チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

Re;Re; tranewhat

2024年01月24日 21時27分37秒 | 日記
完璧に自己解決いたしました!
この曲です
        ↓
Out Of This World


「アウト・オブ・ディス・ワールド」! おお、何故にこの曲名を忘れてしまっていたのか!?
ボケの進行は、私の想像以上のようです。嗚呼。
と、それはさておき、
お聴き比べになれば一目瞭然(一聴瞭然か)でしょう? ほぼ同じです。
「アウト・オブ・ディス・ワールド」は1962年のアルバム『コルトレーン』収録曲。かたや「ブルー・ワールド」は1964年録音とのことですから、「ブルー・ワールド」は「アウト・オブ・ディス・ワールド」のエクストラバージョンというべき。
ところが、先日来、「ブルー・ワールド」で検索しているのですが、上記事実に言及したものは皆無なんです。
最近の音楽ライターは「アウト・オブ・ディス・ワールド」を聴いたことがないのか。
たぶん10年前だったら状況は違っていたのではないか。
ジャズもまた、SFと同じで、私たちが当たり前そらそうよと前提条件的に思っているあれやこれやが、一日一個のペースで空無化していっているのでしょうなあ。
諸行無常を感じずにはいられません\(^o^)/

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Re; tranewhat

2024年01月22日 22時21分44秒 | 日記
少し前に、タイトルが分からない(思い出せない)ので教えてプリーズ、と書き込みしました。(ここ
自己解決しました。
と言いたいのですが、逆に混迷の深まる事態となっております。
というのは他でもありません。この曲をYouTubeで見つけたんですけど
   ↓
Blue World

私の演奏が下手糞すぎて、非常に分かりづらいと思いますが、まあメロディの合っている(部分がある)ことをお分かりいただけるでしょうか。汗。
でも――
私が探しているのは、この曲ではないのですね。
大体、この「ブルーワールド」という曲、いろいろ調べたのですが、『ブルー・ワールド~ザ・ロスト・サウンドトラック 』というアルバム収録曲なのですが、
問題は、このアルバムが、2018年の発売であることなのです。
もっとも録音自体は1964年で、これは『至上の愛』の半年前にあたり、たしかにその当時のトレーンらしい演奏になっていますね。
しかし当然ながら、2018年発売のアルバムを、私が聴いているはずがありません。
というよりも、私の記憶とは微妙に異なっていて明らかに別の曲なんです。
この曲に(非常に)よく似た(私の記憶ではメロディも演奏もほぼ同じ)別の曲が、絶対存在するのです。
先日のは、私の拙いにもほどがある(記憶しているメロディを耳コピした)ものでしたから、「あれで解れといわれてもムリムリ」だったと思います。
いやまあそうでしょう。私自身、さっき聴き返して、冷や汗がどっと溢れてきました(~~;
しかし、今回はトレーン自身の演奏ですから、「あっ、あれでは?」と気づかれた方が、もしかしたらいらっしゃるのではないか?
そう考えて、アップしてみました。
非常によく似た曲調です。
ご教示いただけましたら幸甚です。
いやまあ三球照代じゃないですけど、もはや「それを考えてると一晩中寝られないの」状態なのです。ホンマですよ。
よろしくお願いしますm(__)m

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仕舞いの世代

2024年01月20日 19時54分39秒 | 日記
中相作さんより『伊賀一筆FMと乱歩誕生』を頂戴、ありがとうございました。m(__)m

内容は、フリーマガジン「伊賀一筆FM」1号~17号*に、演劇台本「乱歩誕生」を合わせたもの。
(*ただし17号(仰天終刊号)は店頭には並ばず、本書にいきなり収録)
「乱歩誕生」は中さんのオリジナル台本。市民劇団「おきつも名張劇場」の第25回公演として、adsホールにて、昨年10月上演された由。
本書には「乱歩じまい」の文字がいたるところに踊っているのですが、この「おきつも名張劇場」自体も、この公演をもっていったん活動を終了するそうです。
かくのごとく、本書は中さんの「乱歩じまい」の最終章――のはずなのですが、いやいや、実際のところはどうなんでしょうね。
かくいうわたくしも、4年前に社会人仕舞いを決意しましたが、いまだに完全には仕舞いきれてなく、ほそぼそと社会人を継続しているわけで、中さんもなかなかそう上手くはいかないのではないでしょうか\(^o^)/

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円城塔「チュートリアル」

2024年01月07日 20時36分09秒 | 日記
円城塔「チュートリアル」(kindle single)読了。
またまたkindle singleです。読まねばならない紙本が山のように積み上がっているのに、なぜに?
理由は明快。
電子本で、且つ、長さが適当(な短かさ)だから。
もう紙の本は、よほど必要に迫られない限り、読むことは困難かも。
あと、読書環境は電車内に限られるから。(いまや必携のスマホを持ち、さらに別に本を携帯する煩雑さに耐えられない)
集中力が極度に緩んでしまっているので、電車内のように、他に(睡眠以外に)誘惑がない環境でしか、いまは読書できません。
※あ、睡眠は強制的な意識の遮断なので、誘惑とはいえないかも。
とはいえ、電車内でもせいぜい一時間しか集中は続かないのです。
で、この頃は一時間以上電車に乗るのって、京都行きのとき以外にはなく、実際、阪和線で30分、メトロは乗車時間が短すぎるのでスマホを開かない、京阪電車で残り30分、だいたい枚方の手前あたりで、文字を目で追ってはいるものの、脳に意味が届かない状態となり、読書を諦めるのが常なのです。
本書は2往復で、昨日、読了しました。1往復めは11月末、なので一ヶ月以上あいての読了。
最近は状況の変化で、以前のようには頻繁に通えなくなってしまいました。噫。

