チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

哲学の余白

2007年01月28日 20時07分01秒 | 読書
木田元『哲学の余白』(新書館、00)

 哲学者の木田元が、1997年から1999年にかけて発表した哲学以外の「雑文・書評のたぐい」をまとめたものとのことで、私も気楽に読み始めた。
 各種の雑誌に発表された短い文章が「昔を懐かしむということ」「読書について」「少しばかり哲学の話も」「書評のたぐい」「なんと、山田風太郎を解説する」の5つの章題のもとに纏められている。

 最初の「昔を懐かしむということ」には、「専ら鑑賞する方」という趣味の俳句にひっかけた身辺雑記風の文章が並んでいて、軽く読める。ただ軽いといってもそこは木田元の文章である。そこここに著者の思索の片鱗が垣間見られるわけで、たとえば、世にはサルトル・芭蕉型メルロ=ポンティ・蕪村型の二種類の在り方があるらしい。
  前者は過去を振り返らない、というか振り捨てて生きる。後者は過去にとらわれる。「自分は比類のない幼年期からついに癒えないでしまった」(メルロ=ポンティ)。楽園喪失が原体験。
 例として芭蕉と蕪村の句を並べて、彼らふたりの対照的な時間性(時間意識?)が示される。

 ふるさとや臍の緒に泣としのくれ  芭蕉
 遅き日のつもりて遠きむかしかな  蕪村


 なるほど。芭蕉にとって過去は痛みなしには振り返られないのに対し、蕪村はのほほん(?)と過去のセピア色を心地よく振り返っている。最初私は後者の句の方を好いと感じたのだったが、初読から数日たった今現在、芭蕉の句の方がずっとすぐれていると思わざるを得ない。前者の鋭さに比べれば後者の感興はやはり凡庸だ。

 なぜ最初蕪村の句をよいと感じたのか、それは明らかで、この類型に従えば、私は典型的に後者なのだ。だからSFMを読むと昔のSFMの方がよかったと思うし、今のSFを読むと70年代のSFはよかったなあと懐かしまないではいられない。それが事実かどうかは関係ない。過ぎにし過去にユートピアを「仮構」して、そうして亡くした・追放された楽園を恋しがっている。一事が万事私の意識はそのように働いている。

 著者はサルトル・芭蕉型だそうだが、おそらく福島正実もそうだったに違いない。逆にメルロ=ポンティ・蕪村型の人は比較的めぐまれた幼年期を送った人が多いのではないだろうか。前者は過去を忘れたい、ないことにしたい、その意識をバネに前へ前へと進んでいく。それに対して後者の過去は回想の中でどんどん純化され美化されていく。 その意味で今の時代、殆どの人は後者かもしれない。そういえば中学生の子が小学校の卒業アルバムを見て懐かしんでいるらしいではないか。

 「読書について」では主に原文を読むことや翻訳について所感が述べられていて、これも興味深い。
 「昔は分からないのは自分の頭が悪いからだと思っていたが、近頃はたいていの場合、翻訳が悪いせいだという程度のことは分かるようになった。誤訳というよりは、全体としての文意がつかめないのである。今は辞書も格段によくなったし、語学力も向上しているはずなのに、翻訳が悪くなるとはいうのはどういうことであろう」(85p)として、その理由として、日本語の表現力の衰え、そして仕事に対する怖れ、律儀さがかけているのではないかと指摘する。
 なるほどなあ。これは海外SFの翻訳にも当て嵌まる指摘であるな。

 さらに続けて、翻訳もひとつの技術であるから、しかるべき訓練が必要で、できればすぐれた訳者の下訳をし添削してもらいながら、正確に読み的確に表現する訓練を一度は受けたほうがよいともおっしゃっている。
 しかし一番の問題は「編集者」だと断言する。

 「翻訳の良否を判定できる編集者が少なくなったことであろう。昔、組みあがった翻訳に納得できず、一部分を自分で訳して第三者の判定を求め、訳者を替えた編集者がいた。むろん今でも、全文原文と読み合わせ、過不足なく訳文をチェックしてくれる編集者はいる。そうした人間に担当してもらうと、確かによい翻訳ができるものである」(86p)

