和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

初景色/今日の俳句 ≪第.1642号≫

2015年01月04日 06時51分21秒 | 今日の俳句

■<2015年(平成27年)1月4日(日)>■



     ◆この島で生きる 島根県海士町ルポ◆

【公明新聞:2015年1月1日(木)付】
https://www.komei.or.jp/news/detail/20150101_15878




【写真】島の基幹産業である漁業を支える漁師たち。その中には各地から移住してきたIターン者もいる
島の基幹産業である漁業を支える漁師たち。その中には各地から移住してきたIターン者もいる


     “人づくり”を島おこしの軸に
     移住者ら再生の起爆剤に


ーー内外の英知を結集す

海士町は、一貫して“人づくり”を島おこしの軸にしてきた。人口減少で“地方消滅”という問題に直面する中、町の将来を見据えて一層、教育に力を入れなければならないと思う。私は島の高校生に「仕事を創りに帰ってきてほしい」と呼び掛けている。いつか、この自然豊かなふるさとで、世界とつながりながら夢を実現させてもらいたい。

島根半島の北約60キロ、本土からフェリーで約3時間、自然に恵まれた海士町は、半農半漁の小さな町だ。承久の乱で敗れた後鳥羽上皇の流刑地として知られ、独自の歴史と文化に彩られている。

2000年代初頭、公共事業で町の財政は借金が膨らみ、まさに破綻寸前だった。「自力で町の展望を開かねば!」。04年、山内道雄町長ら行政と地元住民が団結し、わずか3カ月で自立促進プランを練り上げた。以来、大胆な行財政改革と“なりわい”創出へ、あくなき挑戦を続けてきた。

大きな突破口を開いたのは、05年に完成したCAS凍結センターだ。町が設立した第三セクター「株式会社ふるさと海士」が運営している。

CAS(Cells Alive System)とは、磁場エネルギーで細胞を振動させることによって、生きたままのような状態を維持し冷結保存する画期的なシステム。このシステムの導入によって、岩ガキやイカなど島の海産物の鮮度を落とすことなく、市場に届けることが可能になった。本土に届くまで輸送時間がかかり、鮮度が落ちるという離島のハンディを克服。島にとっては、まさに経済発展をもたらすイノベーション(技術革新)となった。

海産物を島のブランド商品として、首都圏の飲食店などに出荷できるようになり、インターネットでの通信販売も可能になった。同社の奥田和司社長補佐役は、「漁業者の手取り収入の増加につながり、地元漁業の維持に貢献している」と胸を張る。

さらに、不漁が続いても、海産物を使ったフライなど加工品を製造・販売することで、安定した雇用を生み出せるようになった。売り上げも順調に伸び、今年度は1億8000万円を超える見込みだ。

それまで商品価値のあることすら気付かなかったものが、外から見れば魅力となる。その例が「島じゃ常識 さざえカレー」だ。さざえカレーは、もともと地元の食文化として定着していた。それを商品化しようと思い付いたのは、島外からの移住者だった。現在、同商品を作る平野雅士さんは求人でさざえカレーに興味を抱き、京都から移住。島で結婚もした。やりがいを感じる毎日だ。「新商品を開発したい」と夢を語る。

豊かな海産物をブランド化すれば売れる―。海士産の岩ガキ「春香」が後に続いた。出身地に戻り定住するUターンと、都市部などから移住するIターンの人々が地元漁師と協力し、養殖に成功。首都圏内のほとんどのオイスターバーに卸す。町が06年10月に立ち上げた「海士いわがき生産株式会社」が年間30万個を生産するが、供給が追い付かない状況だ。同社の大脇安則代表取締役は「ブランド化が大きな役割を果たし、収入も安定してきた。後継者を育てたい」と、先を見詰める。

新たな産業創出の立役者はIターン者ばかりではない。松阪牛など全国区のブランド牛に劣らぬ評価を受ける「隠岐牛」の飼育を担うのは、地元の建設業者。畜産業に参入するため「有限会社隠岐潮風ファーム」を04年に設立。農業参入への規制を緩和する潮風農業特区の認定を国から受けた。現在、約600頭の肥育・繁殖牛を飼育する同社の田仲寿夫代表取締役は、「出荷頭数を倍増させたい」と意欲を燃やす。

島にはIターン者を引きつける魅力があるようだ。宮?雅也さんは国立大学に在学中、島の子どもたちとの出会いがきっかけで、卒業して3日後、海士町に渡った。半農半漁の暮らしにひかれて移住を即決。現在、民宿を手伝いながら、自ら起こした株式会社で、干しナマコを生産。中国へも出荷している。

島では04年から10年間で294世帯437人のIターン者が移住してきた。そのうち、約6割が定住。これは、実に人口の1割を占める。その理由は何か。「Iターン者の本質は『覚悟がある』ということ。家族で移住する彼らには、この島で生きていく覚悟がある」(町交流促進課の青山富寿生課長)。地域への愛着こそ、地方創生の出発点といえよう。

日本海に浮かぶ隠岐諸島の一つ、中ノ島にある島根県海士町。人口約2300人、1島1町の小さな町だ。人口減少、財政難など日本社会が抱える課題の縮図のような地域だが、島外からの移住者と地元住民が力を合わせ、教育と産業振興に奔走し“輝く島”へと変わった。


