に唱えているだろうか、検索する限りでは見当たらないのだけど。どなたかご教示を)
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アイルランドの柩

2006年03月09日 21時56分45秒 | 読書
エリン・ハート『アイルランドの柩』宇丹貴代実訳(ランダムハウス講談社文庫、06)

 アイルランドの田舎で起こった旧領主の奥方とその小さな息子の失踪事件は、手がかりもなく迷宮入りしかけていた。おりしもその地の泥炭湿原から女の切断された首(それには350年前クロムウェルのアイルランド再征服期の因縁が隠されていたのだったが)が発見される。
 調査に訪れていた考古学者の男女の眼前で、現代の失踪事件は350年の時間を渡る壮大なる血族の謎と交差し、彼ら自身の過去をも照射する――

 というわけで、アイルランド版横溝正史であった(^^;
 前半はゴシックロマン風。主要な登場人物はみんな過去を引きずっていて、それぞれオブセッションを抱え込んでいる。それがびっしり書き込まれていて、最初は調子に乗れなかった。が、中盤から上記の横溝正史風ミステリになってきて俄然面白くなった。本格とまではいえないかもしれないが、ミステリ小説として十分楽しめるものとなっている。
 後半はその書き込みの分厚さが効果を発揮してきて刊措く能わず。アイルランドの田舎の雰囲気もよく出ており、久しぶりに長篇小説らしい長篇小説を読んだ気分。

 ミステリらしく最終的には全ての謎は明らかになるのだが、それに伴って主要登場人物のオブセッションもそれぞれ解消・昇華されていく。まさに大団円というべきで、このへんはやや作りすぎと言えなくもないが、逆にいえば英国の19世紀的長篇小説の結構をそなえているともいえる。伝奇的面白さもあり、全然知らない作家で、どうかなと思いながら取り掛かったのだけれど、充分面白く、拾い物だった。


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