flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

たからものの川

2005-11-06 17:14:21 | 水のほとり
(普通・砂防河川 豊川支流宝川 宝飯郡一宮町)
 この川も、とよがわ同様、ほの川が訛って転化した呼び名という説がある。
しかし、一般的な説としてよくいわれているのが、「宝物」からきているという説。
 ほの山(本宮山)の中腹で、荒沢川と呼ばれる急な沢のほとりに、中世の頃まで正眼院(後の松源院)という寺院があった。
当時の住職が、お寺をもっと里に近い所に移そうと考え、その移転先を寺の宝物と衣を荒沢に流して流れ着いた所に決めようということになり、衣が流れ着いた所が川の中流、現在の松源院だといわれている。 
 また宝物は、そのまま豊川まで流れて行ってしまったので、現在の松源院より上流を「衣川」下流を「宝川」と呼ぶようになったということだ。

(関連記事:一宮の大堀
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止所(とが)の台地から

2005-11-06 00:21:53 | ご近所漫ろ歩き
 我が家に近い、砥鹿神社というお宮の横にある崖から、南東の方角を眺めてみる。
向こうの山並みは、赤石山系。
その手前には「ほの川」がある。
左手の欠けた山は「アンパンマン山」といわれたことのある、照山という山。
それらの手前に広がる沖積地にある田畑。
沖積地はいわば、川の跡。
つまり砂地である。
洪水の心配もさることながら、地震の際の地盤沈下や液状化の恐れのある地盤でもある。
ちなみに私が立っているところは、洪積台地。
地面が隆起したところに、川が地面を削ってできた台地、河岸段丘といわれるものである。
ここは地盤が固く、東海地震の際の震度段階もやや低い。
然し、水が浸透し易く、川や池が殆ど無い。
よって洪水の心配も無く、段丘の崖面からは良質の清水を湧出させる。

住みよいところと言えるであろう…が私はもっと住みよいところに移り住みたいと考えている。
それを日々、探し続けている…。
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