
鷺山城は岐阜市の独立支丘、標高68mの鷺山に文治年間(1185~90)佐竹秀義が築いた城である。その後、美濃守護土岐氏代々の居城となるが、天文十七年(1548)斎藤氏の城となり、城は改修された。然し、弘治二年(1556)長良川の戦いで、斎藤道三は子斎藤義龍により討死し、その後鷺山城も廃城となった。
昭和39年(1964)、新幹線や名神高速の築堤用採土によって山の南側一部が削られ、その後上方は公園、下方は住宅地となった。採土の際出土した礎石といわれる石が、斜面に建つ北野神社境内にあるが、城の礎石として考えるのは、やや難しい。
山頂からは岐阜城が望め、北側の太子堂との間には堀切がみられる。また館跡は、東麓に痕跡を残している。
福光城は永正六年(1509)美濃守護土岐政房が鷺山城北東側に築いたとされる館城。
平地であり今は何も残らないが、上土居、下土居といった地名が歴史を伝えている。
鷺山、下土居地区で行われている土地区画整理事業に伴う発掘調査によって、同時代の遺構や城下町、遺物等が検出されている。また、福光城の一角「蝉土手城館」の堀、土塁跡も検出されたが、鎌倉時代の遺構も検出され、永正六年以前から鷺山城に関連した城館が存在したことが考えられる。
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斜面には天神さんが鎮座してます。
この日もお礼参りの人がたくさん来ていました。