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1992年の定期大会議案を読んで

2018年09月17日 | 社会党・社民党と出会う

 1992年の総支部大会の議案を読むと、7月の知事選・参院選で立候補予定者の辞退があった年でした。
その頃の熊谷総支部は、60名あまりの組織で、衆議院議員1名、参議院議員1名、県会議員1名、市会議員5名、専従書記長がいました。
活動報告では、第1回新報まつりで1000人を超える参加者があり、新報を13部拡大した。
知事・参院選で3名の新入党員、集団入党運動で252名の協力党員が入党する。
社会新報の扱い部数700部を800部にする提案がされています。

その時の役職は、教宣部長をやっていました。
1988年に熊谷から転勤になり、1990年11月を最後に、地域版の「社会新報」を発行できなくなった。

 

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