 この編集者の問題は重要だと私も思う。私は英語は読めないけど、そんな私ですら翻訳文を読んでいてこれは誤訳してるんとちゃうか、と思うことがたまにある。最近では『グリュフォンの卵』 『遺す言葉、その他の短篇』にそれを感じたものだ。具体的にはリンクをたどって確認していただきたいのだが、これらの訳文に私が感じた不満や疑問は、編集者がきちんと仕事をしておりさえすれば防げたものだ。しかも両書は海外文学に強いはずの早川書房からの上梓なのだから、問題は深い。

 話がそれた。つづく「少しばかり哲学の話も」には、かなり本格的な論文が収められている。
 この章で著者は、哲学とは普遍的な学問だという先入観があるけど、それは違うといっている。これは面白い。

 著者によれば、近代哲学の父デカルトの「理性」概念は(我々の日常概念の理性とはぜんぜん違うもので)、実はキリスト教神学の「神」概念と同じ思考様式に属する。どちらもプラトン的「イデア」が変換したものに過ぎない。かかる三者は(外在的な)或る「超自然的」(即ちメタ・フィジックな)原理を設定し、それを参照しながら自然を見るというその思考様式においては同じものだと著者は言う。
 この原理から「物質的自然観」が成立し、近代ヨーロッパ文化が(科学的思考も)形成される。

 このように「哲学」は人間一般を扱うものに見えて、実は「特殊西欧的」な思考様式に過ぎず、ハイデガーによればそれはたかだかプラトンに始まり下限即ちその終焉もある「歴史的存在」なのだそうだ。
 だとすればフーコーの仕事なんて実はハイデガーによって既にやり遂げられていたことになるのではないか? 面白い。
 で、著者によればハイデガーは(メルロ=ポンティも)そのような「哲学」を「ぶっこわそう」としていたらしい(反哲学)。SFでいえばニュウェーブであるな。

 「私は<反哲学>も含めた広い意味での<哲学>を、現実の外に引かれる補助線のようなものではないかと思っている。それ自体は現実のうちに確たる座を占めることはできないが、それが引かれることによって、現実がまったく違ったふうに見えてくるといったような補助線である。フィクションと言いたければそう言ってもいい。しかし、それは、そのうちに据えることによって現実が思いがけない見え方をしてくるフィクティヴな全体図である」(127p)  

 この文の「哲学」を「SF」と言い換えれば、まさにSFの本質を言い表した文となる。SFはやはり原理的に「哲学小説」なのだろう。

 「書評のたぐい」は文字どおり、新聞や雑誌に掲載された書評集で、本業の哲学から趣味だというミステリまで、幅広く作品が取り上げられている。これが滅法面白い。やはりお座なりな、最大公約数的な書評でなく、著者が読み、そこから触発されたところを自由自在にというか自分の視点で評価しているから、書評だけ読んでも面白いのだろう。
 「なんと、山田風太郎を解説する」は、なんと『山田風太郎明治小説全集』(愛蔵版)全巻に著者が書いた解説の集成。ミステリファン、風太郎ファン必読ではなかろうか。
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虫のなんたるか

2007年01月21日 22時39分39秒 | 芝居
 オリゴ党第23回公演『虫のなんたるか』(作・演出/岩橋貞典、於TORII HALL)を観て来ました。
 
 ――某県にある一般にはその存在を知られていない秘密の洞窟。所有者たちによって隠されてきたその洞窟に、ある日、そこにのみ生息するという幻の昆虫「メクラチビゴミムシ」を追って、大学の昆虫学教室の学生たちがやってくる。10年前、そこに入った者たちによって発見されていたという、幻の昆虫を追う学生たち。しかし、その洞窟には、ある重大な秘密があった……(公演案内より)

 舞台は鍾乳洞窟の内部に固定されています。ちなみにこの舞台設定がなかなか面白く、細長い舞台(坑道ですな)の両側に客席が設置されている。つまり客席が洞窟の壁の見立てになっているわけです。大劇場では不可能な面白いアイデアです。

