糸山の朝を迎えた。外はまだ白々としているが、次第に青色を呈し始めてきた。
しまなみ方面へとも考えたが、旧市内を巡ることにした。
宿泊先から送って頂き、一先ず駅へと向かう。
私がまだじっくりと訪れたことのない、日高地区「小泉」へ向かってみることにした。
隣りの片山、別名へは訪れたことがあったが、この地はまだなかった。然し、以前通りかかったときに見た田畑は減り、住宅が建ち混んでいた。
そして四国八十八ヵ所第五十六番札所泰山寺へ。
写真で見た光景とはどこか違う。境内を拡大し伽藍を新しくしたためのようである。
奥の院の龍泉寺、藤棚の大熊寺、三嶋氏の居住した大祝屋敷、そして五輪塔群へと足を運んだ。
南に下って、以前も訪れた越智玉澄廟に立つ大楠を巡り、また市街地へと戻った。
桟橋でバスを降り、港で一休み。鉄御門再建中の吹揚城を通り、御厩通、城東方面へ。
そして蒼社川河口天保山から東門橋へと溯る。コンクリートで歩道専用の東門橋は、元は へんろ橋という木造沈下橋で、その横には鳥生川(御物川)の合流点と、松並木がある。
父が生前、子どもの頃の風景を思い出して描いたクレヨン画。それと脳裏の中で見比べてみる。
橋は変わり、建物が建ち、緑が少なくなっている。
ここから少し溯った「祇園さん」と親しまれるお宮、そして蒼社橋を渡ると「かんべさん」と呼ばれる鴨部神社と東禅寺の薬師さん。父が生前語っていたところばかりである。
私にも父とこの場所を歩いた思い出はあるが、何故だろう、私の目頭が熱くなった。
きっと父が私の体を通して、感動しているのだろう。
そして最後に、父の生家があったところを通り、瀬戸内の味、鯛めしを食した後、今年の今治の地を離れた。
しまなみ方面へとも考えたが、旧市内を巡ることにした。
宿泊先から送って頂き、一先ず駅へと向かう。
私がまだじっくりと訪れたことのない、日高地区「小泉」へ向かってみることにした。
隣りの片山、別名へは訪れたことがあったが、この地はまだなかった。然し、以前通りかかったときに見た田畑は減り、住宅が建ち混んでいた。
そして四国八十八ヵ所第五十六番札所泰山寺へ。
写真で見た光景とはどこか違う。境内を拡大し伽藍を新しくしたためのようである。
奥の院の龍泉寺、藤棚の大熊寺、三嶋氏の居住した大祝屋敷、そして五輪塔群へと足を運んだ。
南に下って、以前も訪れた越智玉澄廟に立つ大楠を巡り、また市街地へと戻った。
桟橋でバスを降り、港で一休み。鉄御門再建中の吹揚城を通り、御厩通、城東方面へ。
そして蒼社川河口天保山から東門橋へと溯る。コンクリートで歩道専用の東門橋は、元は へんろ橋という木造沈下橋で、その横には鳥生川(御物川)の合流点と、松並木がある。
父が生前、子どもの頃の風景を思い出して描いたクレヨン画。それと脳裏の中で見比べてみる。
橋は変わり、建物が建ち、緑が少なくなっている。
ここから少し溯った「祇園さん」と親しまれるお宮、そして蒼社橋を渡ると「かんべさん」と呼ばれる鴨部神社と東禅寺の薬師さん。父が生前語っていたところばかりである。
私にも父とこの場所を歩いた思い出はあるが、何故だろう、私の目頭が熱くなった。
きっと父が私の体を通して、感動しているのだろう。
そして最後に、父の生家があったところを通り、瀬戸内の味、鯛めしを食した後、今年の今治の地を離れた。





