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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

松代藩校 文武学校

2007-11-20 00:00:47 | 学びのやかた

(長野市松代町 国指定史跡)
 海津(松代)城から「歴史的道すじ」へと入っていく。
付近の塀という塀は、景観保護をしており、特にこの真田邸と文武学校の間の道は、季節にマッチした光景となっている。
  
 私は大方の計画は立てて各地は訪れるのだが、前もって綿密なリサーチと、細かい予定は立てない。それは先入観を持たずにその地の特性を知るためであり、そのため、訪れてからその後の行動を悩むことがある。
 今回、松代に訪れて、残された時間と訪れ調べる箇所が多いことを知り、一先ず視野に入った「旧白井家表門」に立ち寄ることにした。
門のところにはスタンプが置いてあったので、押していると「よろしかったらお茶でもどうそ」と声をかけられた。そして休憩施設に導かれるまま、中に入っていった。そこには、男性女性一名ずつの方がおり、地域ボランティアの方たちのようであった。そして呈茶を受け、旧真田邸内でとれたという梅漬けや、柿をご馳走になった。
また、松代のお話しを聞かせていただいたのだが、女性の方がどこかで見たことがあるような気がした。よくよく見ると、声、外観、話し方が私の以前同じ職場だった知人に似ているからだとわかった。その知人も、この辺りが大好きな人であったので、今回のことを知れば、喜ぶだろうにと思った。
 もう一人の男性の方に、文武学校を案内していただいた。
文武学校は、その名が示すように松代藩の文武両道を目的に、安政二年(1855)に設けられた藩校であり、儒教ではなく西洋の学問を取り入れるなど先進的な藩校であったという。
 約1600坪の敷地内には正面正庁(文学所、御役所)の他に、奥には槍術所、門両脇には東序、西序、剣術所、柔術所、弓術所、文庫蔵、番所等があり、昭和48年(1973)まで現役で学校として使用されていた。また、特筆すべきことは現在でも、剣道、柔道、弓道の練習や大会等に使用されていることである。
  (槍術所の堅固な梁) (槍術所の床材、左松材、右杉材)
 校内を案内していただいたことによって、槍術所は真田家菩提寺である長国寺庫裏に廃藩後使用されていたものを移築復元したこと、槍術所の床面が当時からの松材の部分と、後の杉材に張り替えた境目があることや、槍で柱を突いた跡、そして当時は構えだけであった柔術も、後に寝技、投げ技を取り入れるようになり、柔術所の板の間に畳みを敷くようになったこと等、逸話も知ることができた。
 案内していただいた方のお名前を見ると、何か伝統のありそうなお名前であった。
お聞きすると、海津城から望められる山城、尼巌(あまかざり)城主の末裔の方であった。

 伝統を重んじ、“松代”ブランドを大切にするこの地の方々、そして文武両道が今に息づく誇り高き住民の皆さんを知り、北信地方の政治的中心地であった頃と変わらない郷土愛も感じた。
 続いて真田宝物館を見学したが、ここで時間切れ、朝から当地に訪れていればと、残念に感じた。次回は、一日この地を巡ろうと思いながら、長野をあとにした。

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コメント (4)
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