 で、芝居は洞窟内に終始します。つまり設定に仕掛けがない。ベタ(笑)。これは岩橋作品としてはめずらしいのではないでしょうか。
 実は洞内で大声を上げそのわんわんする反響に耳を押さえるシーンが何度か繰り返され、「そのうち崩れるよ」なんて会話も交わされるので、ははーん、これはきっと実際に鍾乳洞が崩れて、崩れた後の幽霊たちの話かもな、などと想像していたらぜんぜん違った(汗)。いや、イワハシワールドならそうなる筈と思うではないですか。その意味でメタ的な仕掛けもなく、普通のお芝居だったのには意外でした。

 内容的には、柴田翔に「十年の後」という小説がありますが、あれに近い(もっともこちらは15年の後なんですが……そういえば本公演はオリゴ党結成15周年企画なんですよね)。つまり第一義的には恋愛テーマなのです。舞台に仕掛けがなく恋愛がテーマなんて、これはもうぜんぜんイワハシワールドらしくないですね(笑)

 かくのごとく、表層的には岩橋作品にはめずらしい(メタじゃなくて)ベタなお芝居なのですが、とはいえその表面を少し穿ってみれば、そこに現れるのはやはりイワハシワールドなのです。
 確かに舞台は洞窟内に固定されているのですが、しかし時間的には、10年前、現在、5年後という3つの時点を行ったり来たりします。そうして15年の時の流れが3つの時点から相互照射され、その3本のスポットライトの交差するところに、或る何かが浮かび上がってくるのです。
 
 劇中で、「ムシは進化したくて進化するのではない、環境の変化に適応させられるのだ」という意味のセリフが吐かれます。おそらくこれが本芝居を貫く根本テーマなのです。
 10年(あるいは15年)という歳月が、いかに作中人物たちを窯変させたか(「過去は見ない未来だけ見る」というセリフも、これもまた10年(15年)後の結論である限りにおいてその未来は過去を内在させているのであり、ひとつの「適応」といえる)、それが3つの時点からのスポットライトによって交差的に照らし出される。

(それゆえ変わること、適応することを拒絶する者であるチトセは、ドラマツルギー上、行方不明となる他ない。おそらく彼女は洞窟と一体化してしまったのです。15年後時点の洞窟内で歌声だけが聞こえるのはそのためにでしょう。同じく15年後時点において洞窟管理をゴスから継承したハナダが見たチトセもまた、まさに洞窟と一体化したチトセの幻影だったに違いありません)

 いろんな意味が籠められた・あるいは10年、15年という時間エネルギが滞留した「洞窟内」という装置のなかで、男女の関係がいかに変わっていったか、変わっていかざるを得なかったか、その引きずった過去と現在が照らし合わされます。
 それが「十年の後」のように一組ではなく、それぞれに対称的でもある3組のカップルについて(ばかりか派生的に現時点から始まるそれも含めて)重層的に照らし出されるという、けっこう構想雄大なお芝居でした。

 いずれにしても、学生生活卒業後十年目、十五年目くらいの人には(それぞれの内なる)一種切ない甘美な記憶が呼び覚まされる(に違いない)装置として機能するお芝居となっていたように思います。イワハシワールドの新機軸として面白く観ました。
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明日を越える旅

2007年01月14日 18時53分59秒 | 読書
ロバート・シェクリイ『明日を越える旅』宇野利泰訳(ハヤカワSFシリーズ、65)

 ラファティ『宇宙舟歌』の感想文で、『宇宙舟歌』を、『脱走と追跡のサンバ』や本篇『明日を越える旅』と並べてその類似性を指摘したことがある(あとで「タイタンの妖女」も追加)。その稿では、伊藤典夫が筒井康隆を評して「テンポがのろくて場面転換のないシェクリイ」といったことに引っ掛けて、「実のところ他ならぬシェクリイだって、案外「テンポがのろくて場面転換のないシェクリイ」だったのではないだろうか」と書いたのだったが、これは我ながらいい得て妙であったなあ、と本篇を再読して、私は改めてそう感じたのだった。