ということで、本篇です――
この世界には、誰(地球人ではなさそう)が設置したか不明の、「セーブポイント」がそこらじゅうに浮かんでいて(基本球形だがそうでない形態もある)、人々はときにそれに触れることで、「現時点の当人」をセーブします(PCで現時点のテキストをセーブするのと同じ)。
で、たとえば人生に行き詰まったら、その時間線を放棄し、「セーブポイント」に行って「過去のある時点の当人」をロードする。するとその当人は、前回セーブした(セーブしようとして手に触れた)瞬間に戻っている(しかもそれまでの記憶は持続したまま)。
そしてその時点から生き直せば、同じ人生にはならないのです。そういう設定。つまり別の時間線上に乗っかることになって、別の生き方が可能となる。(多世界解釈的世界観)
しかも、そのうち、自分のセーブ点だけではなく、他者のセーブポイントをロードできるようになり、つまりそれこそあらゆる時空間をわたっていけるわけです。(自我=魂は一貫しているが、外見は制限がなくなる)
この辺、晩年の眉村さんに非常に近い世界観ですね。眉村さんを意識したかどうか知りたい。
ところが――
ラストに至って、眉村的世界解釈が、突如、「果しなき流れの果に」の例のシーンに移行する!
いや、これは佐世子と野々村の物語の再解釈なのか?
面白かったです\(^o^)/

※わ、理由に「無料だから」を抜かしてた(^^ゞ


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謹賀新年

2024年01月03日 23時21分45秒 | 日記
みなさま、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいします。
さて、新年早々、お詫びしなければならないことがあります。というのは他でもありません。

年賀状を大晦日までに出せませんでしたm(__)m

実は去年も年賀状を事前に準備できなかったのでした。二年連続の失態です。
うーん。おかしいなあ。
ほんの数年前までは、投函が遅れて元旦に届かないことはあったかもしれませんが、少なくとも年末までにはデザインを決め、プリンタで印刷するところまではできていたものです。
当時は、いまよりずっと忙しかったのに、です。

さらに思い起こせば20代30代、いちばん酷いときは朝5時前の、始発の次の電車で出勤し、家に帰り着くのは夜中の10時すぎという生活を日常的に続けていました。が、その当時でさえも、年賀状は、早ければ11月下旬、遅くとも12月中旬には出来上がっていたものです。
しかも、当時はプリントゴッコ(>懐かしい)の出始めの頃で、昨今のように出来合いの画像をコピペするような安直なものではなく(もっともプリントゴッコも後には貼り付けられるデザイン集も発売されましたが)、自分でデザインしての、まさに手作りでした。

それでも12月中には完成させていたものです。

それがですよ。暇になったはずの最近のほうが間に合ってない。これは一体どういう訳の訳柄か。
わたくし、還暦をとうに過ぎて、仕事も最小限に事実上リタイア同然となったとき、やれやれこれでやっと自由時間がもてるぞ、思ったものです。
数字は任意ですが、たとえば現役時代の3倍に自由時間がふえ、これまでやりたくても手をつけられなかったことにもチャレンジできるようになるのだ、とワクワクしたものでした。
ところが現実はどうか。
ぜーんぜん自由な時間は増えていません。
むしろ、以前より時間に追われている。
実際、机の上は未処理の案件で山積み状態です。
いまも山積み書類のあいだにすき間を作り、体をまるめてコソコソ打鍵しているような体たらく。
思い描いていた未来とは雲泥の差。
どうしてこんな事になってしまったのでしょうか。

最近気がつきました。
自由時間は3倍(任意)に増えましたが、わが処理能力は、逆に3分の1になっているのですな……つまり差し引きゼロで、自由時間は、事実上以前と変わっていないのです。
いや、そうじゃないですね。
机上の状態がさし示しているように、処理能力はむしろ3分の1よりも下回ってしまっている可能性が高い。
自由時間引く処理能力が、マイナスとなっているわけです。
だから処理できない案件が(机上も私の脳内でも)どんどん積み上がっていき――最終的には積み上げ案件が無限大となり、自重で収縮を開始する……
いやこれって、ビッグクランチですよね。
近年の宇宙論では、ダークエネルギーの導入によりビッグクランチは起こらないと定まったようですが、うーむ、わが脳内では確実に起こりうる未来のように思われます。わが脳は自重で縮退してしまうのでしょうか?
困ったものです。

ということで(どういうことだ)、みなさま誠に申し訳ありませんが、今年も去年と同じく、到着した御年賀状に対してだけ、遅くなりますが賀状をお送りさせていただきます。(出来合いの印刷年賀状に何のコメントもないそっけないものになりますがご寛恕いただきたく)
元旦到着分に関しては、当日午前中に郵便局の年賀特設投函箱に、すでに投函済みです。早ければ今日明日中にも届けられると思いますm(__)m
その後の到着分に関しても、郵便局のシステム上多少遅れますが、必ずお送りいたします。よろしくお願いしますm(__)m


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