和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

共 戦(三十六)新・人間革命

2011年12月24日 08時43分13秒 | 今日の俳句
  新・人間革命

【「聖教新聞」平成23年12月24日(土)より転載】
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共戦36(12/24)
 フランシスコ・ザビエルは、一五〇六年に現在のスペインに生まれ、パリ大学の聖バルバラ学院に学んだ。二十八歳の時、イグナティウス・デ・ロヨラらと、モンマルトルの聖堂で、神に生涯を捧げる誓願を立てる。
 ザビエルは、このロヨラらと、修道会「イエズス会」の創立に加わる。正式に教皇の認可を得た「イエズス会」は、ポルトガル王の要請を受け、インドに、ザビエルらを派遣。海を越え、彼の宣教の旅が始まるのだ。
 ザビエルは、マレー半島のマラッカで、後に日本人信徒となるアンジロウと知り合い、日本宣教の重要性を痛感する。そして、日本をめざし、一五四九年、薩摩半島に上陸。ここで、懸命に日本語を学んでいる。 ザビエルは薩摩で、仏僧の自堕落な生活に驚きを覚える。書簡には、「坊さんよりも、世間の人の方が、正しい生活をしている。それでいて、相変らず坊さんが尊敬されているのは、驚くべきことだ」(注=2面)とある。
 彼は、仏僧の腐敗から、形骸化した仏教の欺瞞と没落を感じ取ったにちがいない。宗教は生き方の土台となる。ゆえに、人間の振る舞いのなかに、教えの真価が表れるのだ。
 薩摩でザビエルは、守護大名の島津貴久に会い、宣教の許可を得る。しかし、仏僧の激しい反対に遭い、結局、宣教の道は閉ざされることになる。
 彼は、平戸に赴き、ここで宣教の許可を得た。さらに、日本の国王である天皇に謁見し、宣教の許可を得ようと、京の都をめざした。そして、その途次、山口に滞在する。一五五〇年十一月のことである。
 山口では、許可を得ぬままに、伝道を開始した。一日二回、街頭に立ち、教えを説いていった。熱心に話を聴き、信仰を志そうとする人もいた。だが、嘲笑され、罵詈されることも多かった。
 ザビエルの噂は広がり、守護大名の大内義隆が彼らを引見した。ザビエルは、誇らかに神の教えを語るが、大内義隆の反応は、決して好ましいものとはいえなかった。



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冬至梅/No.778・2011年(平成23年)12月24日(土)

2011年12月24日 04時41分01秒 | 今日の俳句
冬至梅/No.778・2011年(平成23年)12月24日(土)

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■ クリスマス・イヴ
 クリスマス(キリスト降誕祭)の前夜。
 eveは夜を意味する古語evenから来たもので「クリスマスの夜」の意味になる。キリスト教会暦では日没が1日の始まりであり、クリスマスは24日の日没から25日の日没までとなるので、その間の夜である24日の夜のことをクリスマス・イヴと呼ぶ。


o☆:*:.♪今朝の一句♪o☆:*:。


 散ることにためらいもなく冬至梅
     浦 廸子


 躬ひとつを入れて柚子湯を溢れしむ
    平間真木子


 臍ひとつしみじみとあり冬至の湯 
     角川春樹


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【わが友に贈る/寸鉄】
【「聖教新聞」No.778・2011年(平成23年)12月24日(土)より転載】
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o☆:*:♪わが友に贈る♪o☆:*。


 規則正しい生活で


 有意義な冬休みを!


 親子ともども


 具体的に目標を定め


 祈って進もう!


   ☆12月24日☆



☆*☆☆※♪寸 鉄♪※☆☆*☆


学会は寛容の精神を基調に生命尊厳の思想広げたー教授(アメリカ)。平和の架け橋と

年末年始の友好期間。普段会えぬ友人とも有意義な語らいを。更に絆強く

「青年は自分の力を出し切って働け」恩師。要領は敗北。喜んで苦労せよ

「眠気で仕事中ミス」8割。良質な睡眠が健康の基。賢き工夫で生き生き人生

津波被災地の雇用。依然厳しくー白書。スピードが大事。公明よ死力尽せ


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