 これらの3篇(乃至4篇)は、ホメロス的遍歴譚であることをいわば共通のモチーフにしており、オデュセウス同様不可抗力的な運命(偶然)に巻き込まれる姿を、併し一種喜劇的な様相を湛えた不条理小説として描いている点できわめてよく似かよっている。とりわけ本篇は、「テンポがのろくて場面転換のないシェクリイ」の典型的作品で、そのなかに籠められたニヒリズムとそれに裏打ちされた皮肉な、併し文明批評的な視線は、むしろ「テンポがのろくて場面転換のない筒井康隆」といいたいほど。

 たしかに第1作品集『人間の手がまだ触れない』(原書、54)のシェクリイは「テンポがよくて場面転換のあざやかな」シェクリイであった。しかしそれは、ある意味シェクリイが自身の「主体性を封印」することによって可能となったものだったように思われる。だがシェクリイはそのような窮屈な書き方に、次第に不満を覚えていったのではないだろうか。
 ひきつづく『宇宙市民』(同、55)や『地球巡礼』(同、57)から本書の前作『ロボット文明』(同、60)までを時系列的に通読すると、シェクリイが次第にその作品世界に主体性を反映させていく過程を辿ることができるかも知れない。その意味で本篇(同、62)において、読者はシェクリイがスマートな「短篇の名手」の殻を完全に脱ぎ捨てた姿を見ることができるだろう。

 電力会社に勤める父の仕事の関係で、タヒチ近傍の南海の島で(文明の汚濁にまみれず)育った主人公は、父の死後、電力会社から父の仕事を引き継ぐように要請され、受諾する。ところが世界経済の悪化によるアメリカの本社の政策変更で当地の電力事業は放棄され、主人公は失職する。そのため主人公はアメリカにわたって一旗あげようとするも、着いた先のサンフランシスコで知り合った麻薬中毒の娘を官憲から救おうとして逆に逮捕され(当の娘は金持ちの親の力で即釈放される不条理)、共産党のスパイ容疑までかけられ(ここで「法」という「不条理」が考察される)、10年の刑と10年の執行猶予が(やはり法の不条理により)確定する。その後、主人公は刑務所の中が実は(ある種の人々にとっては)ユートピアであることを知ったり、ヒッチハイクで乗せて貰ったトラックの三人の運転手の、かつて正義を信じていた男が科学に、科学に裏切られた男が宗教に、宗教に見捨てられた男が正義に、それぞれ新たな価値を見出した身の上話を聞き、結局三人ともおのれの受難にばかり気を取られて他人の体験から何も学習していないことに失望する……

 という具合に、「シェクリイらしい」価値転換が、ただし初期とは違って単なるストーリー上の技法としてではなく、主体性の問題として「のろいテンポで場面転換もなく」語られ、最後は何ともばかばかしい行き違いで世界があっけなく破滅するゆくたては、『猫のゆりかご』のそれにまさるとも劣らず、その凄まじいまでの「やる気のなさ(?)」に溢れたニヒリズムには、間違いなくヴォネガットに通底するものがあるように感じる。

 以上のような次第で、この作品は、このようなスタイルで書かれなければならなかったのだ……という必然性を、私は強く感じるものだけれど、ただ初期の作風に「シェクリイらしさ」を感じる読者には、本篇が「シェクリイらしく」なく映るのはある意味仕方がないのかもしれず、福島正実が解説で「その作品としての評価は海外では中程度」というのはまあそうだろうなと納得もするし、同時に「筆者などは、彼の代表作としてもいいと思っている」という力こぶを籠めた評価には大いに共感するのである。
  〈装幀〉中島靖侃
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紀伊国古墳空白期と武内宿禰

2007年01月14日 14時05分05秒 | 別天古代史
 (財)和歌山県文化センター編『謎の古代豪族 紀氏』(清文堂、99)を読んでいて、いささか空想心を呼び覚まされたので、備忘として記載しておきます。
 本書は97年に行なわれたシンポジウム「紀伊国がひかり輝いた時代――謎の古代豪族 紀氏」の記録集で、講師は水野正好(奈良大学)、栄原永遠男(大阪市大)、永島暉臣慎(大阪市文化財協会)、中村貞史(紀伊風土記の丘)、大野左千夫(和歌山市立博物館)。