ーー「島留学」で全国から生徒を募集


     高校消滅の危機回避
     今では学級数が増加


海士町が産業創出とともに重視しているのが教育だ。

昨年12月のある日、海士町の玄関口である菱浦港近くの公民館を訪ねた。夜7時過ぎ、県立隠岐「夢ゼミ」に学ぶ高校1年の生徒たち。千葉県出身の茂呂大紀君は「町に来て地域のつながりの大切さを知った。将来の夢は医師として海士町に戻ること」と語った島前高校の生徒が続々と集まってくる。お題は「聴く」。良いコミュニケーションの在り方をめぐってグループディスカッションなどを行った。終了時刻は夜9時半。皆の表情は生き生きとしている。参加した同校1年の久保鈴夏さんは「相手の話を聞くことがなぜ大切か、勉強になりました!」と語った。

これは、公営塾「隠岐國学習センター」による講座「夢ゼミ」の一コマ。同センターは、生徒一人一人の多様な進路や幅広い学力への対応を充実するため、2009年に発足した。豊田庄吾センター長は「島前地域では教員数も少なく民間教育機関もない。学校と連携しながら個人指導と自立学習を支援したい」と語る。学習センターと隠岐島前高校の教員は毎週、ミーティングを行い、生徒の進路指導などを協力して進めている。

ここまで来る道のりは順風満帆ではなかった。同町内にある唯一の高校である隠岐島前高校は、入学者が77人(1997年)から28人(2008年)に減り、3学年とも1学級に。地域から高校がなくなると、本土への移住を加速させかねない。学校の存続は、地域の存続に直結する課題だった。

そこで、08年から始めたのが「高校魅力化プロジェクト」だ。高校を地域づくりと人づくりの拠点と再定義。10年度からは、全国から生徒を募集する「島留学」を開始。今では、全校生徒の4割超が町外の出身者だ。11年度から、国公立や難関大学などへの進学をめざす「特別進学コース」と、地域住民の知恵や資源に実践的に触れながら地域づくりのリーダーを育成する「地域創造コース」を創設。高校2年生は全員、海外研修に出て、イェール・シンガポール国立大学でプレゼンテーションを行うなど、世界にも触れさせる。

こうした取り組みの結果、入学者は大幅に増加。12年度からは同高の入学定員を2学級80人へ増やし、3学年とも2学級になった。同プロジェクトの中心者、岩本悠さんは、「地域外の人と交流させることで、地域づくりの担い手を“自給自足”できるよう取り組みたい」と語る。


 

彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡



     ※今日の俳句※


  大き鳥きて止まりけり初景色
         永田耕一郎


  初景色さらにとんびを加へけり
         児玉南草


  初白根百歩すすめば隠れけり
         福田甲子雄




※ 初景色。
 元日の淑気に満ちたあたりの景色。風光優れた土地に最もぴったりするが、人家や街路樹が立ち並んだ町の風景なども、元日には特に美しく見えるものである。 
【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡




     ※わが友に贈る※
【聖教新聞:2015年(平成27年)1月4日(日)付】

  
  大いなる決意が

  大いなる未来を開く。

  広布誓願の炎を燃やし

  新たな勝利の峰へ

  威風堂々の出発だ!
  

      2015年1月4日



     ※名字の言※
【聖教新聞:2015年(平成27年)1月4日(日)付】


「箱根こす人も有らし今朝の雪」(芭蕉)。9年ぶりに都心に雪が舞った元日。神奈川・箱根地方も雪模様だったが、2日、3日は好天に恵まれた。古来、「天下の険」といわれた難所を舞台に、世界遺産の富士が見守る中、新春恒例の駅伝ドラマが今年も繰り広げられた



箱根駅伝では、東京、川崎、横浜の都市部から湘南の海沿い、箱根の山を往復する選手たちへ、ほとんど絶え間なく沿道から声援が送られる。新鋭の1年生、最後の競技となる4年生。その疾走、快走、苦痛に顔をゆがめながらの力走にも、若い命のほとばしりを皆でたたえ、励ます良き伝統だ



出場できなかったメンバーが、給水係として支える姿もあった。駅伝も青春も、そして人生も、最後は自分に勝つ戦いである。だが、その栄冠をつかむ人には、必ず周囲の力添えがある



創価大学の選手も多くの応援を背に、さまざまな人の思いがこもった、友情と団結のタスキをかけ、全力で走り、抜いた。「初出場創価大学、大健闘!」--1区から2区へ、創大史上初のタスキリレーの際、テレビでアナウンサーが叫んだ



創大のチャレンジは始まったばかり。新たな歴史を開いた創価の走者らに学び、私たちも、青年と共に、この1年、挑戦の道を走り始めよう。(杏)


【聖教新聞:2015年1月4日(日)付】


彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡

1月3日(土)のつぶやき

2015年01月04日 01時48分11秒 | 日本

ブログを更新しました。 『慰安婦問題の主犯は福島瑞穂、元慰安婦を操り創作する』
ameblo.jp/hirokiwai/entr…