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flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

徳林寺と全徳寺

2021-06-11 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県丹羽郡大口町余野 2008年3月29日)
 参道を一つにした臨済宗の寺院が並ぶ。大龍山徳林寺は、『尾張志』に、「昔、当村ノ住士小池与八郎が妻山姥にて福富氏に射殺されし菩提のために建し寺なれは、俗に山姥寺といふ」と記している。鎌倉幕府御家人梶原景時臣福富国秀の子孫国平が本宮山(尾張富士)において村人に恐れられている山姥を退治したが、山姥はこの地に住む郷士小池与八郎の妻の化身であることが分かり、与八郎は供養のため、永仁元年(1293)真言宗の寺院として開基し、空母山徳蓮寺と称したという。その後荒廃したが、文明元年(1469)小口城主織田広近が再建し、改宗、寺号も改められている。そして、天正十二年(1584)小牧の戦いの際に兵火で焼失し、その後再建されている。また、織田広近が再興した際の中門と、犬山城第一黒門を移築した山門が残っている。
徳林寺は
 福新山全徳寺は、永仁二年(1294)山姥を退治した福富国平 によって「全徳坊」として創建し、文明七年(1476)徳林寺住職によって「全徳庵」と改められ、同寺の末寺となっている。そして、徳林寺と同様に兵火に遭い焼失、慶長三年(1598)に再建された。その後、明治34年(1901)には徳林寺から分離して現在に至っている。

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