 本書で特に触発されたところは、和歌山には3世紀末から4世紀末にかけて、他の近畿地方と比較して古墳が質量ともに極端に少ないという事実(100メートルを超える前方後円墳は皆無で、4世紀前半と目される秋月古墳がぽつんと唯一、その後は4世紀末5世紀初頭の花山古墳群まで空白)。
 当地が、当時人跡稀な地域であった訳ではなく、紀ノ川は大和川と並ぶ大和への大動脈であり、河口はヤマト王権の重要な大陸への基地(後述する武内宿禰と同時代の仲哀天皇も紀伊津<徳勒津>から九州へ出発している)であったわけで、非常に不審であると本書に収められた「討論会」の記録でも話題になっています。

 「紀氏の中枢は、都のある大和河内へ出て執政を助け、「紀臣」のような立場になり、大和朝廷を動かす重要人物になっている、そうした可能性があるのではないか(……)大和で大きな古墳を作っているかもしれない」(135p)

 この議論を読んで、直ちに閃いたのは、武内宿禰の存在なのでした。
 紀によれば、武内宿禰は崇神天皇の異父兄である彦太忍信命の子・家主忍男武雄命を父、紀直遠祖菟道彦の娘・影姫を母とします。
 ところがその一方では、武内宿禰の子供である紀角宿禰を以って紀臣の祖とされています。紀直と紀臣は別系統ということなのかもしれませんが(本書では、同族であり6世紀に分かれたとされていますが)、武内宿禰の「内」が大和国宇智郡(五条市)であると比定される(岩波「日本書紀」註に拠る)ところからも、武内宿禰が紀州在地の豪族(紀直遠祖?)を後ろ盾として中央で活躍していたことは間違いないのではないでしょうか。

 おそらく武内宿禰は五条市に居館し、北は御所市、西は橋本市あたりまでを本拠地としていたのかも知れません。今でこそ五条市と聞けば奥地の印象ですが、御所からは水越峠を抜ければ、橋本からは紀見峠を抜ければ、当時の表玄関である河内湾南岸まで指呼の間ですし、大和から紀ノ川水運を利用する際の元締め的な立地であったはずです。

 つまり今から思えば、五条市地域は大和王権の南の大門だったのであり、逆にいえば大和王権の首根っこを押さえるピンポイント的要所だったんですね。しかもあれほどの傑物ですから、彼は当然紀ノ川沿いの紀直遠祖氏本貫地域も直轄して、最も重要な紀伊津を管掌していたに違いありません。

 その武内宿禰ですが、彼はいつ頃の人であるのか?
 私が比較的信頼している山本武夫『日本書紀の新年代解読』には「武内宿禰の年齢」に関する考察があります。本稿では根拠を引用しませんが(興味のある方は各自で当ってください)、それに従えば武内宿禰は(324~341)年生で(417~442)年没とされています(ただし442年の根拠は「玉田宿禰がこの年武内宿禰の墓域に逃げた」という記事に拠るので442年には確実に亡くなっている。没年はもっと以前と考えられる)。
 つまり武内宿禰は(実在の人物だったのならば)4世紀前半から5世紀初頭にかけて生存していたことになり、これは実に紀伊国の古墳空白期と重なるのです。

 何を仄めかしているかといいますと、秋月古墳の埋葬者(影姫の父親菟道彦?)が死んだ後、紀ノ川沿いの紀伊国を支配したのが他ならぬ武内宿禰であり、その存命中この地には武内宿禰に派遣された官僚はいても在地の豪族で大きな古墳を作るほどの権力を持ったものはなかった、もしくは存在できなかったのではなかったろうか、ということです。

 そうして5世紀初頭以降、堰を切ったように紀伊には古墳が他地域にもまして数多く作られていくことが本書に述べられていますが、その事実は、まさに5世紀初頭に「世の長人(ながひと)」と謳われた一代の英傑武内宿禰が亡くなったとする前出山本武夫説を保証する考古学的傍証となるのではないか。
 なぜなら彼の遺領は,その子らとされる平群、蘇我、葛城、巨勢の各氏によって分割継承され、いうまでもなく紀伊国もまた在地の紀(直?)氏の領有するところとなったのです。言い換えれば紀氏の頭を押さえつけ、古墳建造を阻害していたとんでもない重石が取れた、その結果であろうと想像するのです。
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幻影城の時代

