新・人間革命
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共戦31(12/19)
日蓮大聖人は、「此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候」(御書一二四二ページ)と明言なさっている。
真の所願満足は、金銭や財産などを追い求めるなかにあるのではない。欲望に振り回されることのない、少欲知足の心豊かな境涯が確立されてこそ、至る境地といえる。つまり、「心の財」のなかにこそあるのだ。 イタリア・ルネサンスの知性アルベルティは、「どれをとっても魂の財産よりも好ましいものはない」(注)との警句を残している。
山本伸一は、ユーモアを交えて語った。
「年をとれば、多くの人は、年金生活になり、経済的には質素にならざるを得ないかもしれない。でも、お金があり余るほどあったら、何を買っても、喜びは半減します。食事だって、毎日、高級なステーキばかり食べていたら、すぐに飽きてしまいますよ。それに偏食になって、体にもよくない。
また、大豪邸になんて住まなくても、いいじゃないですか。人間が寝るところは、畳一畳なんですから。間数は少ない方が掃除も楽です。服だって、何百着も持っていたら、選ぶのが大変ですよ。少ないからいいんです」 どっと、笑いが起こった。
「『蔵の財』『身の財』は、所詮は、この世限りです。『心の財』は、未来世にまでもわたる財であり、しかも無限です。
『心の財』は、『欲楽』に対して『法楽』と言い、仏の悟りの法を求めることによって得られる楽です。つまり、信心によってのみ得られる幸せなんです。 『法楽』は、生命のなかから、泉のごとく湧きいずる幸福であり、環境の変化などによって崩れることのない幸福です。戸田先生は、それを『絶対的幸福』と言われたんです」
戸田城聖は、一九五六年(昭和三十一年)五月三日の春季総会で次のように述べている。
「絶対的幸福というのは、どこにいても、生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるんです。腹のたつことがあっても、愉快に腹がたつ」
【「聖教新聞」平成23年12月19日(月)より転載】
http://m.seikyoonline.jp/
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共戦31(12/19)
日蓮大聖人は、「此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候」(御書一二四二ページ)と明言なさっている。
真の所願満足は、金銭や財産などを追い求めるなかにあるのではない。欲望に振り回されることのない、少欲知足の心豊かな境涯が確立されてこそ、至る境地といえる。つまり、「心の財」のなかにこそあるのだ。 イタリア・ルネサンスの知性アルベルティは、「どれをとっても魂の財産よりも好ましいものはない」(注)との警句を残している。
山本伸一は、ユーモアを交えて語った。
「年をとれば、多くの人は、年金生活になり、経済的には質素にならざるを得ないかもしれない。でも、お金があり余るほどあったら、何を買っても、喜びは半減します。食事だって、毎日、高級なステーキばかり食べていたら、すぐに飽きてしまいますよ。それに偏食になって、体にもよくない。
また、大豪邸になんて住まなくても、いいじゃないですか。人間が寝るところは、畳一畳なんですから。間数は少ない方が掃除も楽です。服だって、何百着も持っていたら、選ぶのが大変ですよ。少ないからいいんです」 どっと、笑いが起こった。
「『蔵の財』『身の財』は、所詮は、この世限りです。『心の財』は、未来世にまでもわたる財であり、しかも無限です。
『心の財』は、『欲楽』に対して『法楽』と言い、仏の悟りの法を求めることによって得られる楽です。つまり、信心によってのみ得られる幸せなんです。 『法楽』は、生命のなかから、泉のごとく湧きいずる幸福であり、環境の変化などによって崩れることのない幸福です。戸田先生は、それを『絶対的幸福』と言われたんです」
戸田城聖は、一九五六年(昭和三十一年)五月三日の春季総会で次のように述べている。
「絶対的幸福というのは、どこにいても、生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるんです。腹のたつことがあっても、愉快に腹がたつ」
【「聖教新聞」平成23年12月19日(月)より転載】
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