2007年01月08日 03時36分43秒 | 読書
「幻影城の時代」の会・編『幻影城の時代』(エディション・プヒプヒ/垂野創一郎、06)

 本誌は第一義的には2004年に台北で取材された幻影城編集長・島崎博へのインタビューを世に出すために発行されたオマージュ同人誌である。が、インタビュー以外にも読みどころが満載の充実した誌面となっている。またエース・ダブルよろしくリバーシブルになっているのが楽しく、天地逆さに「回顧編」「資料編」に分かれている。
 まず手にとったのは当然ながら眼目の島崎博インタビューの掲載された「回顧編」で、これが無類に興味深く面白く、読み始めてふと気づいたら「回顧編」全部読んでしまっていた。

 私自身は、当時「幻影城」誌にも戦前の探偵小説にもさほど興味がなく、オンタイムでは2冊買ったことがある程度なのだけれど、さすがに当時の状況は面白く読めた。
 しかも島崎サイドからの一方的な発言の掲載に終わらず、関係者から取材もなされて、まあ雑誌の性格上好意的な発言ばかりではあるが、それでもよく読めば交差的な視点も浮かび上がってくるわけで、この構成は無闇なヨイショを排除するもので非常に冷静でよいと思った。

 ところで「幻影城へのオマージュ」という300字アンケートを読んでいると、当時SFファンだったけれども当誌によって探偵小説ファンに宗旨替えしたとのコメントが少なからずあって、ちょっと気になった。これはもちろん「SFマガジンから幻影城へ」と読み替え可能で、当誌が存在した1975/2 - 1979/7という時期は、SFは不調だったのかなと思い、調べてみた。

 結果は――むしろこの時期のSFMはかんべ・山田効果で第2世代が出揃い、第3世代もぼつぼつ登場しはじめており、しかも第1世代いまだ健在で、質量的にも空前(絶後でした。今から思えば)の活況を呈していた時期なのだった。→(1) (2)
 つまりSFのレベル低下が原因ではないということで、となると考えられるのは、(清張以降の)推理小説全盛で弾き出されていた或る層をSFが吸収していたのだが、幻影城というイスラエルの建国でようやくその層が本貫の地へ戻ることができた(というか彼らは初めて自分の母国がどこであるかを知った)ということではないだろうか。

 「資料編」では論考の3篇が圧巻である。

横井司「幻影城」の文脈――研究・評論の視点から」
 論者は「幻影城」の意義として「清張以前の探偵小説の発掘・再評価」とそれにインスパイアされた新しい探偵小説(作家)を世に出さしめたことの2点を挙げる。ただし前者あってこその後者であるとして、ことに前者の意義を強調する。

 すなわち「大人の常識やリアリズムをベースとした」(57p)推理小説とは別の価値観を提供した点を評価するのだが、その評価軸が現在からのそれである点に限界があったと(取りこぼす可能性を)指摘する。
 つまり現在から振り返るという方法論には「時代的な風俗や制度を色濃く示す文脈を評価する契機が失われ、プロットの骨組みのみでの評価が先行してしまう」(60p)憾みがあったとする。

 とはいえ「清張以前の探偵小説が、時代遅れの「ゲテモノ」ではないこと(……)時代の限界を内包しながらも、読まれるに値するテクストであることを印象付け」(63p)、その結果(若い世代に)「ひとつの受容共同体を作り上げた」点を評価する。この受容共同体が後年の新本格の胞(えな)として機能するのだろう。

巽昌章「宿題を取りに行く」
 本考も、横井論考と問題点を共有している。論者は幻影城に「探偵小説の再評価という古めかしいスローガンにもかかわらず」(64p)若い印象を抱くという。その若さは未熟や幼稚、世間知らずというマイナス評価も含むもので、それは掲載される作品がそうであるというばかりでなく、受容する読者の印象でもあるとし、「いわば時代を超えて偏在する幼稚さというべき面」(65p)があったとして、幻影城という雑誌が「ある時代の雰囲気を伝え、あるいは普遍的な若さのしるしを掘り当てようとした」点に特筆すべき意義を認める。

 そうであるからこそ、推理小説を代表する佐野洋の「いいがかり」(前考にある「大人の常識やリアリズムをベースとした」)に対する幻影城側の反応の生ぬるさを批判する。
 本来幻影城の側は論理上、推理小説の言う「成熟」とは一体何なのかを、逆に根源的に問い攻めるべきなのだが、幻影城を運営する側に(島崎にしろ都筑、中井にしろ権田にしろ)その論理を徹底する志向がなかったとする(中島梓ですら「遊びの文学と規定し、最低限の小説的成熟は必要」(68p)と説く)。これは前考のいう「評価軸の限界」に対応するものだろう。

 論者の考えは探偵小説は上述のマイナス面も含んだ「若さ」こそ不可欠の契機なのであって、それを積極的に評価する地点から根源的に出発しなければ推理小説の「成熟」からの否定を覆すことはできないという立場のようだ。
 タイトルはそのような幻影城が置いていった宿題をちゃんと処理してしまわなければ、いつまでたっても成熟と常識を旨とする推理小説に拮抗する論理を取り戻せないという意味だろう。そのスタンスは全く正しいと思われる。

垂野創一郎「島崎幻影城と乱歩幻影城」
 タイトルどおり、いずれ劣らぬ膨大なコレクションのコレクターであった両者を比較してみる試みなのだが、論者は、まず澁澤・種村のコレクション観がオブジェ(死せる客体)としてのそれであるのに対して、島崎のそれはコレクションこそ主体であり、コレクターである島崎はその世話係(園丁)という関係なのだと規定する。つまり島崎コレクションは「生きている主体」とみなされる。

 では生きているとはどういうことか? それはたとえば「とうに時代遅れとみなされた作家(……)に新作を書かせる痛快な時代錯誤ぶり」によく体現されているように、島崎コレクションつまりは探偵小説という特殊なジャンルは「どこにもない時間(ユークロニア)」の産物として在るということであって、論者によればかかる超時代性こそ島崎のコレクション観(探偵小説観)だといいたいようだ(これは横井論考の、幻影城の「現在から振り返る」方法論に対応するものだろう。ただし横井や巽はこれを島崎幻影城の弱点と見たのであったが、本稿はもともとそのような価値判断を排除している)。

 上記のような方法以外にも、たとえば探偵小説の古老に思い出話を書かせることで「過去は膨らみを増して現在に顕現」するようにしたり、誌面のビジュアルへの配慮などが、論者によって園丁が樹木に水をやったり下枝を払ったりして慈しみ育てるのと同様の行為であるとみなされる。

 さて本稿でも佐野洋の発言が取り上げられている。ここで佐野の発言は、文脈的に「なぜ死せるものを甦らせるのか」と読み替えてよいだろう。しかしながら論者によれば(島崎)探偵小説はもともと死んでいない(ユークロニア)。城主によって(上記のように)丹精込めて育てられているとされるわけだ。そしてそれが佐野への反論となりうると論者は考えており、この点が横井、巽と論者の決定的に違うところだろう。

 一方、乱歩のコレクションは――論者によれば標本箱の標本なのであり、分類された死せる客体としてあるとみなされる。その体系志向的な在り方はまさに島崎とは正反対のものであると論者は言うのだが……何となく尻切れトンボの印象なしとしないのは、論者が役回り上本誌「幻影城の時代」の枚数を計算しながら書かなければならなかったせいかも。
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廃市早行(3)

2007年01月04日 20時57分32秒 | 小説
 (承前)


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(「天離る鄙の星辺に」第二部、了)




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廃市早行(2)

2007年01月04日 20時35分16秒 | 小説
 (承前)


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廃市早行(1)

2007年01月04日 19時48分33秒 | 小説

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ダニエル

2007年01月01日 13時15分26秒 | midi
ダニエル→MIDI
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